現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

長い髪の少女

2015-10-30 | Weblog

グループサウンズ、ゴールデンカップスの代表曲。あまりこれ以外、知らないが。メンバーの一人、ミッキー吉野。グループに入った時、16歳だったとのこと。グループ解散後、ゴダイゴのメンバーへ。4歳、6歳ごろから、いやいやながらピアノを習わせられてたのこと。ゴールデンカップスの場合、リハーサルというものもなく、ぶっつけ本番。曲も知らなかったらしいが、KEYのコードがわかられば、なんとなくついていけたとのこと。毎回、アドリブばかりだったとのこと。まるでジャズ演奏のようだが、そんなに難しくもなかったので、至極、当然という風に語っていた。その後、渡米して、音楽三昧の生活後、ゴダイゴになっていくらしいが、学校が嫌で、中学にも高校にも、大学にもすべて、中途で終わったとのこと。自分よりも年上で、自由奔放に生きてきている。自分でもそうだったと認めているし、今年からゴダイゴも再度、コンサートツアーを始めたとのこと。

なんでそうした生き方ができてきたのか? 自分には全く無縁の世界、環境だから、想像しようもない。今もすごく幸せそうに思えるし、型にはまらず、素直にうらやましいと思うが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

習近平

2015-10-26 | Weblog

チベットや、ウイグル地区で、中国側は現在もなお、弾圧や殺戮を繰り返しているとのこと。

現政権になって、さらにひどくなっているとのこと。

現在進行形の国から、どうして南京がどうとかこうとか言われる筋合いがあるのか?

苦しめられている民族の人たちが、日本に救いを求めてきているぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無難

2015-10-22 | Weblog

石破議員が、インタビューを受けていたが、総理になりたいと思ってもなれるものでないから、なりたいかどうかということよりも、どんな政策を進めるかを表明する云々カンヌン。

例の調子で、抑揚なく意見を述べる。

こんな無難なことしか言わない者を、日本国民として誇りに思えるのか?

まずは、なりたいという強い気持ちを、どうして正直に投げかけないの?

無難な調整役、敵を作らない、こんなことばかりに神経を使っていていいの?

日本も、大きくチェンジしてもらいたいけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPP日本は本当に自国の主張を貫いたのか?

2015-10-10 | Weblog

到底、そんな芸当をやってのけたなどと思えない。

欧米人の考えの中に、露骨に自分の世代でなければ、という考えが根強くある。さらには、遠く先には、当たり前だが、情勢が変わっているので、その時にまた考えればいいという考えも露骨にある。それらを前提に、目先の自分たちの利益にかかわることには譲歩しないので、結局、きつねに包まれた形で、合意をさせられるのが、通常のやり方だ。

日本の場合、輸入などにかかわる部分では、その時々の為替の変動もすぐに、海外は有利へ運んでしまうので、結局、なんやかんやと理屈をつけられて、大した恩恵とならない。さらには、表には出ないが、実際は、農業関係者には、巨額の補助金があてがわれることになる。その補助金も国民からの税金で、結局はすべて国民が代償を払っているのだ。酪農家への補助金や、買い取り金額の保証など、表面は『大変なことになった』という言葉ばかり、マスコミも報道するが、その裏では、しっかりと税金が回されているのだ。そのために地元選出の政治家がいるのだから。

沖縄の基地問題も、結局は、沖縄県民は、いろんな面で報道されなり、地元県民の優遇的措置を適用されていくのであろう。

原子力も同じだ。

森永乳業などは、ヒ素ミルク事件があり、それの補償金額を毎年、引き当ててきており、その金額が公の目に晒されるが、政府がやっていることに、スポットライトを当てて報道されない。牛乳を生乳として売るか、安い加工用(バターなど)で売るか、その差額は、税金で補てんされている。減反政策に対しても、それなりの補助金が補てんされる。

原発での東電は、具体的にいくら出しているのか? このことを表だって捉えない。民間企業なのに。

青森県の六ヶ所村や、沖縄県での安いガソリン価格や、優遇面は?

すべてをさらけ出すことなく、うやむやが多いこの国では。そのつけは、全国民が払っているのに、その国民自身も、それらを知ったところで程度に、無関心な国民性。本当にこんなことでいいのだろうか? そいうことに無頓着だから、1円ことでも、どうして?と突っ込む欧米人との交渉なんぞに勝てるわけはないわな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新横浜から大阪から新横浜

2015-10-08 | Weblog

先日、久しぶりに大阪まで行った。帰ったというべきか? 土曜日の日帰りだ。

新幹線の新横浜から新大阪へ。指定席だから、当然座れる。

新大阪駅から大阪駅まで。JRでひと駅。座れる。しかも、5人ぐらい座れるけれど、空いたまま。

大阪駅で、さらに環状線(東京でいえば、山手線)に乗り換える。座れる。

弁天町から、地下鉄の中央線へ。座れる。

最後は、ニュートラムという無人のモノレール。これも座れる。

東京でいえば、すべて23区内の移動ということになるが、座れるし、席を争って、座ろうという光景がない。

東京と比べると、のどかとさえ感じる。地元の人間には、それでもごった返していると感じると思うかもしれないが、東京と比べると、楽楽だ。

関西人は並ばないとか言われるが、そもそも管理された形で、並ばなきゃ、争いが起きたり、収拾がつかなくなるほど人間の数がいる場所のほうが問題なのだと、

その混雑に慣れさせられた者たちには、気づきようもない事態に陥ってしまっているということだ。人間がロボット化しているようで、マニュアルからはみ出した行動をすろと、すぐにルールを守らない人間とレッテルを貼られてしまう。窮屈きわまらいないのが実態だ。

大阪で、走っている電車の窓から外を見ても、道路も車がまばらで、渋滞しておらず、うらやましいかぎりだし、これぐらいが人間らしい生活が営めると考えてしまう。

せっかく、急きょ大阪まで駆けつけたにもかかわらず、呼び出した、当の本人が(実母)が、呼び出した記憶もなくて、介護センターへ出かけて不在のため、なんのために移動してきたか意味がなくなってしまった。

大阪では、いつも、蓬莱のシューマイ551を、最低でも2箱(20個)買って帰るが、今回は、何万円もするシューマイを買いに来たような案配となった。それdも良しとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする