現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

1日の時間割

2014-02-25 | Weblog

時間割というと、すぐに小学生の頃を思い出す。中学生になると、1学期、2学期、3学期の、中間試験・期末試験なるものが新しく加わってくる。各々の試験前になると、約2週間前からきっちり試験勉強のための時間予定表を作った。ほぼ立てた計画にできるかぎり沿った内容を変えない努力したと思う。自分自身で、教科書を反復して読んで、参考書を見比べて、自分で購入してきた問題集、簡単なバージョンと難しいバージョンを織り交ぜて解いていく。解けなかった場合、回答を見ても理解できない場合は、翌日に学校へ持っていき、放課後に職員室を訪ねて、担任や担当教師のところへ行き、わかるまで、徹底的に教えてもらう。がまん強く、つきあってもらったと思う。その当時は、こちらは勉強を理解したい一心でいっぱいで、先生の予定など全く考えず、ひたすら、どうして?どうして?の疑問をぶつけてきた。それに対して、100%回答してきてくれていた。今の学校では、このような自主的に生徒が行動したときに、どんな先生のリアクションとなるのだろうか? 本人のやる気が、スタートラインだが、やる気がある生徒に対して、疑問にすべて回答してあげることが学校でできるなら、あえて塾は必要でなくなるであろう。

試験前の計画が、1日に5時間勉強することになっていた場合、必ずしも夜にその5時間をとるのではなくて、明け方の3時から8時までの5時間を充てることが多いパターンだった。しっかりと睡眠をとった後のため、起きるときの一瞬のつらさはあったが、起きてしまえば、頭は全く空っぽの状態で、1日の中で、1番すっきりしている状態で、勉強することがすべてスーと頭に入ったと思う。途中に眠くなるということもなく、がむしゃらに集中して問題を解いていくことが面白くもあった。その癖が、習慣ともなってきて、普段でも、5時間までやらずとも2時間ぐらい勉強する場合は、5時から7時の朝に行うこともあった。そのため、学校が終わって、放課後、一番遅遅くまで運動場に残って、バスケ、ソフト、ドッジなど制服が砂まみれになるまで遊んでいた。帰ったら、飯を食って、寝るだけだったから。これぐらいの、完全なスイッチのON/OFFの切り替えが見事にできていた時期だったと思う。

2014年2月13日から降り出した大雪で、影響が多く発生したが、東京都下の西部エリアでは、約10日間経過して、主要道路を普通に車で走れる状態にようやくなったというのが現実となった。また、20日、21日ごろから体調を壊し、くしゃみ(鼻炎)、のど痛、微熱が一度に襲い、昨年購入していた花粉症対策のための錠剤を、効くのか、効かないのかわからないけど、のんでみた。くしゃみ、鼻炎に対しては、抑える効果はあったと思う。ただし微熱、のど痛には、特に薬もないため、自然にまかせる、安静にするしかなかった。たまたま、21日は健康診断日だったため、予定通り、行ったが、採血されたときにフラット感じたり、バリウムの後の下剤が効かないなど、体調不良にさらにいろいろ対応しなけらばばらない状態となった。

25日朝になって、ようやく気分的に元気がもどってきたと感じられる朝を迎えられたかなと思われる。ここしばらく考えていたことであるが、1日のリズムを作るために、これからの時間割を中学生の時を思い出して作っていこうと考えている。今までは朝6時まえ、5時40分ごろに自然にめが覚めていたが、これからは、できりかぎり6時30分起床を維持していこうと思っている。早く起きるということは、裏返せば十分眠れていないというこにもなるので、6時30分に、毎日定時に起きれるように習慣をつくりたい。(昨夜は、睡眠薬を使ってしまったが。)そして、コーヒーを毎朝、1杯飲むことがずっと続けていたが、これはそのまま続ける。ただし、それに加えて、ヨーグルト、ビタミンC、野菜ジュースなどを必ず加えるようにする。

お昼と寝る前には、ペパーミントティを1杯と、ココア1杯を、どちらかのタイミングで、飲むことにより、精神をリラックスさせるような習慣となるような要素も、1日の時間割の中に入れていきたいと考えた。いままでの経験上、錠剤のサプリというのは、長続きしなくて、またその効果も具体的によくわからないので、できるかぎり、普通の食べ物を選びながら、1日の食事を組み合わせて、これから死ぬまで続けていけるようなものを発見していきたい。

難しいことはわからないが、自律神経を安定させることがよいように最近語られている空気があり、理屈はわからぬが、精神を安定させることがまずは基本だろうとかんがえるので、自我流かもしれないが、朝、6時30分起床、コーヒー1杯、野菜・ビタミンC、ミントティ、ココア、を起点にして、さらに時間割を完成させていきたい。

中学1年コース、中学1年時代、これらの読み物から始まったものがある。

 


2月14日 雪

2014-02-14 | Weblog

 

快晴の日は、すすがしい気分にさせられることもあり。雪は、何か洗い流してくれる気がする。

23区だけが東京都でなく、東・西周辺部の様相は、かなり違ってくる。

まして東京都以外は、いつもTVで23区中心に話がされるが、地方の状況は、ライフスタイルはそれなりの風情がある。


シュール

2014-02-13 | Weblog

シュール、シュールと耳にするが、全く意味がわからず、ずっと勝手に皮肉(シニカル)と思いこみで解釈してきていた。それで、なんとなく気になっていて、「非日常」と理解するようになって、10年ぐらい経つかな。

今朝、いつもと何か違うかなと考えていたが、実際は普段と全く同じ、いわゆる通常通りだった。こんなものなんだろう。

目にする光景も同じ。いいのか、悪いのか? いい・悪いの次元じゃない? 

