現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

予測、予知

2014-09-30 | Weblog

ある方が言われた。膨大なデータが記憶できる→それらのデータから何か読み解くことができるか、分析という作業がはじまる→その結果として予測を策定してみる→現実は、予測通りにはいかないことを知る。

最近は、このようなことができるので、このようなことをしないと安心できないというか、弾き出された予測というものに一喜一憂してしまう。そもそも将来、未来が予測できているならば、そんなつまらないことはないでしょうと言われる。どうなるのか先が見えている人生など、死ぬその日までの道程が見えたとしたら、それで一巻の終わりとなるだけだ。

晴れと期待(予知)していたのに、雨となれば、倍以上、落ち込むことになるでしょうと言われる。それはデータ解析結果に依存しすぎるから起こるギャップの落差だ。毎日毎日が予測できない状況が生まれ、それに上手く対応、適応させていくことを、風流に人生を送るとなるのであって、風流という揺らぎが絶えず存在することが、至極自然なことなのだそうだ。計算しつくされた人生などなく、日々、揺らぐことが当たり前。その中で答えを導き出すこと、道を発見することの繰り返しが生きることだと説かれる。

運、不運もあったろう。予測・予知があろうと山頂へ出かけた人は出かけたはずだ。天命であったかもしれない。噴火の現場から、どういう道を探しだしたか。とどまる結論、危険承知で下山する選択。想像だにできない事態、岐路と人生。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポストシーズン って、何?

2014-09-28 | Weblog

この意味って、みんな知っているの? なんかオフシーズンと同じっていうから、それで、イイか ? てな状況だ ! みんな 本当に知ってるの ? その意味 ?とか 成り立ち ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱い者いじめは、許されない。

2014-09-28 | Weblog

最近、この国の風潮というか、企業で、弱い者いじめが幅を利かせている風に感じるが、そんなことは身近にはありませんか?

強いものに抗しえないから、そのフラストレーションの矛先を、全く逆方向に向けて、すり替えている。人として許されない。それを正しいと信じているから、さらにたちが悪い。

風土、社風といったものもあるのだろうけれど。屁理屈、小理屈、その場の思いつきにはウンザリだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ政府 VS 親ロシア

2014-09-28 | Weblog

この事態を、自由・民主 VS 独裁 ととらえる図式など、全くの間違いらしい。これだと、誰もが、自由・民主が善で、独裁は悪と決めつけられてしまう。マレーシア航空機の撃墜も、親ロシア派の仕業のようにされているが、どうやらそれもそうではないらしい。そこには、裏で、USA (CIA) が、そもそもは関与しなければならない背景があったようだ。ウクライナの大統領に選挙で選ばれた、チョコレート大会社の社長だが、彼自身、親ロシアというのが、本音だそうだ。そもそも、経済人が政治を行うと、都合のいいように法律を作りかえるようで、未成熟な国家のありようで、それがさらに独裁へ繋がりかねないらしい。

どうしてか、このようなことを知らない政治屋さんたちが、この国を動かしているらしい。普通の会社なら、代表取締役を退いたら、普通は退職方向へ進むものと思うが、再度、就任したり、副社長になったり、それもお飾りでなく、はたまた、平社員に戻っても、余りある年貢をもらえるのだから、何も役員、代表にこだわらなくても、そんなプライドなどなくても、つらの皮が一般とは異なるのだから、高笑いを続けられるのであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公共ということ。

2014-09-26 | Weblog

難しいことを言うつもりはないが、たまたま公共事業といっても必ずしも万人に公平とは言えないということを述べているのを目にした。あまり深く追求したわけでもないので、さわりの部分しかわからないが、ひとつの例えが、新幹線事業だ。そういえば、そうだったと思ったことがあった。新幹線というものが出来た。それでも運賃が決して安くもなく、開業直後の新幹線に乗ってきたといえば、ひとつのステータスと言えなくもなかった時分がったように思う。ましてや、国内線であっても、飛行機に乗ること自体が、お金持ちでないとできない仕業だった。新幹線についても、飛行機まではいかずとも、同じく、高い新幹線特急料金を払える人しか乗れないという時期があった。お金がない人は、従来の特急もしくは急行、もしくはそれ以下の自分の身の丈に合った乗り物を選ぶということも違和感がないということもあったように思う。

そういう意味で、当時の新幹線事業は、厳密に言うと、公共事業に加えられたとしても、不公平な事業と捉えてかまわないという理論だった。狭い意味というか、真に公共事業という場合は万民に公平でないと、そのように表現することはおかしいと伝えていたが、なるほどと思う反面、非常に線引きが難しいものだなあと直感した。いわゆる箱モノや、何か建造物に絡むものであれば、どうしたって、それが存在する地域に、受益の恩恵に預る人々は限定されてしまうだろうし、モノを運ぶ物流の一翼を担っていると考えれば、その恩恵に預る裾野が広がるだろうし、突き詰めれば突き詰めるほど、頭の中が混乱させられるばかりだ。

