現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

こんな風に決めつけられないと思うけれど、、、、

2014-07-31 | Weblog

最初の北欧系の外資を退職となった時、それから数年も経ってから、ある人から 「退職後は競合相手の会社へ行った」 ということになっていたらしい。どうして、そんな話になったのかまでは全くわからなかったし、こちらも 「そんなことどうでもいいや」 と思っていたので、バックグランドはわからないまま。そのことを聞いた時に、逆に 「そういう選択肢もあったのだ」 と、思いつかされたものだ。かなり本気で。 自分としては、競合先への糸口などもわからず、また、そんなことをしても、短期間だけは重宝されるだろうけれどと思っていたので、その気は全くなかった。

その後、正直、結構、紆余曲折が続く。都度ベストを尽くしたつもりではいるけれど。一番の収穫は、人というもの、自分という者、つながりということ、先人が残してきたもの、エゴということ、力の前には卑屈ともいえるということ、人間性ということ、社会のなりたち、等々、頭でなくて、体で精神で勉強させていただいた。ある組織に属しているという前提条件の中でのことに限定されると思うが、自分が働いている環境や、私的に関わっているグループなどで、自分自身が去っていくこともあれば、去っていかれた方々もいるが、さっくりではあるが、動きがある方々のほうが、魅力があり、個性があり、周りとの調和も常に思考の片隅に置いており、それなりにバランス感覚があり、多少ではあるが、自己犠牲もいとわないという精神力も備えている、と思われるような人たちが多かったと、思う。一言で言いかえれるならば、”はみだし者” と言えるわけだが、正直、それら”はみだし者” 達のほうが、概して人間味を感じられたというのが、偽らざる気持ち、それが100%ではないが、そういう風にフィーリングとして響いてきていたように思う。

人間味って、なんなんだろう? ひとつはその人に対して自然体でいることができるということだ。さらには自分にとって共鳴できるエリアが大きいということだろうか? 情を感じさせてもらえるということも大切だろう。 逆に思う方もいるとは思うが、右か左か比較的はっきりさせようと考えようと努力しているということもあるのではないかと思っている。右、左、グレーゾーンの3つを均等に語っていてもなんの面白みもなく、そんなことは当たり前のことで、自分なりのわかりやすい具体的な信念を表に現してくれる人でないと魅力となっていかないだろう。(教科書やマニュアルを読み上げたり、説明するだけでは、教科書やマニュアルの現物だけ置いてあればいいのであって、人の存在意義は失われていることと違いはなかろう。)

1990年のドイツ・ベルリンの壁崩壊や、たまたまそれまでに至る少し数年前のソ連・モスクワへ数日、滞在していて、モノがこんなにもないのかということを実感させてもらったが、その時点ですでにソ連やモスクワ自体になんのパワーや魅力を感じなかった。冷戦時代というが、このころのソ連はどこの国と戦争をやっても勝てなかったであろう。脅威でもなんでもなかったように思う。唯一の恐怖は、もうどうにでもなれ という、ひらきなおりだけであったろう。チェコ、ポーランド、東ドイツの民衆のパワーは、すさまじいものがあったと想像するが、要は瀕死寸前までいったからこそ、政権、権力では空腹は満たすことができないところまでいってしまっていたのだ。このような極限までいくと、民衆、大衆は自ずと立ちあがるということを現代という時代に示した具体事例だが、そのような骨太は残っているだろうか? 小さな発言のあげ足取りばかり追っかけていたり、どうでもよいような事柄を事さらに強調しているようではどうしようもないし、国の中枢たるところが、噂、風評、風向き、など相手にしないで、ゆるぎのない強い気持ち、方向を示すことこそ必要に思う。保身ばかり気にする者たちに委ねていても、ワクワクする、今、生きていてよかったと実感できる環境などは永遠に訪れない。 

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昔も今も変わらないのだろうけれど。。。

2014-07-30 | Weblog

T子の部屋という番組だけではないが、その類の番組の中で、インタビューされる芸能人が、「私、電車の切符の買い方がわからないだとか、乗り方がわからないなどと」 抜け抜けと言うもんだと見ている。こいつは一体何が言いたいのだ? と思ってしまう。国民的大歌手のMひばりにしても、年齢は10歳を過ぎたころからデビューしていたと聞いている。S千代さんなどは、見た目には全くわからないが、普通の生活(炊事、洗濯、掃除、その他もろもろ、一般常識を含めて) 的な事柄について、普通でなかった模様だ。昔からも、10代半ばぐらいからの芸能界デビューはあるので、そのことについては、言及しようもないが、最近は、ほとんどがピンでなく、グループ構成で13,14,17歳の彼らが、まるで世の中のことはわかってますといわんばかりの態度に、逆にこれから先、大丈夫かなと考えてしまう。以前は、ピンゆえ、本人自身の素質などをプロが見抜いて長年かけて育成していったことと思うが、最近の急ごしらえの、下地もなさそうな輩としか見えてこない面子に、常識ぶった応対などに少々腹が立つ。スマホ片手に、ツイッターやラインなどの絵柄しか浮かんでこない。なんか上っ面だけなめているような気がしてならない。薄っぺらい、深みがない。もちろん、逆に打ち込んで、国際的にも対等に、またはそれ以上に立派な実績を積んでいる若者たちもたくさんいることも事実だ。彼らに比して、申し訳ないが、軽薄っぽく映るのは、こちらが天邪鬼すぎるか? 

