現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

東国・西国

2014-05-30 | Weblog

サントリーのCM。「新幹線に遅れますので」と客人。京都のおばちゃんが、「新幹線なんか待たしといたらよろひいやん」と心にもない引き留め。この一連のやりとりはすべて「儀礼」。関西人にはこの呼吸はわかるが、関東人には「口先だけの人」に映るか。

「お茶でもどうどす?」と勧めてくれるが、「ではお言葉に甘えて」などと上がり込んではいけない。嘘でも、「急ぎますので」となる。

800年前から、東国と西国は違う。

あなたはそうお思いになるだろうが、私は都に長らく住んで、馴れてみますと、都の心が劣っているとは思いません。都の人は総じて心が柔和で、情があるために、人がいうことをきっぱりと断れなくて、なにごとも言い放つことができず、気弱く承諾してしまうのだ。偽ろうとは思わないが、貧乏で思うに任せぬ人ばかりだから、自然と本心のとおりにならないことが多いのだろう。東国の人は同郷だが、じつのところ心に優しさがなく、情に乏しく、ただただ剛直なものだから、はじめから嫌だといってすませてしまう。裕福でもあるので、人から頼られるのだよ。(徒然草 第141段)

これから800年後も、東国と西国は違うだろう。

東京への一極集中に変化をもたらしてもらいたいものだ。これも利害関係者が多く、本気で取り組む者が少ないだろうが。ずっと前から思い続けているが、皇室関係者に理解いただき、率先して皇居を京都jへ戻す、いわゆる遷都を検討してもらいたいと願っている。それにより、宮内庁はもちろんのこと、文化面での主体を東京から脱出させることから始めるのはどのようなものか?

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ほんわか

2014-05-29 | Weblog

最近、世の中、せちがらい。ほんわかとしたものがない。なんでも遊びの部分が必要なのだ。デジタルだと、0か1だけだ。アナログはグレーがある。それでこそ生き物だ。雑談の効用があると思うが、あまり雑談もない。みんなPC内ですませているのか?せちがらい。ほんわかとした空気感、さりげないいたわり、みたいなものを欲している。最近の大阪市長さんの話も全くもって、つまらない話ばかりだ。受験に勝ち抜き、司法試験を目指したからには、受験戦争を克服して、人から後ろ指さされないように頑張ってきたことと思う。今でも恐らく、隙をみせてはいけないと目一杯で、自分自身を鼓舞しているのだろう。本来ある、大阪のほんわかした部分を生かすほうがいいのにと思う。そもそも大阪都なんて、何?それ?の世界。中央に反旗をひるがえしている伝統の町が、都のマネを喜ぶはずがない。情がない理屈は、空虚にすぎる。それにしても、番頭さん役の府知事はん、よう続くもんやなあ。ほんま感心するわ。

 

 

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「まあ皆さん聞いてください、、、、、、、、」

2014-05-28 | Weblog

ボヤキ漫才。人生幸朗・幸子のコンビ。「まあ皆さん聞いてください」から始まる。「リンゴはなんにも言わないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる」、リンゴがしゃべるわけないやろ、あほ抜かすな。等々。お弟子さんはいたのだろうか? これは失礼だが、TVで初めて見たときから、おじいさんと、おばさんという映像で記憶が残っている。「責任者出てこーい」となる。

その後のボヤキとなれば、今では毒舌となるのだろうか? ツービートのたけしとなるのだろうか? 決して格調高いとは言えないが、TVでボヤいて代弁してくれることで、少しはガス抜きをしてもらいたいものだ。物が言えなくなったというか、あたりさわりのないことだけでは、気疲れするし、一時であれ、気持ちが晴れやかにならない。