自分の稚拙な頭の中では、資本主義の不平等を解消するのが、社会主義や共産主義と教えられてきたと思っていたが、どうしたら中国で超お金持ちになれるのだろうか? もちろん経済は政治体制に関係なく、市場原理に任せるという理屈だろうが、もはや政治、政府のあり方、あり様は、経済の動きとは全く別物だということが証明された、政治のありようが国民の平等、不平等にはなんら無関係だということと結論づけられたという解釈で間違いないのだろうか?

話題はスポーツに映るが、アジア大会の日本勢の活躍が報じられるが、メダル獲得数では、圧倒的に中国が断トツで、2位3位を韓国で競っているのが実態だ。何でも先進国である日本が、どうしてぬきんでるということにならないのだろう? 世界では相変わらず総合的にはUSAがその強さを意地しているように思うが。ゴルフの世界では、世界レベルでも国内大会でも韓国勢や台湾勢に安定した成績を残されてしまう。日本はトレーニングの仕方が間違っているのか、精神的に脆いのか? 衣食住に足りて、栄養補給の面ではそれこそなんでも揃うと思ってしまうが、ゴルフでは体格の差などないように思うのだが、同じアジアでも断トツに勝てない理由ってなんだろうか? (それこそ、今、話題に上る若手勢がいなければ、さらにボロボロの結果となってしまっているだろうに。) 環境が不十分なのだろうか? 指導性に問題があるのだろうか? ハングリー精神の欠如なのか? 中国や韓国は、かっての東ドイツやソ連のように、特別待遇・強化の連続なのか? そういえば国連の事務総長の椅子も韓国となっているが、日本人が就任したこともない。小さな島国の限界を感じずにはいられない。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2046という数字

2014-09-25 | Weblog

いまどきの若い世代は、クルマにも興味が薄れているし、ビールなどお酒からも遠ざかっていて、ビールの消費量が伸びないとのこと。以前にも書いたが、日本人が一番飲んでいた飲料のカテゴリーが、牛乳+乳飲料の時代が長く続いていたが、1990年ごろから、ビールの消費量が1位となり、年間約600万キロリットルに達していたと思う。国民が一番消費している飲料が、たとえビールであっても、アルコール飲料というのは少々、驚いたものだ。

それが、最近では落ち込んできているとのこと。おそらく、ビールだけでなく、アルコール系の飲料全体が落ち込んでいるのだと思う。昔は、日本酒も年間180万キロリットルぐらい消費されていたが、年々落ち込み、推定だが、恐らく現在は100万キロリットル程度ではないかと思う。醸造メーカーも、日本酒自体の味を飲みやすく工夫したり、いろいろな飲み方を提案してきてはいるが、苦戦を強いられているというか、あまりにも飲み物が多様化してきていて選択肢が多すぎるのだ。ビールだけをとっても、本当に中身が大きく異なるのかと疑問に思うぐらい、秋に飲めばおいしい、冬の鍋物とともに、春先の桜をイメージさせるものなど、パッケージのデザインばかり、目先を変え、一体どんな違いがあるのかさえわからないといったところが本当のところだ。街中のはでな看板やネオンサインのごとく、日本のビールの陳列棚は、もっと絞り込んでも、飲む人は飲むから、と思ってしまうのだが。飲まない人に、いくらカラフルなデザインをアピールしても、デザインがいいからアルコールに手をだそうとはならないと思うのだけれど。そのような状況を打開すべく、キリンが地ビールの世界にまで触手を伸ばしてきた。地ビールメーカーにとっても生産が追いつかないとのことで、いわゆるwin-winの関係の模様だが、果たしてそうなのだろうか? なんでもかんでも大手資本が乗り出して、ローカルブランドを、一律化してしまう。なんでもかんでも、缶飲料にしてしまって、どこでも味わえるのは便利かもしれないが、「味わい」 が、消え失せてしまう。

自分は父親と母親2人から生まれてきた。父親も同じく2人の祖父、祖母から。母親も同じく祖父、祖母から、合計4人。その手前では、8人の人間が関与していることになる。そうして自分を含めて10代さかのぼると、1024人が10世代前となる。そのピラミッドを構成する総人数が、2046人だ。自分一人誕生に、これらの人が関わっているのだ。1クラス30人とすると、3クラスで90人、6年生までで、540人。この規模の小学校の4校分に通学している全員が自分の誕生に関わっているというような感じだ。今のところ、思考できるのはこの辺までだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そもそも、

2014-09-24 | Weblog

神戸市長田区の事件は最悪の結果となった。情報が乏しい中、批判することはできないと思うが、捜索にあたり人目につかぬ所、人が行かない場所ということで、動員していた警察官の捜索があまり及んでいなかったということが、シンプルに不可思議に思うことだ。そもそも、そういう所を重点的にとはならないのだろうか? こんな場所にはという風な先入観でもあったのだろうか?

