現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

ルマン24時間耐久レース

2014-06-30 | Weblog

特にこれといった理由もなく、TVでチャンネルを合わせた。ルマンと、モナコグランプリが自分の中で、ごちゃごちゃになっていたことに気づいた。

ルマンというレース中継の映像を、こんなに長く見たのは初めてだ。もっとも、ほとんど見たことがなかったというほうが正しい。自動車メーカーがこぞって出場しているのかと思いきや、数社しか参戦していない。まだ、どんな出場のカテゴリーがあるのかもよくわからない。なんとなく理解できたのは、自動車メーカーの威信と国をかけての、メーカー主体のカテゴリー。もうひとつは、GT(一般市販されているボディ形状をもった)のメーカー同士の意地をかけたカテゴリー。もうひとつは、アマチュアなどが、メーカーなどに無関係にエントリーができる部門で、今回、この部門にエンジンとして多く使用されているNISSANの名前が挙がっていたが、ほとんど、メーカー名が宣伝されているようには感じられなかった。

最初のメーカーの開発力を示すカテゴリーでは、3社しかエントリーしていない。TOYOTA,AUDI,PORSCHE の 3社だけ。 それぞれが開発したレーシングカーにより、競われた。最初は、TOYOTA勢の2台が先行。予選のタイムでも最速タイムをたたき出した、そのスピードを維持しながら、エントリーした2台が、1位2位のポジションでスタート。そのあとをポルシェが追いかける。参戦実績の高い、アウディは、3番手。しかし、アクシデントで、トヨタ勢が、ポルシェにかわされ、最終に近づいたところで、ポルシェも脱落。コンスタントにラップを刻み続けた、アウディが、1位2位を占めた。3位はトヨタとなった。表彰台では、国旗掲揚とともに、国歌が流れる。国とメーカーの威信を力強く印象づけるものだ。

GT部門では、ポルシェ、フェラーリ、アストンマーチン、シボレーコルベットの4社だけ。コルベットか、アストンマーチンのいずれかがこの部門の1位だったと思う。

メルセデスも、GMも、それ以外の自動車メーカーが参戦していない。それぞれに事情を抱えているのだろうが、また、過去には参戦していて、今は取りやめているのだと思うが、なんとなくさびしく感じてしまう。タイヤはミシュラン勢が強い模様だ。参戦に向けて、膨大な開発費がかかるだろうし、一般市販車への技術応用がどの程度までされるのか全く分からないが、おそらく一時は、こぞって参加することを競い合っていた時代もあったろうに。アマチュア部門では、その昔は、町工場からの参戦も可能だったようだが、最近の車の性能向上に、ただ単に、スパナとハンマーだけの車では、到底、勝ち目がない模様で、ブラックボックス化してきていたり、ハイエンド、ハイブリッドな技術を採り入れてないと困難な時代となったと解説者が言っていた。レーシングカーに電気でのアシストがすでに採り入れられていることにも驚かされた。今回は、トヨタ(日本)が勝利する大チャンスだったみたいだ。これまで、日本勢は2回しか優勝していないとのこと。そのうちの1回は、マツダが制したとのことだ。

インディ500、モナコグランプリ、ルマンの、3つのレースを、世界3大自動車レースと位置付けられているようだ。

50年前、親父が免許取得のため、念仏のように唱えていた言葉を何故か、今でも覚えている。

「尾灯と車幅灯は、150円前借して、晩に精算する」 という言葉で、意味は、

尾灯(テールランプ)と車幅灯は、150メートルの距離から認識できる。前照灯(ヘッドランプ)は、100メートル。番号灯は、20メートル。制動灯(ブレーキランプ)は30メートル。という意味だ。筆記試験にでるということで、覚えていたようだ。

それと、「まさこじょう」 という言葉。曲がり角、下り坂、交差点 上ぼり坂。なにをいみしていたかは忘れた。

日本で売られている車の値段だが、アメ車は、比較的、手がとどきやすそうなレベルで設定されていると思うが、欧州車の値段が、1ドル360円時代から、全く変わっていないと思えるほど、高く設定されている。どう考えても、1ドル200円時代と比べても、安くなるべきと思うが、全然その気配なし。あくまでも高級ブランド品扱いだ。また、国産にいたっては、車種が絞り込まれ、選択肢が少なく、それ以外となると、新たに作られたブランド名にステータスを持たせ、価格的には、輸入車と同等まで出さないと買えないような設定だ。日本人は、そんなに金持なのか? それと、アメ車に関しては、がんとして左ハンドルしか製造しない、アメリカ人の超わがままさには、あきれるをとっくの昔に通り越して、頭が下がる思いだ。絶対、自分の主張を曲げないので、TPP交渉も、アメリカが折れることは絶対にあり得ない。国産車は、夢を持たせるような車を生み出すことは止めてしまって、大衆受けする、実用性のみを追求したワンボックスタイプばかりで、マーケティングに夢がなくなってしまっている。日本人には小さい車がちょうどいいなどと、押し売りもいいとこだと思うけれど。

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論文を書いてみよう。

2014-06-27 | Weblog

現代の世情を次のように評する人がいる。

「現代の若者たちは、恐ろしく本能的な感覚が弱くなっている。無理もない、彼らはあらゆることを予告されるのに馴れている。天気予報は、温度や雨風だけでなく、洗濯するには適した日だとか、厚手の上着を持っていけとか、雨傘でも折りたたみがいいとか、至れり尽くせりを通り越してお節介なまでの警告、注意を貰うことに慣れている。」 (曽野綾子著、想定外の老年ー納得できる人生とは、ワック㈱、59頁)

「しかし、この余震の続くなかで若者たちの腰を下ろしている場所を見たとき、彼は吃驚した。彼らの頭の上には、揺れている大看板があった。もしそれが落ちてきたら、彼らは完全にそれで頭を割られると思われる場所であった。」 (同著、58頁)