ツイートなんかよりも、よほどいいと思うが。後継者の出現が待ち遠しい。ツイートというものは、トライしたことがない。やり方がわからないし、やる気にならない。意見を述べる、表明するひとつの大切な手段が、選挙に行くことだ。それゆえ、成人年齢がどうのこうのより、選挙年齢を18歳へ引き下げるなら下げてもらいたいものだ。そして、選挙へ行けば、優遇税制適用になるとかの選挙へ足を向けさす仕組みを本気で考えてもらいたいものだ。ツイートで、ああだこうだと1行で片づけてしまうのでなく、またツイートを集めたから多くの意見を伺ったとなるのではなく、現状はどんな選挙を行っても、低投票率なのだから、本当に率を上げたいと考えるなら、コメントするだけの大学教授ではなく、教授連盟でも結成して運動に繋げてもらいたいものだ。さらに報道TV局も、盛り上げキャンペーンなど、同じようなバラエティを制作しているなら、見直してもらいたいものだ。すべてが、視聴者や消費者の出費で成り立っているのだから。

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厚みを増す

2014-05-27 | Weblog

なんとか48グループで傷害事件だ。こぞって今後の警備体制をどうするこうするのオンパレード。犯人は24歳。小生の年齢計算メソッドでは、現代は20歳マイナスするから、たかだか4歳の人間の犯行だ。マスコミに関わる者にとっては、大物プロデューサーを批判できないだろうが、自分なりには別の観点からの見解を持っている。CDに付けている投票権だの、あくしゅだの権だの、グリコのおまけ的商業主義がそもそも原因で改めるべきと思うが。

昔から、仕事でもプライベートでも、人の悪いところばかりマネをすると言われたものだ。まことにその通りと思う。なかなか他人の良いところと同じようにフォローしているようで、結局はマネしないほうがいい部分を踏襲しているみたいだ。どうしてか? たとえば、先人はスゴイ語学力があって、仕事のやり方Aをしていたとしたら。先人はスゴイキャリアの上に、仕事のやり方Bをしていたら。本来は、仕事のやり方だけをマネしていても仕方ないことで、自分自身の切磋琢磨があってこその、踏襲である。それなくして同じ迫力を出せるわけがない。さらには、切磋琢磨ができないのであれば、どうするか? それは知性の上に仕事のやり方をマネれればいい。ただし、知性というのは、知識に心を加えて生かすことであるから、知識に情が入ってなければ知性とならない。スキル、キャリアをすぐには身につけることはできないので、それに近づけるように、創意工夫していく。それが知性であり、それは学校などからの知識だけではない。単に、仕事のやり方だけをマネているのは、メッセンジャーボーイ、子供伝道師(ガキの使い)で、すぐに剥がれてしまう薄皮のものまねだ。誰でも成り代われる事をこなしているだけだ。小生の現代年齢計算メソッドだが、30歳といっても、たかだか10歳となる。(昔の寿命と比べると、1歳当りの密度が薄いと考えている。)表層(上っ面)ばかりでない、厚みをつける努力をしていきたいものだ。

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自分探し 10/100 (ニュース、天気予報)

2014-05-26 | Weblog

各部屋にTVを配置することなど、昔は考えられなかった。自分が、大学時代に、住み込みやアパート暮らしを始めたときにも、部屋にTVもなかった。電話なんて高くて設置するなんて不可能だった。簡単なレコードプレーヤーはあった。それに井上陽水の「氷の世界」、かぐや姫のLPなどを何度もかけて聞いていた。大阪と神戸で、自宅を出て一人暮らしする必然性、理由がなかった。親の不仲が嫌なだけだった。家を出たかった。自分で住み込みの新聞配達を決めてしまった。時期は、真冬だった。寒かった。雨の日は最悪だった。休みがなかった。正月(1月1日)と休刊日だけ。なんか意地だった。家庭教師のバイトも毎週、行った。奨学金(月6千円)ももらった。当時で、合わせて、月5万円程度。家賃、光熱費はかからなかった。今でも、なんでそんなことをしたのか、恐らく思い出したくないから、はっきりとした記憶がない。ギターでフォークを弾いた。もっと小さい頃だが、自宅でTVを見る時、ニュースと天気予想が、全くつまらなかった。見る気が起こらない。すぐにチャンネルを切り替えた。今のように、TVの報道番組が、新聞記事をそのまま出してきたり、週刊誌までTVが紹介することなど考えられなかった。だから、それほどこれと定めた番組以外、だらだらとTVを流しっぱなしということもなかったように思う。