ホワイトカラーエグゼンプションと聞きなれない言葉だが、要するに会社の幹部の方々には残業代を支払いませんというだけのこと。ブラック企業とかで、残業代不払いが続くが、企業側が、そもそも、残業を当てにしていること自体がおかしいのであって、どうな質の労働であっても、時間外労働ならば、それに応じた対価の支払いは履行されるべき。自発的だとか、サービス。。。うんぬんで、曖昧にすべきではない。法廷での係争時には、企業側は唯一のよりどころとして、就業規則を盾に取って、対応してくるのだから、その姿勢自体が、企業は就業規則以上、以下でもだいことを如実に示しているのだから。高い納税率をかけられる国では、働けど働けど、実際の見入り金額は多くなくなるので、当然の帰結として、残業することがなくなり、いわゆる日本で言葉だけが飛び交うワークライフバランスが取れることになる。

ラジオでブラック企業と言われている社長がMCをしている番組があるが、先日ゲストが人生を語っている時の相槌が、「うん、うん」 の連発。まるで、会社の中で部下からの報告を聞いている感じで、非常に耳触りだった。正直、その方に品格を感じたが、種類は下品格だった。端的に言えば、品性のなさを感じさせられた。「一体、あなたは何様?」 という思いが生まれ、非常に不快だった。おそらく、これはおそらくだが、そのゲスト自身の方も、そうのように思いながらも公共放送で流れているため、そのまま語り続けられたのだと推測するが、これはあくまでも小生個人の推測ゆえ、本音のところはわからない。

最近は価値観が多様化、多数の意向を聴く、少数の意見も採用しないと、などなど。すべての周りの言葉を集めるのは悪くはないが、さらに発せられた見解に、ありとあらゆるコメントを加えていくのもいいけれど、結局は、一番初めに何がしたかったのかわからなくなってきてしまって、議論したこと自体だけに有意義うんぬんで締めてしまう。これじゃなんのために時間を使ったのかわからないし、なんの新しい一歩も踏み出さない。

「そもそも」 ということで考えた場合、すでにやるべきことがある程度、明確になっていて、あとづけで、ごちゃごちゃ言い合っても仕方ないじゃないのと思うことが多々ある気がするが、どうだろうか? たとえば、例としてふさわしいかどうか、あたりさわりが少ないところで、運動会の順番づけがどうのこうのとか、運動会はそういう機会だから、本当に順番づけが嫌なら、本人の気持ちを聞いたうえで不参加とすればいいと思う。人生、いくつも順番づけがあって、運動会だけじゃない。

もし、日本が現在のシリア空爆に出撃していたら、国の中がまとまるのかなと思ってしまう。まとまらないのを恐れるから、参加しないのだと思うけれど、決して武力行使を容認しているわけでない。しかしながら、丸く収めたいと思うだけでは、何も解決しないと思うし、はっきりと堂々と考えを述べることが大切と教えることは、この国では必要と思うが、いかがなものか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆりかごから墓場まで

2014-09-23 | Weblog

このフレーズは、教科書にも載っていた。イギリスの福祉制度を紹介したときに使われていたフレーズだ。社会人になって、北欧では税金も多くとられるが、もっと福祉や教育、医療などサポートが充実していると学んだ。それについて高福祉について、今でも、そこまではと、主張される人々も多いが、今のような中途半端な福祉状態でも、決して良好とも思えない。ずばり言えば、もっと税金が高くても、言葉通り、ゆりかごから墓場まで、きちんと面倒みてくれる国家、体制の在りようのほうが、幸せな気がする。特に、日本では、納めてきた税金が、決してまともなお金だけに使われているのでなく、非常に無駄が多いことが、誰しもわかっている。

高齢化社会に向かっているのであれば、特別老人ホームに何十万人もの待機状況を作るようなことはせず、即刻、待機状態ゼロにすべく、なんのためらいもなく決行すべきと思う。それに対して、ああだこうだの議論は不必要と思うが。予算? ねん出できるでしょ。

政治家の日々の海外遊説含め、日々の行動、官僚の生計費用、すべて税金なのだから、湯水がわくがごとく、ということはやめてもらいたい。徳川のお上社会、お上意識作りからいつになったら抜け出せるのか?