Peaceの語源が、平定後の権力による安定状態からきていると最近知った。だからといって平和に越したことはないのだけれど。要は平和という状況は、なんらかの支配力が働くことによって生み出されているということに気づいていなければならないということだ。イラクのシーア派とスンニ派の泥沼状態の対立は、今後ますます激しくなっていくだろうが、今日の混乱する状況をもたらしたのは、USAのイラク介入、フセイン打倒、撤退という一連の行為、行動があったがゆえだ。ロシアのプーチンが、このようなUSAからごちゃごちゃ言われる筋合いはないという理屈も成り立つ。

ウクライナを含めて、現地の実態がどうなのかわからない。異国のことなので、関心をもたずともいいのかもしれない。そんなことよりも、身近なことをしっかりとこなしていくほうが重要だろうし、それもできない者が何を言っているのだと自戒したほうがいいのかな。

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自分探し 19/100

2014-07-29 | Weblog

小学校は、2年毎にクラス替えと、担任が変わった。基本的には今も同じように思うが、少し違う状況もあって、画一的でなく、各々の学校によって少しずつ異なるみたいだ。小学1年生の時は、学級委員などの選出はなかった。2年生のときには、3学期の学級委員に選ばれた。1,2年の担任は、K野先生。(女性) 厳しさと優しさが半々ぐらいの先生だった。3年になって、クラスも変わり、担任もY本先生(女性)に変わった。子供の心にもわかるぐらい、この担任の先生には嫌われていた。当然、こちらも常に警戒心をもったり、引き気味に接するようになるので、ますます嫌われていく。通知表にも、その影響が出る。3,4年いずれかはクラスのなんの委員にもなれなかった。4年からの鼓笛隊に関しても、何故か、この先生が指導役の一人となって、目を付けられていた。5,6年は、H部先生。(男性) 初めて男の担任となった。音楽を専門としていて、鼓笛隊、器楽部の顧問、クラスでもよく音楽の授業時間が多くなった。5,6年時は、やはりどちらも3学期だけの学級委員。3学期専門だ。

1年生からの同じクラスに、M田君という、いわゆる天才と呼ばれる友達がいた。結果として高校まで同じ学校に行くことになったが、中学からは、ほとんど一緒することがなくなった。小学校時代は、特に低学年の頃は、大の仲良しといえる間柄だった。彼は、勉強がよくできた。スポーツもそこそこなんでもこなしていた。なんにでも好奇心が強いと思った。持っている玩具も、なんとなく違った。少し、科学実験めいたような器具的な要素をもつようなものもあったにと記憶している。もちろん昆虫などのことにも詳しかったし、解剖などにもそんなに怖がらずに淡々と処理できる面があったと思う。お互いの家を行き来したが、家庭内の雰囲気は少し違っていた。結構、なんでも子供にやらせてみる、放任というか、しっかりとした方針のようなものがあって育てられているのだという風に感じた。別に実際そうだったのか、具体的にこのようなことに出くわしたとか、はっきりとこれだという根拠がないのだが、なんだか知らないが、冷たい空気感というものを感じてはいた。そのため、彼は、いわゆる、おませな子供。ませていたと思う。なんでも知っているように相手に思わせるし、持っている知識の領域が広いし、違っていた。頭の形もよかったし(絶壁でなかったし)、大きさも人より大きく映った。彼が家でも、学校でも、叱られるというのをあまり見たことがないと思っている。どうして小生のような者と気が合ったのか、その理由はわからない。1クラス36人だったが、彼はほとんど勉強は1番。小生は、13,14番目ぐらい。彼はいつも毎年、1学期の学級委員。小生は、3学期といえど、なぜ選ばれていたのか不明。おそらく 「なりたい」 オーラを出し続けていたに違いない。本当のところの彼の家庭環境のことを今でも知らないので、なんとも言いようがないが、何かが違ったことは間違いないと思っている、感じている。普通の友達づきあいだったが、彼には、なんか一人でいることは淋しくはないが、つまらないことも事実だし、小生と2人ならば、もちろん一人よりはいろいろ面白、おかしくできる、過ごせるという部分があったように思う。小生も同じように楽しいし、またいろいろと新しいことや、少し無茶なことへ挑戦できる部分もあったので。

そのように普段、一緒に遊んでいると、一体いつ勉強しているのだろうと思うぐらい。それでもテストになると、おおかた満点をとるから、天才と称された所以だ。こちらは、彼と一緒の同じ時間を過ごしたというだけで、その分、勉強していないので、それなりの結果となるのは、ごくごく自然現象だし、親からガミガミ言われる口実を作っているようなものだ。小さな頃に天才とか秀才とか言われる子供たちには、どこか違ったところを感じるし、人一倍好奇心が旺盛ということも言えるのではないかと思っている。そのため、たくさんの知識が増えるから、当然の帰結として大人びてくる、いるように見える。(実際、心のどれぐらい深いところまで、大人としての精神状態を作り出しているのかはわからないが、一見すると、そういう風に見えるということだ。) この当時は、子供がそれなりのお金を所持していることも尋常でないし、いろいろな物を売っているスーパーやDIY、店などもないし、誰彼となくお金を出したからといって、全くいぶかしがらずに何でも右から左へ物を売ってしまう時代でもないし、人間への興味自体が薄れてしまっているのかなあ。

かと思えば、現代は何かにつけてお互いに疑り深くなっているような側面もあり、その典型が、なんか非日常的なことには、こっそりと盗み見しておくが、それを己の中だけに留め、外へは出さない。何かが起こる前に、それらを開示すれば未然に防げるところを、他人様のことにへたに口出しすると自分が馬鹿を見るという風に、一見慎重とも言えるが、根本は臆病的に、遠まわしにしか人間関係を作れない。最たるものが、ネット社会だ。人間は、己を隠す事さえすれば、ここまで露出できる、露見できる、暴露できる、傍観者として。世界各地での紛争にまつわることも忌まわしいことだが、日常のネットの中でも人間の奥底に潜む酷さが、普通ぽく出現しているように思えてしかたない。

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自分探し 18/100

2014-07-28 | Weblog

夏のこの時期、蝉の声を聞くと、小学生の夏休みに昆虫採集の宿題(自由研究だったのかどうか覚えていないが、なぜか毎年やっていた気がする。それしか、やることがなかったのかどうか?) 近所で捕まえるだけだから、特に変わった昆虫が取れるわけでない。チョウチョなら、モンシロチョウ、モンキチョウ、アゲハ、シジミぐらいだ。もちろんアゲハの種類になると、大きくもあるので、必死にとろうとしたが、そんなにとれるはずがない。蝉だと、アブラゼミが多く、たまにミンミンゼミ、クマゼミなどあまり獲れた記憶がない。トンボだと、オニヤンマ、ギンヤンマなどめったに獲れなかった。夏休みの旅行先にも虫カゴや、網を持っていき、その時々で、集めたものだ。今、こんなことをしている小学生はいるのかな?