時折、自分が20歳の頃に戻ったとしたら、これだけ情報があふれる中で、当時の自分より、もっといい決断、判断が下せるのだろうかと想像してみる。答えは、単純にYESではない。20歳の時に、年金がどうのこうのと言われても全く関心がないから、やはりその報道されている番組は見ずに、他のチャンネルへ切り替えると思う。また、いろんな情報がありすぎて、それを整理することもできないのではないかと思う。現在はデジタル時代。昔から撮影した写真などの整理が苦手だが、デジタルになってからは、撮るに撮るが、撮り放し。撮ったけれども、まったく見ないことすらある。まだビデオというものが出始めの時に、整理するのが苦手だから、24時間365日家の中で、撮影し放しにしたら、いつでも振り返ることができると思ったり、再生して見るのに、生きた時間と同じだけの時間が必要だから無理かとあきらめてみたり。全く何を考えているのやら。

NHKばかり見るのは、年とった証拠と言われるが、あれだけニューズや天気予報嫌いだったのに、ことさら見たいものがなければNHKというのは、そういうことなのか?昔は教養番組と言っていた。余計に見たくなくなるのが普通だと思うが。東京はチャンネルが奇数が多いが、関西(大阪)は偶数だ。NHKはチャンネル2だ。なんで奇数と偶数で違ったのか?

TVにせよ、ビデオカメラ、普通のカメラ、デジカメにせよ、プレーヤーにせよ、昔は値段が本当に高かった。SANYOの、OTTOブランドのプレーヤー、アンプ、チューナー、カセットデッキ、オーディオラックが、1式となったものが届けられた時の感激はすごかった。最初に置いたLPレコードは、甲斐バンドの「天国と地獄」だ。LPからカセットへのダビング。社会人になって、大阪から東京まで持ってきたものだ。当時は、関西が60サイクル、関東が50サイクルで、回転するものは周波数変換が必要だった。

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経険

2014-05-25 | Weblog

西部すすむ(にしべすすむ)が言うところでは、経験をあえて経険と書くことがあるとのこと。experienceのperiは、peril(危険)からきており、経験というのは、いわゆる立ちはだかる危険からいかに逃れていくかを学んだ結果、プロセスであるとのこと。納得できる部分ある。彼は、はっきりと、当て字と言った。最近、当て字と言わず、あたかも、そんな言葉が最初から存在するようにTVで紹介する場面もあるが、創造した字であることの認識は、はっきりさせtおきたいと思う。若輩者には、その区別がつかないというか、それでも良しという風な大人も存在するので、なんでもありはないだろうとの気持ちである。

時折、彼のTV番組を通じて、彼の考え方のほんの一端に触れていたが、それほど違和感を持たないというか、共感することがある。彼の人生のような激動、過激なことはやってこなかったが、学生運動をしながら、逆にまっとうな道を歩んでいることには、疑問を感じるが。

 

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マッケンローVSボルグ

2014-05-23 | Weblog

ジョン・マッケンロー、ビヨン・ボルグ、コナーズ、レンドルといったテニスプレーヤーが活躍していた。彼らの名前とともに、プレーする姿を熱心に見ていた人たちも少なくなってきているのだろうか? いわゆるケータイとともに育ってきた年代には、一体、誰? といった感覚なのだろう。

本当かどうか、はたまた、どの程度本気で言っているのかまではわからないが、最近のテニスラケットの進化について、そのまま看過することはできない、というか、ラケットの素材、規格を見直したほうがいいのではないかと、マッケンローが主張している情報を得た。全英オープン(ウインブルドン)での、ボルグとマッケンローの数年に及ぶ激闘がすさまじかったと思っている。片や、ネットプレーヤー、片や、ベースラインプレーヤー。ボレーでしとめるか? パッシングショットを成功させるか? 名勝負の数々だ。テニスをしない人でも楽しんでいたのではないかと思う。マッケンロー曰く、あのようなプレーが、現在のラケットを使用するかぎり、もう生まれてこないとのことだ。プレーヤー全員が、ベースラインプレーヤーとなり、長い時間のラリーだけの連続というワンパターンなゲームが続くようだ。