偏見かもしれぬが、はやりのユニットを卒業した、M.A子、や、O子など、ひとりになって、ようはこれといったタレントがないから、ステージ上で、単におしゃべりばかりして、くだらないことをひたすら会話している風にしか見えない。歌が飛びぬけて上手いわけでなく、話芸があるのでもなく、たんに自分の今の心境などを語っているだけ。そうこうしているうちに、MCアシスタントばかり、やるようになるんじゃないの? どうなってるの! この世の中は!

人間は火を使うことができるということが、人類の歴史、進化として大いに意義があると学校でも教えられてきたが、火を使って温めるといった行為よりも、はるかに難しいのが、冷やすといことなのだそうだ。170億年前に宇宙で起こったビッグバン、という大炎上から、以降、ずっと、クールダウン、冷却の歴史でもあるらしい。このまま何億年していくと、いずれは、地球自体が冷却して宇宙の崩壊が決まっているようだ。

冷却するために、北極圏などから氷を切り出し、わらにくるんで船で運び、財をなした人もいるようだ。電気仕掛けの冷却システムが発明される以前は、このような自然の氷で冷やすという行為しか対処方法がなかったとのこと。70億人のうち、50億人以上が、まわりに氷など自然に利用できない土地に暮らしているらしい。宇宙の爆発から、チリができ、原子がdき、分子となり、大気、海水、水、生命の誕生、人間が生まれる。と言われても、最初の人間はどうして誕生してきたのだろう?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア

2014-09-22 | Weblog

台風16号がフィリピン・マニラで大雨災害をもたらした模様だ。1メートルぐらい冠水している。台湾での雨量もすごいようだ。

昨夜、韓国セウォル号で一体何が起きていたのかの証言を集めて紹介していた。そもそもの出港決定から、積荷の分量、バラスト水、乗組員の陣容までずさんな状況に思える。特に、事故後の船長が何も指示をださないどころか、自分自身がうろたえるばかりとは、船乗り失格だ。一等航海士と機関長? 倒れている乗客をしり目に、一人は缶ビールを飲んでいるし、もう一人はタバコをふかしている。なんでこんな状況の時にと目を疑う。彼ら二人が一番最初に救助されたとのこと。あり得ないでしょ、という状態だ。海洋警察が現場にいるのに救助しないのだから、言語道断だ。彼らが、もう少しでも行動していれば、あと何十人の生命が助かったことだろう。今回の放映内容が、録画したものでもいいから、韓国内でも放映されて、何が起きていたかを韓国国民へ知らせるきっかけになればと願う。事実が何であったかを知りたいだろうから。100%事実かどうかは別として、問題提起にはなるだろう。

円安が進み、物価が上がる。中国を含めて、北海道のニセコのリゾート物件など、外国の方々が投資しやすいということで、潤うようだ。どうして、日本国民が苦しめられて、外国に便宜をはかるような事態がいい、いいと、いつも声を強めてきているのだろう。円高になると、円高不況とかいう言葉を振り回して、輸入品の物価がさほど下がらず、その時の言い訳が、在庫が無くなればどうのこうのと、のらりくらり。円安になると、すぐに価格の値上げが始まる。今度こそ、円高になった場合に、同じことを言うようなことはやめようねと言いたい。円高、円安という表現がおかしいのであって、円の評価・価値があがった、下がったと、はっきりいいなさい。もしくは、円強、円弱という表現に変えるべきだ。アジア大会の結果ではにが、誰が強いより弱いほうがいい、などという人はいないだろうに。

ヒストリーチャンネルで、1960年代、70年代の日本車が紹介されていたが、個性豊かな、こんなデザインも日本人が作れるといった名車ばかりが集められていた。その道のプロの方々も、一番、輝いていたと認められている。なんで、そのDNAが途絶えてしまったのだろうか?トヨタ2000GT、マツダコスモスポーツ、ダットサンフェアレディ、プリンススカイライン、パブリカスポーツ、コニーという車種まで出てきたが、そういえばあったなあという思いだ。自分自身に先見性と余裕があったのなら、ビンテージのコレクションなどできたら素敵だろうなと、いっときだが、夢だけは持たせてもらった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の終わり

2014-09-19 | Weblog

エアコンを止め、窓を開けるだけでも涼しい時節柄となってなってきたが、そのため外の騒音がうるさく、目を覚まさせられる要因が増えた。道路を走る車の音、2サイクルのバイクが、断続的にやってくる。台車のようなものを引きずる音、空き缶や空き瓶をいじっている音。人の話し声、静寂の中だと余計に響く。夜中に騒音でなくても、音を立てることに無頓着のような気もするが。しかたないから、窓を閉めるしかないか。

