現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

2-6-2

2008-03-22 | Weblog
十人十色、千差万別、たで食う虫も好き好き、ことわざ通り本当に社会人になると特に意見が一致しなくなる。そんな中、自分と同じような意見の持ち主が10人のうち2人、別の2人はほぼ正反対の意見、残りの6人は、付和雷同者、風見鶏的、力のあるほうになびく、このように考えておいたほうがよい。
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選挙

2008-03-22 | Weblog
できるかぎり選挙には、選挙権が与えられたら行くように。お父さんもお母さんも、よほどの事情がない限り選挙には行っている。投票率がいつも低いことには辟易するけれど、投票しない者が、あれこれ文句を言う資格はないと思っている。大体の者がわかっているけれど、投票率が70%や80%になれば、政権が変わる。出る杭は打たれるけれど、寄らば大樹の陰、でいいのかなあ?
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金利

2008-03-22 | Weblog
21世紀の最初の日本は、金利面で最低水準。1000万円を1年間銀行に預けても受取利息は3000円。1万円だと3円。
銀行に預けて、出し入れを繰り返すことは目減りを意味する。それならば、いわゆるタンス預金のほうがまだましということになる。なんで、みんな文句を言わないのか不思議で仕方ない。そもそも銀行業務は、いつでも貸し出し金利よりも、安く資金を調達できるのだから、本来は失敗などないはず。メーカーに置き換えて考えれば、仕入れコストゼロで商売をやっているのと同じで、絶対儲かる仕組みに守られている。かといって相変わらず庶民には簡単に貸さないし、担保・保証人を要求するし、がっちりと金利をとるし。こんな状況にも、何も言わない国会議員を選ぶ、日和見的な国民性、そのようなところは、他から学び、改めてもよさそうだけれど。
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無意識の無

2008-03-21 | Weblog
有無、有ることと無いこと。有るものは見える。無いものは見えない。誰に教えてもらったわけでもないのに、なんとなく無いという意識をもっている。ホテルやビルの建物、地上階は、1階。その上が2階。下はどうかといえば地上階(1階)の下が地下1階。地下2階ではないのだ。イギリスなどでは、地上階は地上階(グランドフロア―)、その上が1階。その理屈であれば、地下1階もつじつまが合う気がする。集合写真で左から何番目と言う場合、一番左端の人が一人目、その次が二人目。東京駅から有楽町はと聞くと、ひとつめ。数字の1から始まらない、なんとも奇妙な世界。でもなんとなく納得している。話は変わるが、細菌には酸素を好む菌、嫌う菌、水を好む菌、熱に強い菌、弱い菌など様々。無菌環境で、ひとつも菌がないならば、菌の増殖は起きない。無から有は生じない。一つでも菌がいて、生育に好ましい環境であれば倍倍ゲームで増殖する。
無意識という意識。数学上は、0の概念の起源に関連するようであるが、有るということの反対のものが存在しないと、有ることが実証されないということか?
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テレビ番組

2008-03-19 | Weblog
最近のテレビ番組で、二つの点がおかしい。ひとつは、コマーシャルのタイミング。イライラさせるサブリミナルを助長している。日本人の一人当たりの平均の視聴時間は、多くないのに、コマーシャルをはさんで同じ場面を繰り返すため、実際の情報伝達量も少なくなっているはずである。どうしてマスコミ関係者自身の自助努力で、自分達のテレビ局だけは制作上、そのようなことは行わないというところが出てこないのだろう。レンタルビデオが生まれるずっと以前は、洋画ロードショー番組で、映画館へ行けなかった作品を家族そろって楽しんだものだ。その当時は、コマーシャルが一区切りついた時点ではいるため、ゆっくり心落ち着けてトイレへ行ったものだ。非常に視聴者のことを、心から考えている配慮がある。いまは、ないがしろにしてしまっている。
もうひとつ、やはり視聴者を軽んじているのは、バラエティー番組、クイズ番組で、ギャラを払って出演している人たちに、番組の中で賞金・賞品を提供することである。かつ、みんなタレント、タレントといって、AV女優が堂々とコメント、司会などをこなす、まったくもって、制作サイドの良識・見識を疑う。おそらく、どこからかのプレシャーがあるのだろうが。昔は、一般視聴者が主体で参加するクイズ番組、歌番組があったものだ。家族そろって歌合戦、アップダウンクイズ、ダイビングクイズ、地上最大のクイズ、アベック歌合戦、フィーリングカップル5対5、パンチDEデートなど、素人さんなりの面白味をうまく引き出していたと思う。ラッセラーを連発するようなプロよりは、食事にたとえるならば、素人さんたちの旨みを引き出していた、そこが制作者としてのプロッフェショナリズムと思うけれど。どこの局でもやっているのと同じような、いわゆる横並び、あたり障りのない、没個性・没創作、典型的な日本人の集団のなせる技の集大成なのか?
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USA(アメリカ) 1