ラケットの開発、向上により、飛び交うボールの速度についていくには、後ろに下がってプレーせざるを得ないらしい。そうかといって、スウィートスポットの狭めたラケットをわざわざ生産することもないだろうし、カーボンスチールからウッドへ戻ることもないだろう。ということは、マッケンローの言うとおり、もうかってのスリリングなゲーム内容にはお目にかかることはないのだろう。

新青森駅というところまで行くために、東北新幹線に乗った。盛岡駅を出てからのトンネルの多いこと。トンネルがあろうがなかろうが、電波も悪いため、ケータイ通話も持続できないし、PC操作もできない。窓の外は、真っ暗なトンネルだけで、景色のケもない。正直、全く以って楽しくもなんともない。

これから、リニア新幹線が進められていく。すでにどうして、そんなに急いで東京から名古屋ぐらいまで行く必要があるのかと疑問を投げている声もある。けれど、そういう指摘には耳を貸さず、利害関係者の都合で、実際の工事はどんどん進められていく。8割以上がトンネルの中と聞く。1時間早くつくだけの意味合いってなんなのか? 先の東北新幹線で判る通り、乗車していても面白くも何もない。間接的には、リニアの技術が他方面で生かされるという副産物も確かにあるとは思う。このことも後ろ向きに、元へ戻されることもないのだろうが、本当に行なう意味、価値があるのかを再考してもいいような気がするが。狭い日本でやるのではなく、広大なアメリカやカナダでやるならまだしもと思うが。

なんとなくだが、欧州では、ドイツを筆頭に、技術的には十分、開発力はあるのだろうが、果たして、そんなものが必要なのか? という意見が出され、要らないよねとなっているのではないかと思ったりもする。24時間開いてて便利なコンビニも、フランスなどでは、24時間365日休みもなしということがけしからんとなり、働く時間と休む時間の両方がなければだめとなるのだから、なんでもかんでも、なしくずし的に異論をはさむと、何を言ってるのとよらば大樹で、はなから無視され経済的に突き進める国ではブレーキをかけようもないのだろうか?

自衛隊のありかたも60年間も同じ議論を繰り返し、結論を出せない。40年後も同じ議論をしていることに変わりなし。もっと根っこのことを、楽しく、面白く議論を重ねて、結論ありきでなくて、本当に皆さん、どう思いますか? と、問いかけていくことはできないのだろうか? なんで朝まで生TVのごとくの、固い話に終始するだけで、結局は結論が出ず、討論をやったという既成事実を作るだけの目的なのか?

原発についても、なければやっていけないなら、やるしかないし、なくてやっていけるメドが立つのであれば、そちらへ重点を移すのもありだろう。(もちろん対立する利害があり、一筋縄ではいかないだろうが、そもそも論点の目線をもっと生活、生存していくというレベルまでおろすべきだろうと思う。)

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いちえふ

2014-05-22 | Weblog

福島原発第1発電所のことを、現地、現場では、「いちえふ」と呼ぶとのこと。これを題名にして、漫画で現場作業者が、週刊モーニングに連載して、このほど単行本として発売された。現在で、15万部売れているそうだ。多少、一般論として、漫画には批判的な所の見解をもっているのだが、とにかく現物を見てみないことには、ということで、本屋さんで購入して読んでみた。

正直な感想を述べれば、宣伝されているような、知らされていない現場の実態描写という感じがしなくて、こんな作業のための衣服(防護服、マスクなど)で、特に夏場は汗がすごくて、作業時間も制限を受けるので、少しずつしか作業できないという内容につきてしまう。もっと、世間で報道されていることと違う点や、東電の関わり方などに、するどく切り込んでいるのかと勝手に期待していたが、そういった問題点、課題の設定ということには、焦点があたってなかった。絵柄的に、防護マスクをきゅっと結んだところなど、まるでレスキューに乗り出すがのごとく、人間ドラマを想像させたが、全くもって、そのようなところはなかった。講談社の企画に乗せられた感じだ。