眠りが浅いというか、寝ているのか目が覚めているのか、自分でもわからない。20歳前後の出来事が次から次へと映し出さずともいいのに、勝手に映写機が回るがごとく浮かび上がる。思いだしたくないこともあるのに、そうだった、そうだったというが如く、蘇る。これって寝ているのか、夢なのか、かといってエイッとばかり起きるという事態にはならない。

世間様のほうでは、相変わらず、取るに足らないことを大仰にマスコミが取り上げて、相手からの回答など予測できるのに、しつこく聞いている映像が流れる。そんな中、スコットランドのイギリスからの独立については、結果はどうであれ、シンプルにアクションが早いことに、潔さを覚える。先のことが全て決まっているわけでない中、右か左かの決断を委ねる。思い切りの良さがいいと思うけれど。日本だとおそらく、投票自体にまでもっていけないだろう。騒ぐだけ騒いだ後の結論として、先送りとする図式が透けてくる。

取るに足らないこと、氷山の一角であることは承知なのだから、もっと本質にズバッと切り込む姿がどこにも見られない。話題提供だけできればいいという風だ。残念ながら。

今まで関心がなかったわけでないが、永く続けることができなかったことに、サプリメント服用だ。ちょっとしたきっかけで、亜鉛不足という懸念もあり、つい最近、今の時代、どこにでも亜鉛を補うサプリがあることがわかった。別にそんなに高いものでもないので、しばらくは続けて見ようと思っている。まあ摂取過多ということにはならないだろうけれど。あらためてサプリメントの売り場を見て、たくさんの種類がディスプレイされているので、再認識させられた。もしかして、これらのサプリだけを摂取していても、十分生きていけるのではないのではないかと思うぐらいだ。TVコマーシャルで、サプリなどは、その効果を実感しています、とPRしているのがほとんどだが、実感できるぐらいになりたいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本列島改造論・平成版

2014-09-18 | Weblog

いまいち、よくわからない物言いが、日本は国債の発行が止まらず、要は毎年、借金借金の繰り返しがあるが、個人資産がそれに見合うだけあるから大丈夫だとかで、ごまかされる。本当にそんなことが言えるのか? いまいちどころか、全く以って、その理屈がわからない。個人的見解だが、このままいけば、ギリシャより大変な状況に陥ってしまうのではと強く危惧しているのは、小生一人ではあるまいと考えてしまうが、どうだろうか? なんとかミクス、何番目の矢がどうしたこうした、とのんきに言っている場合ではないと思うが。高齢者と公務員や政治屋ばかりの国になってしまっては、国の体すらなさないのではと思う。

昔から、遷都というか、皇居を京都へ戻したらどうかと考えている。それが無理なら、例えば、教育・文化は関西圏へ、金融・経済は中京圏へ移行させ、もう東京圏への一極集中をやめるべ時期にきたのではないか? それと並行して、今の県体制から、もうひとまわり大きく、自治体の再編成をすればいい。(名前は道州制でもなんでもかまわないから。) そうすることにより、無駄と思われるリニアなどの超高速移動手段の意義も生まれてくるのではないのか?

東京圏にあることが効率的とばかり、そこにしがみついていては、何も変わらない。変わらないのでなくて、あえて変えるのだという姿勢に転換しなければ、真の意味の活性化など誕生しようがない。まあ。今の、なんとかミクスの指導者では、所詮無理なことだと思うけれど。

このように、いわゆる、ドラスティックと表現できるぐらいのことをすべき時期にきていると直感するが、いかがなものか? 新たな文化圏、経済圏、などを創造していくべきだ。小手先の改革ではすまされないだろう。他国が、大統領に加えて、首相制度を併用させたり、欧州に代表されるようにEC創設や、共通通貨を発行させたり、大胆かつ新しい価値観を生んでいるのに、徳川時代と同じように長く長く1制度にしがみついているのは、日本と共産主義国だけだと思う。徳川の300年が、国際的な遅れをきたしたと小生は常に考えている。

地方へたびたび出張されるビジネスマンの方々はわかっているはず。1時間半や、2時間もかけて、それも満員電車で通勤して、なんら文句の一つも言わない状況がみられるのは、東京圏だけの話で、地方へ行けば、地下鉄すらないところが多いのだから。優先席をめぐるトラブルなどがまるで、全国各地であるようにマスコミ報道されるが、ほとんどは東京圏での問題であって、根本原因は一極集中していることにある。色々な機能が分散すれば、地方の価値は上がるし、異常な東京圏も、損をする人は出るが、クレージーな社会構造は自然と是正される。40年間も、ひたすら満員電車で過ごすことに疑問を抱かないほうがおかしいのだ。

瞬間移動できるような交通手段だけの開発そのもだけが、目的になっていいいのか? そんなすばやい手段があるなら、何も一所(ひとところ)に、かたまっていなくてもいいはずでしょ、と言いたい。

