現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

怒りを抱く気力さえ失った??

2014-11-13 | Weblog

ベトナム戦争時の米軍の指揮をとった元将軍(大将)が、こともあろうに、「東洋人の命の尊さは西洋人より軽く、東洋人自体が命を大切に考えない」 と堂々と表明していた。その人物の名前は改めて紹介するとして。まるで東洋人という人種は、勝手に増殖を繰り返すが如くの発言までしている。別の米国人は、ナパーム弾やクラスター爆弾で、無差別爆撃することにより、どのような被害をもたらすかを予想はできたがゆえに、逆に結果を詩う、見ることから逃げていた、あえて結果に近づこうとはしなかったと反省している。共産主義自体やイスラム教そのものに罪はないのだろうが、そうかといって全てがアングロサクソン系の欧米流の考え方が正義ではないことは確かだ。冒頭のように考える白人が指揮を執っているのだから、東洋人の命をなんとも思っていないだろうから、良識どころか、一体だれに、何を教えてもらってきたのか、人間そのものを疑ってしまう。ベトナム戦争で家族を失ったり、負傷したりした者たちは、何のために、誰のための戦いだったかを訴えるが、現地のベトナムのことと無関係に米国にとどまっている人々達は、日和見を決め込んでいる。ベトナムで他国の地で戦うことの無意味さを知ったにもかかわらず、湾岸へも突き進む。ベトナムの前は、朝鮮戦争にも首を突っ込んでいる。たてまえは共産主義、社会主義からの防衛であったにせよ、朝鮮半島も結局は分断のままだ。ソ連の空軍パイロットが北朝鮮の軍服を着て戦っていたことをひた隠しにしていたが、それもついに当事者が証拠品とともに白状する結果となっている。サダムフセインを個人的にやっつけたことは、もしかして独裁ということをなくすという意味だけからはよかった側面があるのかもしれぬが、それでもって何もかも破壊しまう理屈にはならない。ビンラディン強襲で、結着をみたわけでない。ニクソン大統領が、B-52爆撃機での北爆に踏み切った当日の夜に決断の時だったとして乾杯しているシーンがある。ベトナムからの撤退の決断にあたっては、「何人の増員派遣すれば、いつ終わらせることができる?」 という質問に対して、誰からも答えが出なくなったから、撤退となったとのこと。誤りを認めるまでに、一体どれだけの犠牲が必要だったのか。第2次世界大戦の時は、戦争犯罪者と裁かれたのに、ベトナム戦争では、大義があるから、責任者はいないというのか? 西洋社会だから、いつまでも間違った判断がなかったと言い張るのだろうか?

最近では、白人ナンパ講師まで登場してきた。そこまで馬鹿にされていいものか? 怒りを持たなくて大丈夫なの?

 

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