青空を見上げる。いろいろな形の白い雲があり、あれを羊雲と呼んだのか、などと勝手に決めつける。そんなにしょっちゅう空を見ない。たまに顔を挙げるぐらいだが、青い空と白い雲を見た時には、少しは心が落ち着く。海岸で海を眺めているのと同じような落ち着きがある。もうひとつ、星があちこちに光る夜空があればいいのだが。あれが1等星、あれは6等星ぐらいかなどと、こちらも勝手にランク決めしていたものだが、残念ながら、今は東京ではこんな夜空を見ることはできない。青空(白い雲)、海、夜空が、誰でも見れる、拡がりや落ち着きを感じる3種の神器のような気がするが、同じものを見ても、子供の頃や人生の右上がりの頃に見て感じたものとは、今は、なんか晴々としない。自分の心の鏡が曇っているからだろうに。

人生右上がりの頃は、タイムマシンに乗るなら、二十歳ごろと言えたのに、今は小学生に戻りたいと願うのである。理由はわからない。大学の学部は、経営学部に自分が決めて進んだわけだが、文化系の学部の中で、文学部や教育学部は男には似つかわしくないと自分勝手に思いこみ、法学部系も別にその方面に行きたくもないし、ということで、残った経済、経営系を消去法的に選択しただけだ。(今、選択するなら教育学部や人文科学部といったところを選択すると思うのだけれど。文化系のなかでは。)就職についても、なりたい職というより、卒業を控えて、会社員になるのだから、そこそこの会社ということで決めただけだ。(今なら、子供のころになりたかった職業そのものになれなくても、それに関わるものを選ぶということも、ひとつの決め方だったんではないかと素直に思う。好きな事の近くに自分の身を置くことで、なんか純粋な夢が広がるような気がするのだ。) 学生の時も、卒業間際の時も、新卒なりたての頃も、何も社会の仕組みがわからず、幅のある大きな川の流れに、ただ漂っているような人生。自分自身の明確な、何がやりたいのか、それができるんだという確証もなく、なんか卒業と同時に、お給与だけが目的のような人生。それからもターニングポイントはいくつかあったと思う。その川の流れの分岐点を見過ごしたのか、分岐点でないところで無理矢理、小川へ回り込んだのか、流れが淀んだ瀬の中で、ぐるぐる回っていただけなのか、陸に上がって休みすぎていたのか、それさえも総括できない。その時々に応じて、全力投球してきたとは思う。ただ球場全体や、試合(ゲーム)の流れを見ずして、ただミットに向かって投げていただけに過ぎないか? 気がつけばゲームセット。勝ったのか、負けたのか? ゲームセットでなく延長戦に突入したと思いたいが、独りよがりに過ぎないか? 真夏の日照リのなか、自分の頭から下だけは晴れない。

繰り返しになるが、10代で何か特筆できるような存在、特別な能力を見つけるようにになっていないならば、自分が小さな頃に夢を描いたことに近くで触れられるようなものや仕事を目指しなさい、と伝え残したい。

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円安だから値上げ? うそでしょ?

2014-07-25 | Weblog

欧州の輸入自動車 VWジャパンが、対外的説明は別であっても、本音は円安を理由に値上げ。円高の時には値下げしないのに。次回、円高時に値下げしますか? しないでしょ。 結局のところ、欧州車は、日本人のブランド好き、ブランドに勝手に仕立ててしまう国民性から、いつまでたっても価格が手の届くところにこない。これだけ、ボーダーレスや自由化が叫ばれているにもかかわらず。そいでもって、コストが上がる時だけ、価格に転嫁してくる。暴挙、エゴといってもいいのでは。それでも高くても、否、高いからこそ買い続けるから、やめられないよね。

それにまた国産車の価格設定の巧妙なところ。いわゆるグレードを分けて、最近ではなんでもかんでもオプション扱いとなるから、結局のところ、レザーシートを求めたりしていくと、とんでもない価格になってしまう構造となっている。外枠だけなら、一見、安く買えるでしょ てなもんだ。 かといって細かなところに配慮というか、国際標準的に採用しているかとなると、チープなところは、そのままキープしている設計となっている。

現在乗っている前は、3.0リッター、6気筒に乗っていたが、後部部分の破損時に買い替えたら、もう車種が絞り込まれていて、選択の幅がなく、4気筒となったが、全然違う。最近の上級モデルで、HV機能がついたことによって、排気量ダウンに加えて、6気筒から4気筒に落としていることがわかり、辛口の評論家は、なんだよ、これっ。って思ったそうな。メーカーの言い分はおそらくモーターでアシストするからという言い分だろうが、そもそも4気筒と6気筒の魅力の違いは車屋であれば、十分承知でしょ と言いたいが。V8なんていうことは申しませんが。

経済大国とはいっても、相変わらず、こんなところのプチ贅沢も味わえない、二極化が目に見えて進んでいる、働けど働けど、見合った豊かさを感じない国、しくみを作り上げているのだ。だから、スポーツ方面でも海外から招待選手やチームが来ると、なんか試合でなくて、喜んでもらえるような、おもてなしが目的と錯覚するような結果となり、それでよかったよかったと自己満足している風にしか映らないのは、あまりにも皮肉にすぎるか?