コンビニで売れ筋おにぎりランキングをやっていたが、出てくる種類が東京圏で売っているものばかり。おかしいでしょと言いたい。新聞はまるで朝日と読売ばかりだが、すべての地方では違う状況もあるよと言いたい。

そろそろ平成の角栄さんが出現してきてもおかしくないんじゃないの!?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見栄を張る。

2014-09-17 | Weblog

地震があった。予知警報は出なかった。首都直下地震に繋がっているものかどうかの質問。可能性はなくはない。これから先、大地震の予兆か? それは全くわからないとのこと。想定外はだめなどとよく言われるが、現時点で、すでに何も想定できない状況だ。地震の超プロの言葉にして、正確な地震原因などわからない。世の中、そういうものだ。

朝日新聞問題。先の細胞問題と同じく、事実がなんだったのかが見えてこない。政府も官房長官談話についても見直す、見直さない、宙に放リ投げたままだ。よく中国、韓国で日章旗を振り回す輩が写し出されるが、果たして日本人自身による行動なのかの検証が報道されない。(自国によるやらせが、専らのうわさだが。)

一方で情報化が進むなか、わからないことだらけ。意図して隠しているのか。真実か、嘘か、噂か、憶測か。行方不明者の情報ですら、確実なのだろうか? 点と点がつながらない。

振り返れば、自分が10代後半から30代前半ぐらいまで、わからないことを素直に人にたずねられただろうか? 限られた少ない自分の独断だけの意見を吐いていなかっただろうか?まあ、そんな中でも、比較的わからないことをそのまま放っておくのが気持ち悪かったから、尋ねたほうだと思うが、それでも尚、自分大切で、見栄を張っていたように思う。独断と偏見かもしれないが、現在の20代を見ていると、なまじっかITがあるため、知ったかぶりが、自分の頃よりも多いのではと思ってしまう。わからないことが、わからないと感じる時もある。生身の人間から教えてもらうほうが、はるかに面白いのに、人からよりもPCから学ぼうなんてしていないだろうか? 自分はここが、これが、わからないですと、自分を1段階低く、落とす術を持っているのだろうか? かく言う自分も結構な突っ張り屋だったと思うが、全然、物事を判断するに、材料があまりにも少なかったことに今になって気づく。

見栄、意地、肩肘、全く張る必要なしだ。

気のせいかも知れぬが、欧州、南米アメリカ、中近東などの、様々な様子が紹介されるのを見るにつけ、「日本は自然豊か」と言われるわりには、逆に、「コンクリートジャングル」に加えて、「制約」・「しばり」の数々で、本当の意味で、「自然」 「自由」 とは縁遠いなあと、どこがどうのこうのとかじゃなくて、思ってしまう。大声で、「もっと自由に」 「もっとのびやかに」 「もっと自然に」 と叫んでしまいたい強い衝動にかられる。教育も、関わる者たち全員が、そもそもの発想、思考から、もっとのびのびと、物事を考えてみなければ、何も変わっていかないよ、と、伝えたいし、みんな教育者としてプロであるなら、世の中の空気や、この国の閉鎖性や、島国根性や、民族の歴史など、高いIQをもって学んできたのだろうから、1石どころか、100石でも、1000石でも、何百万という石ころでも、投じてみてよ。格好などつけなくていいから。見栄など張らなくていいから。世間体など考えなくていいから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バッテリー(蓄電池)

2014-09-16 | Weblog

米国の家電製品を取り扱っていたが、バッテリー(蓄電池)には苦労させられた。コードレス(充電後)でも、コードを付けた状態でも、どちらでも使用可能と謳っているのに、コードを付けているにもかかわらず、使用中に停止してしまう。(コード・コードレス共用とPRしているにもかかわらず)

当時から、充電が必要な製品については、大きなポイントが、バッテリーの性能だった。充電後の使用時間の長さも大切だが、どれだけ短時間でフルに充電できるかも大切だ。その当時も、充電式のクリーナーなどあったが、いざ使用しようと思った時に、充電をうっかり忘れていたりすると、充電完了まで待たなければならない事態に陥る。それゆえ、今は、常時充電しておくような壁付けタイプなどになっているようだが。