「シスターは何回か私に「2階の窓際から2番目のベッドにいる患者さん、風邪引いてますから風邪薬を飲ませておいてください」というような言い方をした。それはつまり、私が自分用に携行している日本の売薬の風邪薬を持っていけということであった。私は言われたとおりに患者さんのベッドに行き、非常に小柄な人だったので、1回3錠の薬を2錠飲ませておいた記憶がある。この話をすると、日本人のなかに、その経過の何ごとにも心を動かさず、ただ慌てたように「看護婦の資格もない曽野さんが、勝手に薬を飲ませたりしていいんですか」という人が何人かいた。当時のマダガスカルの医療機関というものは野戦病院に近かった。弾こそ飛んでこなかったが、石鹸もなく、ガーゼも消毒器もなかった。注射器はまだ使い捨てではなく、硝子の注射器を煮沸消毒して使っていた。もっともあまり注射器もなかったが...。目的は、人の病気を治すことであり、命を助けることなのだ。その目的に合致するための正当な手段がない場合には、何でもやってみる他はないのである。そんな時に、まず資格のあるなしを問題にする日本人の若い世代の頭の固さに、正直私はうんざりした。臨機応変ということが、この人たちにはないのだ、と思い知った。」 (同著、55頁~56頁)

「終戦後、焼け跡をふらつく「浮浪児」と呼ばれる子供たちがいた。日本だけはない。10年ほど前にモンゴルに行った時にも、手にしたバラの花も瞬時に凍るという零下30度にもなる冬のモンゴルで、親もなく住む家もないストリートチルドレンが生きているという話を聞いた。「寒さをどうして防ぐんです?」と私は尋ねた。すると彼らは、地下に通っている温水管の傍で生きているのだというのであった。「現在、震災前に近所づきあいをしていた人が近くにいますか」「現在、親族以外で気軽に話ができる人が近くにいますか」という質問もあった。戦争中も戦後も私たちはばらばらになった。それがそうした災難につきものの結果だと皆覚悟していた。学校の友人もばらばらになった。しかし、生きるためには、それも仕方がない、と親たちが教えた。生活はそれほど厳しかった。(中略)いつだって望みが叶えられればこんなにいいことはない。しかし、今から70年近く前、全日本が傷ついた戦争の時、人間の希望が、政府によって叶えられるということを期待する庶民はほとんどいなかったのだ。当時の日本人は壊滅した日本の国土の中から、自力で立ち上がった。政府がしてくれないことは、すべて自分たちでやる他はない、と知っていたのだ。」 (同著、199頁~200頁)

「それより少し若い世代には、今回改めて学んでほしいことがある。私が知る限りでも、人生には、いつも取り戻せないほどの大きな運命の変転があった。その度に、私たちの親の世代も、私たちの世代も泣き続けて来た。親たちは夫や子供を失い、おおよそ私くらいの世代は、自分が死んだり、恋人を失ったりして来た。だからそういう無残なことがないような社会を作ることにはいくらでも働くが、「生活を元に戻してくれ」などと「世迷いごと」を言ってはいけない。そんな甘さが通用することは、この地球上のどこにもない。人間は常にどこjかで最悪のことが起きるかもしれないという覚悟を常にしておくべきだ。もちろん、それは避けたいことだが。。。覚悟は個人の領域だ。それを国家に補償せよとか、肩代わりせよとか言ってもできないことが多い。不幸もまた一面では個人の魂の領域であり、それを国家に売り渡してはならないからである。」 (同著、88頁~89頁)

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住吉の長屋

2014-06-26 | Weblog

建築家の安藤忠雄氏の、独学の自分に対して、初めて仕事を依頼してきて、設計したのが、「住吉の長屋」 というタイトルで紹介されている。自分自身が、住吉の長屋で生まれ育ったために、その建物の周囲状況など、理解しやすい。一度、現地に行ってみたいと思っている。

その安藤忠雄氏が、審査、決定にかかわっているのが、新国立競技場だ。デザインは、確か外人が応募してきていたものと紹介されていたと思うが。安藤氏は、結構、長年のことを考えて思慮されると思っていたが、今回の決定に関しては、単にサプライズ的な建築物を作るという1点しか考えていないと思ってしまう。建築コストそのものもそうだが、オリンピック終了後の後利用についての配慮が全くなされていない。維持費が、現在の10倍かかるそうだ。決して審査委員会で最終決定したことだから、ひとりの意思決定ではないと思うが、専門家が集まっていて、誰かブレーキをかける者がいなかったのであろうか?

これからでも、修正したほうがいいと思われるところがあるなら、関わった人には、配慮しながら、納得いく方向性を打ち出す勇気も必要だと思うが。

まさに、彼自身がいつも言っている、勇気を発揮する時だ。

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慈しむ(いつくしむ)ということ。

2014-06-25 | Weblog

また、手前勝手なことを書かせてもらおう。

日本人の独創性として素晴らしいと考えているものに、漢字の訓(くん)読みがある。字の如く、言葉を川の流れに沿うかのように、平易に表そうとしている。そこに、非常に人間味、いいかえればアナログ的なものを含んでいるように感じている。もし、音読みをデジタルとするならば、訓読みはアナログだ。例えば、音楽(おんがく)と言ってしまえば、音楽は音楽でそれで言葉として完結するが、音(おと)を楽しむ(たのしむ)と表現すれば、特に難しいものでもなんでもなく、肩肘張らず、それなりに聞き流せばいいとなるような気がする。

ある方が言われている。「いくら正しいことを説かれようが、慈しみ(いつくしみ)のない正義は、真の正義ではない」と。正しいか、正しくないか、善か悪か、右か左か、1(いち)が0(セロ)か、それだけの主張ばかりを展開するなら、息苦しくてしょうがない。完全無欠の人間などいないのだから。残念ながら、若さは、とんがっている。それゆえ、慈しむ心を会得するには、それなりの年数を経ないと無理と思っている。若いに心が加わると、人を惹きつけるところとなるが、さらに磁石の如く、慈しむまでは昇華していかない。

勝手な解釈であるが、慈しむ(いつくしむ)とは、人の哀れ(あわれ)までも包み込んだかたちでの、愛を示すということではないかと思う。慈愛となる。簡単なことではないと思う。ただし、物事がギスギスするのは、そのあたりの潤滑油を持ち合わせないからだと思う。ベアリングでも、機械でも、動くもの、擦れるもの、摩擦を生じさせるものには、すべて間に緩衝材の役割となるものの存在があって、円滑な状態を維持するのだ。

こんなことを、ぐちぐちボヤいていても仕方ないと思うが、なんか、すべてが直線的というか、短絡思考で、目の前の事象すべてが妙味に欠けるのだ。「人って、人生って、そんなもんじゃないよ。」 という言葉に、耳を傾けてもらいたいものだ。少し立ち止まって、慈しむということを考えてもらいたいものだ。

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ツイートも、野次(やじ)じゃないの?

