現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

東京豪雪地域

2015-01-30 | Weblog

2015年1月30日、冬装備タイヤで発進。

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1月20日から、

2015-01-29 | Weblog

当然のことと思うが、中東の人質釈放のニュース一辺倒である。全豪オープンベスト4進出ならずも、通常であれば、トピックスとして取り上げられるのだろうが、それ以上の報道が優先するため、結果だけという温度差と感じる。現在の状況を、たとえば北朝鮮の拉致被害者家族などは、どういう気持ちで受け取っているのだろうかと考えを巡らせてしまう。もちろん背景が異なり、入ってくる情報・状況は違うため、対応も異なるとは思うが、片や何十年も経過し、遅々として進まない?、進めていない? ほうの対応は今後どうなるのだろうか?

はたまたイスラム国と北朝鮮、成り立ち・背景・狙いなど、すべての事柄が違っても、残虐性・独裁・処刑という点では、どう違うのだろうかと首をかしげてしまうが、どうだろうか?

かってはソ連のスターリンも、親族すら信用せず、次から次へ暗殺していき、反対者を処刑していった。チャウシェスク政権の独裁もあった。ナチスのホロコースト(大虐殺)で、公称180万人ものユダヤ人の命が奪われた。以前にも述べたが、小生の考えの中では、日本の神風特攻隊という名の自爆攻撃を計画した、命じた者は許せないと思っている。その作戦を立てた者が先頭で飛び立っていくならいざ知らず。人間の残忍性、残虐性は、過去の歴史にいくつも現れている。今、目の前で起こっていることに自然と焦点が当てられ、それ以外への意識が薄れるところがあると思うが、時々は、少し後ろへ引いて、全体像や、長い時間軸での経緯などにも触れることも大切なんじゃないかと考える。

昔から世界各地で、争い、戦争、なわばり争いが繰り広げられ、その時々の権力者、征服者により、ここからここまでが自分たちの領地だと決めてきたことは事実だ。その線引きにも現在の欧米諸国のそれぞれの思惑で他人の領地に自分たちの利権を残したいと影響力を行使してきたことも事実だ。獲ったり、獲られたり。その繰り返しが人類の歴史だとも言えなくもないと思う。日本ですら、サムライ同士のイクサで、都度都度、領地の大きさや領地名も変わってきているのだ。

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それぞれのロジック

2015-01-28 | Weblog

ビジネスとは基本的には経済活動のひとつであるから、普通はお金の出し入れが伴うものだ。そういう中で、何か物事を決めようとすると、なんとかの一つ覚えのごとく、ロジックが、ロジックが、という言葉を振り回す傾向があるが、いくらロジックがそろっていても、出金が伴うとなると、そのロジックを引っ込めてしまうこともあり、その時は、ま逆のロジックを無理やりこしらえて、またロジックだ、ロジックだとあえて大声で強調して、あたかもそれが正論であるがのごとく、俗にいう、こじつけだけのことにもかかわらず、虫のいい話に仕立て上げてしまう。

ようはロジックなんて、なんとでも作りあげられるのであって、あくまでもひとつの見方、考え方にすぎず、そんな胸をはるようなものでない。

あくまでも人間活動は、アナログで、想定していなかった出来事の連続であり、損得勘定だけで判断することなんて、難しいことでもなんでもなく、ただの都合の良い言い訳にすぎないことがほとんどだ。

みんなの頭の中には、それぞれのロジックが設定されており、何でもかんでも表に出せばいいというものでなく、じっと辛抱しながら、あえてこらえているんだということがわからないだけだ。

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歯医者でもそうだったけれど、

2015-01-27 | Weblog

長年、同じ歯医者、同じ先生で治療を受けていたが、全く痛みがなくならない。そこで、歯医者を変えてみた。丁寧に治療を進めてくれるが、基本的な治療の仕方は同じような感じ。気持ち的に少し改善あるかなと思いつつも、通えど通えど、よくならず、もう通院すること自体が億劫になってくるほどだった。そして、また別の所へ変えた。すると、そこは、レントゲンだけでなく歯周病菌の培養を行い、一定数を越える状況ゆえ、まずはそれを改善しようとの治療を受けた結果、痛みがとれていくのがわかった。今まで通った歯医者の中で、このようなアプローチをする所はなく、効果的だったのかどうか専門的なことはわからないが、結果的に長い時間通うことなく解決をみたのは確かだ。

今回の膝の例でも、半年前に同じ医院で別の医者の診断を受けたが、レントゲンを撮って、年齢的なことがらの見識を伝えられ、痛みどめの薬の処方だけだったが、今回の先生の場合は、触診もあり、即断で、外科的治療を施してもらい、現実的に痛みをとってもらえる治療を受けられたのでよかったと思うとともに、こうも対応する先生によって違うものかを再認識させてもらった。この先生曰く、膝に関しては、もちろん軟骨のすり減りということもあるが、原則としては遺伝子の問題で、痛みが出ない方は、いくつになっても出ないとの見解を教えてもらった。

大企業の丸紅が今期、利益予想が当初より下回る見通しゆえ、会長、社長、役員から、たくさんもらっている報酬からカットしていくことを表明した。至極、当然のことと思う。これらの方々の、もちろん削減金額も大きいだろうが、残る金額もそれなりの額があるだろうから、十分、日常維持には支障は出ないだろうから。

 

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まさかヒアルロン酸のお世話になるとは思ってもみなかった。

2015-01-26 | Weblog

できるかぎり歩いたり、運動を心がけたりと思い、それなりに継続したつもろいだが、一向にひざの痛みやぎくしゃくがなくならず、再度、検査したところ、いわゆる両膝に、あってはならない「水」がたまっており、まずはそれを抜くことを行った。左側は、ひざの裏側にも水があり、裏側は血管が集まっており、注射を間違うと別の事態となるとのこと。結局、両膝から合わせて、約30ccの「水」 (黄色い液体)をまずは抜き出して、今度は、ヒアルロン酸入り薬剤の注射となった。耳にしていたが、「ひざに水がたまる」ということを経験する羽目になってしまった。もう何年も膝の治療については、有効な手立てがなかったとのこと。ヒアルロン酸が出てきて、ようやくそれなりに痛みを抑えるなどの対抗策が打てるようになったとのこと。ただし、国は、年間の注射できる量に制限を加えていて、その量を超えると、その年は、以降、自費扱いとなってしまうという。ドクター自身が、どうしてそんなことを国が決定していることをおかしいと指摘しているのに、現実に即したことを行わないのだろうか?推奨は、1か月に1,2回、ヒアルロン酸注入を行ったほうがいいのだそうだ。

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どうしても、そういう風に映ってしまう。

2015-01-24 | Weblog

火曜日までの中東歴訪において、自信満々に、2億ドルの支援を謳いあげ、胸をはって堂々と、日本も同じようにお金の面で貢献しますよとまるで「堂だ」と言わんばかりで、英米からも歓迎された(あたりまえだけど)ことに、喜んで、このまま日本に戻ったら、帰国報告として成果としてぶち上げてやろうときっと思っていたに違いない。どうしても、火曜日までのTVを通じては、そのように思えてしまう。それが、一発で吹き飛ばされてしまった。

このように言うことや指摘することは間違いとの意見ももちろんあるが、要は、英米の行っていることだけが、絶対無二の正義なのか?ということをもっと深く掘り下げてもいいのではないだろうか? ドイツのナチスのやり方は悪かった。しかし、それだからといって、ソ連がベルリンへ侵攻して、傍若無人のふるまい、シベリアや樺太での蛮行、米国の火炎放射器やナパーム弾、原爆はすべて正義という目的のもと、正当化される行いなのか? イギリスだって植民地支配の先兵となってきており、そういったことに対して、今は反省をして、他国で繰り返してはならないという名目で、シリアやイラクへの空爆はOKなのか?

なんか、一方通行、しかも同じリソースからのきわめて少ない情報だけが伝えられて、実態は本当のところ、どうなのか?アフリカでの民族紛争、虐待、戦争状態にあることは、両者とも殺戮をくりかえしている。空爆だから、目の前で破壊が見えないからOKなんてことはないだろう。

これも、もっとシンプルに、唯一の被爆国として、「戦争はだめよ」とだけ言い続けないのだろうか? 日本でできることは、唯一、それだけのことと思うが。どちらにも加担せずに。

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内政不干渉のほうがよかった?

2015-01-23 | Weblog

約20年前に、フランス人と居酒屋のようなところでの会話だったが、その当時より、すでにフランスでは、イスラム教信者との確執は国内問題であった。国内人口の10%程度占めるようなことを言っていたと思うし、日常の生活上のトラブルやデモ、待遇をめぐる対立などがあるように聞いたと記憶している。最近は、失業の問題と相まって、さらに一層、深刻になっているようだ。

朝鮮、ベトナム、イラクと、戦争をおっぱじめるものの、終了にあたっては中途退席のごとく、国内の不安定さを治めることができず、放り投げだしていっているように映る。イラクにおいても、半端な状態での撤退によって、現在、北部にイスラム国なるものが占めるような勢力図をもたらしてしまった。サダムフセインも国内で専制君主がごとく、ふるまっていたようだが、現時点での結果からだけ見れば、横暴を極める専制統治者が交替しただけで、安泰な体制には道遠しにちがいない。