ガラケーからスマホに変えてから、やはり充電を頻繁にしないとだめだと痛感させられる。来年アップル社から、アップルウォッチが発売されるとのことで、注目を浴びているが、デメリットのため、知らされていなことが、フル充電で、1日使用可能ということで、毎日、充電しないとだめだということだ。現在、すでに発売されているアンドロイド系のウェアラブル製品も、時計表示も常に表示すると、それだけバッテリーが消耗するため、時間を見るためには、都度、ボタンを押すことになってしまう。普通の一般的な時計のようなわけにはいかない。また、そもそもスマホ本体との連動しているという前提があるため、メールの通知機能があっても、実際にメールのやりとりは、スマホ本体や、別のPCで行なわなければならないケースのほうが多いのではと推測する。小生の個人的な見解だが、時計メーカーなどの多機能なデジタルウォッチのほうが、はるかに実用性は高いと考えている。(実際、毎日必ず充電が必要ということは、かなりのフラストレーションにつながるものと確信しているし、実際そのように感じさせられている。)

日産の電気自動車のコマーシャルで、クルマで充電した電力を家の中で使用可能と謳っているが、そんなことをしていたら、いざクルマを使おうと思ったら、バッテリーがフル充電になっていないということになってしまったら、本末転倒だと思うのだが、どうして、そんな所をメリットとして紹介するのかがわからない。停電時に便利ということでもあるが、非常時にはクルマ本来の使い方も必要となるはずだから、やたらめったら、電力源として使ってはだめだろう。むしろ、非常用のバッテリーや、発電機のようなものを準備しておくほうが、はるかに現実的と思うが。

20、30年前と比べると、バッテリー(蓄電池)の性能も、コンパクトでも長持ち、充電に必要な時間も短縮化されていると思うが、充電後の使用量を十分にカバーできるレベルには達していない。それだけ難題なのだろう。

50年前に、「流星号、応答せよ。」と、スーパージェッターが腕時計型端末に向けて、話しかけ、無人の宇宙船が飛んでくる。30秒間か1分間か忘れたが、時間の流れを一時停止させる。

無人運転の自動車が登場間際にある。ウェアラブルな端末もある。見かけだけは近づいたが、夢のレベルまでには達していなさそうだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

損か得か、うそかまことか、

2014-09-12 | Weblog

デング熱のデングって? と思ったら、単にウイルスの名前がデングウイルスということだった。

自分自身の社会人経験の50%が、夏場の飲料の販売量に左右される業界に身を置いていた。もちろんライバル企業との競争や、差別化をどう打ち出すか、価格設定など、いろいろと企業業績を向上させる目的で、戦略、戦術はあったと思う。そうであっても、一番の影響要因が夏場の天候だった。当たり前のことだが、冷夏であれば、総じて冷たい飲料に手が伸びないのだから、販売量は自然と下がる。暑い夏が続くと、今度は逆に、何もしなくてもどんどん伸びる。現金なもので、暑い日が数日続くだけで、品薄となるため、緊急オーダーがすべての得意先から一斉に入る。それだけ、誰も予測してなくて、十分な在庫など持っていないことを如実に表している。気温が高すぎても、購入される製品が異なってくると分析上は細かく、とやかく言う人、言う会社があるが、所詮、そんなことは大勢とは関係ない。晴天で暑い日が続けば、どんな飲料でも売れていくのだ。お茶が売り切れていたら、水でも辛抱するし、サイダーでもOKだ。その瞬間にのどの渇きを潤すことが最重要なのだ。何度だkら、アイスクリーム、何度だからかき氷などと、ごちゃごちゃほざいてみたところで、それが一体何になるの!? ということだ。非常にシンプル、天気がよければ、飲料の消費は伸びて、それに関わる企業も、その時は潤うということなのだ。

こういうことは、企業のトップを含めて全員わかっていることなので、冷夏で業績が落ちた時に、社内で、堂々と天候が悪かったということがまかり通った。こればかりは、人智で、どうしようもないことだ。晴天の時もあれば雨天の時もあるということ。悪い時もあれば、良い時もある。通常気象であれば、なんら大きな狂いが生じないのに、異常気象ならばいたしかたない。というような状況のなかでの長年の社会人生活だったため、どうしても短期的に一喜一憂する会社や、人様には、ついていけない。悪い時があるということは、良いことも、その次にはやってくるという証だ、ぐらいに、考えればいいじゃないの! と、思える程度の、余裕を自分は示したいと思っている。

いろいろなジェネレーション(世代)があった、ある。1995年のネット社会のスタートにより、日本のような島国でも、多様な価値観がある、それを認めざる得ない、受け入れていかねばなるまい、となってきて、まだまだ十分ではないが、昔より、縛り、束縛がなくなったような気がする。いろんな若いスポーツ選手がでてくるのもしかり、錦織選手などは、決して日本国内のトーナメントで鍛えられたわけでないから、米国でしっかりと米国式のトレーニングを積み上げてきた結果だから、単に国籍が日本ということで、日本システムの素晴らしさの反映でもなく、むしろ海外に出ないとだめなんだとい側面もあぶりだしたといってもいいのではないだろうかとさえ思っている。

