小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

五月六日、七日

2019-06-30 | 嘉永六年 癸丑日記

五月六日 

おおいに快晴する。
今日から五日間休業。
長太郎が本代を持参した。



五月七日 

天気良し。
四時頃に刑部来る。
すぐに昼飯をと混ぜ寿司を作っていると梅本でも一杯出すとのこと。
こっちには来ず主人と母君も呼ばれた。
夜。藤助どのがこられた。見舞いだという。精進物で一盃出す。
安兵衞は提灯の貼り替えに行く。二匁入りの火袋は一匁六分にまける。







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五月五日

2019-06-19 | 嘉永六年 癸丑日記

五月五日 

快晴する。
鳥谷が礼に来た。筆一本を持って来た。
その他秋月や山本らも礼に来る。
弘太郎に野呂が一冊本を売る。
沼野章七がお重に寿司を入れて送ってきた。
その一重を主人が松下へ持って行った。
御切米のこと頼む、
寿司を早々に食べているところに畑屋敷から大切な報せが来た。
直ぐに行く。(平七殿=豹蔵の父の兄)昼頃に楽入候とのこと。
夜には母君と梅本の妻が行く。さびしい。




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五月四日

2019-06-08 | 嘉永六年 癸丑日記

五月四日 
今日は学校当番とのこと。
あとで鉄之助が為輔殿が勤めにこられて誠に言語にたえないと申しきた。
夕方から小梅は畑屋敷の梅本へ行った。
平七殿は相変わらず老体ゆえにひどく危うい。
何も言わずしきりにたばこをのんでいた。

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五月三日

2019-06-02 | 嘉永六年 癸丑日記

五月三日 

少々くもる。
魚九にて肴を取る。ひらめ2,えび1で四匁八分。
それを内田に送る。
畑屋敷の梅本から今日は有馬の初幟(鯉のぼり?)で客を招くそうだ。
祝い酒を二時頃からおこなうという。奥さんもと招かれたが小梅は断って主人と雄輔が行く。
しかし、平七の八十才の祝いも申しきたので二人とも先にそちらへ行った。
主人は先に帰って有馬へ行く。八時過ぎに帰ってすぐに有馬へ行った。
十二時頃までで、皆が寝たのは二時過ぎだった。
客は六十人以上でおおいに盛り上がったとのこと。


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