小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

六月二十一日、二十二日

2017-09-27 | 嘉永四年 辛亥日記
六月二十一日  

快晴。
喜多村から饅頭25を持って使いが来た。疱瘡の見舞いをしたお礼とのこと。
昼過ぎに岩一郎は岡野へ行く。夕方に主人も行く。
安兵衞が帯を持ってきた。代は43匁のところ1匁まけるとのこと。とりあえず置いていく。
母君は夕方から喜多村に祝いと見舞いがてら行く。
留守中に久右衛門殿が来て「明後日は祭なので」岩一郎に来いとのこと。



六月二十二日 

土用の入り。ご機嫌伺いでお城に9時くらいに出かける。
途中、田中へ寄り昼飯をよばれたそうだ。
夕方から岩一郎は市川へ行く。
精米問屋の掛け行燈の作り物を見に行く。
宮島の絵が拵えられていた。ほんさしなどで作り、欄干は朱塗りの箸箱。
小梅も行く。しかし、人が多くてそこまでは行けず帰る。
信江が話し込んでいた。菓子を買ってきてお茶を出す。





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六月十八日、十九日、二十日

2017-09-21 | 嘉永四年 辛亥日記
六月十八日 

快晴。
山中殿へまず行ってみる。稽古はなし。
それから、川上へ祝いに行く。
鈴木芳右衛門殿へ行く。酒を吞む。
提灯借りる。
北村へも鳥(ツバメ?)が渡り寄ったとのこと。


六月十九日 のち

くもる。夕方から大雨。遠くで雷鳴。
昨夜、信衛が病気快癒の礼にきた。小鯛2尾と貝少々を持参した。
2時頃、野呂が来て酒を出し夕方前に帰った。
昨日、舟乗りで小栗の養子に水をかけられて不愉快だったそうだ。
和歌に居るのも厭なので何とか分別したいするつもりだとの事。


六月二十日 ときどき

時折雨が降る。
学校当番でお城に行く。
章蔵に会いうち連れて栗山へ行く。
北野を呼びにやり一緒に酒を吞む。
また、帰りには北野の振るまいで料理屋に寄ったという。
10時頃にちらし寿司を少々持ち帰る。
昨夜から信江が泊まっていて夕飯もうちで食べた。
瓶の箱を持って来た。代は2匁3分のところ2匁渡す。
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六月十七日

2017-09-18 | 嘉永四年 辛亥日記
六月十七日 

蘭引で酒を取る。
直川へとよを参らせる。
金森殿の家来に手紙を寄越した。
それによれば伊藤泰蔵が膈(食べ物が通らなくなる病気。胃癌、食道癌など)のようなので致し方なく秘法の鳬(けり)という鳥を黒焼きにして食べると妙薬になるそうだ。
なんとも手に入らないのでどうすればいいかと申し候ところ、あちこちでいろいろ世話になったが、大坂方面までも詮索されたがとんと見つからない。捨て置けることではないけれど致し方なく困惑しているとのこと。

返事をして伊藤へ見舞いに行き先の手紙を見せた。その後に金森へ行ってお目にかかったそうだ。
その足で岡本へ行く。この辺りは祭礼なので招かれたのだ。
10時頃に帰った。
卵を十個伊藤へ送る。
今日は多くの召状があったらしく当方へ知らせに来たのは川上喜左衛門だった。
どういうことになっているのかわからない。


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六月十五日、十六日

2017-09-13 | 嘉永四年 辛亥日記
六月十五日 

朝起きたら大雨が降っていた。4時頃から降り出したとか。
8時頃にあがったが少しずつ降り続けた。
山形屋太が越後帷子地を持参した。小弁慶62匁なり。是を買う。
御通り丁筋へ送ることになっている。
上九が肴を持って来た。代金は3匁6分で5尾。その内鯛が2尾。
北村の次男が疱瘡なので見舞いに送った。
夕方、田屋へ畳紙二つ持たせた。


六月十六日 

しぶしぶの天気だ。
日高やへ酒2升を取りにやる。
安兵衞が来て絹糸5分を受け取る。
秋田へ行く約束なので送るために山本先生宅へ夜筈なのに夜も10時頃に帰り今日は行けなかったとのことで子細は明日話すという。
夕方、小出に断りに行き、三島に行くので立ち寄ったが直ぐに帰った。
岩一郎は鷺の森へ参詣、その足で市川へ行き、梅本の会を終えて2時前に帰る。



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六月十三日、十四日

2017-09-11 | 嘉永四年 辛亥日記
六月十三日 

上々の天気だ。
安兵衞は庭の草取り。主人は学校当番。
夕方、田屋へ画を11枚持たせてやる。
夜にこいくが来てとよが片原まで送って行った。
彦右衛門殿がきて先日の扇の画は出来ているかと言う。
まだやってなかったので直ぐに描いてまだ有馬に居るらしいので安兵衞に稽古場まで持たせ行かせた。
守之助の頼みだということだ。
墨菊と墨桜を描いた。


六月十四日 

安兵衞が早朝に来た。
2時過ぎに山本督学がお出でになる。
肴を取り寄せ酒を出した。
4時頃に帰られた。


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