小学校から三権分立ということを勉強する。さらには、犯罪者など裁判にかけられ刑が確定されたとかを報道される。にもかかわらず、再三再四、一票の格差や違憲判決が最高裁で下ったということが報道されても、行政府や内閣、与党、総理大臣が特に何をするわけでもなく、司法が下した判決に従う気配もないし、従わなくてもいいような参考意見程度かと錯覚する。こんなことがまかり通るならば、みんなが裁判所の判決になど、おとなしく従わなくてもいいじゃないの。国民だけに身を切るだけの改革などいらない。よくわからない。
アベノミクスという造語。おそらくだけど、海外でこのことを演説するにあたり、海外では特段、持ち上げていない事柄と思っている。国内だけで、この単語ばかり先行しており、そんなに特別なことでもぶち上げたのかと思ってしまうが、ようは紙幣の流通量を多くして、公共事業を従来通りに増やしてきているだけだ。造幣局の印刷だけ増やしたところで、それが国民に回ってくるわけないし、税金だけを使っての仕事にぶらさがっているところは潤うだけだ。これだけのことを通用しない言葉、アベノミクス、アベノミクスと叫んでいるだけで、世の中、それほど良くなるほど簡単なことじゃない。これだけで良くなるなら、今までの内閣でもトライしただろうに。よくわからない。
選挙。アベノミクスに対する評価ということが争点なら、ほとんどが実感できていないだろうから自ずと答えは、NOとなるのだから、自民に厳しくならないといけない結果でないとおかしいが、実際は、投票率の低さで(60%もいかないだろうが)、同じことの繰り返しとなるのであろう。特にわからないのが、比例復活当選なんていうものがあって、ゾンビのごとく、一度はふるいにかけられ、落選という第1の矢を突き付けられたのに、復活の第2の矢でもって、めでたく再浮上してくる仕組みなんて、おかしいんじゃないの。よくわからない。
消費税8%の時もそうだったが、5%から8%ゆえ、その差は3%なのにあたかも8%そのものが引き上げられるがごとくのたきつけよう。今回も10%というものの、すでに8%だから、その差は2%。そのかわりに、いろいろな形で国民へ還元される明確なものをはっきりと示してくれるのであれば、少なくても現状より、ましになるのであれば、そちらを選択するだろうに。なんかわざわざ、2%を取り下げることで、国民に恩を売るがのごとく、まやかしの政争の具に使われている気がするが、よくわからない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます