小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月四日

2018-08-30 | 嘉永六年 癸丑日記

三月四日 

曇る。雨の降らない内にと2時過ぎに久野が帰る。
虎之丞も松枝も行く。
夕方、いさが帰る頃から降り出し8時頃は大降りとなってあちらこちらが雨漏りする。
が、すぐに雨は上がった。
観如院様ご逝去のため禁止されていたきたる6日から普請しても良いとのこと。
同じく14日から鳴り物も苦しからずとの布令。
この廻状は岸から来て岩橋へ回した。
2月29日に出した状がくる。若狭で小鯛三尾上がる由。



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三月朔日、二日、三日

2018-08-25 | 嘉永六年 癸丑日記
 
三月朔日 

晴れてよろしき天気なり。
野呂清吉が来て酒を出す。安兵衞もきた。
今日も明日も総登城ながら主人は行かず。
夜、塩路嘉一郎が来た。筍を三本持参。酒を一盃だす。
北丁へ一升取りに行き雨が降り出す。



三月二日 

極上の天気なり。



三月三日 

おおいに快晴する。ゆるやかなり。
さて今日はお茶事が停止でみな淋しく梅本へみなで行った。
また、みなでうちに来る。となりの亀も安兵衞、房吉ら皆が来た。
夜は鷺の森へ参った。



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二月二十九日

2018-08-20 | 嘉永六年 癸丑日記

二月二十九日 

正住寺へ桜花見に行く。
小梅は妙宣寺へ参る。
まず出口と田中に寄る。久野も同道して2時過ぎに正住寺に着いた。
主人は藩校の当番で出勤したが終了後に直ちにやってきた。
桜の花は未だ満開に至らない。
田中忠左衛門夫婦子ら四人と滝本源三郎と先に来ていた。
夕方には送礼があって、是はまた珍事だと見物した。
さてさてものの哀れを感じて気分がよろしからず八時頃に帰った。
魚三匹買ってきて一つ吞む。
出口で出がけに一盃出され食べた。おおいに気分よろしい。
安兵衞も来て一緒に食べる。

夜、廻状がきた。山本彦十郎からお目付衆の廻状。
これは観如院様が今月の二十四日の未の刻にご逝去になった。
ゆえに、今日から十七日野間月代禁止。
お側は二十七日の予定で日数については追ってしらせるとのこと。

※観如院
第12代紀州藩主徳川 斉彊の正室。近衛忠熙の娘




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二月二十七日、二十八日

2018-08-16 | 嘉永六年 癸丑日記

二月二十七日 

おおいに快晴。
昼過ぎに虎吉がくる。今日は真善の方で花見があると昨日呼びに来た。
酒券2枚持参して行き夜更けに帰った。
雄輔も招かれたが行かなかった。
市川左内、武之丞らが同座し、木村熊太郎来る。



二月二十八日 

風呂焚く。
今年初めての左氏の会が行われ皆々くる。
守谷、覚円寺、鉄介だけがこないだけ。
終わってから一盃出し、夕方帰った。




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二月二十六日

2018-08-03 | 嘉永六年 癸丑日記

二月二十六日 

直川へ参る。小梅、雄輔、久野、虎吉、万次郎、いさ等。
風が立つ。4時過ぎに帰る。
主人は雄輔のことで有馬に行った。
随分快く請け合ったそうで大いに酔って帰る。
マンボウが日高で獲れたのを貰ったとか料理にして出されたそうだ。
脂気なく吸い物はかんてんのようだったという。
夕方に虎吉が帰った。




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