小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

六月十一日、十二日

2017-09-08 | 嘉永四年 辛亥日記

六月十一日 

快晴す。
昼過ぎに野呂が来る。
酒を出し一盃、飲んでから主人は山本督学宅へ昨日の挨拶に行く。清吉を同道して10時前に帰宅した。
喜多村進之助がくる。
先日、伴右衛門は改名した。次男が疱瘡だという。


六月十二日 

快晴。夏のようだ。
未だ蝉の声は聞こえないが4月くらいの気候なり。
主人は評定所の当番ででかけた。
夕方前に岡本作五郎から画の図を取りに寄越す。すぐに渡す。
昨日の夜には宮本へ行った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六月十日

2017-09-07 | 嘉永四年 辛亥日記
六月十日 

快晴だ。
2時頃から岩一郎が斉観寺へ行く。
山本先生から省太郎の遺物の袴地を一つ送られる。
返事をしないで使いの者をまず帰す。
半切りに竹を書いたものを取る。
鈴木と村井は扇1本づつ。
田中竹蔵とかいう人とは紗と木綿が当たったとか。
夜、塩ハマチ片身を1匁で求めてきて皆で食べた。
梅本夫婦も呼び、酒を借りた。
そのうちにとよが帰り、母君と金比羅へ参る。
小梅は具合が悪い。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六月八日、九日

2017-09-05 | 嘉永四年 辛亥日記
六月八日 

大風雨。
鈴木芳右衛門より手紙が来た。本を返してくれとの由。
戸田殿が手紙を持って来たのでその場で返した。
こいくは昼前に帰った。


六月九日 
ようやく雨が上がった。
主人が三浦に悔やみに行ったが、もはや昨日に葬送を終えていた。
寺は坂田了望寺だという。そこで主人は山本督学とうし町の山中殿へ行った。内田へも行き宮本へ行く。
光明院、楠本やなど12、3軒へ行ったとのこと。
岩橋でも大いに酔い、そのほかでも、もちょっと、もちょっとと食べたとか10時過ぎに帰って来た。
岩一郎は勉強会で真善、千太郎、左内らと本を読む。
田屋から文が来る。その時布屋の安兵衞もきた。白帷子を二つ見せに来たのだ。
留め置いてあった帷子を返す。
夜に浅之助が来てすぐに帰った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする