現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

何かが欠けている?

2014-11-20 | Weblog

もう40年近く前のことになるが、働いていた会社のオフィスは、カーペットが敷きつめられ、デスクとデスクの間には、1mから1.5mの丈の観葉植物が配置され、すべて社員のデスクは間隔を開けて置かれているので、隣と肩を並べるということはなかった。タイムカードもなく、自分自身で手書きする。仕事で日系の一般の会社へ訪問するが、ほとんどが灰色のスチールのデスクが所狭しとぎゅうぎゅう詰めに並べられている。フロアは無機質な素材。おそらくだが、オフィス内の人口密度は、4,5倍程度は少なく見積もっても違っていたと思う。外出先を書き込む、雰囲気となじまないボードなどもない。当時から会議と言えば、OHPプロジェクターを使って、少し薄暗いぐらいの照明の中で、進められる。良い環境だったと思う。こうも日本の会社と違うものかを実感していた。

友人のほとんどが、日本でいうところの大手の有名企業だ。長年にわたり、頑張ってきたゆえに、なんとなくの情報だが、どこも面倒見がいいらしい。まさにその点が、さすがと思えるところだが、それまでは徹底的に会社人間を貫いてきたのだろう。

改めて、働く意味合いとか、人生とか、生き方とか考えさせられる。考えたところで、何も生まれるものはないとわかっていても、それでも考えてしまう。

幸福に思う度合いって、どんな風に実感しているのだろうか? 大学時代の仲間と、ほんの数回だが、会った時、なんか話がかみ合わない。なんでだろう? 話しをしても、はずまない。面白くない。例えとしてはおかしいが、専業主婦とワーキングウーマンぐらいの違いを、男性同士ではあるが、感じてしまう。自分の方がおかしいとは思うが、どうしてこんな風に変わってしまったのだろうか? 目標の置き方が違ってしまったのだろうか? 

今からできることはなんだろうか? 可能性は限られているだろうが、その中で、やはり自分の力で荒波の中を突き進むしかない。 正解はわからない。 一生、悟りなど来ないのだろうが。

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