約15,16年前に、一度、中国の上海近辺を仕事で訪問した。一応、道路は舗装されていたが、実際に走ってみると、どれだけ凸凹かがよくわかる。また、道路に面して、立派な建物だなと思ったが、その脇から横へ回り、裏へ回ると、まるで映画のセットの様、いわゆる、はりぼて、の状態。正面だけが繕われているのだ。木炭自動車も見た。正直、衛生的とはいえない状態もみてとることができた。

片や、日本はどうか? 自分の経験則で、日本企業、工場を訪問した限りにおいて、顧客が目にする部分だけを立派にして、その奥は、すごく雑というのをいくつも体験した。どうも日本人は、予算をとるのがへたで、社会インフラや、隅々まで整えようとしない民族と見た。先進国といっても、雑魚寝させられたり、トイレ・シャワーなど、すごく雑という箇所が多い。土地がないだとか、ぜいたくしなくてもガマンできるとか、行列ができても対策を講じなくてそのまま放置するというか、それで十分という総論で解決を図ろうとする。付和雷同ゆえ、反論することもためらわれる。まだまだこのような所が残っているというのが、小生の考えだ。

福島の作業者の休憩所や待機所なども、先の現場マンガによれば、決して整備されていると言える代物でない様子だ。すでに丸3年経過して、これからも何十年とかかるのだから、下水道など、仮設といえど、しっかりとしたものをこしらえるということに予算をさいたらどうかと問題提起したい。下請けだからといって、コンテナハウスや、便器一個でガマンさせられるほうがおかしいと思う。上で述べた15年前の中国じゃあるまいし。

また6次、7次の下請け構造にもなっているとのことゆえ、その点にもするどくメスを入れてもらいたいものだ。マンガの意図は、そんな難しい課題を表現していないと言われればそれまでだが、現場の作業服などの描写だけでは、それらの写真を公開するのとなんら変わらない。原発問題は、現在の日本の根幹に関わる問題ゆえ、商業主義として茶化して欲しくない。これから、こうしないとだめだという問題提起をしてもらいたいものだ。

知らされていない事実とは何なのか? 防護服のメーカー名や、マスクがどこ製など、もちろん知らない人は、ああそうなの、となるかも知れぬが、それを知らしめる手段が劇画タッチでなくてもいいだろう。また、現場としても情報が入らないのかもしれないが、東電の役割や東電が何をやているのかがよくわからない。このあたりも実際はどうなのか、知りたいところだ。2011年5月に、広野火力へチームを派遣した経験があるが、その当時、予め準備した重装備(ヨウソ剤含めて)を使用することは、ほとんどなかったことを記憶している。もちろん、広野は原発現場でない。

 

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最近、買って失敗したもの

2014-05-21 | Weblog

約30年前、大阪で勤務していた頃、上下の普通のスーツにリュックサックを背負って会社へ行っていた。周りのみんなは、全員が「格好がおかしい」 「合わない」 と言っていた。今、特に今日のような雨模様だと、男、女、年齢関係なく、遠足でもないのに、バックパッカーの多さにびっくりする。正直、ホームを歩いても、電車の中でも、特に若い男子、女子は、無神経に自分の2倍幅をとっていることなどまったく気にすることもなく、黙々とスマホに向かっているから、迷惑に思うことが多いが。

全然、高額なものでない。むしろ安いぐらいの物だが、最近買ったが、全くもって役に立たないことがわかり、金額が小さくても、お金を捨てたようなものだと思った。それは、乾電池チェッカーだ。使えるのか、使えないのか、よくわからないので、これがあればと思ったのだが、チェッカーでは、緑色ランプが点灯するのに、実際は使用に支障がでるということがわかった。よほど、へたってなければ、黄色や赤色にならない。結局、使える・使えないの判断は、元に戻して、リモコンが良く反応するかどうかで判断することになってしまった。

