小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

六月十七日

2017-09-18 | 嘉永四年 辛亥日記
六月十七日 

蘭引で酒を取る。
直川へとよを参らせる。
金森殿の家来に手紙を寄越した。
それによれば伊藤泰蔵が膈(食べ物が通らなくなる病気。胃癌、食道癌など)のようなので致し方なく秘法の鳬(けり)という鳥を黒焼きにして食べると妙薬になるそうだ。
なんとも手に入らないのでどうすればいいかと申し候ところ、あちこちでいろいろ世話になったが、大坂方面までも詮索されたがとんと見つからない。捨て置けることではないけれど致し方なく困惑しているとのこと。

返事をして伊藤へ見舞いに行き先の手紙を見せた。その後に金森へ行ってお目にかかったそうだ。
その足で岡本へ行く。この辺りは祭礼なので招かれたのだ。
10時頃に帰った。
卵を十個伊藤へ送る。
今日は多くの召状があったらしく当方へ知らせに来たのは川上喜左衛門だった。
どういうことになっているのかわからない。


コメント
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