もう40年近く前のことになるが、働いていた会社のオフィスは、カーペットが敷きつめられ、デスクとデスクの間には、1mから1.5mの丈の観葉植物が配置され、すべて社員のデスクは間隔を開けて置かれているので、隣と肩を並べるということはなかった。タイムカードもなく、自分自身で手書きする。仕事で日系の一般の会社へ訪問するが、ほとんどが灰色のスチールのデスクが所狭しとぎゅうぎゅう詰めに並べられている。フロアは無機質な素材。おそらくだが、オフィス内の人口密度は、4,5倍程度は少なく見積もっても違っていたと思う。外出先を書き込む、雰囲気となじまないボードなどもない。当時から会議と言えば、OHPプロジェクターを使って、少し薄暗いぐらいの照明の中で、進められる。良い環境だったと思う。こうも日本の会社と違うものかを実感していた。
友人のほとんどが、日本でいうところの大手の有名企業だ。長年にわたり、頑張ってきたゆえに、なんとなくの情報だが、どこも面倒見がいいらしい。まさにその点が、さすがと思えるところだが、それまでは徹底的に会社人間を貫いてきたのだろう。
改めて、働く意味合いとか、人生とか、生き方とか考えさせられる。考えたところで、何も生まれるものはないとわかっていても、それでも考えてしまう。
幸福に思う度合いって、どんな風に実感しているのだろうか? 大学時代の仲間と、ほんの数回だが、会った時、なんか話がかみ合わない。なんでだろう? 話しをしても、はずまない。面白くない。例えとしてはおかしいが、専業主婦とワーキングウーマンぐらいの違いを、男性同士ではあるが、感じてしまう。自分の方がおかしいとは思うが、どうしてこんな風に変わってしまったのだろうか? 目標の置き方が違ってしまったのだろうか?
今からできることはなんだろうか? 可能性は限られているだろうが、その中で、やはり自分の力で荒波の中を突き進むしかない。 正解はわからない。 一生、悟りなど来ないのだろうが。
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