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合挽きミンチ

2014-07-24 | Weblog

大阪から東京へ出てきて、近くの通りをブラブラ歩き、お肉屋さんで、「メンチ」 「メンチカツ」 と書かれているのを見てびっくり。関西では絶対に、「メンチ」 なんて言わないからだ。なんで、ミンチがメンチとなまってしまうねんと正直思った。関西では、「メンチをきりやがって」 となって喧嘩が始まる。東京駅の丸の内や古くからのビルが立ち並ぶ街をブラブラすると、「ビルヂング」 と必ず正面入り口に表記されていた。なんで、「ビルディング」 と書かないの? と思った以上に、ヂ という文字が使われていることにも、正直驚いた。せめて ジ と表記すべきじゃないの? と思った。関西で、ぢ と書かれているのは、薬局の前だけだと当時は直感で思った。 申し訳ないが、どちらの表記も、日本の首都にあるものとしては、洗練されていないなあ、と感じた。

合挽きミンチを、結構買っておくことが多い。ミンチ肉さえあれば、いろいろ重宝して使えるからだ。好物のひとつに、ソボロがあり、作ることも、そこそこある。コンビニなどでは、鳥そぼろご飯が売られているが、鳥ミンチより、合挽きで作るほうが好きだ。これもほとんど店頭では売られてないので、自分で作るしかない。結構しっかり甘辛く味付けをする。(おろししょうがを加えて、くさみを消すことが大切だ。) そして、かなり色濃く仕上げる。それをご飯に、炒り玉子と、さやえんどうきざみなどと一緒に盛り付ける。紅ショウガを添えればなおよい。出来立てをほうばっても美味しいし、お弁当のように、しばらくおけば、ご飯の下の方に、味がしみていき、その味も乙なものだ。ミンチに関しては、玉ねぎとともにオムレツやオムライスなどもすぐ作れる。

今は手に入らないので、食べることもないが、クジラ肉をシンプルに網焼きしただけの焼肉や、クジラの脂身(コロ)のおでんを、小さい頃は食べたものだ。牛肉で何回か同じようにやってみても風味は異なる。当時は高い牛肉など買えないから、代用でクジラ肉を食したのだと思うが、その味が記憶に残っているが、再現できないとは皮肉なことだ。

スジ肉と、こんにゃくを甘辛く煮たものを、スジコンと呼ぶが、これだけでも酒の肴として美味しいが、お好み焼きの具として使うのもありで、これまた美味しい。子供の頃、家でつくってもらう自家製タコヤキには、タコのほかに、こんにゃく、グリーンピースが入っているのが、いつものことだった。実家ではなかったが、小さく切ったお餅や、チーズを入れるのもありのような気がするが。東京のお好み焼き屋さんで、隣の若いカップルが、自分たちでタコヤキを作っていたが、メリケン粉を入れる前に、タコなんか生ものだから、先にやいたほうがいいのかななどとぶつぶつ言って、店で提供された具のたぐいを先に穴へいれて焼いているのには、なんと独創的な焼き方やなあと、あきれました。関西では絶対ありえへん出来事です。メリケン粉の前に入れるとしたら、天かすだけ。あっ、そうそう、天かす も、あげ玉 に、関東では置き換わってしまうが、確かに小さな玉の形にそろえられているから逆に感心したが。天かすは、天かす以外のなにものでもなく、天かすという響きが体に浸みこんでしまっている。

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Mysterious

2014-07-23 | Weblog

事実は小説よりも奇なり、と言うが、お隣の韓国での客船会社オーナーの件の真実はなんだろうか? 金歯が特徴ならば、それらは発見、確認されたのだろうか? まことに以って不可解な、不可思議な事象だ。

先日来、ディズニーアニメの爆発的ヒットが騒がれるが、自分の周囲では全く逆の反応を口にする人が多い。「全く感動するようなこともなかった」 「なぜみんなが大騒ぎするのかがわからない」 とか。 他人のブログの中でも、同様の意見が見られる。自分は見ていないので、何も言えないが、なんとなくではあるが、自分でも 「さほど面白くない」 派に属するような気がしてならないので、当然の帰結として、あえて見にいくことなどしない。落胆したくないから。

自分独自の分析は、そのように感じてはいるが、サッカーなどのエセ応援がごとく、何も盛り上がることがないというか、これはこれで盛り上がることにのっかかったほうが、それはそれで面白いという、単なるノリの結果だろうと思う。コマーシャリズムに乗った人だけが、ラッキーな結末となった。あっという間に引っ込む一過性にすぎない。

最近だけではないが、70年代、80年代の音楽を聴くと、歌詞がはっきりと聞き取れて、曲のイメージを自分の頭で描くことができる。それに比べて、最近の楽曲(たとえば初音ミクだとか)をでは、全く何を歌っているのか、歌詞がわからない。あくまでもメロディラインだけ。それも、尻をたたかれるリズムだけのような楽曲。こんな音楽を流しても、たとえ曲が気に入ったとしても、聞いていて申し訳ないが、腹が立ってくる。こんな音楽も一過性に過ぎず、全く記憶にも残ってこないのではと残念ながら思ってしまう。団体(グループ)で踊ったり、歌ったりしているが、一人一人の顔の区別がつかない。もっと個性を育ててくれよ、名プロデューサーさん達よ。

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陰、日向(ひなた)なく.....

2014-07-22 | Weblog

AMラジオ番組の中で、この言葉が出てきたのだが、そういえば、この表現もあまり巷では言わなくなって、使われなくなったという気がした。ただの直感であるが。「陰、日向なく」 とか、「裏表なく」 と、昔はその時その時に応じて、指摘されたような気がする。それに続くのが、神様は見ているから、いつかは報われる、などと言う言葉がつくこともあった。報われたのか報われてないのか、よくわからない。最近の、やばくない、とか、やばい とか、あまり好きにはなれないけれど、いつでも時の流れとともに、言葉も変化していっているので、この事柄にかみついても仕方ないかと最近になってようやく気づき始めた。江戸、明治、大正が、どんな環境だったかはわからないが、いずれにせよ、1945年8月15日から、戦後の立ち直りがスタートしたのだから、わずか69年の間に、周囲の環境が変わっていき、現在に至っているだけのことだ。自分の父親も母親も、それぞれの年を経るごとに、今までなかったものや、手に入らなかったものが、次から次へと登場してきて、それらを受け入れてきたのだろうから、親と言ってもオールマイティの存在でなかったのだ。