今日、小さなクリーニング店の前を通過した時、ふと思い浮かんだのが、自分が18歳の大学生の時に、近所のクリーニング屋の同級生と朝、ばったりと出会った。高校の時は、ほとんど顔を合わせたこともなく、高校卒業後、どこかの銀行に勤め始めたらしかった。こちらは、ひよっこの学生。向こうは、もういっぱしの社会人で、しかも化粧もばっちり。確かに小さい頃から目がくりくりと大きかった印象はあったが、大人になってそこがチャームポイントになるなんて全く想像すらしなかった。それと、こちらは、まだまだガキの端くれで、向こうは完全な大人だと、その差に愕然とさせられた。最寄りの地下鉄駅(玉出)まで、15分はかかる距離だったが、それ以来、一回、同じように顔を合わせたきりで、その後の様子は全くわからない。

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自分探し 9/100

2014-05-20 | Weblog

ヒートアイランド現象と言われるが、よくぞ昔はクーラー(エアコン)なしで凌いでいたことと思う。真夏、小学校の夏休みに、学校のプール開放へ出向き、帰ってくると、エアコンどころか扇風機もない中で、縁側でスイカと吹かしたサツマイモを食べて、そのまま昼寝ができていた。よく、そんなことができた、本当にそんなことができていたのかと自分を疑ってしまうほどだ。夜は、蚊帳を釣っていた。蚊帳を準備することが面白かった。ハンモックのように、上にのっかては叱られたものだ。蚊帳に穴があくと、そんな穴から蚊が入ってくるから、たいしたものだ。穴からでなくて、出入りの時の蚊帳を上に持ち上げるときに入っているのかもしれぬ。寝苦しい時は、親がうちわであおいでくれたことが記憶に残っている。それでも、そんなレベルで眠れたものだ。もう今は、真夏にエアコンなしでは全く眠れない。そのため、夏のキャンプのテントなどまったく苦手としている。暑さと虫に刺されやす体質で、今、そんなキャンプをしようと言われても、行くのは無理だろう。

今朝、コンビニで日焼け止めの「雪肌粋」というチューブを買った。日焼け後のローションが見つからず、何でもないよりいいかと思い、購入して試している。

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日焼け

2014-05-19 | Weblog

17日(土)18日(日)の2日間、別の事柄だったが、2日間とも、戸外にずっと居る状況となった。どちらの日も、快晴。青空の気持ちよさと、外にいるという解放感に、久しぶりに触れることができた。身体的には疲れがあるが、気持ち的には、ONとOFFが切り替えられた感じがある。決して100%気が進むということではなかったが、自ら能動的に入っていくように気持ちをもっていった。結果論だが、具体的にこれが、ということはないが、なんとなくこんな時間も必要かなと思った。

ただし、困ったことは日焼けだ。日焼け止めを塗るということが身についていないジェネレーションだから、全くそのことに気がまわらない。ノーアクション。あとの祭り。昔から自然派ゆえ、これでよいとの思いが強くあるが、最近は紫外線も昔より強力みたいなので、普段の生活から、少し日焼けに対するケアを考えていこうという気にすごくなった。

この前のヤフオク失敗が、くやしかったので、再度、挑戦。今度は落札みたいだ。とにかく出品者からの連絡を待ってみようと思う。

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韓国客船事故から

2014-05-16 | Weblog

セウォール号事故について、いろいろと考えさせられることと思う。時間の経過とともに、海水に浸かったと思われるケータイから、通話記録、通話内容、動画などのデータが一部紹介されてきている。昔だったら考えられないことだなと思う。約20年前のことだが、何でもアメリカのほうが進んでいるという人がいたが、その当時から小生は日本では「面倒くさがり屋」が多いから、ケータイひとつで何もかもできるようにならないとだめだよと主張し、日本ではケータイを中心にいろいろと可能性を広げていく(今で言えば、アプリが増えるということになるのだが、当時はアプリという3文字も出て来なかった)よ、と繰り返し言っていたが、特にカーナビ的なものが持ち運べるタイプになれば便利なのに。海外版なども出してと言っていた。世の中は、その通り以上に多機能な製品を出すようになり、そのことが上の動画記録にもなっているのだと改めて驚いている。実際は、公開されている以上に、生々しいものも存在するのだろう。また、海水に浸かったとはいえ、データを再生されることにも驚かされているが。最後は、くやしさにあふれていたと想像するに難くない。

