毎朝コーヒーを飲みながら新聞を読む。
くつろぎのひと時である。
新聞は社会の情報を知るための手段の一つである。
しかし、今はネットで情報を入手できるからと新聞を
読まない若者が多い。
私の住むマンションでは、朝刊は各戸の玄関受入れ口に
配布してくれるようになっている。
妻が「今朝の新聞配達はいつもの配達の人ではなかった。
代わりの人が来たみたい」と言う。足音で分かるらしい。
妻は外廊下に面した部屋で寝ている。
妻曰く、いつもの配達は70代の男性(妻が集金に訪れる
営業員に確認している)で、早朝のため音を立てないよう
気遣いしてくれているから有り難い。今朝は代わりの人が
持ってきたようで足音がうるさかった。たぶん、若い人だ
と思うよ。年輩の方みたいにできないのは仕方ないわね」
と。
「そんな若者も、年を重ねるごとに気遣いの心を持つよう
になってくるはず」と朝の食卓の話題である。
それにしても、毎日、自宅で新聞を読むことを「当たり前」
のようにしているが、あらためて感謝したいと思う。
くつろぎのひと時である。
新聞は社会の情報を知るための手段の一つである。
しかし、今はネットで情報を入手できるからと新聞を
読まない若者が多い。
私の住むマンションでは、朝刊は各戸の玄関受入れ口に
配布してくれるようになっている。
妻が「今朝の新聞配達はいつもの配達の人ではなかった。
代わりの人が来たみたい」と言う。足音で分かるらしい。
妻は外廊下に面した部屋で寝ている。
妻曰く、いつもの配達は70代の男性(妻が集金に訪れる
営業員に確認している)で、早朝のため音を立てないよう
気遣いしてくれているから有り難い。今朝は代わりの人が
持ってきたようで足音がうるさかった。たぶん、若い人だ
と思うよ。年輩の方みたいにできないのは仕方ないわね」
と。
「そんな若者も、年を重ねるごとに気遣いの心を持つよう
になってくるはず」と朝の食卓の話題である。
それにしても、毎日、自宅で新聞を読むことを「当たり前」
のようにしているが、あらためて感謝したいと思う。