小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月二十五日

2018-10-30 | 嘉永六年 癸丑日記

三月二十五日 

昼過ぎにまた降る。
三宅明之助が筍一本持って庭まで来て謡の本を返してくれとのこと。
筍は直ちに煮た。
今日は会で富永、札川、栗山らがきて酒を出す。
野口三伯が忌明けのことで礼にきた。
金原に昨日借りた提灯をことづける。
今日は山本健次郎はこなかった。着帯だったから来られなかったとのこと。
督学から暇があれば来るようにと言われていたが、会なので行かなかった。


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三月二十四日

2018-10-26 | 嘉永六年 癸丑日記

三月二十四日 

快晴。
省安方より袱紗を返しに来る。
財布を忘れたとか。返すのはいつでもと言いまた忘れた。
昼前、内田から喜助が使いに来る。
米三斗五升。二月二十五日から三月晦日までの二人扶持ということだ。
喜助に酒券1を遣わす。
昼過ぎに高柳、秋月、塩路、他一人が西ノ庄行きを誘いに来る。
上九で取口を求めて持参する。
主人は藤の花見で板坂に呼ばれる。鴻の巣という下屋敷らしい。
山本先生を誘いに向かう。鈴木忠太夫が来てしばらく休むとのこと。
督学は行かず健次郎は行く。
帰りは10時前。
雄輔は夕刻から大いに酔う。
銘々が瓢箪を持って行き寺で燗をしてもらったとのこと。

小梅は牡丹の花見。
庭中草花がおびただしく咲いている。
元々は牡丹を見るために出かけたのだがこの前の雨でみな散ってしまっていた。
この前の雨で高野詣りをして帰る者、藤崎で三人乗りの舟が難儀して十人亡くなったそうだ。


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三月二十三日

2018-10-24 | 嘉永六年 癸丑日記

三月二十三日 

雨が降ったので牡丹には行かなかった。
朝、雄輔は傘を持ってこの度の礼に行くらしい。
吉田は真善へ会のことを言いに行く。
省安が泊まっているので山半に跡つけてもらいに行くと後ほど行くとのことなので12種こしらえて待った。
2時頃にきた。
二箇所に灸をすえる。
酒と飯を出す。
夕方、山半がこものを迎えに来た。
主人は当年初めて岡野へ行く。10時過ぎに帰宅。
もはや雨はあがっていた。
饅頭二匁のを省安におくる。




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三月二十二日

2018-10-20 | 嘉永六年 癸丑日記

三月二十二日 

風呂を焚く。
三浦公へ行く。
塩路と高柳が来て、あす、西の店へ牡丹を見に行かないかと誘う。
同意する。
それからは羽織を洗い、半着縫いと大いに忙しくしていると酒井省安が来た。
今年初めてなので一杯出す。
幾太郎の話となる。
雄輔に灸点を頼む。ところが夜になってからすえようとした跡に来た。
12時前に小梅は風呂に入った。


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三月二十日、二十一日

2018-10-13 | 嘉永六年 癸丑日記

三月二十日 

大いに雨が降る。
下駄の歯を入れさせる。
今日は左氏の会で皆がきた。
主人は二日酔いで気分が悪そう。
竹田もきて、ブラリを取る。1匁。




三月二十一日 

おおいに快晴する。
学校当番だ。その後に三箇所に行く。
雨夜中。善之助主が雄輔に灸点を教えに来る。
あり合わせで一杯出す。
小出蔵助が潮路へ行くにつき挨拶にくる。
塩路は雪駄を持参して下駄を取りに来た。





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