小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月三十一日

2018-01-31 | ちょっと寄り道
今年の一月はとても長かった感じがします。
来る日も来る日も寒くて、睡蓮鉢の水も氷り珈琲の木も枯れてしまいました。
四月に越してきた大阪の環境に慣れつつありますがやはり和歌山より大阪の方が寒いのかも。
それでも春は近づいてきているのでしょう。
ダダの散歩で立ち寄った氏神さまの神社では梅が咲き始めていました。
小さな花びらの梅です。


今夜は三年ぶりの皆既月食だそうです。雲が意地悪しなければどこからでも見られるそうです。
頑張って寒いけれど眺めたいです。


このつたない日記は嘉永四年から嘉永六年と進みます。
あいかわらずカメの歩みですがなんとか続けていきたいと思ってます。
今後ともよろしくお願いします。

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七月晦日(三十日)

2018-01-29 | 嘉永四年 辛亥日記
七月晦日(三十日) 

朝、伊藤から使いが来る。泰蔵の具合がかなり悪いという知らせで直ちに向かった。
帰る頃、とよとこいくが来て昼食を食べさせた。
庄右衛門も茄子や唐辛子を持参してきた。何もないままで酒を出す。直ぐに帰った。
今日は主人も休み。二時頃に起き出してまた伊藤へ行く。
女たちは帷子洗いが忙しい。
先日亡くなった市川斉親の忌明けとのことで礼に来る。
明日から稽古ありとのこと。
深津弥一郎が来て五美箪笥を返す。
夜、母君は直覚へ足袋を取りに行く。
井口の葬礼は賑やかだった。その時とよが泊まらせてくれというので連れて行く。
主人は少々暑気あたりで薬を飲んだ。
松江で発した大きな鉄砲の音が三回聞こえた。

ただいまのところ、作り方大いに良くて、近年にない豊作。諸々の作物は見事な出来だとのこと。
当たり年で雷も雲の上にあって鳴らず。時々、遠くで聞こえるばかり。これだけでもいいが病人は多い。

※※※※※
嘉永四年の日記はここまでしか残っていません。
嘉永五年の日記も紛失。
次はいよいよペリー来航の嘉永六年になります。
※※※※※


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七月二十九日 

2018-01-27 | 嘉永四年 辛亥日記
七月二十九日 

早朝に正住寺が礼に来る。酒券を三と五枚。えんどうにも送ってくれとのこと。
大暑だがしかし少々風がある。
昨日、藤四郎殿に「海外新語」五冊貸した。吉田とかいう人に貸すとのこと。
正住寺からの酒券持参で遠藤へ挨拶に行く。
浅之助が来たので遠藤へ行ったと告げると、自分も行くつもりだったとこれから直ぐに行くと帰っていった。
主人は十時前に帰った。
井口の隠居、101才になっていたが病死したそうだ。


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七月二十七日、二十八日

2018-01-25 | 嘉永四年 辛亥日記

七月二十七日 

朝の内少し曇る。
田中九右衛門殿より手紙来る。
善助のことで当月の十五日に江戸を出立し十四日ぶりに、今夕帰るという。
ゆうべはシンダチ泊まりとのしらせがきていた。
江戸表の御貸し方も貸し越しとなり少々不都合なこともあるとのこと。
浅之助が来て白砂糖一袋くれた。
夕方にはうち連れて内田善助が江戸から帰った祝いに行った。
遠藤一郎からもてがみがきていたので、そのことについて正住寺へ行く。
いつぞやに頼んだ両僧のこと。



七月二十八日 

大いに暑し。四時頃風があった。
岩一郎は帰国の祝いに内田へ行った。
房吉に昨日の蓋物、重箱を持たせてやる。
八時前に帰り善一殿の一緒に来る。
主人は山中殿へ教えに行く。
夕方、彦十郎殿、伊藤泰蔵が難しく用事もありと来られたが主人が留守なので庭から帰られた。
二、三服していると主人が帰ったのでお二人のことを告げるとそのまま追って出て行った。
岩一郎を酒を取りに行かせると主人と一緒に帰ってきた。
それからあり合わせで一盃出し十二時頃まで話す。
今朝、主人は遠藤一郎方まで礼に行った。節前銀の頼みと、正住寺から頼まれている両僧のことをお頼みおいたとのこと。
伊藤に見舞いに行くと家中の人がうちしおれていた。泰蔵がこの一両日ものも言わずただ息ばかりするだけになっていた。

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七月二十六日

2018-01-24 | 嘉永四年 辛亥日記

七月二十六日 

今日は主人と岩一郎が舟行するので人々を休ませた。昨日が休日なのだが京都振りかえたのだ。
小梅は早朝に起き出してこしらえをする。
留守中は静かだ。
昼前に下女のとよが帰った。西長町田中とかいう所に行くらしい。
妹のこいくまで世話して昼食を食べにきた。
四郎左衛門、千太郎、万次郎も学校から舟行に参加。
梶子(梶取)は権七。この者は心立てが悪くて出入りを禁止したけれどしきりに梅本まできて詫びるので、今日は主人が連れて行ったのだ。しかい、やはり良くないようだ。
夕方、みんな帰って来た。ハゼを六十

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