小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

別格16番萩原寺

2016-11-09 | 四国遍路 讃岐(香川...

萩原寺は名刹で参詣する人が多いのだろう。下っていくと大きな駐車場があった。その矢印に従って歩いて行ったが、どうもそれらしき建物がない。20分ほど歩いただろうか。バイクの女性がやってきたので尋ねた。あの矢印はおかしいといことで反対の方へ戻ると案外近くに分かりにくい小道があった。裏門なのだろう。

別格16番 挙鼇山 萩原寺  別格本山地蔵院
 ご詠歌 尊くも火伏を誓う地蔵尊 はぎの御山に世を救うらむ
ここではパンフレットがいただけた。
札所霊場 四国三十六不動霊場(第28番)
     四国別格二十番霊場(第16番)
     四国讃州七福之寺(弁財天)
書き写していたらよくわからなくなったけれど、要は昔からの名刹ということ。
讃州四箇談義所の一ヶ寺に定められ仏法興隆の一大拠点となり、室町時代以後には本寺として伊予・阿波・讃岐に末寺280余箇をもつ本山であった。






この寺は通称「萩の寺」と呼ばれて親しまれてきた。今ではここの萩は県の天然記念物に指定されているほどで9月中旬から下旬になると、境内いたるところに三十種類、二千株あまりの花が咲き乱れるという。
この萩原寺も雲辺寺も山号はともに「巨鼇山」である。弘法大師は雲辺寺山の頂上および麓に寺を建て、それぞれ千手千眼院雲辺寺、地蔵院萩原寺と名づけ、千手観音・地蔵菩薩を安置した。従ってかっては萩原寺を前寺、雲辺寺を奥之院と呼ぶようになっていた。
なお、道を挟んで茅葺き客殿という立派な建物が有り、菊のご紋の幕が張られている。歴代の天皇が行幸されたときの宿であったとか。茅で屋根を葺くのには大変な費用がかかるらしい。それを長年維持してこられたのは立派だとしばし屋根の美しさに眺め入った。
ここの納経帳は「萩庵」という納経所兼売店で書いてくれる。Sさんは書いて貰えたけどわたしは荷物を宅配便で送ったので残念。萩の模様のTシャツで素敵なのがあったがサイズが合わなくて断念した。手ぶらだと物を買いやすいので要注意だ。
その裏に風雅な茶店があった。


よしずの中の茶店に腰を下ろした。断って民宿のおおひらさんが持たせてくれたおむすびをいただく。熱いのや冷たいお茶を出してくれた。美しい老女の方も気さくに話してくれたがこの札所の大黒さんだった。どこか気品が違う。息子さん夫婦も忙しげに楽しげに仕事をこなしているみたい。大黒さんは大姑と姑に鍛えられてきたのでお嫁さんには同じ思いをさせないようにしてるとか。明るい若いお嫁さんの笑顔が素晴らしかった。
翌日はお祭りとかで屋台の設営で賑わっている立派な庭に紫色の楚々と咲く花があった。ペインテッドセージかなと思ったが名前が出て来ない。「あれは萩の一種ですよ」大黒さんが教えてくれた。まだ時期が早いので先駆けだそうだ。
萩の時期にはどんな風景になるのだろう。御朱印も頂けなかったし萩の時期に是非に再訪して大黒さんの話を聞きたいと思った。



タクシーを呼んで貰って観音寺駅まで行く。乗車券と特急券を買い、時間まで喫茶店代わりのコンビニで珈琲を飲んだ。
観音寺→高松→岡山→新幹線→くろしお
家には18:30到着。ダダの熱烈歓迎を受けて讃岐一国打ちの旅は終わった。




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 66番雲辺寺

2016-11-08 | 四国遍路 讃岐(香川...
 
5時起床。6時朝食。
横浜氏が「ゆうべ、うるさくなかったですか?」と言われる。夜中に奥さんからWindowsが勝手に10にされてしまったがどうしたらいいかと電話があったそうだ。それであれこれ話していたとのこと。10はこんな所まで追いかけてくるとおかしかった。でも、他人事ではない。帰ったら考えなくては。
奥さんにおむすびを貰いバス停に向かって出発。昨日Sさんが歩いてきた道。降りたバス停とは違うバス停。バス停はあったが時刻表に乗るはずの時刻が書かれていない。しばらく待つが気配もない。通りかかった人に聞くと殆どバスには乗らないけどと農協への道を教えてくれた。しかしバスの時間までかなりある。不安が増してきた。これくらいは歩かなければと励まし合って歩こうということになった。
さて、雲辺寺ロープウェイ乗り場はどっちの方向だろう。5キロくらいはあるはずだ。スマホでmapを見れば良いのだけどまた揉めるのが厭だからやめた。
Sさんは木工所にいた青年に道順を尋ね、結果、青年が車で送ってくれるということになった。地獄で仏とはこのことだ。ロープウェイ乗り場の駐車場まで送ってくれた。お摂待です、と。ありがとうございました。800台もの車を収容できる大きな駐車場。観光や車で訪れる人が多いのだろう。
ロープウェイは20分毎に出ている。この山上にあるのが讃岐最後の札所だ。

   
      


66番 巨鼇山 雲辺寺
 ご詠歌 はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る

四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、現在は麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めの「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。





   
      


以後、僧侶の学問修業の道場として「四国高野」として栄えた。鎌倉時代には七堂伽藍も備え阿波、伊予、讃岐に接する寺として関所の役割も兼ねる大寺院でもあった。
実に広い境内。本堂が新しい感じがしたが平成になって立て直されたという。
お参りをして納経帳も書いていただいて境内を散策。まだ早い紫陽花の小さな蕾に満開時を思い描く。鬱蒼とした森林のなかの遊歩道の両脇には五百羅漢が果てしなく並び立っている。新しい羅漢さんを設置していたのでしばらく眺めていた。石だから重いのだろう。小さなクレーンで車の上から降ろしている。まだまだ新しい羅漢さんの募集もしていたが、歩きで上ってくる道にもずらりと並んでいて登山者を喜ばせているらしく、さらにそれを殖やすのかもしれない。焼山寺や太龍寺を歩いて登ったあの気概をいつの間になくしたのだろう。今回はとにかく讃岐一国を全部廻りたいというのが目的になっていたと言い訳しよう。四国の目的地までのアクセスが大変なので回数は減らしたいのだ。でもね、歩かなかったことの未練は残る。それが何度も遍路を繰り返すお四国病の素なのかもしれない。
とにかく!ここで讃岐一国の納経帳は埋まった。めでたいと思おう。
乗り場付近でロープウェイを待っていたら羅漢さんに混じって山頭火の句碑が目についた。懐かしく感じた。所々の札所で見かける山頭火の句碑。彼は61歳で没してるのでまだ足は丈夫だったんだろうな。








ロープウェイ駅でザックを宅配便で送って貰う。後は帰るだけだからお金以外はいらないだろう。身軽になって、しかも下り道だからさくさくと歩ける。バス停があったら観音寺駅まで乗っていこうという次第。
途中に大きな犬の学校があった。ブリーダーもしているらしく何種類ものかなりの数の犬が居た。いっせいに吠える。小さい犬ほど長い間吠える。さらに歩いて行くと番外十六の萩原寺の看板が出てきた。

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