2014-06-24 | Weblog

ひとつの問題に、10人、20人のコメンテーターがほとんど同じ内容でしかコメントしないので、辟易する。

そもそも、野次(やじ)自体が、無責任なものではないのか?

プロ野球選手が、ひどくヤジられ、フェンスにかけ上って、野次馬と喧嘩してる。

昭和世代から言わせてもらうと、ツイートって、インターネットを介した、素性も明かさない、ヤジじゃないの? 素性を明かすフェースブックなどと違って、ツイート率は、日本が世界で断トツに、NO.1 と、どこからか、聞いたけれど。その他大勢に紛れての発言が日本の性に合っているのだろう。(最近は、ハッシュタグとやらを、わざわざつけさせて、無責任なヤジを集めて、番組構成しているが。)

議会の規則では、ヤジ発言は禁止と聞いているが、どうして、この際、ヤジは禁止ということを誰も言わないのだろう? 国会中継など見ていて、じゃまなだけ だけど。

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば   窮屈だ 兎角に 日本は住みにくい」  1906年 発表の「草枕」 を、モジった。 110年もの間、変化なし。

 

 

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本音と建前

2014-06-23 | Weblog

ラジオでも連日、政治の話題として、集団的自衛権のことを取り上げている。国民側は、今は使われなくなった言葉でいうと、しらけている。何故か? 小生なりの分析は、やはり核心のことを触れていないからだと思う。昔、米国人から、ビールはビール、コーヒーはコーヒー。と言われたことがある。今でもそうだが、日本では、いろいろな名前で販売合戦を繰り広げる。これは、冬に飲むとおいしいビール、。これは秋の季節に合うビールなどと説明したら、ビールはビールと言われた。さらに、電動で動く刃物の機械で、スイッチの取付位置でもめた時のことだ。日本人は手もとに近いところが操作性が良いと言って、引き下がらない。国産品はすべて、考えられているとも主張した。操作性という言葉に変えて、少し離れた位置の場合、困ることがあるか? と聞いてきた。刃物なので、相手を傷つけそうになった時に、とっさにスイッチを止められると日本の顧客は回答した。米国人は、とっさの時は、まずは刃物を遠ざけるだろうと回答してきた。それから、スイッチを切ればいいと。ようは大事なことは、刃物を遠ざけることで、スイッチの位置の問題でないと。

集団的自衛権と個別的自衛権。おそらくだが、その米国人と話合えば、どちらも自衛権だろう。集団的、個別的、場面をああだこうだと想定すること自体がナンセンスと言うだろう。自国民が危機に直面している時、集団的だとか、個別的と言ってられないだろう。まずは自国が動くことが先決と思うが。また、たとえ国連でも、米国でも頼んできたとしても、それが、できない内容だったら、毅然としっかりとした理由をつけて断ればいいと思う。その時、金だけは供与するという結論なら、それはそれで立派な結論だと思うが。

改憲か、憲法解釈か? 改憲に向かったところで、おそらく同じ議論が繰り返され、収拾がつかぬであろう。 それでも、うやむやな解決に終わってしまうよりはましだと思う。きっちりと、最悪想定も説明して、ただし、根本は国民と国を守るための行動だということを示すべきだ。今、連立を組んでいる、ひとつの政党の出方へ話しをすり変えているが、本来は、一番、大多数を占める自民党の中で、まずはひとつの結論へまとめることが、まずは大切で、そのプロセスを今度は、国民に問えば、同じプロセスとなり、反対意見もあるだろうが、もう少し、ましな展開になるような気がするが。

先日、規律と秩序のことに触れたが、この二つについては、海外でも十分に重点が置かれていると思う。日本で気にしているのは、形式的なこと、体裁であって、友好国、同盟国、密接な関係にある国、などの、枝葉末節の、表現文言など、それこそ、大のおとな が、寄ってたかって議論することかと思う。

米国の田舎、例えば、イリノイ州とアイオワ州の二つにいると、道路の幅も、畑も、すべてが大きいので、小さなことにことにこだわっていられないと自然にそう思ってくる。すぐ近くに見える、WALMARTの店に歩いて向かっていっても、なかなか着かない。ようは、周りに比べるものがないので、近くに思えるが、実際、かなりの距離があり、店舗自体も巨大なのだ。イリノイ州とアイオワ州の二つの面積だけで、29万6000平方キロで、日本の37万の約80%を占めてしまう。イリノイ・シカゴに隣接するミシガン湖、まるで海だ。どうしてか? 五大湖合計で、24万平方平方キロ。日本の66%となる。計算上だが、今の日本には1億2000万の人がいるが、日本に、わずか600万人程度しか住んでないぐらいの土地感覚だ。イリノイから、アイオワへ買い物に向かう。料金だだの普通の国道。しかし、まるで高速道路。ガードレールなどまったくない。インターチェンジというか、ジャンクションというか、信号もない。一直線に伸びる。カーナビなんて要らない。ガソリン代も、現時点でも、100円程度。これでも高くなったほうだ。わずか15年、20年前では、日本の3分の1か4分の1程度。ようは、1ガロンが、日本の1リッター料金だったと記憶している。日本でいうほど、ハイブリッド車の必要性を感じていない。せぜい、燃費効率が改善された、ガソリン車があれば、それで十分だ。彼らは、次の世代は次の世代が考えればいいという考えも存在している。我々の死後のことは、そkれこそ、その時代を生きている者が作っていくのだから。日本では、結構、未来のことを語る割には、希望がでる対策がとられないし、むしろ悪くなっていくばかりと感じるが、言葉だけは、子孫につけをのこしたくないと言っているだけの中、順繰りに、去っていっているような気がしてならない。