2008-03-18 | Weblog
まだテレビが白黒の時代、日本ではすぐれたドラマがなくて、アメリカからのホームドラマがいっぱい放映されていた。パパは何でも知っている、僕のパパは世界一、だとか、ビーバーちゃんという少年が主役だった。それとは別にチビッコギャングだとか、子供向けのズッコケドラマなど。ハイウェーパトロール、バットマスターソン、ライフルマン、ローハイド、幌馬車、ジェットパイロット(ブルーエンジェルス)、もちろんコンバットも。それらを見て育ったといっても過言ではない。描写されている内容はともかく、いずれもアメリカンスタイル、考え、包容力にあこがれを抱くものばかりであった。何かが日本とは違う。
おそらくアメリカ人自体も1960年代と現在のアメリカが違うと考えていると思う。数年前に一緒にウイスコンシン州を含め、旅行して帰ってきた時も、もうアメリカは嫌だと言っていたよね。確かに都心のアメリカは、それなりに娯楽を探せばあるけれど、田舎へ行けば、東京暮らしに慣れている者にとって、不便だとか、汚い面が日本より状況が悪い部分もあった。また、第2次大戦経験者が平気で、今、東京を爆撃しましたとやるから、参ってしまう。
もちろん日本からのビジターは、非常に少ないにせよ、全く配慮というか、冒頭に挙げた博愛的な面が感じられない。
マグドナルドで、レギュラーでもほとんど入っていないオニオンを入れないで、と注文をつけるのには驚いたね。それが、しかも誘われていったりっぱなディナーとくるから、ただただあきれるばかり。博愛どころか、もてなしの心もない。人には、酒・タバコの不健康性を主張するのに、自分は平気で、朝から大きなケーキを頬張る。健康を気遣うからといって、ダイエットコークを飲み、デカフェにする。空港・街中、男も女も後ろから見れば区別のつかない、半パンツだらけ。機内で、2席分を占める人間が、トラブルメーカー、あげくの果てが航空会社が悪いとなって、ワインのプレゼント。多少なりとも現実のアメリカにあこがれをもって、ハリウッドの話しなぞすると、イッツ
ア ムービーと冷静に分析される。スーパーマン格好いいね、と言えば、僕はロイスがいいなあ、とくる。タバコを取り締まるなら、製造・販売をやめろといいたい。知れば知るほど、アメリカが嫌いになる。
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信号

2008-03-18 | Weblog
郊外のさして交通量の無い交差点というより、横断歩道のところに最近、信号機がつけられた。50mも行かない所に、従来からあったにもかかわらず。その交差点から3方向見回しても、30メートル先に信号機がある。ガードレールも、防音壁も電信柱も、なんでもかんでも規制したがる。安全でないとなると、いの一番に信号機の設置だの、遊具の撤去だの、管理、管理、の連続。ほとほと日本という国は?
自立、自主がないものだとつくづく感じる。外国のジョークに、日本人に指示する時は、他人もやったのだから、自分で判断するのでなく、それに続いて同じことをやりなさい、というのがあるが、最近は、ジョークを越えてまさにその通りと思うことが多々ある。
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自動車