社会人になり、欧州でのひとつの研修参加の時に、世界各国から来ている人たちの行動から思うに、やはりそれぞれ自己主張が明確で、違う意見を言うことにもためらいがなく、特にイタリア系などは、何かにつけて、黙って従わないとの印象なども持った。もし、今回の乗船客がたとえティーンエージャーであったとしても、アジア系でなく欧米系であったとしたら、どんな行動をとったのだろうとも考えを巡らせてしまう。例えば、先のイタリア系などであれば、船内放送など無視して、また騒ぎ立てながらも、自分でこうと思う対応行動をとったのではないのだろうかと、個人的には想像してしまう。

やはり社会人研修で、これは日本で、講師はグリコ協同乳業で営業の陣頭指揮をとられていた方だが、八甲田山の2つの部隊の対応の違いを分析されて、一番の違いは、上の人間も下の人間も、全員が関与する、当事者意識の違いだとされていた。今でも、この時の考え方に共鳴できるところが多く、講師が現場上がりだったという点も、より実践的な分析でなかったのかなと自分での評価である。

ゴルフ場での突然の雷に対して、マニュアルを求める若い社員。それでは実際の事故には間に合わない。USAでの緊急架線の敷設に対して、ヘリコプターをチャーターして危機を救った。交通費精算就業規則では、そんな権限が与えられていないが、機転だった。その後、その者は、確か、一気にトップに駆け上がっていったとかすかに記憶がある。(もう少し、時間かけて思いださなければならないが。)

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コンプライアンス法令遵守

2014-05-15 | Weblog

遵守という漢字、想像する難くないが、「そんしゅ」と読む人を何人も見てきた。それらの方々も、おそらく読み方は違うのだろうと思いながら、それ以外に思いつかないから、あてずっぽうでそのように読んでいるだけのような気がするが。

東京都町田市のマグネシウム工場で火災があり、鎮火までに時間を要したため、報道で大きく取り上げている。当工場が、業務で認可を受けていないということまで発覚して、ここぞとばかり、マスコミ、コメンテーターが勢いづいている。このような小さな法令を守らないことの積み重ねと言っている。話の筋が違うと言われるかもしれないが、コンプライアンス、コンプライアンス、コンプライアンスと、その時とばかり叫びまくる方々に言いたいが、あなた方は、道路を40kmの速度以内で走っているのかと問いたい。それ以上で走っていたら、法令遵守違反ですよ。

許認可などについて、何故守らないのかの理由が存在する。それらの理由のひとつに、実質的な意味はなく、役所のルーティーンペーパー業務となり、収入印紙税分などが安定収入化していることなどが透けて見えるようなことがある。小さいながらも既得権益の1つだ。だから、誰もその本質など還りみようとしなく、前任者を含め、今までこうしてきたからと惰性で続けているだけだからだ。

ハリウッド映画など、特に国土の広いUSAなどでは、繁華街あたりでも、道路の端に車を停める余裕があるようだ。日本では、ほとんどそのような所は見たことない。約40、50m間隔で、斜め線が入った、駐車禁止標識がある。本当に無駄をなくすのであれば、日本の道路は原則すべて駐車禁止にして、駐車OKの所に標識を立てるほうが、圧倒的に標識の数が減るのではないのか? 標識にせよ、信号機にせよ、道路工事にせよ、定期的メンテナンスなど、既得権益に守られて、税金を使っている部分は多々あるのだろうから、昔の運輸省、現在は国土交通省や、それらにぶら下がっている所、政治家は、そんな事に対する見直しなんぞ考えないだろうけれど。本音を言えば、車検などというシステムも、技術進歩に無関係な、前近代的な法令のために、仕方なく従っていることは、車を利用する側からの偽らざる思いと思う。車検でいい目を見ている人は、いろいろと安全を振りかざしてくるだろうが。要は、仕方なくでも、やらないとメリットが出てこないということについては、いやいやであっても、人間、手続きをしていくもんだ。やってもやらなくても、実質同じということであれば、しない人間が出てきてもおかしくはなく、今回、無認可云々よりも、なんのための認可ということを見直してみたら。統計的なことは何も知らないけれど、日本以上に、道路にガードレールを設置せている外国の名前をあげられないし、信号機の数も世界一ではないのか? これらのことを、ギネスにでも申請してみたら。 ガードレール、信号機だらけになっても、事故はゼロにならないよ。