今は考えても結論がでないので、またの機会に取り上げよう。


新聞配達

2014-02-10 | Weblog

人生の中で、なぜそのような期間を過ごしたのか、よく事情を思いだせないことや、その当時、毎日をどのように過ごしていたかあまり鮮明に記憶していないことがある。20歳から21歳にかけて、神戸で新聞配達をしていた。灘区篠原本町の近辺だったと思う。いわゆる住み込みに近い形、というか新聞販売店店主が、3畳一間のアパートを借りてくれて、そこに住む形式だ。本当に3畳一間で、トイレ、風呂などもちろんなし。自分で販売店を見つけて交渉して、誰にも相談することなく全てを自分で決めてしまった。午前3時半だとか4時に起きての毎日が始まった。確か冬に向かっていく時期だったため、日増しに寒さが増してきつかったと思う。1月1日だけ休みで、2日の朝には朝刊を配っていた。当時は、木造アパートなど多く、ドアのわずかなすき間から、新聞をすべりこませる。チラシが多くぶ厚い時や、雨でぐにゃぐにゃの時は、本当に苦労した。

春夏秋冬を身体で感じられた。また、春の訪れの有難さが身にしみた。

夏休みに、夕刊を配った時もあったが、配達時間に余裕があるため、楽であったが、時々、同級生などにばったり出くわすことがあり恥ずかしかった。

午前3時半に、いつものとおり、販売店へ向かう途中で職務質問をしつこくされたこともあった。

決していい思い出として残っていない。昼間は、部活を含め大学へ行っていたのだが、前期・後期の試験など、どのように対応していたのかほとんど思いだせない。毎日毎日が、決められた時間割の通り、過ぎていった気がする。

もともと実家が嫌で、出たくて出たくてしょうがなく、強硬手段に打って出た形だが、新聞配達のバイト料に加えて、家庭教師代と、毎月の奨学金をもらtって小遣いにしていた。


安心院

2014-02-05 | Weblog

最近、岡山空港から市内に向けて車を走らせていてふと思いだしたことがあった。昔、夜遅く福岡から大分・別府へ向かわねばならず、当時は確か高速道路が日田まであったかどうかで、それ以上は下の道(普通の道)を行くしかなかった。もちろんカーナビなどなく、ただ何度か仕事で往復しているため、地図など見ることなく適当に車を走らせていた。時間帯は夜の10時前後。勘にたより、たぶんこっち方面だろうと適当に走らせ、だんだん山道、山の中へ入っていった。ほとんど街灯もなく、車のヘッドライトだけが頼り。別府などメジャーな地域だから、そのうち標識が出てくるだろうとタカをくくっていたら、行けど走れど標識が出てこない。出てくる標識はすべて直進に、安心院と書かれているだけ。もちろん人など歩いていないこともあったが、仮にどこかに車を停めて尋ねるにも、正直、安心院を何と読むのかわからなかった。そのため、クルマをわざわざ停める気持ちにもならなかった。今と違い、標識の漢字の下にアルファベットの表記もなく、“あんしんいん”と読むことだけは違うとわかるのだが、ただなんでこんな不親切な看板なのかと恨めしく思ったものだ。結局、別府には、当初考えていた到着時刻より、約1時間以上かかったことだけは覚えている。

岡山市内に戻るが、岡山大学前通り という所を走ったが、クルマ、バス、自転車、歩行者の往来はあるが、何か雰囲気を感じさせる、居心地の良さを感じる、もう少し探索したい街並みと思った。なんとなく幸せな、素敵な一角だった。地元であれば、岡山大学進学も目指したいものだと考えるのではないだろうか? 岡山といえば、倉敷も有名だが、倉敷と同じニオイのようなものが漂う岡山らしさがあると思った。

ちなみに、安心院(あじむ)であり、ブドウの産地で、ワインなども有名であると後でわかった。

 

 


憑き物

2014-02-04 | Weblog

2月1日の午後6時頃から具合が悪く、近くにいたANAのスチュワーデスさんから気分悪い?吐きそうですか?などと聞かれる状態だった。羽田へ着いて、むかむかするため、ソルマックとリポビタンデースーパー2000を一気に飲むも、全く変わらず、その夜、持病の薬に加えて、パブロン顆粒、サリドン(バッファリンがないため)を立て続けに飲み、睡眠薬を2錠飲むも、状況よくならず。2月2日も、寝込んだままで、熱を下げたいので、無理に熱めの風呂へ入り発汗させ一時的に熱を下げるもあくまでも一時しのぎ。3日の夜、持病の薬とサリドンを飲み、睡眠薬を飲んで、約1時間ぐらい経った頃、眠るのではなく、変な汗(首周りと肩のあたり、額だけに汗を感じ、汗をぬぐってしばるくすると、何か首の後ろあたりからバナナぐらいの大きさと感じられるものが身体から抜けていく感覚を覚えた。かといって、それまでの肩全体のこりや、腰痛が和らいだという感じもなく、ただ単になんか熱の芯みたいなものだけがとれたという、不思議な感覚。もしかして今までも同じように感じることがあって記憶にないだけなのかもしれないが、今回は何か直方体の四角いものが正に外へ出ていくという非常にはっきりした意識ができたということは珍しいスピリチュアルな出来事だった。