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自分探し(原風景) 15/100

2014-06-20 | Weblog

身勝手な解釈だが、自分にとっては、田舎(いなか)と言うと、田んぼがるところとなる。出身が関西というか東京でないため、田舎(いなか)に対峙する言葉として、都心、都内、都会なんて言葉は普段使わなかったので、そうかといって、府心、府内、府会などとも言わず、単なる、町(まち)が、田舎(いなか)の反対語だった。自分が生まれ育ったところは、そういう意味では、近くに田んぼがないので、町となる。故郷(ふるさと)という意味での、田舎(いなか)はあるが、町という言葉の反対語としての、田舎(いなか)はない。

昔から、原風景という言葉だけは、時々耳にすることがあって、自分にとっての原風景って何? と 思いを巡らせたりしたこともあるが、普段はそんなに意識するものでもない。

大阪の南のほうで、生まれ育ったために、北へ上がるほうは、南海電車の難波駅(なんば)が起点のような気がする。さらに北には、本町(ほんまち)、淀屋橋、梅田となるが、ひとつの境界線が難波のような気がする。また、電車と言えば、南海電車となってしまう。

南海電車の難波駅から和歌山市駅行きの、普通電車に乗る。各駅停車だ。昔は止まった「萩の茶屋駅」 は、今は、とまらないらしい。この駅から、ガラの悪いところへ通じている。昔は、岸の里駅と玉出駅の二つだったものが、今は、岸の里・玉出駅として、1つになった。別に、二つのままでもいいのにと思う。次が、粉浜駅だ。ここで降りる。難波駅から堺、和歌山方面は、南へ向かって南下していることになるので、改札を出ると、左側へ抜ける(東方面)。出てすぐのところに、いかにも古臭い木の塀の家が角にある。お医者さんの家だ。その横をすり抜け、30mぐらい行くと、路面電車(阪堺線)へ出る。みんなチンチン電車と言っていた。都電とは違う。どうして? 経営母体が公的なものでなく、あくまでも私企業、南海電鉄だ。難波駅からの普通電車も、このチンチン電車も、最初のころは、床が木製で、学校の教室のように油引きしてあった。荷物など直に置けない。難波駅から、いつも普通電車にしか乗らない。和歌山行き特急電車が、薄い緑と濃い緑のツートンで、少し角が取れたデザインで、親戚の何人かは和歌山に家がある者もいて、それに乗って帰る。その電車に乗れることが、うらやましくて仕方なかった。こっちは、各駅停車や、チンチン電車ばかり。今は、逆で、チンチン電車を紹介したいが、当時は、なんといっても特急電車だった。

路面電車の道路に出ると、左へ曲がる。すると、路面電車のプラットホームがある。東粉浜駅だ。今度は、プラットホームの先のほうを、右へ入っていく。周りは普通の住宅ばかり。プラットホームの前に、昔は宝栄桜という小さな中華店があった。夫婦2人で営んでいたが、今は店をたたんでしまったようだ。(顔見知りで、チャーハンとラーメンの二つを頼むことが多かった。家に出前を頼んだことも数知れず。)道の、斜め反対側には、太田自転車屋。昔からある。今もある。大したものだ。散髪屋(関西では、あまり床屋と呼ばない)、イト‐がある。ここで中学の時の坊主頭もこしらえてもらった。経営しているのかどうかはわからないが、看板だけは残っている。

不思議な感覚が湧く。今と同じ背丈の大学生の時には、感じなかったのに、今は、歩く道幅がすごく狭く感じられるし、駅からの距離感もすごく短い。家もなんだか小さくなったように思われる。東京などで、道幅の広いところの間隔が身についてしまったから、そう感じるのか? こkの各家が、道のほうへせり出してきて建て直ししたのか? 

東粉浜駅のプラットホームから右折れする角の家は、昔、冨田という同級生の大きな家だった。貿易業を営んでいたようで、いわゆる金持ちだった。家の外へ、羊毛が詰まった大きな麻の袋が並べられていた光景が残っているが、今、そんなことしたら、この道幅で大丈夫なのかと思ってしまう。絶対、道幅は変わっていなくて、当時と同じはずなのに、どうしてそう思ってしまうのだろうか?

まっすぐ進み、道を横切る。その道の右手には、昔は八百屋さんがあった。そこへ4,5歳のころ、あじけつノリを買うためお使いにいったそうな。あじつけノリでなく、あじけつノリをちょうだいと言っていたみたい。その横が、柳通りと呼ばれた道で、その角に、布団屋さんがある。飛田という名前だ。そこの大将が、空手をやっていて、昔の地域の子供たちのリーダー役みたいな役割があって、淡路島まで、キャンプというか、合宿に夏に出かけた思い出がある。瀬戸内を手こぎボートで走っていると、飛び込めと言われ、飛び込んだら、そのまま5キロぐらい遠泳させられた。水泳はなぜか得意だった。小学校、中学校、高校と校内の水泳大会は、自由形と背泳で優勝していた。

道を横切って、次の路地を左へ入ると、自分がいた、「住吉の長屋」 だ。

ま正面には、東粉浜小学校の、塀が、遠くに見える。見えた。今は、すごく近く感じる。その路地も、ここまで道は狭くなかったろうにと思うが、今、目にしている、この道幅が当時も同じ道幅だったのだろう。車が通れるか通れないかだ。ここを車で、通り抜けていたのだから。何故、こうも狭い、小さいと感じるのだろう。

間違っていたら申し訳ないが、デジャブ、という言葉は、以前見たような光景がフラッシュバックしてくることを意味していると覚えていたが、間違っているかもしれない。昔の風景と、今、目の前にある光景が、すごく違う。当然、今は舗装されているが、舗装前は、土で、道に穴を掘って、ビー玉などで遊んだものだ。

路面電車道へ戻ると、北方向に次の停車駅が、塚西。南方向には、住吉大社となる。我々は住吉神社と呼んだが。おおきな神社だ。太鼓橋が有名だ。白い神馬もいた。いる?