1945年以前の日本と米国が戦争状態の時に、米国での日本の調査結果が存在し、日本という国は、資本主義でも社会主義でも、共産主義でもなく、独自の工業生産体系を作り上げており、一糸乱れず、というか、一心不乱に、、国民が行進して歩き、女工さん達が工場でさぼることもせず、同じペースで作業を行い、他国ではマネのできない生産性を維持する国、国民と紹介されている。また、1950年に警察予備隊(いわゆる軍備をもった部隊)が結成される時も、アメリカ軍は、アジア地域で防波堤になり得る国は日本が最適と判断があったとのこと。それゆえ、いったんはGHQが日本の再軍備など放棄させていたのに、あえて結成させるに至ったのである。米国としては、この時点から、日本の防衛を100%米国ができるわけがなく、義理もない。はたまた、駐留や防衛にかかるコストなども、当然とばかり日本負担となっており、このようなことの基本対応はこの当時から、おそらく何も変わっていないのだろう。それが、1960年の日米安全保障条約につながっていく。連合軍総司令官マッカーサーの隊列に、沿道に立っている日本人の男子による警備班の全員が背を向けて立っている。抗議のポーズなのだろうが、誰が指示したのか知らないが、正直に言わせてもらうと、子供がすねている風としか感じなかった。戦争に負けたのだから、仕方ないと割り切るしかないように思うのだが。先に書いたように、一糸乱れず、というような精神構造を国民の中に持たせるような体制が、神風特攻作戦を生み出したのであろう。手段としては自爆テロと同様だ。違いは、相手が無差別でなく、間違いなく敵方の軍備破壊だけが目的となっている点だ。正直なところ、このあたりの責任論について国内で議論されている場面をみたことがない。このあたりが、真摯に反省をしていないと突かれる核心のひとつがあるように思える。

広島や長崎の原爆投下直後映像だけを見るかぎり、ドイツのユダヤ人虐殺映像と変わらない。現に形式だけだが、極東軍事裁判(東京裁判)の冒頭で、戦争という犯罪は、裁判する、裁くことが、そもそも可能な性質の事柄なのかという、やりとりは一応あった。結論的には、それは却下され、すぐに具体的な審判へ移行していくのだが。

戦前の精神構造と、戦後のそれとが、どのように変化してきているのかはわからない。ただ、何でも右へならえ、という精神はまだ今でも残っているように思う。自分だけの独断だが、豊臣秀吉やとくに、徳川家康から始まる江戸時代に、もともと素質はあったけれども、物申せない精神構造の育成がなされてしまったと考えている。織田信長がまだ天下統一していなかった当時のほうが、多少は自由、博愛精神が強く残っていたのではと思いを巡らせている。日本ではタブー視されている事柄があって、触らぬ神にたたりなし、ということが根底を、どろどろと流れている。そこに踏み込む勇気と、それに基づく謙虚な姿勢を示すことができた時に、この国は大きく変わるのだろうということを信じたい。

これも小生の独断だが、米国が生まれかわるには、①黒人の大統領が誕生すること②ヤード・ポンド、インチ法でなく、メートル・グラム法を正式に採用すること③レターサイズがA4に統一すること の、3つを以前から挙げてきた。このうち、①については、小生の予想以上に早く実現してしたが、継続性が難しいと思える。また元にもどっていくだろう。ただ実現したことは画期的である。②と③については、30年、50年スパンで変わるか、変わらないか、そんなところじゃないのかなあ? 要は米国も、簡単には変化しないということだ。

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自分探し 17/100 (好物)

2014-07-18 | Weblog

最後の晩餐と言われるが、たまに冗談で自分だったら何が食べたいと聞かれたり、話したりすることがあった。そんなときに、自分が答えてきたのが、どうしても、慣れ親しんだ味のものなどになってしまう。決して高価なものを列挙したことがない。慣れ親しんだ味となれば、家庭で作られてきたものや、普段から食する好物となってしまっている。なんでも食べれるというのに、そんなものでいいのか? と、よく言われる。

ひとつが、きゅうり巻き(かっぱ巻き)。これは家庭で作ったものでないが、よく近所のすし屋から取って、小さい頃から食べさせられたので、大好物のひとつになっている。きゅうりだけでも、マヨネーズと食べることもよくある。

次に、固ゆでの、ゆで玉子と、しょうゆに、ご飯。ゆで玉子を箸で二つに割り、黄味の部分にしょうゆを垂らす。そしてご飯と一緒に食べる。このコラボが、なんとも言えぬ。今でも、ときどき自分で作る。作るというほどのものでもない。

3番目は、なすびと、豚肉の薄切りのカツレツ。少し大きめのなすびを、3つか4つぐらいに、どちらかと言うと少し斜めに切るような感じ。そして、間に切れ目を入れて、その間に豚肉を挟んでいく。3個や4個のなすびがあれば、12個か15個ぐらいできる。家で揚げ物を敬遠しがちだが、こればっかりは店頭で売っていないので、自作するしかない。また、それなりの1個の大きさがあるほうが美味しく感じる。あとは普通通り、小麦粉、卵、パン粉をつけて、5分程度揚げるだけ。やはりマヨネーズや、ケチャップを加えた中濃ソースとともに食する。ソースは個人の好みだ。ウスターソースだけでもよし、カラシを加えるもよし、しょうゆ味でいくのもよし。なすびと豚肉のハーモニーが絶妙と思っている。たとえば前日にお好み焼きなどして、豚バラ肉が残ったりしたときなどに、なすびさえあれば、こしらえることができる。それなりに、ボリューム感もあり、やはり残ったキャベツがあれば千切りで添えるだけで十分だ。そうは言っても、味覚については、人それぞれだろうから、好き嫌いはあるだろうから、あくまでも自分自身の好物としか言えないが。あまり揚げ物を作らなかった中で、(惣菜を買ってきたりしていたように記憶している) 子供の頃、野菜のナスなど決して好きということでもなくあまり食べなかったが、これだけは好んで食べた。

今のところ、最後に食べたいとしたらと聞かれると、こんなものでいいと思っているが、実際はもっと欲がでてくるのかどうか、わからない。

最近、少しはまってしまっているのが、いわゆる、あんかけ風の料理。今までは単に野菜炒めで終えていた調理を、それからアンでとじるというのか、このまえもオリジナルのカニ(風味)玉もこしらえてみた。面倒な時は、そのままご飯にかけて、短時間で済ますこともこともできるし、とろみがあればあったで、ごまかしがきく、もしくはひと手間加えた風に、というようにも思えるところがいい。もちろん味はしっかりつけていないとだめだが。

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仰せは、ごもっとも。But,..........

2014-07-17 | Weblog

原子力規制委員会の委員長。取り決められている規制基準は満たしていると認定しただけで、安全かどうかの判断はしていないとのこと。おっしゃることは、ごもっとも。淡々と与えられた職務に取り組み、その結果、結論を述べたことに関しては間違いのないところ。しかし、現在の規制基準って、それではなんのためにあるの? と問いたい。安全性に関わるから、基準を設定しているのではないの? 委員長は福島県出身の東北大学工学部出の、原子力ひとすじ人間。良くも悪くも、原子力が根本的には好きなのだと小生は思う。なんでもそうだが、そうでなければ、物事、ひとつのことに、50年も60年も関われない。おそらく原子力の知識は相当なものをお持ちで、良さも恐さも、ご存知なのだろうが、どうしてもご本人も原子力維持したい気持ちが透けて見える。それとは別に、科学者というより、責任が自分へふりかからないように役所的な記者会見は、非常に不快に感じる。それが正直な感想だ。当のご本人は、「何を言われても、ウグイスの声」 だろうが、全くもってふてぶてしい。それなりのインテリ人間が、なにをさておいても、ひとりの、生身の人間ということを忘れているのではないか。なんか庶民を小馬鹿にしている風に見えて仕方ない。ごく平凡な一般人でも、鹿児島県の川内(せんだい)原発に、万一、大地震が起きて、大津波が来ようものなら、地震や津波に対する明確な基準がないゆえ、今ある基準に適合していたところで、設定されていない基準外のことが発生し、破壊されでもしたら安全とは言えない、安全と言ったら責任を取らされる。もし、そうであるならば、現在の検査基準で合格したが、想定されていない事態(基準)の場合は、含まれない(=安全とはいえない)とでも、正直に言えばいいものを。誰も、そんなことで責めない。もし、物事すべて完全無欠を求めるなら、何もできなくなる。飛行機も自動車も一般家電製品でも、完全無欠とはいえない。それでも皆んな利用、使用している。神戸や東北以上の地震も今後起こる可能性はある。今、周囲にあるものがそれらをクリアしているなんて誰も思ってないのでは?科学者なら科学者らしく、政策的な答弁しないで、明快な理論を展開してもらいたい。もっとも委員会自体が、メンバーに電力会社が加わっており、またいずれにしても内閣の意向に背くような結論を引き出そうとするならば、一気に入れ替えや解散させられるだろうが。

そういえば、サイパンの行方不明の姉妹は、手掛かりも新たな情報もないので、このまま幕引きだろうか? 報道がないので、何もわからない。岡山倉敷の女児不明事件(?)は、普段は全くもって安全な平穏な町でのことだろうから、周囲を不安に巻きこんでいるに違いない。当事者関係者のいたたまれない心中は想像に難くない。極秘捜査がするどく切り込んでいることを願う。

 

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地方議会も国会も官僚も運転マナーも幼児虐待も

2014-07-16 | Weblog

地方議会議員のだらしなさから、民間と比べてこのようにあるべし、とコメントされるが、それでおしまい。国会も首相が違う質問に対して、ま正面から答弁するでなく、いつも表明している言葉だけの繰り返し。法制局の責任者は、政府から見解を示せと言われ、「意見なし」 と、意見したそうな。それじゃ回答にならぬと詰め寄っても、テープレコーダーを回しているがごとく、全く同じ回答。彼らの高給な報酬も、すべて税金だ。いっこうに無くならない悲惨な交通事故も全員が絶対だめだと思っているなら、いっそのこと、超厳罰主義で、「死刑」 適用にたほうが、一発で効果が出るのでは? 幼児虐待も同様。何もかも、すべて最後まで追及できないから、来年も、再来年も同じ内容の報道が繰り返されるのだろうに。関係者が100%ダメだという事柄に対して、たとえトライアル(試用期間設定)であっても、思い切った英断して、まずければ元に戻すなり、中間的な対応へ変更させるなり、実際の声を反映させた施策を、条件を付けてでも、実践・実行できないものか? もうそろそろ誰かが口火を切ってもいい頃と思うが。ええかげんにせい、と言いたい。 

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水密桃(すいみつとう)

2014-07-15 | Weblog

昔、桃の季節になると、母方の祖母(おばあちゃん)が、桃のことを、水密桃と言うのをよく耳にしていた。最近では、おそらくだれかに「水密桃食べる?」 と声をかけても、「それ、何?」 と返されるような気がする。

昔は、桃も、トマトも、リンゴなども、よく丸カジリしていた。最近のように、きれいに剝いてカットしてフォークでという、もちろんそのようにも食べたが、丸カジリとお上品な食べ方と半々ぐらいだったのではと思う。桃も、丸ごとむいて、そのままガバっと、汁がどぼっと、口に入ったり、外へこぼれたり。手は、びしょびしょ。皮をむくときに、スッとむけるときの快感。ぱさぱさの桃もあったが、口の中でとろけるぐらいのものが美味しい。

トマトも丸ごと食べていた。スイカよりは、塩をかける場合が多かった。今でも、時々、大きめのトマトをわざわざ買ってきて、昔をなつかしんで食べる。マネする者は誰もいない。こういう風に食べたらおいしいのに、格好ばかりつけている輩にはわからないことだ。

