萩原寺は名刹で参詣する人が多いのだろう。下っていくと大きな駐車場があった。その矢印に従って歩いて行ったが、どうもそれらしき建物がない。20分ほど歩いただろうか。バイクの女性がやってきたので尋ねた。あの矢印はおかしいといことで反対の方へ戻ると案外近くに分かりにくい小道があった。裏門なのだろう。
別格16番 挙鼇山 萩原寺 別格本山地蔵院
ご詠歌 尊くも火伏を誓う地蔵尊 はぎの御山に世を救うらむ
ここではパンフレットがいただけた。
札所霊場 四国三十六不動霊場(第28番)
四国別格二十番霊場(第16番)
四国讃州七福之寺(弁財天)
書き写していたらよくわからなくなったけれど、要は昔からの名刹ということ。
讃州四箇談義所の一ヶ寺に定められ仏法興隆の一大拠点となり、室町時代以後には本寺として伊予・阿波・讃岐に末寺280余箇をもつ本山であった。
この寺は通称「萩の寺」と呼ばれて親しまれてきた。今ではここの萩は県の天然記念物に指定されているほどで9月中旬から下旬になると、境内いたるところに三十種類、二千株あまりの花が咲き乱れるという。
この萩原寺も雲辺寺も山号はともに「巨鼇山」である。弘法大師は雲辺寺山の頂上および麓に寺を建て、それぞれ千手千眼院雲辺寺、地蔵院萩原寺と名づけ、千手観音・地蔵菩薩を安置した。従ってかっては萩原寺を前寺、雲辺寺を奥之院と呼ぶようになっていた。
なお、道を挟んで茅葺き客殿という立派な建物が有り、菊のご紋の幕が張られている。歴代の天皇が行幸されたときの宿であったとか。茅で屋根を葺くのには大変な費用がかかるらしい。それを長年維持してこられたのは立派だとしばし屋根の美しさに眺め入った。
ここの納経帳は「萩庵」という納経所兼売店で書いてくれる。Sさんは書いて貰えたけどわたしは荷物を宅配便で送ったので残念。萩の模様のTシャツで素敵なのがあったがサイズが合わなくて断念した。手ぶらだと物を買いやすいので要注意だ。
その裏に風雅な茶店があった。
よしずの中の茶店に腰を下ろした。断って民宿のおおひらさんが持たせてくれたおむすびをいただく。熱いのや冷たいお茶を出してくれた。美しい老女の方も気さくに話してくれたがこの札所の大黒さんだった。どこか気品が違う。息子さん夫婦も忙しげに楽しげに仕事をこなしているみたい。大黒さんは大姑と姑に鍛えられてきたのでお嫁さんには同じ思いをさせないようにしてるとか。明るい若いお嫁さんの笑顔が素晴らしかった。
翌日はお祭りとかで屋台の設営で賑わっている立派な庭に紫色の楚々と咲く花があった。ペインテッドセージかなと思ったが名前が出て来ない。「あれは萩の一種ですよ」大黒さんが教えてくれた。まだ時期が早いので先駆けだそうだ。
萩の時期にはどんな風景になるのだろう。御朱印も頂けなかったし萩の時期に是非に再訪して大黒さんの話を聞きたいと思った。
タクシーを呼んで貰って観音寺駅まで行く。乗車券と特急券を買い、時間まで喫茶店代わりのコンビニで珈琲を飲んだ。
観音寺→高松→岡山→新幹線→くろしお
家には18:30到着。ダダの熱烈歓迎を受けて讃岐一国打ちの旅は終わった。