おおきな灯篭がいくつもあるが、その上に乗って遊んだものだ。今、あるかどうか知らないが、さくら畑と呼んでいる場所があって、そこで野球などもよくやったものだ。恐らく、今は灯篭で遊んだり、空き地で野球したり(三角ベース)する、小学生など一人もいないのだろう。また、灯篭にのぼったりするだけで、警笛がどこからか聞こえてきて、説教くさいことを言われるのだろう。そう考えると、大人が、大人の分別で、子供を諫めることは、子供にとっては、余計なことだと、わかってしまう。子供のはばたく羽根を不用意にへし折ってしまうのは止めようと思ってしまう。

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作戦を立てる

2014-06-19 | Weblog

今、話題はサッカーワールドカップ・ブラジルだ。明日は、予選リーグ2戦目の対ギリシャ戦。すでに1敗しているので背水の陣だ。不思議に思うことがある。1戦目以降、日本チームの情報を取り上げて伝えてくれるが、詳しい具体的な様子はわからない。それを推論する日本でのコメンテーターの発言ばかりだ。仮定の話ばかりで、具体性に欠ける。なんとなく世界各地ですごく盛り上がっているように報道されている。それが事実であるならば、ギリシャとて例外ではあるまい。一体、ギリシャでは、どんな放送がされているのか、全く取り上げて来ない。もう推測に基づく、日本側のこれからの対応については腹一杯だ。ギリシャでは、日本チームをどうとらえて、どんな作戦でこようとしているのか、どうして紹介しようとしないのか? その時点で、情報合戦ですでに負けているように感じるが。いつも内向きな姿勢で、外の世界についてあまりアンテナを張らず、内輪で結論の出ないことを、いじくっているだけと変わらないように思うが、そんなことを思うのは小生ぐらいしかいないのだろうか?

もうひとつ自分で首をかしげることがある。ヨーロッパからの参加チームだが、すべて知らないが、知っているだけで、スペイン、ポルトガル、フランス、ギリシャ、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、イングランド、などなど、恐らく、他にもいくつかあるのだろう。なんかヨーロッパ地域で知っていそうな国は、ほとんど出場しているように思える。日本では、出場決定するまでに、予選がなんかいもあって、出場できるのかどうか、やきもきする期間が相当あったように思うが、ヨーロッパのことをみれば、ほとんどどこでも出れるのかと思ったりする。同じように思えば、アジアから中国も出れるのではとか考えたりする。昔は、アメリカなどは、バレーボールやサッカーには無縁で、ベースボール、アメフト、バスケットだけと思っていたが、最近はこれらの大会にも出場していて、それなりに結果を残すから大したものだ。(恐らく、アメリカ国内では、マイナーな競技だろうけれど)。野球の世界大会には、それなりしか力を入れず、あくまでもメジャーリーグが世界一と豪語してはばからない。北米代表としては、カナダが出ていたのだろうか?北米と言えば、カナダ、アメリカ、メキシコで、すべて出場となっているのであろうか?きっちり、予選を勝ち抜く、公平な仕組みがあって、各地域でそれに準拠して出場機会を与えられているのだろう。

視聴率という数字があって、いまだにそのモニターに関与しているという御仁にお目にかかったことがない。その数字に右往左往していることはよく耳にすることだが、「日本の銀行は同じに見える」 ではないが、 「日本のTV局は同じに見えて」 しまう。 自分自身としては、もう30年前から、保険会社の方々に、他社との違いはなんですか? という質問をよくしてきた。 同様に、取引銀行の方々についても、おたくさまの特長はなんですか? ともよく尋ねてきた。 当時から、ほぼ、それほどの違いはありませんと返されるので、一私企業で、競合してきていた者にとっては、護送船団方式で、生き残らさせてもらえるのだから、ありがたい状況ですねとしか、言いようがなかった。保険業界などは外資の参入で、包括的なくくりから、少し、区分けしたように変化したように思うが、おそらく障壁は残っているのだろう。ネットの発達で、手続きの簡略化分だけ、メリットを打ち出すところもあるだろうが、外資にせよ、ネットにせよ、いずれも外部要因でしか変化することがない。ガソリン価格が異常なほどだ。レギュラー1リッター170円。これについても、近隣の国々や欧米ではどうなのか? 資源がない国なのはわかっている。円安歓迎の中、結局、細かなひとつ1つのコスト上昇分を負担させられるのは、国民ひとりひとりだ。高く買ってもらえる売電事業、その買い取り価格分を国民が払う電気料金へ転嫁させられている。そんな事を続けられるのであれば、電力会社はいくらで買い取っても、その分、電気料金に加えればいいのだから、絶対に損はしない。現在、そうでない対応を見直そうと検討がスタートしたが、いったん原理原則、核にあたる部分は、恐らく形を変えて守るような、実態は何も変わっていかない官僚得意のシナリオに沿って進められていくのであろう。官僚は景気に関係なく人事院勧告(税金)を修正していくだろうから、痛みを伴わない。

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ニュース

2014-06-18 | Weblog

日本語なら、単に 「東西南北」 の4文字言葉となろうが、英語だと、North、 East、West、South、 イコール 「NEWS」 となる。 四方から情報が入ってくるというような背景があるのだろうか? 本当のところはわからない。

ニュースの媒体と言えば、新聞、TVなどだったが、最近はメールいう手段もある。また改めてメールについては思うところを書いてみたいが、メール出現によって、業務、仕事など、あらゆる面で、助かるという状況を生み出したのだろうか? 小生にとっては、表現はよくないが、やたらケツをたたかれる、という側面ばかりと思ってしまうのだが。中には、自分に届くメール数を、まるで、それだけ仕事していますよ、大変なんですよ、と言わんばかりの御仁もおられる。ある程度は、自分でメール数を減らす対応も可能と小生は思っているが、メール自体を仕事に捉えられている方々には、それが生きがいなのであろうから、人それぞれである。