スイカには、やっぱり祖母あたりは、毎回、塩を振っていた。たまにマネをして塩を振って食べていたが、毎回ということでもなかった。現在は、ほとんどやらないが、おそらく今のスイカは十分甘みがあるからだろうと思っている。塩の振り加減というものがある。たくさんでもダメ。少なくても何のためにかけたかわからない。絶妙の分量がある。また、思い出しやってみよう。スイカを一玉、大きなものを丸ごと買ってもらいたいと、いつも望んでいたが、いつも4分の1ぐらいのもので、気持ち的には不完全燃焼だった。コダマすいかと呼ばれる小ぶりのものは、丸丸ひとつ買ってもらえたが。黄スイカというのも途中から店に並ぶようになった。その当時は、ウォーターメロンなどとハイカラに英語で言うのだということなど、全く知らなかった。

塩をかけると言ったら、ゆでたまごもあるが、よく食べた。今でも、カレー、ラーメンなどの時に、自分で、たくさん作る。自分の遠足や運動会のときなどでは、必ず入っていた。今でも大好物のひとつだ。ゆでたまごのことを、関西では 「にぬき」 と呼んでいた。おばあちゃんあたりから、「にぬき食べるか?」 と 声をかけられたものだ。「にぬき」 は、「煮抜き」 から来た言葉で、関西だけしか通じないようだ。

夏に、塩をかけて食するというのは、単に甘みを増すというだけの意味だけでなく、不足しがちな塩分を補給すという意味でも理にかなっていると勝手に解釈しているが、そのような効果、意味合いもあったとする話はどこからも聞いていない。

「敵に塩を送る」 というのは、情けをかける。 「傷口に塩を塗る」 というのは、いじめに近い。いい場合も、悪い場合も両方ある。

「後足で砂をかける」 という言葉はあっても、「塩をかける」 という用語はないみたい。なんとなく勘違いしやすい言葉であるなと思った。

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なんで、今、この時期に?

2014-07-14 | Weblog

11日の土曜日に、ようやく冬用のスタッドレスタイヤから、ノーマルタイヤへ交換した。誰もが「なんで、今頃?」 と言われる。全く以ってその通り。約18年前ごろから、毎年冬にスキーへ行き始めた。場所は決まって、群馬県の片品高原スキー場。今でも、スノーボード禁止。スキーのみ。ゲレンデは、初心者向け。そのため、そんなに人で一杯ということはない。リフトもよほどの事がない限り、長時間並ぶということもない。精神的にも、そうほうがいい。そのため、スタッドレスへ毎年、12月に入ることに交換する。それと、東京都下西部方面は、山梨に近いこともあり、毎年、1月から3月にかけて、3回ほど大雪が降る。ここ数年は3月に降ることはなくなったが、以前は3月中旬ごろに大雪が降ることもあった。その体験を、なんとなくではあるが、引きずってきており、3月までは例年スタッドレスを装着している。

そのため、4月、5月に履き替えることが普通だが、何故かこれといった理由も見つからないが、ズルズル今の時期までひっぱってしまった。ここ何年かルーズになっている理由が、懇意にしていた、自動車ディーラーの担当者が、出世街道まっしぐらで、以前のように店舗に在籍していなくて、2年間の外部研修だとか、本社スタッフ部門へ移動しており、以前は、交換タイヤを自宅まで取りに来てくれたり、クルマ自体も、届けてくれたりと、至れり尽くせりだったものが、今は、4本のタイヤの持ち出し、運びこみ、クルマを持って出かけ、約1時間待ちすることになるので、自然と後へ後へ回しがちだ。担当営業は、おそらくそのような接客と共に、自然に営業売上げも着実に上げていったことだろう。そのため、社内でも評価を得て、上部登用になっていっているのだろう。担当者とは、長く話し込んだり、一緒に食事したり、取引上以外でもおつき合いさせてもらっていたが。その営業担当者の販売する時の演出が長けていると思ったのは、現物の新車そのものを目の前に持ってくることだった。店舗へ行って試乗などでなく、タイムリーにこれと同じものを準備できますが、いかがでしょう? となる。もちろん毎回、それだけで判断するということではないけれど、まずはツカミはOKということだ。

ここのところ、こちらも特段の理由があるわけでもないが、家の片づけ、というより、むしろ身辺整理が気になってしかたなく、思っていてもなかなか始動することなく、こちらはこちらでズルズルとなっているが、約2.5m幅の書棚、といっても段ボールを積み上げていたり、ほこりの被った文庫本、マンガ、昔の季刊誌、通販カタログ、名刺ホルダー、写真の数々が、ごっちゃになっており、どこから手をつけてよいのやら。それと1ヶ所は90度にデスクテーブルが飛び出しており、これを移動させるには、書棚自体をそれなりに分解しなければ、デスクの位置をずらすこともできない。しかし、ここはいつやるか?今でしょ。の思いから、日曜日の朝6時前から作業にかかった。朝一番から始動しないと、また絶対やらないと自分でわかっていたから、無理矢理にでもスタートさせた。横に這わせている棚板が、かなりがっちりと支柱とねじ止めされており、書庫ラック自体が、壁際のため、後ろへ手が回らず悪戦苦闘。案の定、一番上の天板が、右足親指先に落下。しばらく動けない。みるみるまに赤黒く変わってくる。それでもやると決めたからには、時間はまだまだあると言い聞かせて、デスクテーブルを奥へ約40cm移動させるべく、デスク幅がとれる間隔確保するように中身をすべて取りだすとともに、支柱の位置を移動して、位置パターンを変更して、なんとかデスクの中途半端な位置から、一番奥側へ移動できるようになった。ラックの一番上に積み上げていた段ボール箱もすべて、その位置からは取り除き、目につきにくいデスク下へ収納させた。本の保管も書店のカバーはすべて取り外し、奥に立て置き、手間に横置きで、スペース確保とともに、タイトルも何とか読み取るように工夫してみた。おおまなジャンンル分けはしたが、もう一工夫が必要だ。パソコンなどもデスク上にあるが、他のラジオ、テレビ、ビデオなども近くにあり、配線、ケーブルのごちゃごちゃにはお手上げ状態。電話線、ルーター、無線LANなどある以上、手のつけようががない。何か最善の対応策などあるのだろうか?