人間味豊かな、無機質でない環境を目指そうよ。ここぞとばかり、当たり前のことだけ(誰でも言える無難なことだけ)を叫ぶのでなく、もっと心の通じ合う会話をしていこうよ。 

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ヤフオク 2

2014-05-14 | Weblog

登録手続きの時に、本名で行ったが、入札履歴などをみると、全員がわけのわからない暗号のような登録名だ。自分も、そのように対応してきたこともあったが、最近では、あまり気にしないようにしている。仕事でも、プライベートでも、個人情報扱いに神経をとがらせるが、確かに悪用されてはたまらない。それはわかる。ただし、今でもたくさんのダイレクトメールが届いており、一体、どこから情報が流れているのと思うぐらいの量だ。おそらく皆さんもそう思う場面にでくわしているはずだ。個人情報にピリピリされている方もたくさんおられる。同好会的な仲間であってもだ。正直、行きすぎだと思う。それでも、、正論めいたことをはかれると、それには太刀打ちできない。それでは、周りとのうち解けた関係作りを止めなさいと言いたいぐらいだ。業務でも、どうして連絡先を知ったのかと質問を受ける場面もある。本筋のことでもないので、いちいち、そんなことを説明することすら嫌になる。無人島に暮らしなさいぐらい、言いたいこともある。文字通り、悪用は悪い。不信感渦巻く、世の中で生きていても、何も面白くない。政治家は自分の政治生命がかからから、絶対しないだろうが、パソコンのクリックで投票できるぐらいの簡単な選挙に変えるぐらいのことになれば、逆に世の中、信頼感が戻ってくのでは?

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ヤフオク

2014-05-14 | Weblog

ふと自分が使用していた、木製のラケットって、今は売っているのかなとの思いから、調べてみると案の定、全てカーボンスチール製などに変わっており、販売などされていない。当時は、ごく普通に使ったいたものが、今は、コレクターしか保有していないような状況に様変わりしている。古く、汚くなったラケットそのものや、カバー、ねじりが発生しないように防ぐ金具など、押し入れなどに片づけていたものを、じゃまになるため、当然のごとく処分していた。それらをなつかしく思う時がくるなどと考えもしなかった。販売はされていないので、いわゆるインターネットオークションに出されているものを見つけ、大した金額でないので、初めてインタネットでの入札にトライしてみた。登録後、金額を入れるも、入札受付にならず、同時に金額がわずかだが(100円)上がる。そのため、もう一度、その上の金額を入れるも同じ。3,4回繰り返したが、同じ状態。わけがわからないので、それでストップ。何日か、そのままの状態。金額もそれ以上でもない。入札最終日の20分ほど前になると、金額が変化しだした。それも小刻みに。自分は何もしないので、権利がないのだが、なぜ、こんな小刻みに上がっていくのか理解できない。

1.自動入札というしくみがあり、誰かが入札した金額に100円高く、自動応札する仕組みがあることがわかった。そうであれば、いつまでやっても、イタチごっこであることを勉強させてもらった。

2.入札のぎりぎりまで、何も大きな変化が起きないが、締め切り直前に動き出すことも勉強させてもらった。

3.こんな商品に誰も興味がないだろうとたかをくくっていたが、インターネットの向こう側では、目を光らさせているやからが多数いることに、改めて驚愕した。

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