ここのところ、ずっと 「ラーメン」 人気が続く。 約45年以上前だが、中華屋さんで、普通のラーメンの値段が、50円程度だったと記憶している。半分に切ったハムと、もやし、なると巻きなどが、トッピングされているぐらい。つり池で、ふなつりをした後、釣った鮒は、重さでお金に代えてくれる仕組みになっていて、そのお金に、20円か30円加えて、帰り道に、いつもの中華屋で、ラーメンを食べていたので、よく覚えている。

社会人になって、仕事の関係で、福岡に約5年住んでいた。そのため、博多のラーメンもたくさん食べた。とにかく安い。恐らく、いまでも普通の屋台では、500円ぐらいではないかと思うが。だから、ラーメンが、700円、750円、800円、900円することが信じられない。はっきり言って、ぼろ儲けだ。いくら、最近ではスープにこだわりを持っていると言っても。もちろん、安いところがないので、仕方なく、食べることになるが、心でははらわたが煮えくりかえっている。どうしても 「されどラーメン」 でなく、 「たかがラーメン」 というか、あくまでも大衆食だろうという思いが強い。飲食の原価なんてしれてる。ビールにしても、プレミアムと呼ばれるものも、普通のブランドビールも、お店への卸値は、ほとんど変わらず。メニューで価格差をあえてつけるのは、高いプレミアムを飲んでもらえばラッキー、普通でいいかということで、普通のビールをたくさん飲んでもらうことが狙いなのだ。小さな飲食店では、1日の売上が4万もあれば、食っていける。1日限定400杯という宣伝をしている所もあったが、400杯もでれば、1000円なら40万、500円でも20万となる。まあ、小生は、ラーメンといえば、500円程度が納得いくあたりか(リーズナブルかな)と思っているが。

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情報公開

2014-06-17 | Weblog

先のノルマンディの行事について、先週発売の週刊文春(19日号)に、「欧米も日独の将兵も同じ。しかし勝った方は今でもブイブイ言わせ、負けた方は英霊となっても中国、韓国に愚弄され続ける。その違いはたった一点、勝ったか負けたかに尽きる」と大きく写真とともに載せている。日本のTVが、オバマとプーチンの顔合わせでしか取り上げなかった中、別の視点から捉えていることに、同じ思いの方がいると感じた。

1986年、スペースシャトル チャレンジャーが爆発した。事故調査委員会の報告は間違いではないが、さらなる深い突っ込みがなかった。

1.打ち上げ前日に、ブースターのメーカーが打ち上げ中止をNASAに電話連絡していた。摂氏12度以下の打ち上げは、危険とのこと。簡単に言えば、ゴムパッキンが硬化してしまって、本来の弾性が打ちなわれるから。NASAはいまさら何を、となり、最終的にメーカーも多数決で、経営判断した。(技術部長ひとりが反対を強く主張していたが、退けられた。)

2.本来は、打ち上げ直後に爆発してもおかしくはなかった。燃料に含まれるアルミの燃えカスがパッキンの役割をたまたま果たした。そのままであれば、なんとか持ちこたえた。

3.当日、強い偏西風が上空にたまたま吹いてしまった。(風速300m)この偏西風がなければ、なんとか切り抜けられた。あまりの強風に、シャトル自体が激しく揺れた。そのため、燃えカスがふるい落とされた。打ち上げ73秒後だが、爆発。

4.クルーが乗っていたカプセル部分は、そのまま落下して、大西洋に激突。(落下中の生存の可能性が認められていた。)

日本でも、JAL123便の事故について、一応の原因報告があるようだが、もっと突っ込んだ真実は闇の中だ。今回の、理研についても、闇の中、というか、隠ぺいされている感がある。

ワールドカップについても、日本からは多額の金が投資されているとのこと。もちろん算盤勘定があってのことと思うが。これらのことについても、ほとんど開示されず、国民だけがただただ純粋なスポーツマンシップに寄り添った、国家平和をただただ享受しているように映る。

韓国近辺での有事の際に、USAの軍艦には、日本人の一般人の乗船、救出はありえないと既に過去に伝えられていたとのこと。それがどれほどの正確な内容かはわからないが、そんな単純なことすらも、確認不足なのか? USAや他国が救出しないなら、自国が救出するアクションしか選択肢がないと思うが。それでも、外交交渉で、他力本願へ向かうのか? USAが、ここまでやりますというラインが決まっているなら、それを公開することが先ではないのだろうか? 推測の条件設定で、この場合、あの場合と議論しても、全く実態とそぐわないなら、無意味な議論であろう。

どの国にも機密があり、すべてを開示しているのではないと思うが、どうも開示を渋るし、開示した後の再検証、質問などについても、及び腰を感じる。これらは、民主主義の根幹と思うが、まだまだ封建的というか、社会主義というか、決して現在の状態が、最良でないであろう。徳川家康が作りだしてしまった、お上意識を払拭することは困難だし、それに胡坐をかいているほうが楽な方々もたくさんられるだろう。いろいろな方面で、勇気、気骨あるストーリーを発信してもらいたいものだ。

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規律・秩序VS創造性

2014-06-16 | Weblog

仕事で大阪・西神戸へ出かけることになったため、PCから離れていた。2014年6月15日、サッカーワールドカップ一色の様相だった。初戦の負けが決まり、翌日の朝刊コラムに、規律・秩序を重視する日本の国民性とある。規律という言葉といい、秩序という言葉も非常に響きがいい言葉だと思う。この言葉自体に対して、いきなり反論を唱えることもなかろうと思う。ただし規律・秩序が重んじられるならば、もちろん程度の差、程度問題であるが、学校教育の場でも、規律・秩序が保たれて、荒廃することなどないようにも思うが。街中でも理不尽な事件などおこらないと思うが、小生の目には規律・秩序が乱れてりるとしか現代の世相は、そのようにしか写らないが。規律・秩序をマニュアルと読み変えると、少し状況が異なってくると考えるが。規律・秩序という言葉には、なんか、その中に倫理観なるものが含まれるように思う。それに比して、マニュアルの場合は、その中に愛情など感じることなどない。日本人は、マニュアルが好きなでけなのではないのか?