今回の一連の朝日新聞にまつわること、決して、その時代のひとが引き起こしたわけで、その時代、ジェネレーションの者たちが、どういう価値観、環境に身を置いて、処世してきたかを示しているのだ。社内での出世や、周りの旗色、ご機嫌ばかりを気にせざるを得ない世代、価値観といったことも、あながち無関係ということでもなかろう。戦前でもなく、戦中でもない、戦後直後の世代連中が、背骨を持たず、中途半端な平和ボケの中で、NO.1でなくてもいいから、ONLY ONEになりたいと唱えつつ、人の目ばかりを気にして、確固たる信念を持たず、事に処してきたということもありはしないか? 自分自身も、同じ時代に身を置いた一人として、くやしくてしかたがない。

損か得か、人間のものさし。うそかまことか、仏さまのものさし。(相田みつを) より。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PB vs NB

2014-09-11 | Weblog

約30年前ぐらいは、大都市ではコンビニ出現で、いろいろと話をしていた。コンビニで売っているものは割高だし、スーパーで買うほうが経済的だ、緊急で必要なものが出来た時以外は利用しない、品数が限られているし、とかとか色々言っていたものだ。また、大都市ではまだ店舗を実際に目にするので、そういう会話も成り立つが、地方都市では店舗すらないのだから、コンビニ論議が逆に腹が立つといった思いもしたものだ。この市場についても、様変わりしたものだ。ケータイやスマホと同じように、周りになければ、不便きわまりないといった会話などを耳にすることもあるぐらいだ。コンビニがあって当然みたいなものがある。

最近のスーパーでは、PB(プライベートブランド)製品が、そこそこ幅を利かせている。こちらも、流行した時期(やはり30年前ぐらい)があり、安くて消費者目線となったものだが、結局のところ、品ぞろえが限定されるので、消えていった。ここにきて、ひとつの市民権を得た風なところもあうが、今後、どうなっていくやら。根本的なところから言えば、納品しているメーカーからすれば、あえてスーパーブランドなど作らず、自分のところの製品をそのまま売ってくれればいいのにという思いが基本にあるはずだ。

PB(プライベートブランド)という言葉も、日本での造語で、英語として通じないと理解している。当時、イギリスでは、Owner's Label (オーナーズ レイベル)と呼んでいた。言葉は変遷するので、現在も、このような呼称を使用しているのか定かではないが。その後、OEM (Original Equipment Manufacturing / Manufacturer) という言い方に日本でも変わってきているが。日本で、PBに対抗する言葉が、NB (Natinonal Brand) となっている。このNational Brand という言葉も、なんかわかるような、わからないような言葉だ。各メーカーの独自製品という意味では、そちらのほうが私企業のブランドということで、逆にプライベートブランドとつけるほうがいいような気もする。それに対して、はっきりとスーパーブランドとかショップブランドとか言うほうが、はっきりしてわかりやすいと思うが、一体だれが、PBという表現を始めたのだろうか? その意味合いは何だったのだろう?

いずれにせよ、時代とともに変遷していくことを、特にここにきてスピード感をもって感じさせられる。PCの操作方法と同じように、あまりこだわらずに、すっと流しておくほうが、フラストレーションが出ないかもしれない。PCと共に、自分がフリーズしてしまっていることに気がつかないと、前へ進めない。

是非はともかく、8月6日に広島へ原爆が投下され、その実態についてわからないというおともあったろうが、その時点では何もアクションせず、9日に長崎へ原爆が投下されてから、降伏を決断していく。福島の原発事故が起きて、どこか別の場所で、同様の事故が起きたと推定した場合に、今のような、「しばらくは起こらないだろう」前提のもとでの、避難経路についても他人任せの状態を放置するというような、甘い判断とはならない気がするが、どうだろうか? 1回目だけだと、真剣にならず、2回目が続くと、真剣になるみたいな、楽観的に「まあ、いいか」的に、考えているふしはないのだろうか? 今、再稼働しか選択肢がないみたいな空気感を作ろうとしているが、非常に単純に、もういちど同じ事故が起きても、同じことを主張できるのですね、と念押しををするという、シンプルな発想はできないものだろうか? 「ここの部分をもう少し固めなきゃ」という観点があるのなら、それを押さえてからでも遅くはないような気がするが。本田宗一郎は、ケンカを怖れるな、ケンカ、意見の衝突を避けるな、と言っていたらしい。事なかれ主義か、付和雷同主義か、当事者意識の欠如か、責任逃れか、面倒くさがりなのか、とことん、徹底的に議論することに予算を使うことには誰も文句は言わないと思うが、しょうもないことに浪費するぐらいなら、必要なことには無制限に金をつぎ込むぐらいでどうなのか? その結果、大きな収穫がくるように思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする