小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

五月二十九日

2017-07-29 | 嘉永四年 辛亥日記
五月二十九日 

快晴す。
早朝に梅本から庄兵が夜中に病死したとの知らせが来る。
(下働きによく来ていた庄兵は親戚の梅本の使用人だった)
昼頃にお直がきて直ぐに帰り茶菓をだしたのみ。
主人は学校当番なのでお城に出かける。
庄兵への香典を5匁とよに持たせて遣わす。
住吉町の岸へおくりを持参して当番代わりをもらう。主人行く。
一口にも足らない茄子が一つ3文づつで6つ求めた。
きゅうりが1本につき8文。
いずれも不出来。麦だけはずいぶんとできがいいらしい。

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五月二十五日、二十六日、二十七日、二十八日

2017-07-25 | 嘉永四年 辛亥日記
五月二十五日 
三宅から男に赤飯と枇杷を持たせて小重を返しに寄越す。手紙はなし。
小倉帯を丸岡で買う。代金は5匁8分だが5分引かせる。



五月二十六日  晴
こまやで酒一升をとる。
羊羹を買いに行く。
岩一郎は岡野へ行き、夕方から主人も行く。


五月二十七日  

督学へ香儀を持参する。練り羊羹と匂い線香一包みを合わせた。
三浦公へ行く。
先日からの勘定をして米5升持参して行く。11匁をキハチに渡す。
夕方に米を搗く。米は148匁でソラマメは80文なり。


五月二十八日  

何事もなし。


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二十四日

2017-07-25 | 嘉永四年 辛亥日記
五月二十四日  

雨が降ったりあがったり。
今日は主人が家にいる。
野呂清一が来て酒販を出していると、田宮の隠居がきた。
寿司を取ってもてなした。
野呂は別間で少し休んだ。ソラマメのご飯を炊いて出す。
鈴木忠太夫殿が母君からと饅頭を20ばかりくだされた。
それを菓子に出した。
夜の8時頃田宮の下男と下女が隠居を迎えに来たのでそれらにも酒を出す。
そこで5合取りにやって、都合一升五合也。
それから百合の花を薬にするのでくれよという三宅に行くと言う。
ミョウガを23本にソラマメご飯10杯を小重に入れて持ち帰られた。
安兵衞が洗い張りのできた帷子を持って来た。



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五月二十三日

2017-07-21 | 嘉永四年 辛亥日記
五月二十三日 
快晴す。
安兵衞が筍を2本持って来た。1匁を安兵衞に渡す。
4時頃から主人と岩一郎が山本へ見舞いに行き8時頃に帰った。
筍で混ぜご飯をこしらえた。
とよは昼過ぎに直川へ参らせる。お高を同道させた。夕方に帰る。
七山から届いた狂歌集を中ノ店、中ノ丁雑賀柳蔵方へ返す。
泥田坊の執事のことだが寺子屋の師匠とのこと。

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五月二十二日

2017-07-16 | 嘉永四年 辛亥日記
五月二十二日 
快晴。
今日と明日は勉強会が休みなり。
この頃は学校がひどく衰退してきているのが嘆かわしいものだ。
頑張っている山本に不幸があり
。誠に気性の良い人なのでこの先の学校を引き立てていくことと頼みに思っていた省太郞主が病死したため、当然ながら山本督学がすっかり力を落とされている。
伊藤泰蔵殿も昨年の秋から食べ物が胸につまるらしいが、具合の良いときもあってなるようにしかならないと言う。
よもやそうはないだろうと思っていたのに、この14日に法事を勤め、15日には弁書調べが貴志であっておおいにご馳走がでたというのに督学は省太郎が薬も飯も食べぬからと早くに帰られた。ゆえに主人は山本に見舞いに行った。
伊藤泰蔵殿は来られず寝ているとのことだった。
岩橋藤助主もこの頃は勝手元の具合が悪く難渋しており引きこもっていて来ない。
元気なのは浅之助・馬助・玄助・岸ら誠に頼りにならない者たちばかりなり。
しかし、浅之助はこの方頼りに思え会は誠に衰ええていくようで是も時節を待つべしか。
和佐の森右衛門が雉子を1羽送ってきた。

風呂を焚く。
夕方から山本督学宅へ見回りに行く。
九右衛門殿が2時前にこられた。最近は酒を吞まないとのこと、菜めしを炊き中くらいの鯛を取り寄せて食事に出す。しばらくしてから帰られた。
夕方、安兵衞を雇いにやる。明晩の明かり出しだ。
岩一郎は深津の弥一郎が脚気というので見回りに行く。
到来の雉子を持参し岸へ先日の礼に回った。
帰宅したらまだ九右衛門殿が話していた。
鈴木氏の使いの者がシデコブシの花を貰いにきた。




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