約30年前、小型船舶免許の実技試験で、たまたま一緒になった受験者が、自分の番になって、教官に、走らせるようにと指示をだされると、「どちらの方向へ」と尋ねて、教官から「海の上には白線が書かれていないので、自分で判断してください」 と言われていた。360度、どこにでも行ける自由をこの方は満喫できないのだと思った。新聞のコラムでは、サッカーの個人技量にいて、日本のプレーヤーには創造性を以って育てられてきた背景を感じられないと論じている。小生は、創造性というか、自然に自分自身に枠を設けてしまう習性がつけられるような教育というか、小さく固まるような方針を貫かれてきたように思うが。

海外で、初めて水上スキーにトライした時、いきなりボートからスキー板を2枚、海に投げ込まれ、お前も海に飛び込めと言われた。その後、板をつけろとボートの上から指示され、ずっと腕を伸ばしたままこれるのだという指示のみをもらって、5回ほどチャレンジして滑走できるようになった。

USAで、クレー射撃に連れていってもらっ時に、生まれて初めて実弾が出る、ライフル。拳銃を手にしたのに、ライフルと散弾をひと箱分渡され、肩と胸にこう支えると教えられただけで、いきなり本番。それでもなんとか、35%ぐらいはヒットしたと思う。

日本で、短期(1か月、2か月?)の、臨時テニススクールに申し込んだ。実際に参加してみると、理屈や説明ばかりで、60分程度のレッスンで、実際にボールを打つ時間といったら、5分ぐらいではないか。もちろん何人も参加しているので独占というわけにはいかないが。テニスをやったというか、やった気分になる程度だ。毎回、汗もかかない。

自分は体育館で初心者にバドミントンを教える。相手は、社会人で筋トレなどやっておらず、大会を目指しているわけでない。それゆえ、教える時は、できるかぎり参加してもらって、たくさん汗をかいた、こんなにハードなんだということがわかる、少し休ませてくださいと相手から言われる程度に上手く、持っていく。こんなにラリーが長く、普通は続かないと言われる。続くから当然、しんどくて汗をかく。点数の数え方など教えない、というかコートに入りながら自然に覚える方向へ持っていく。黒板を使った授業でないのだから。面白く、楽しくなければ、なんのために俺はここにいるのかと小生は思ってしまうので、できるかぎり楽しく、かつ筋肉痛になるように、上手く持っていく。

格好や理屈でないと思う。まずは全体はこんなもんですよと、と体験してもらわないと、その後の基本練習が何に繋がっていくか、その意味がわからなければ、やる気も失せる。現在の日本は、何か問題が発生すると、イコール、対策のマニュアル策定での対応となる。魂の入ってない、対策など継続性がなく、実効性にも疑問が残る。対策を作成したという行為が目的化していないか。信頼できるコメンテーターは弁護士ばかりを集めるが、弁護士と警察に実際に問題解決してもらったことはないが、このことは改めて取り上げよう。

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いまどきの学校教育

2014-06-12 | Weblog

大阪市長が、隔離教育なんちゃらかんちゃら。

そもそも勉強する気がないのだから、どんな環境におこうが、学校の教科書の勉強なんて取り組むわけがない。

日本人の弱点のひとつに、一人で生き抜くことができるかだ。

そこで、でき悪レベル4相当は、アメリカのニューヨーク。レベル5は、インドのニューデリーの、ど真ん中にまで連れていき、ケータイなど一切取りあげて、500円もしくは1000円だけ渡して、どうぞ、ここでサバイバルしていってくださいと突き放すことだ。ようは、世の中をなめてかかっているのだかあ。いいかえれば世の中、世間に甘えているのだから。なまじっか言葉が通じたり、仲間がいるから、楽をするのだ。体のどこかに発信器を埋め込み、3か月ごとに、最初に別れた場所で落ち合えばいい。自立できれば、それはそれは実力だ。なんのために外国語を学ぶのかを体感すれば、本当のやる気がおきるものだ。

こんな実験を、極秘にトライしてもらいたいものだ。

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他国の情報

2014-06-11 | Weblog

USAイリノイ州、人口3万人に満たぬ小さな町。工場で働く人たちに聞いてみた。USAの人口は何人ぐらいか知っている? 知らない。 日本の国のことで知っている事は、桜と、あと最近、親戚が訪問したということぐらい。 韓国、中国との位置関係などわかる? わからない。

USAの人口については、事務職のホワイトカラーの人でさえ、回答をもらうことができなかった。ポケモンが日本発というより、USA産と理解している人のほうが多い。圧倒的に、ペプシのほうが人気がある。

このように他の国でも、自国以外の情報は正確でないし、必ずしも興味を持たれていることではないので、日本の国内でけが、他国の情報が少ないというわけではないと思うが。

例えば、ハイブリッド車のプリウス、国内ではエコという観点から人気が高い。同じように海外でも評価されているのかと思いきや、少し、というより、状況は各国、地域により、、異なるようだ。プラグインの段階になってくると、日本でもそうだが、インフラの整備も要求されることから、単に自動車メーカー単独で対応できるものでなく、はなから検討対象外といった国のほうが多いらしい。サッカーワールドカップで湧く、ブラジルでは、かなり以前からバイオ燃料ということで、エタノール車が圧倒的地位を形成している。対応が早かったのが、ドイツのフォルクスワーゲンで、シェアを握っている。中国でも、市場ニーズに対応したのが、やはりフォルクスワーゲンだった。

今年の消費税が5%から8%になったことにより、各国の消費税を取り上げたものが多々あるが、いずれにおいても共通しているのが、消費税、特に消費税率だけに焦点を合わせて、あくまでも消費税は、各国における税のしくみの一部分であるから、単に消費税率の比較だけで、日本はまだまだ安いだのと結論づけていることに疑問を持たざるを得ない。そのような全体を写しだしていない情報提供は、逆に誤解を生みだす、見解の相違をより強くする原因になるだけだ。住民税も、所得税も、社会保険料も、年金のしくみ、法人税、相続税、固定資産税も、すべて異なるのだから、まうは全体像、大きく取り上げることが順序というものではないだろうか?

