現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

スバル360

2013-10-25 | Weblog

ダイハツ ハイゼットの次にきたのが、スバル360だった。このスバル360の時に初めて新車の車を経験することになった。それでも当時は、デラックス仕様とスタンダード仕様が明らかに違うところがあって、当然ながらスタンダードであるから、なんとなく簡素な塗装で、一見して安いバージョンとわかってしまう。いわゆるタイヤに、デラックスにはある白い帯がなく、地味なのだ。現在はほとんどすべての車が、ホイールに凝っているが、タイヤそのものには、そのような白い帯が入っていないのが普通だ。むしろそんな白い帯が入っていたら滑稽なデザインに写るのではないかと思う。

やはり今思えば、裕福であって、保管場所などあれば、ずっと保有していたら、すごくプレミアがつく代物だと思うが、そんなエクストラの物を何十年もの間、保有することなど考えも思いつかない懐具合だった。

ご存じの方は、デザイン的には、なんとなくビートルのような、趣を醸し出している。当時は格好がいいとは思わなかったが、後から振り返れば十分に個性的であり、ノスタルジアの抱く逸品だったと振り返っている。

 

 

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ダイハツ ハイゼット 360

2013-10-24 | Weblog

マツダクーペ360の次に、乗った車が、ダイハツ ハイゼット 360 (中古車) だった。先のマツダクーペも中古車だった。マツダクーペの車体の色は、少し淡い青色というか水色だった。ダイハツ ハイゼットは、クリーム色。4人乗りで、後部座席のの後ろが荷室になった、いわゆる軽自動車のライトバンだった。現在は、ライトバンのスタイルも軽自動車のスタイルとして当然のごとく、広く認められ違和感なく浸透して定着しているデザインであるが、45年以上前の時代では、ライトバンのデザイン=商用車、業務で貨物を運ぶ必要があるためにデザインされているという考え方で、どうして一般家庭で普通の乗車を買わないのかと不思議に思われる時代であった。(単にお金がないから、そういう車しか買えなかったわけであるけれども、車を所有していない人や家庭のほうが圧倒的多数であり、持っていない人たちから、とやかく言われる筋合いはないのだけれど、まあ、当時は良くも悪くも他人と言えど、絆が保たれている時代であり、今のような「事なかれ主義」「無関心」「関わりたくない」時代とは、一線を画す時代であったことは事実である。

そうそう、趣味がラジコン飛行機で、週末にそれを積み込んで出かけるので、そのためにライトバンにわざと選んだと都合よく言い訳しておりました。

長屋であったが、お隣さんが電機関連会社を経営されている様子で羽振りがよく、その当時でも600~800ccクラスの、自動車を持っておられえたので、都度、比較されて、「ああや、こうや」 とかく言われることが多かったと記憶している。

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マツダ360クーペ

2013-10-22 | Weblog

1965年に、家にはマツダ360クーペという自動車を保有していた。当時は、ほとんどの普通の家庭では自動車を保有していることがないと言っていいのではないかな。

いわゆる軽自動車(当時は360cc以下を軽自動車と呼んだ)で、2ドア、窓ガラスは素材がガラスでなくて、アクリル板のようなプラスティックでできていた。そのため、傷がどんどんついていく。まるで窓に雨が流れているかのごとく。

2ペダルだった。トルコンと呼んでいた。クラッチなく、ギアはロ―とトップのみ。アクセルを緩めてギアを入れ替える。

エンストでエンジンがかからない時は、クランクシャフトをクルマの外に出て、突っ込む穴があるから、そこから入れてぐるぐる回す。運がよければかかる。

土地も金もあれば、今思えば、残しておいたら貴重なコレクションのひとつだと思うけれど、当時はそんな余裕ないし、また、ガタがきた車なんぞに乗りたくもないから、早くいい物に買い替えてほしいと思うのが本音。

 

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心(姜尚中)

2013-10-18 | Weblog

生まるるに時があり、死ぬるに時があり、

植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

殺すにときがあり、いやすに時があり、

こわすに時があり、建てるに時があり、

泣くに時があり、笑うに時があり、

悲しむに時があり、踊るに時があり、、、、、、(伝道の書)

オリジナルとして加えるに、

耐えるに時があり、待つに時がある。 (自分流)

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(続き)想定外

2013-10-17 | Weblog

最近はツイッタ―とかで、短くなんでも批判する輩が想定以上に多数いて、正義感ぶった意見も多いが、曽野綾子の地震や原発関連の発言の主旨を理化するには、少なくとも記述し著書の1冊は読んでからでないと正しく批判できないのではないかと思う。マスコミなどのニュースで取り上げている表に出てくる発言は、ほんの一言部分に過ぎず、森を見ずして、1本にも満たない木だけを批判していても的を射たコメントになりえない。それと、実際に戦争というものを経験したものにしかわからないことはたくさんあり、経験していない者は、まず謙虚に自分がその境遇に置かれたら、自己責任でどこまで本当に行動できるのかを推測することは重要だ。恐らく今の日本人のほとんどは、そんな強さを持っていないと悲観的に考えるのは自分だけだろうか?ツイッタ―の中では、いくらでもだれでも勇ましいことは無限に述べられるが、よく吠える犬がごとく、実際の場面となれば一番役立たずの人間になりさがってしまうのではと老婆心ながら危惧する。戦後の焼け野原で、仮設住宅など叫んでも誰も建ててくれない時に、理屈ばかり言って生存していく力はあるのか?

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想定外

2013-10-09 | Weblog

作家 曽野綾子が自著で、現場・地元の人が「想定外」と言っているのに、TVの識者が口々に「想定外」と片づけてはだめと語っていることに、憤りを覚えると書いているが、「その通り」と思う。

また最近の日本人のマニュアル志向や、臨機応変に対応できない、逆に「確認をとったの?」と追及される主体性、自主性の欠如に対しても警鐘を鳴らしている。「自己責任」という概念が欠けていて、「すべてが誰かのせい、行政が悪い」となり、同じくTV関係者もそれに呼応するかの安全圏に自らの身を置いての、過激な発言(本音の発言)を避ける。

そんな他己主義がまかり通るような現代を嘆くが、「その通り」と思う。

 

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アップデート

2013-10-09 | Weblog
いろいろな人のブログを見ると、みんな毎日何かのコメントを書いたり、必ず写真を添付したりしていて、正直スゴイなと感心することしきりである。
さらには書いてあることが、すごく冷静なことを掲載していてように受け取ってしまう。
小学校や中学校の時に日記を書けなどと言われたら、嫌で嫌でしょうがなかったと記憶している。
現在、そこそこの都市の大人になって、その頃の性分までPCによって変わってしまったとは
到底考えられない。そう思うのは俺だけだろうか?

なんとなく、30歳を超えた大人が自分のことを「僕」と呼ぶのをみると、虫唾が走る。
80歳になる前某知事さんも、TVの中でよく言っているが、違和感を感じるのは俺だけだろうか?

公の場では、「私」と言いなさいと教えられてきたように思うが、「僕」といういい方が
なんとなく子供っぽい。西のほうの市長さんも堂々と使っているが、たとえば学校の先生が
そのように自分のことを表現するところを想像すると、しっくりこないと思うけどどうだろうか?

また、60歳にもなろうという者が、ブログの中で自分のことをファーストネームで書きこんで
いるのも気持ち悪い。

今はなんでも有りの時代だから、なんでもいいのかなあ。。。
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