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ピタゴラスイッチ

2015-01-22 | Weblog

最近、キッチンなどで、両手がふさがっていて、肘で水道の蛇口をさせた時に、洗物の籠に立てていた菜箸にあたり、その菜箸が倒れるのを防ごうと手をあわてて動かすと、片手に持っていた汁物の鍋から中身が飛び出し、さらにそれを立てなおそうとすると、まな板に触れ、まな板の端っこが、グラスに当たり、グラスが下に落ちて、結局割れてしまう。といった風なことが、よく起こるなと感じている。まるで、ピタゴラスイッチの実際版だ。

将棋の駒の配列も、このように、必ず、次の一手に対応できるように常にカバーできるような置き方が、将棋という勝負の世界では、良い連鎖反応を生むのだろうが。

ようはあまり狭いスペースのところに、いろんなものを置いてpくなということだろうが、はたまた、横着なことをせず、ひとつひとつ丁寧に進めろという意味もあるだろう。大きな鍋の中に、沸騰したお湯などが入っていたらとゾッとするときもある。もっと周囲の状態に気をめぐらさねば。

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ユダヤ? イスラム?

2015-01-21 | Weblog

エルサレム。キリスト教の聖地でもあり、イスラム教の聖地でもある。

ユダヤ人の迫害の歴史ということもある。国を持たされず、どこからも追放追放の連続。ようやくイスラエル建国。

そうかといって、何をやっても許されるというものでもないだろう。欧米、とくにUSAが後ろ盾しているとは言え、エルサレムやガザ地区における空爆や殺人、パレスチナ人の自由を奪う行為。実際に、破壊したり、人を殺めているのだ。イスラエル側が正義なのか? そうとも思えない。そのイスラエルを支援することが正義なのか? 現時点での勢力図に従っているだけからの判断だろう。

もっと特長のある、日本らしさを打ち出せる施策があるように思うのは、小生だけだろうか?

どうしても欧米に追随どころか、傘の中で立ちまわっている感がぬぐえない。

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外へ向けて、チャレンジ。

2015-01-19 | Weblog

休日に、新しい交流を開くために、17日(土)に、テニスデビュー。いきなり4時間コートで動き続け、正直、ガタがきている状態。

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なんで?

2015-01-19 | Weblog

先日のTV。関西系のグループ所属の二人が、高卒でないため、わざわざ番組で作ったような高卒レベル(?)合格に達するかどうかを調査する番組。なんでギャラまで出して、多勢のゲストまで準備して、その二人の学力というか、学習能力というかを手助けするような内容に、なんの意味があるのか? 仮にそれが合格と判定されたところで、大検でもなんでもなく、大学受験資格ができるわけでもなく、高卒と認められるわけでもなく、中学レベルの復習をやっているような内容に、わざわざTV局の費用、ひいては一般消費者の支払いにつながるようなコストをかけて、スポンサーもスポンサーだと思うけれど。もっとましな番組を作ってもらいたいものだ。タレントと呼ばず、ノンタレントと、これから紹介するようにしたらどうなのか?

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1月17日

2015-01-17 | Weblog

10年ひと昔、と言うことが多かったが、今でもそういっていいのだろうか? 目に映る外見的なものが、それほど大きく10年前と変わらないので、なんか10年前とさほどの違いなしと感じながら、自分自身の精神的な部分と身体能力の変化についてだけ、ひと昔と思って、変わり果てた自分自身に差を見せつけられる。光陰矢のごとしとも思えてしまう。

20年前の今日は、福岡にいた。午前8時過ぎの実家の母親からの電話で起こされて、TVをつけろと言われ、地震を知った。驚愕の光景。信じられないという、ぽかんと、あっけにとられた状態。大学時代、4年間、神戸で過ごした自分にとって、あそこはどうなった? とか、長田に住んでいる者のその後は? とか、六甲道の駅がくずれているとか、春日野道の家は? ガード下のお好み焼きは? とか、いろいろなことが一斉にめぐるが、なんの手も差し伸べられない。大阪エリアも家財道具など倒れこんできたとのこと。ガラスも割れたとのこと。一体、何が起こったのか? まるで爆弾が落ちたようだったというような表現のほうが、実際に感じたことだったいうことも聞いた。途方にくれるしかないという状態だっただろうと推測する。

今年20歳になった成人の言葉、大学生の語り伝えへの情熱には頭が下がる思いだ。自分はただひたすらラケットを振り回しているだけの毎日で、社会とのかかわりや、こうあるべきだなどど人生みたいなことを真剣に向き合っていなかった自分の20歳と、どうしても比べてしまう。自分自身の、なんとひよわな、背骨のない日々を過ごしていたかと、矢を射られるような気分だ。

10年ひと昔、どころか、20年ひと昔とも思えぬ。人生は積み重ねということを再考させられる。

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恵方巻が歌舞いている

2015-01-16 | Weblog

節分に、家で手作りのシンプルな巻き寿し(関西では、巻き寿しといえば、イコール太巻きのことで、東京へ出てくるまでは、太巻きという言葉を知らなかった。)を、丸かじりしていた。丸かじりといっても、一口かじるぐらいで、そのあとは包丁で食べやすい大きさに切ってもらう。どうして、こんなことをするのかも知らなかった。家で自作の巻き寿しは、やはりお寿司屋さんのものに比べて、おいしさが違った。どうしても、すしめしと、海苔の味が表現できていなかった。食べる理由も知らず、恵方巻などという、小難しい言葉も知らなかった。それでも節分の日の夕食は、大抵これだった。別に向く方角なども、気にしたことはなかった。それでも食べていた。巻き寿しを頑張って、最後まで丸かじりなんてしなかった。シンプルな巻き寿司で、リクエストとして、きゅうりを太めに大きく入れてもらって食べていた。

最近は、そんな風習もなかった地域まで、恵方巻、恵方巻とはやしたてて、しきりに宣伝している。言われや方角などの講釈付き。種類も、ぎょっとするぐらいまで、具だくさんや変わった具などが入って、まるで歌舞伎の化粧みたいな状況にみえる。

地方の、地味な、風習が、なんか変身してしまっているので、もう少し、シンプルにならないかなと願っている。

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雨の日に。

2015-01-15 | Weblog

久しぶりの雨だ。乾燥のところに適度に湿り気をもたらすのもいいのでは? 雨に加えて気温も高くないので、外出には不向きな天気だ。

インターネットの普及で、あちこちで事件が報じられる。情報が早く取れたり、逆に発信させたり、それらを逆手にとったような行動もたくさん出現するようになってきた。ツイートなんていうものは、無責任きわまりないと考えていたほうがいいのだが、時には、群衆をも動かすきっかけでもある。

目の前には、これから先、越えなければならない山々が、まだまだ沢山ある。唯一無二の解決方法など見つかっていない。ただし、本当に原点に戻って、さらには積み上げてきたキャリアをどううまく融合させながら、持てる力をすべて出し切って、立ち向かっていくか。不安を、わくわくするようなパイオニア・スピリットへ意識的に変えながら、前進するのみだ。天候が荒れようが、それも自然の成せるところと、まったく意に介さない。OK,OK精神だ。

リセットも、デリートも本当はできないのだ。積み上げていくだけ。ただ絶対に忘れてはいけないものは、思いやりだ。情けだ。正しいことがだけが、正解ではない。コンプライアンス信望者は、えてしてロボット人間とおきかえても、あながち間違いでないというのが、小生なりの解釈だ。

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セルジュク・トルコ、こんなことをいちいち考える人はいないと思うけれど。

2015-01-13 | Weblog

朝のTV番組などをみていると、女子アナが次々現れるので、この局面では、女性登用が積極的に行われているといいのだろう。最近では内定取り消し問題などがあり、決着したとはいえ、4月以降の話題となるのか? それにしても、入社希望者再度の、まるでプロモーションビデオには驚かされる。素人といえど、その時点からプロモデルなの? と考えてしまう。各局の女子アナも、なんとなく局ごとに、ヘアスタイルまで看板アナにまねてるみたいに思ってしまうのは自分だけだろうか? それと、出てくる人数も多数にわたる。昔は、せいぜい男性と女性の二人がデスクを前に座ってというイメージがあったが、最近では、情報が多岐にわたるのか、分業しているのか、男性も女性も次から次へ現れて、さらにはコメンテーターまで、複数名出てきて、そんなにたくさん寄って集まって、みんなでこなせば大丈夫ということか? いつから全員起立しながら、情報提供するようになったのだろう? まるで、モデルのごとく、カメラ目線で足を少しクロスさせながら、ただじっと立っているだけの時もある。ずばり、キャスター二人ではコントロールできない分量なのかとも思ってしまうが、それらの中に混じって、社員でなくフリーキャスターまでわざわざ使っていたり、ジャニーズ系タレントを使っていたり、ひな壇にはたくさんのゲストで、TV局自体は、まったくデフレでも不況でもなく、そんな景気とは無関係であっても、報道内容は、景気が実感しないなどと伝えまくっている。200%も300%も矛盾していると思うが。USAの早朝などは、キャスター一人で奮闘していたりしているが。

水泳選手の韓国での裁判。一番の気がかりは、完全アウェイの国で、いずれにせよ、どの程度、正しいさばきが行われるのかを一番懸念している。

なんとなくだが、オスマントルコという言葉は、すぐに頭に出てくるのだが、どうしても、そういえば、もうひとつ、○○○○トルコというのがあったはずだと思いながら、その、何とかトルコの言葉が出てこない。いくら考えても浮かばない。セルジュークトルコだったとわかっても、そうだったかかなという、ふっきれない部分が残る。

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