現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

冷蔵庫・洗濯機

2007-05-12 | Weblog
 先にテレビのことを書いたけれど、今のような冷蔵庫や洗濯機もなかったんだよ。ほんの少し前までは、単に冷蔵庫・洗濯機じゃなく、電気冷蔵庫・電気洗濯機と言っていたものだ。テレビをわざわざカラーテレビと言っていたように。
 家の前に、朝、氷(こおり)屋さんと呼んでいた人が、自転車の後ろの荷台にでっかい氷の四角い塊(かたまり)を積んできて、溶けないようにムシロでくるんである。それで1貫目とか2貫目とか注文する。するとギザギザの大きなノコギリでシャカシャカその場で切ってもらう。それに手かぎみたいなものでグサッと突き刺し、家の中の冷蔵庫のような形の、木でできた箱の上の段に置いてくれる。ただの箱だが、それが冷蔵庫代わり。そうすることで多少の冷気が、その箱の中に貯まるし、またジュースなどを飲む時のカチ割り氷として使うことができる。夏には、かき氷もよく作ってくれたものだ。まあ今で言えば少し大きめの縦型の発泡スチロール箱の中に氷を入れておくのと同じだ。
 洗濯は、まずはすべて手洗い。たらいと呼ばれる大きな桶と洗濯板(いた)を使い、汚れを基本的にはゴシゴシとこすりつけて落とす。夏場はいいけれど、冬場は本当に大変だよ。かといってお父さんが自分で洗ったわけでなくて、すべてお父さんの母親、つまりはおばあさんがやっていたことだけれど、恐らく、同じことを現代の人はやれないと思う。
 その後、電気洗濯機の登場だけれど、もちろん乾燥機などついていないよ。脱水機もついていない。ただ水槽の中の水をモーターの力で、グルグル回すだけ。すすぎを終えると、ハンドルのついた絞りローラー2本の間を洗濯物をひとつひとつ通すことで、水分をきる。横着をしようと、分厚い布地や、2枚重ねの服地を無理やり通そうとすると、当然のことながらローラーは回らない。それでも、今で言えば、パスタの生地が引き伸ばされて、ぺしゃんこになって押し出されてくるような所は、今でもやってみたいような面白さがあったよ。
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うれしかったこと

2007-05-05 | Weblog
息子は中学野球をやっていますが、今回ベスト8まで進みました。
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銭湯

2007-05-03 | Weblog
 スーパー銭湯は現在ブームだが、昔の本当の銭湯はなくなったね。家に内風呂がなかったため子供の頃はほとんど毎日通っていたよ。風呂上りのビンに入ったコーヒー牛乳やチョコレート牛乳、透明のりんごジュース、たった1本飲むのもすごく楽しみだった。銭湯までの行き帰りに夜空を見上げて、星やお月さんのことを親父から教えてもらったことを思い出す。お月さんの周りが光って輪の中に入っていたら明日は雨だとか。1等星,2等星,星座とか。近所の人とのすれ違い、あいさつ。たどりつくまでの、すべての家の表札、名前、顔を自然に覚えてしまう。同学年ももいれば、2,3年の年違いもいる家の前を通る。その当時は風呂の中も潜ったりしていたもんだ。顔見知りゆえ、持ってきた現金が不足していても、それじゃ,この次ね、で済んでしまう。下駄箱の木の札で、ひらかなも覚えた気がする。
 特に小さい頃は、水風呂のところが、女湯とつながっていて、そこから潜って行き来したことも覚えている。家族で石鹸を忘れた時などは、声をかければ、上部は開放だから石鹸をポンと境部の上へチョコンと置くだけで事足りた。帰り際も、声をかけて出ることを伝える。プラモデルの潜水艦などもよく持ち込んだ。水中メガネをつけたこともある。プール代わりのこともあった。
 中学生の頃は、2時間ぐらい入っていたこともよくある。中間試験の前などに、お互い問題を出し合ってそれぞれ忘れていた部分を確認したことも、かなり役立ったと思う。
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リンクのテスト

2007-05-02 | Weblog
http://blog.livedoor.jp/te13/
いつも拝見させていただいています。これからも面白いトピックスをかきこんでください。
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出納帳

2007-05-02 | Weblog
ある時のこと。お店で出納帳を購入した。レジで領収書に品名を書いてとお願いしたら、若い女の子が首をかしげるだけで、すいとうちょうって何? どう書くの? その店で働くのをやめたらって思った。
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テレビ

2007-05-02 | Weblog
 テレビもなかった。6―7歳ぐらいの時に家で初めて買ったと記憶している。それまではテレビがある近所に見せてもらいに行く。そんなことがあたりまえだった。いまでは、隣近所へテレビを見せてもらいに行くなど考えられないと思うけれど。
 テレビといっても今のものとは全然違うよ。白黒で、もちろんリモコンなどなく、3メートル離れて見る。ブラウン管(画面)の前に、淡いブルーのプラスティック板のようなものを、わざわざ引っ掛けている。それを使うと、目が悪くならいとか言って。値段は月給の6,7倍以上していたんじゃないかな?家族が全員そろって一緒に見る。今のように家に何台もあるなんて、到底考えられない。恐らくその頃に月賦払いというのも定着していったのではないかと思う。今でいうローン、分割払いというやつ。でないと、そんな高価なもの、一発即金で買えるとは考えられないもの。
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携帯電話

2007-05-02 | Weblog
お父さんが生まれた頃には、家にテレビも電話もなかった。電話を持っているというか、備わっている家は、小学校の1クラスの中で半分ぐらいだったかな?学校へ提出する書類に必ず電話番号蘭に「呼び出し」という個所があり、自分の家の近所の中で、電話がある家の番号を書かせてもらっていたんだよ。子供心に何となくそれが嫌で、書類提出の時はぎりぎりまでカバンから出さなかったのを覚えている。家に電話がない、イコール貧乏な家みたいなところがあって、実際、電話を備えるのに今で言えば、3ヶ月分ぐらいの親父の給料がなければ申し込めなかったと思う。
 電話といっても色は真っ黒、指を穴にかけてダイヤルを回すやつ。それでも早く家に電話をつけてもらいたかった。結局、小学校の卒業間際に初めて家に電話がきた。
 ダイヤルの真ん中におふくろが万年筆で自宅の番号を書いた丸い白い紙を入れて、買ってきたばかりの電話台の上に置かれた黒光りする電話を見た時は、本当に嬉しかった。すぐにでも友達家へ電話をかけたいけれど、それもうれしがりみたいで、やせがまんしとった。学校への提出書類がもっとたくさんあれば、と思った.げんきんなもんやね。
 それに今度は相手の電話番号を書いておく、ちょっと分厚い番号簿を横にひっかけるようになった。今とちがって、用事もないのに電話なんかしたら怒られる時代やから、かけたいのにどこにもかけられないもどかしさ。
 時々、学校のことなんかで好きな女の子の所へかける時、「出てくれ」と願いながら、案の定、お母さんが出て声を聞けずじまい。無性に悲しい。
 携帯電話も、今から16,17年前はバッテリーが広辞苑ぐらいの重さと大きさで、駅のホームで話し出すと、誰も見たことも持ったこともないから、ほとんど全員に振り返られてなんかバツが悪かった。たまたまお父さんの勤めていた会社が早くから携帯を使ったために、それと並行して自動車電話もついていたよ。
 それでも、こんなに早く今のような携帯電話時代が来るとは予想できなかった。ここまで書いてきたように、全く家に電話がなかった時代から考えるとすごい進歩だし、その変わりようをこの目で見てこれたことは幸せに思います。
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