過激なハリウッドムービーなどでは、ののしる、汚い表現がよくあらわれるが、実際のところ、例えばご主人が、そのような言葉を使うと、即、指摘して直させようとする奥さんもおられる。それらの場面に遭遇すると、それが普通だろうと少しホッとする。

 

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時雨の記

2014-06-10 | Weblog

時雨とは、辞書を引くと、「初冬の頃、急に降り出してはやみ、数時間で通り過ぎる雨」 とある。ここ10日から2週間経つかどうかの最近、たまたま「時雨の記」という映画、邦画を見た。自分が10代、20代はもちろん、30代、40代でも、見続けることに飽きてしまうかなと思う映画だが、何故か見続けた。現役の第1線を退き、第2の人生に踏み出す時の恋愛ストーリーだ。吉永小百合と渡哲也が主演を務める。見続けた理由のひとつに吉永小百合の淡々とした演技があったかもしれない。脇をかためるのが、佐藤友美と、林隆三だ。久しぶりに林隆三だと、その時、思った。「時雨の記」 のことを、載せようと考えていた矢先だ。林隆三が70歳で急に亡くなったとのこと。

大学の時の、ダブルスを組んでいたパートナーは、福井県屈指の藤島高校出身だったが、顔が似ているとかでなく、なんとなく雰囲気、話すテンポ、こちらを見透かしたの如く軽く笑いながら「どなんしたんや?」と聞いてくるような様、まるで自分は無関係で達観したかのような態度、細くていつも笑っているような目の形、などが、どことなく似ているものを感じさせる奴だ。卒業してからは、卒業してまもない頃に、2度ほど会っただけで、それ以後、全くやりとりしていない。別に喧嘩したわけでもない。仲が悪いわけでもない。約35年間、やりとりなしの状態が続いている。

人生80年とすると、半分は40年。折り返し時点で、残りの年数のほうが少ないと強く意識したかと言えば、していない。50年経過時はどうだったかと言えば、まだそんなに強く意識していないし、過去ばかりを振り返ることもそれほどでなく、やはりなんとなく末広がりに先の方を見ていた気がする。おそらく欲深いのだろう。それとも業のなせるところか? きっちり人生にタイムラインを敷かれている方も多くおられるだろうが、残念ながら小生は、そういう意味では気づいたらまったくもって行きあたりばったりの人生となっている。いつ死が迫ってきてもおかしくはない。ライトスタッフというテストパイロットと宇宙飛行士の映画があった。ジェット機では、成層圏から脱することはできない。ジェットパイロットが成層圏の上の宇宙の青黒さを垣間見た時点でジェット機が失速していく。死は静寂、沈黙の世界で、決して恐れる必要はない。人間は、最後の最後まで生だけを考えているのだから。

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自分探し 14/100

2014-06-09 | Weblog

これは書くこと自体にためらいがあるが、後に伝承していくことを考えたら、書かざるを得ない。以前書いている通り、母方の祖母、父方の祖父、祖母の晩年は、おふくろ(母)が面倒を見ることとなり、痴ほう症(今は、認知症というのか)で、徘徊するようなことも多々あった。最後は、面倒に限界がきて、施設へとなった。ここにきて、おふくろの痴ほうがひどい。困るのは、対話にならないことだ。知らん、覚えてない、私には関係ない、そんなこと言われても私はしてない、等々、そう言われて、いくら事情説明しても、その先にいかない。話の中に、あり得ない人物まで登場してくる。真剣にどう対応するのが最良なのかを検討している、というより、どう対応したらいいのか、全く答えがみつからない。近くにいる母にとって姪にあたる者が、現在、いろいろ考えているが、それとて、すんなりと受け入れてくれるところが決まるわけでない。頭の働きが正常で、痛い個所がどこかなど、会話が成り立つのなら、いいのだが、自分が一番苦しめられた親父については、今となっては、どこも悪い仕打ちをされなかったとなっており、今、目の前にいる者を何かにつけ疑ってかかるから、やりきれない。

祖母の時も大変だった。自分は具体的には何をするでもない。まだ中、高校生の頃にて、まずは勉強してればいいわけだから。今は受け皿、受け入れ先って、どんな施設があるのか、具体的には知らない。まずはこのあたりの確認作業から始動せざるを得ないか。

自分の親の本性が垣間見えてくる。思えば、当然、自分も似たようなところがあるなと気づく。DNAと言ってしまえば、それまでだ。親に対する思いと、似たところを持ってる自分に対する嫌悪感の両方が一度に襲ってくる。考えたら、眠れない。対応策を冷静に探そうとする段階まで、たどりつけない。根っこにある心の思い、恨み節となってしまう。膝関節の手術も強引に大阪から東京まで連れてきて、何回かの検査、手術、リハビリ、途中で大阪との行き来、新大阪駅での転倒などなど、約半年の間、同居しながらのやっとの思いの手術こぎつけだったが、そのことについても、「あんな、私、膝の手術したんやけど。。。」 と言ってくる有様だ。どこで、どのように手術したか覚えていない。同じ内容で、三回も立て続けに電話してくる。そうかと思えば、電話くれというから、電話したら何もないという。物理的に距離が離れているから、すぐに、また何回もというわけには手が打てない。かといって、もう東京へ引き取る形で、同居開始をトライして、本人の気持ちが、大阪での独り暮らしでないと嫌と強情を貫きとおした結果が現在につながってきているので、もうそれを繰り返す気になれない。結果は目にみえているから。TVなどでも家族が寄り添う介護が映しだされるが、この状況をのりきらななければ、自分自身もいつ同様になっていくかもわからないので、その場合の処し方まで見つけだすことができているといいのだが。

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