まだまだ身辺整理すべき箇所は無尽蔵にあるので、ひとつひとつ、少しずつ、コツコツ進めていこう。

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周囲状況をもう少し考えてもらいたいドライバー

2014-07-11 | Weblog

徒然草に、友達にするにはこんな人、したくない人を列挙したくだりがある。内容的には、あまり共感できるところは少ない。選択の仕方に深さを感じないからだ。

運転しているときに、もう少し周りとの状況を考えて、ひとりよがりの運転を止めてもらいたいと思うドライバーがいる。

1.1車線道路の交差点右折で、もう少し、前進させるか、センター寄りに行けば、左を通れるのに、全く後ろを気にしないドライバー。

2.交差点左折で、歩行者が横断歩道を渡っているからと、ほとんど信号が変わっても前進しないドライバー。

3.左折のウインカーを出して、左折しようとするその瞬間に、いったん右ハンドル(当て舵)を打つドライバー。おお回りというか、いわゆる内輪差を考えてのことだろうが、全く無意味。それよりこちらは、多少でも右を通過しようと考えているところに、いきなり右へ舵を切るからびっくりする。テニスやバドミントンの試合ではないので、フェイントはいらない。

4.前との車の車間を、車1台以上に空けて停止しているドライバー。どこに止まろうが自由かもしらないが、その後ろに列ができているのだから。

5.交差点に対抗車線から接近している車が、間際まで、ウインカーを出さず、あたかも直進すると見せかけて、直前で左折や右折するドライバー。わがままもいいかげんにせいと言いたい。

6.左車線がガラ空きなのに、意味なく右車線だけに集中して列をつくりたがるドライバー。もうすこし、道を研究してちょうだい。

7.やたらバイクの通行を邪魔してやろうと考えていると疑わざるを得ないドライバー。

8.野外コンサート会場でもないのに、意味なく外へ大音量を流すドライバー。何をアピールしたいの?

9.高速で、走行車線を追い越し車線で並走していることで、後ろへ迷惑がかかるかなと気づかぬドライバー。

10.スーパーなどの出口で、駐車券を探して、挙句の果てに、係員ボタンを押して、じっと待つだけのドライバー。横へよけるなり、後ろへ申し訳なさを伝えるぐらいの配慮すべし。

11.同じく、窓から手をのばしても届かず、最終的にドアを開けるドライバー。機械に近づけれられないのだから、予め予定すべし。

12.ターボチャージャーのためか知らぬが、停車後も、マフラー改造車でうるさくアイドリングを続けるドライバー。

13.わずか50cmでも動かせば、片側車線がスムースに流れる状況で、全く鈍感で、意地でも動かそうとしないドライバー。

14.のろのろ走り、おそらくケータイしてると思って、横につけると案の定、ケータイしてるドライバー。

15.路上駐停車で、あとから来たにもかかわらず、反対車線に不用意に駐車して、往来の妨げになるような止め方をするドライバー。

こんなことを考えていても、自分の寿命を縮めるだけかも。

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人とのかかわりの度合い

2014-07-10 | Weblog

米国人のシンプルさについて思いを書いていたが、米国人や欧州人に学んだほうがよいと思うのが、ちょっとした軽い挨拶を気軽にすることだ。少し触れただけでも、excuse me と声掛けするし、全く見知らぬ人でも、天気や軽い話題で、その場たまたま一緒するというフレンドリー空気を作る。それに対して、日本人は満員電車や歩行中、はたまた同じマンション住人であっても、ろくに声掛け、挨拶しない。最近は、特にそういった風潮が強いと思う。大人がしっかり見本を見せていれば、自然と若者にも伝染するはずだ。エレベーターの乗り降りでも、スマートに誘導するし、なんとなくだが、せこせこしている所を感じさせない。オーストラリアやニュージーランドでは、そんなに高額所得者と思えぬ人でも、気軽にクルージングできる環境にあるようだ。狭い日本、そんなに急いでどこへ行く、ではないが、もう少し、ゆったりとした生活リズムを刻めないものか?

30歳を過ぎるころから、人を面接する機会が来た。面と向かって話をするとともに、たまたまその時は、ちょっとしたテストというか、適性をみるような検査的なものを試していただいていた。何に強く関心を持つかということなのだが、当時も、今も、自分では、その意味が理解できていない。最近になって、ようやくこういうことをチェックしたかったのかなと自分で勝手に解釈するところは出てきたが、果たして、自分なりのその解釈が正しいのやら、そもそも、そんな意味合いの適性検査だったのだろうかもよくわからない。

その適性検査結果上、あまり強く人に関心がありすぎるのも決してよいことでないという判断となっていたのだが、仕事をするうえで、仕事をおざなりにするぐらいに人への関心が強いとい意味なのかどうか、よくわからないが、そういうことを一応、客観的にみられるよ、というアドバイスをもらった上で、最終的に採用する・しないの判断は小生に委ねられるという状況だ。だから、その適性の結果はあくまでも参考として、実際に目の前で面談したことによる判断が優先されるのだが、ひとつの考え方、そういう見方があるのだ程度で自分の中では収めておいた。人とのかかわりは、物ごころついたときから始まり、死ぬまでエンドレスだが、それこそ十人十色となるので、正解はないのだろうが、なんでもそうだが、いわゆる成功者と呼ばれる人たちの言葉が重んじられるのだろうが。

個人情報流出事件が発生の模様だ。どんなデータであれ、他人様の所有権や管理義務があるものを無断で外へ持ち出すことは悪いことだと思うが、個人情報に関しては、個人情報として世間で騒がれるずっと以前から、DMや勧誘電話が個人の住所だけでなく、勤務先にも来たりして、誰もが、その時から、なんでここにいることを知っているの? と素直に疑問に思ったものだ。この疑問は、おそらく大抵の人が抱いたのではなかろうか。だから今回の騒動も流出それ自体は、由々しき問題なのだろうが、必要悪とは言わないが、いつの時代もなくならない課題と思うし、何十年前から出てしまっている情報に関して、なんか防御ネットや削除アクションなど、いまさら対策打てないだろうし、問題意識が薄れることもよくないが、個々人、個々組織の対応レベルぐらいが、せいぜい、関の山じゃないのかと思ったりする。

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