2008-03-13 | Weblog
オート三輪車というと、よくダイハツミゼットとか、マツダのオート三輪車が出てくるが、お父さんが4歳ぐらいの頃、お父さんのおじいいさん(お前からは曾おじいさん)の木箱工場では、マツダのオート三輪車の中でも、ハンドルが今のような丸型ではなく、バイクと同じような車があった。このことを話すと、みんな冗談と思ってすぐには信じてもらえない。証拠となる写真が1枚残っているので、本当のことと証明はできるが。
3人が横になって座れるが、真ん中に座った人が運転する。右や左へハンドルを切るたびに、ちょうど右と左の人のおなかあたりにハンドルの先がきてしまう。この経験を実際にしている人は今まで会ったことがない。
1963年頃、今度は親父が中古の自動車を購入した。マツダのクーペ360。いわゆる軽自動車で、2ドア。側面の窓がガラスでなく、プラスティックで出来ている。それゆえ、まるで、いつも雨が降っているような、線形の傷が全面に入ってくる。驚くことは、その当時、トルコンといって、クラッチペダルがなかった。今でいう、オートマである。ローとトップに2種類のギアに分かれ、スタートは、ローで発進し、そこそこのスピードになると、アクセルを緩め、その間にまるでバスのギアチェンジのごとく、ローから一度、ニュートラルへ、その後トップへチェンジする。このことも、えーっ、その当時からオートマがあったのかと疑われる。恐らく、中型車を含め、99%がクラッチ有りだったと思うので、いまから考えれば、非常に珍しい車だったと思う。お金とスペースに余裕あれば、大事に扱い、今でも動く状態であれば、かなりのビンテージものだと思うけれど、今のようなお宝鑑定的余裕ある生活でなかったため、調子が悪くなって、その後、また中古の今度は、ダイハツハイゼットへ。これも360CC。
そのあと、スバル360へチェンジ。どの車も一番下のグレードでその当時は、いわゆるスタンダードといわれていたクラス。デラックスといわれるクラスの自動車は、タイヤに白い丸がペイントされていて、すぐにデラックスか、スタンダードか一目瞭然。いまは、そんな白く輪がペイントされているタイヤなど、どの車種みても見かけないから、今スタンダードと呼ばれる車で走っていても違和感が全くないと思う。そのあと、初めて軽自動車から脱却して、ブーバードへ。確か800CCぐらいだったと思う。やはり中古だけれど。中古といっても、まだまだ自家用車があること自体は、まだまだマイナーな時代であったことは確か。その後は、中古のローレル。ブルーバードU、レパード(この時は最高級グレードで、ヘッドライトにワイパーが付いていた)、セドリック、レオーネ、ブルバードSSSクーペといろいろな車種に乗る機会をもてた。お前が生まれてからは、トヨタ車ばかりだけれど、お父さんは、日産とトヨタを、それもかなりの台数を経験できた。今の日産車は、総じてデザイン的に魅力があるとは思えないけど、当時は、それぞれの車種が一見してわかるほど、個性があり、かつ、それぞれがそれなりにスマートに仕上がっていたと思う。
日産サニーVSトヨタカローラ、ブルーバードVSコロナ、セドリックVSクラウン、プレジデントVSセンチュリー対等の好勝負をしていたと思うのに、なぜ現在のような大きな開きが出来たんだろう?
当時、技術の日産、販売のトヨタといわれた時期があったが、お父さんの経験では、日産の販売力というより、販売意欲を日産系の営業マンから感じたことがない。おそらく、ある時点から、営業の悪循環に陥ってしまったと思う。販売不振から宣伝経費も抑えられる、開発コストにも限界が生じる、すべてがコストへ意識が向いてしまう、営業デフレスパイラル。カルロス・ゴーンさんに直接伝えたいよ。本当にテコ入れしなければならないところを避けて、ただ単に、有形のコストダウンだけでは、長続きしないよ、と。
日本での市場はそこそこで、不足分は、海外で、特にアメリカ、ロシア、中国でという戦略は、一流メーカーからの撤退、二流メーカーへの転落を意味する。安く作って、どこでも売れれば良い、それでも事業として黒字を維持するだけでいい。モノ作りのプロがそんな戦略で、開発も、営業も、本当の新しい革新を創り出していく覇気が生まれるとは、とうてい思えない。かっての、ひとりの日産のヘビーユーザとしてはっきり言わせてもらいました。
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空想

