小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

極月(十二月)五日

2013-06-21 | 嘉永二年
  
今日は大いに天気がよかった。
会の日なので皆々が来た。
九右衛門殿が寒の見回りに来たので、有合せの酒肴を出す。
夜は牛鍋を皆々に出した。
酒一升を取り寄せる。
楠みや浅之助どのも来る。
良蔵は頼母子講のことで両弥会次へ行く。
正住寺へそうめんを送った。
十時過ぎに山本は帰った。
その後も藤四郎、千太郎、万二郎、文斎、仁達、良蔵らみんな酒を呑む。
わたしは牛を三切れ食べたせいか夜中に腹痛をおこして下してしまった。
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極月(十二月)四日 

2013-06-08 | 嘉永二年
 
今日は少し暖かい。でも、二時過ぎには雪がちらついた。
植松殿は一昨日から一段と具合が悪いと瀧本源三郎殿が申される。
瀧本殿は正住寺からの帰りがけに寄られたそうだ。
当方は少々都合が悪く寄らずじまい。
今朝、良蔵を見回りにやったところ「昨日はとても心配したけれど今朝はかなりいいようです」とのこと。
また、岩一郎も見舞いに行った。
それから魚を取り寄せ、買い物などもして料理した。
扇のお重四つに寿司を二重、取口一重に肴一重に詰めた。
夕方にそれを主人と良蔵が持って見舞いに行く。
十時前に帰宅。留守中に朝之助が来た。
岩一郎は、もし山本が来たら帰りに寄るようにと頼み置いて畑屋敷に出かけた。
頼母子講のことで良蔵は山本に行った。留守だったとかで用が済まない。
山源が来た。まず十日にするつもりなり。
塩売りが来たので二匁のを求めた。一匁に五升うり。
権七がかれこれ手伝う。
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極月(十二月)三日

2013-06-03 | 嘉永二年

寒い。昼過ぎから山中殿へ行き、そのまま正住寺へ回る。
瀧本も一緒で精進料理を一重もらって帰る。
留守中に庄大夫は来なかった。原茂平の書を持参した。
夜になって遠藤一郎がきた。
親類に頼まれたので大きな紙に詩歌画を三人で書いてほしいとのこと。
年内に仕上げたいそうだ。
だから十五日までに描き上げてもらってその後十五日で表具仕上げにしたい。
お礼にはお酒と炭を差し上げ候という。
酒、牛肉、寿司を取り寄せて出した。
美人画を三枚見せた。
庄助が来た。
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