現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

11月21日、天から声が降りてきた

2014-11-29 | Weblog

11月21日、次のような声が天から降りてきた。『人生というのは尻上がりに楽しくなっていく。そうでないと死ぬ間際になっても、自分の人生を嘆くようになってしまう。そんなことは絶対ないはずだ。あくまでも精神的なことだが、生きていくにしたがって、楽しく、精神的に幸せや楽にになっていかなければおかしい。毎日がそのように思えないのなら、そのようになっていくと信じることだ。そう思いつづけることが大切。このことは、金銭的に恵まれるということとはまた別のことだが、尻上がりに面白く楽しくなっていくものと信じて、これからを生き抜きなさい。』 このような声が天から聞こえた気がした。一時(いっとき)であるが、精神的に、すごく楽になった。また、本当にそうなるような気がしたし、そう思うことにした。尻すぼみでない。右肩上がりでもない。あくまでも尻上がり。末広がりだ。そうなるはずだ。

もちろん毎日、衣食住が十分に満ち足り、それに加えて余興的にプラスアルファがあるに越したことがない。そのことばかり考えたりしていると、非常に苦しくなる。自問自答することばかりで、どうして、どうして、? ? ばかり、頭の中に充満してくる。これの繰り返し。楽しくなんかあるわけない。もがく。誕生→学校→進学→社会人→挫折→別離→就職→労働→挑戦→奮闘→摩擦→尽力→行動→失望→亀裂→嫌悪→独立→勇気→再興→孤高→至高。人生、山あり、谷ありだった。過去形でも、まだ完了でない。これからも、きっとそうだろう。でも、生きるにしたがい、気持ち良くなるはずだ。

この日に決めたことに従い、これからの人生を踏み出そうと思う。なんの確たる根拠もない。それでも何かを感じたのだ。そんな不確かなものに拠りそうのか? それでいいのか? 人生って、そんなものじゃないのか。何かが自分の中にぶつかってきたことは確かで、このことを証明する術もない。しかし、今まで、自分の心の中で念じていたものに対して、導き出されてきたものと信じたいから、それにかけてみる。

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