ジョン・マッケンロー、ビヨン・ボルグ、コナーズ、レンドルといったテニスプレーヤーが活躍していた。彼らの名前とともに、プレーする姿を熱心に見ていた人たちも少なくなってきているのだろうか? いわゆるケータイとともに育ってきた年代には、一体、誰? といった感覚なのだろう。
本当かどうか、はたまた、どの程度本気で言っているのかまではわからないが、最近のテニスラケットの進化について、そのまま看過することはできない、というか、ラケットの素材、規格を見直したほうがいいのではないかと、マッケンローが主張している情報を得た。全英オープン(ウインブルドン)での、ボルグとマッケンローの数年に及ぶ激闘がすさまじかったと思っている。片や、ネットプレーヤー、片や、ベースラインプレーヤー。ボレーでしとめるか? パッシングショットを成功させるか? 名勝負の数々だ。テニスをしない人でも楽しんでいたのではないかと思う。マッケンロー曰く、あのようなプレーが、現在のラケットを使用するかぎり、もう生まれてこないとのことだ。プレーヤー全員が、ベースラインプレーヤーとなり、長い時間のラリーだけの連続というワンパターンなゲームが続くようだ。
ラケットの開発、向上により、飛び交うボールの速度についていくには、後ろに下がってプレーせざるを得ないらしい。そうかといって、スウィートスポットの狭めたラケットをわざわざ生産することもないだろうし、カーボンスチールからウッドへ戻ることもないだろう。ということは、マッケンローの言うとおり、もうかってのスリリングなゲーム内容にはお目にかかることはないのだろう。
新青森駅というところまで行くために、東北新幹線に乗った。盛岡駅を出てからのトンネルの多いこと。トンネルがあろうがなかろうが、電波も悪いため、ケータイ通話も持続できないし、PC操作もできない。窓の外は、真っ暗なトンネルだけで、景色のケもない。正直、全く以って楽しくもなんともない。
これから、リニア新幹線が進められていく。すでにどうして、そんなに急いで東京から名古屋ぐらいまで行く必要があるのかと疑問を投げている声もある。けれど、そういう指摘には耳を貸さず、利害関係者の都合で、実際の工事はどんどん進められていく。8割以上がトンネルの中と聞く。1時間早くつくだけの意味合いってなんなのか? 先の東北新幹線で判る通り、乗車していても面白くも何もない。間接的には、リニアの技術が他方面で生かされるという副産物も確かにあるとは思う。このことも後ろ向きに、元へ戻されることもないのだろうが、本当に行なう意味、価値があるのかを再考してもいいような気がするが。狭い日本でやるのではなく、広大なアメリカやカナダでやるならまだしもと思うが。
なんとなくだが、欧州では、ドイツを筆頭に、技術的には十分、開発力はあるのだろうが、果たして、そんなものが必要なのか? という意見が出され、要らないよねとなっているのではないかと思ったりもする。24時間開いてて便利なコンビニも、フランスなどでは、24時間365日休みもなしということがけしからんとなり、働く時間と休む時間の両方がなければだめとなるのだから、なんでもかんでも、なしくずし的に異論をはさむと、何を言ってるのとよらば大樹で、はなから無視され経済的に突き進める国ではブレーキをかけようもないのだろうか?
自衛隊のありかたも60年間も同じ議論を繰り返し、結論を出せない。40年後も同じ議論をしていることに変わりなし。もっと根っこのことを、楽しく、面白く議論を重ねて、結論ありきでなくて、本当に皆さん、どう思いますか? と、問いかけていくことはできないのだろうか? なんで朝まで生TVのごとくの、固い話に終始するだけで、結局は結論が出ず、討論をやったという既成事実を作るだけの目的なのか?
原発についても、なければやっていけないなら、やるしかないし、なくてやっていけるメドが立つのであれば、そちらへ重点を移すのもありだろう。(もちろん対立する利害があり、一筋縄ではいかないだろうが、そもそも論点の目線をもっと生活、生存していくというレベルまでおろすべきだろうと思う。)