2008-03-12 | Weblog
最近、この単語を聞かないなあ、とふと思った。昔は、空想の世界、空想の物語、夢イコール空想と言ったイメージや、「空想が好きな奴やな」、空想癖とか、いい意味でも、多少おちょくる意味でも、よく使っていた気がする。最近は、何でも技術的に可能となってきたことから、やはり死語になりつつあるのか?
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優越感と劣等感

2008-03-10 | Weblog
どちらもコントロールしなければならぬ。劣等感は持っても、それを
ハングリー精神へ変えろ。まちがってもジェラシーに変えてはだめ。
特に、男は、ジェラシーをいかなる時でも持つな。男のジェラシーほどみっともない物はないとお父さんは思っている。でも世の中にはそれをジェラシーとは考えず、人の足を引っ張る奴もいる。正義感ぶって。理屈をつけて。
最近、男だとか、女だとか、区別するなとか、ジェンダーフリーだとかあるけれど、何をどういっても、男は男、女は女であり、性が異なることをそのまま受け止めないのはだめ。男、男といばるな。男、女あればこそ。女、女といばるな。女、男あればこそ。ぐらいなら許せるが、今の極端な平等主義はだめ。お父さんは女のジェラシーもどうかと思うが、それよりも男のジェラシー、時には、男が男にジェラシーを持つ。学生時には、あまり感じなかったけれど、社会人になってからは、うらやましいを超えた、一見嫌がらせとは思えぬ、ところが実際には、他人を中傷するようなことに出くわす。お父さんは、それらは、本質はジェラシーからきていると考えている。また、女性に対してもジェラシーを持ったとしても、それを外へ見せてはだめ。男はじっと我慢。忍に1字。自分が素晴らしい人間であるなら、かならずその女性は振り向いてくれる。そう信じること。
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サンタクロース

2008-03-10 | Weblog
金持ちではないのに、12月24日は外食。家を出る時に自分で鍵を閉めて、その鍵をずっと持っていて、帰ってくると、真っ先に自分で玄関の戸を開ける。すると必ずプレゼントが置いてある。
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一文菓子屋(駄菓子屋)

2008-03-07 | Weblog
東京では駄菓子屋というが、大阪では一文菓子屋と言っていた。最初、東京に出てきた時に、自然と一文菓子というとキョトンとされた。一文と言いながら実際は円を使っていたのでオカシイといえばオカシイけれど。五円、十円をもって出かける。店のおばちゃんが、顔と名前も知っている。たくさんの紐から一つだけ引く、欲しい大きなオモチャとつながっていることを願って。結果は、いつも、その他大勢ある平凡な物(たとえば砂糖まぶしの飴とか)。薄く張られた紙を破って中のものをゲットする、碁盤の目のようになっているから、あたる確率は30分のⅠ、40分のⅠぐらいかな?大阪では、それらを、すべて当てもん、と呼んでいた。いわゆるクジ引きの原始的なやつ。その店だけは、毎日が縁日といったところかな?
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映画2

2008-03-07 | Weblog
映画も最初は白黒。さすがに活動写真ということではなかったけれど。カラーの場合は、映画のポスターに、総天然色と書かれていたよ。その漢字4文字が何故か鮮明に焼きついている。
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映画

2008-03-07 | Weblog
テレビが無かったから、また親父(おじいさん)は洋画が好きだったようで、2週間に一度ぐらいの割合で近くの映画館へ行ったように思う。それも夕方から出かけるから、帰りはいつも夜の8時、9時。帰りはいつも親父におんぶされながら帰った。その時、必ず市場(商店街)の中を通って帰るのだけれど、店はとっくに閉まっていて、なんかすえたニオイが、たちこめていたことが記憶にある。特にお肉屋さんの前などを通った時。
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青い空と白い雲

2008-03-07 | Weblog
お父さんが、まだ小学校に行く前のことと思うけれど、お父さんのお父さん、つまりおじいさん、からきれいな青空の中に浮かぶ白い雲のどこか好きなところを、じっと見つめてみろ、と言われ、ホラ徐々に消えていくだろう、とまったく自分の眼で見ていることと呼応するかの如く、手品のように感じた。最近は、空を見上げること自体忘れている。今の子供に同じ事をすれば、それが何?ってきり返されそう。
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