小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

ある老女優の死

2017-06-29 | 雑記
小倉の市民劇団の女優だった由利子さんが亡くなった。
先日公演で行った時に電話したら家の中で転んで足が痛くて動けないという。
それで来られると大変だろうとお邪魔するのをやめた。
それから一ヶ月あまりで届いた訃報だった。

あの時無理にでも押し掛けるべきだったのかどっちにしても後悔はつきまとうだろう。
足の痛みが改善されないので手術をすることになり術前検査で手遅れの肺がんがみつかったという。
そして、その翌々日に急ぐように逝ってしまったと。
痛みや死への不安を感じる時間が少なくてよかったとそれが救いになった。

由利子さんは東京で女優をしていたが結婚のために小倉へ呼び戻された。
親の意には逆らえない時代だった。
親の決めた嫁ぎ先は江戸時代から続く和菓子店。
小倉には敗戦直後から続いている市民劇団があった。
由利子さんは子育てが一段落すると劇団に入った。
社会人ばかりの劇団だから稽古は夜で昼間は和菓子店のおかみさん。
プロの水をくぐってきた由利子さんの参加で劇団は変わった。
役者としても裏方としても趣味感覚だった劇団員に衝撃を与えたのだった。
劇団になくてはならない人になった由利子さんだったが骨折したのを機に平成十八年の公演を最後に退団した。
見れば気になるからと観劇にも楽屋にも一切姿を現さなかった。
一本も二本も筋の通った人だった。華も意欲もある人だった。
新米だったセンセの私は色々教えて貰ったしケンカもした。本音で話せる数少ない人だった。



ご主人に先立たれ老舗の和菓子も製造中止。
「今が一番幸せ」と最後に会った時の笑顔が忘れられない。まさに演じきった女優の顔に見えた。
享年七十九才。
数年の内には追いかけるからまたケンカしようね、由利子さん。
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五月十五日

2017-06-27 | 嘉永四年 辛亥日記
五月十五日 
快晴だ。
昼頃、赤石清友(大坂の絵の具や)の代理で孫助がくる。十七匁九分払う。
また、二十三匁五分の物を取る。但し、絵絹一丈 〇藍蝋1本 〇朱半両 〇胡粉四分 〇四匁にて唐墨二挺、十四匁、きぬ、しめて二十三匁五分なり。

梅本家では皆が城の口へ法事で出かけた。
酒井省安が狂歌集一冊持ってきた。何も出さなかったが姿絵を一枚贈った。
夕方、平七どのが梅本に来たけれどみな留守で千太郎しか居ないとうちへ寄った。禁酒中だとかお茶だけで帰られた。
4時頃、浅之助が来て連れだって住吉町の北野へ行った。
岩一郎も招かれていたが真善の家での集会(勉強会での講師)があるので断りを入れた。
了吉と万次郎らも誘いに寄り吉田に行き、帰りは2時なり。
主人は8時前に岸から帰り、また中の丁の山本へ行った。
省太郎どのが薬も飲まずにいるので飲むように勧めに行って色々と申したらしい。しばらく飲んで2時前に帰る。
岸はおおいに歓迎してたくさんご馳走を用意し、客人も居たが山本彦十郎と主人が先に帰ったのでがっかりされたかもしれない。
寿司を一重持ち帰った。



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ダダ、町の子に

2017-06-25 | 雑記

自然いっぱいの町から越してきて二ヶ月あまりになりました。
なんだかんだと雑用に追われながらこの街にも馴染みつつあります。
マンションの並び建つ町ですが古い町並みもたくさんあり、大小さまざまな公園も点在していて日々のダダとの散歩が楽しいです。
救急車やパトカーのサイレンに呼応して吠えてたてていたダダですがサイレンの数の多さに時々手抜きし始めています。そのうちに吠えなくなるのでしょう。
ペット可のマンションですが年々規則が厳しくなってきたみたいです。(十五年前はもっとおおらかだったですぅ)
越してきてからダダも学習したのか(年のせいもある?)かなりおとなしくなりました。エレベーターの中でもワンちゃんと出会っても知らん顔。助かります。町の子になったのでしょうか。


ダダとの散歩でいろいろリサーチしてます。
うちから見える神崎川にはサイクリングロードがあるのですがかなり遠回りしないと川岸まで行けません。
この川にはJRと地下鉄と阪急の3本の鉄橋があります。



歩いている人や走っている人が多いです。お花畑もあるんです。
でも、水鳥の姿が見えないのは寂しい限りです。毎日、アオちゃん(アオサギ)と話していたのでこれだけはほんとに寂しいです。
余談になりますが和歌山で追っかけしていた和歌山コウちゃんは生まれ故郷の豊岡で三羽の雛のお父さんになっています。
和歌山でもあちこちで巣塔作りの場所を探していたようですが、やはりしっかりとコロニーが作られてている故郷におちついたのですね。

都会ではカラスが多いです。ケンカも激しい。
この前はお風呂屋さんの煙突でケンカしてました。
ほっとするような佇まいのお風呂屋さん。孫たちがきたら連れて行こうと思います。



この街には神社もお寺もなんでもあります。要・不要に関わらずなんでもあります。
びっくり箱のような町だと思います。ダダは田舎の子からその、この町の子になりました。


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五月十二日、十三日、十四日

2017-06-20 | 嘉永四年 辛亥日記

五月十二日 曇時々雨

時々降る。
三浦に行き岩橋に寄って、浅之助と一緒なったが一丁目で別れて帰ってきたそうだ。


五月十三日 

珍しく天気となった。夜には月も出た。風呂を焚く。
主人はどこへも出かけない。
とよの妹がきて泊まった。
森谷正八から魚(小魚6,はまち1)が送られてきた。さっそくに料理した。


五月十四日 

大いに快晴だ。
蒲団を洗う。
同五で酒を二升取り寄せる。
ぶしゅかん酒を作った。
2時頃からとよが妹と八百屋のおたかと三人連れで故郷へ帰った。少々揉めているようだった。
主人は4時頃から方々へ行った。
呉服やの安兵衞がきた。喜多村が新たにくる。
伴右衛門の事、出産の祝いに行った。魚を送った挨拶でもある。

大坂から赤石清友の使いが来る。
夜には岩一郎が市川に行き、権七もちょっときた。
大工の伊兵がきたので燭台の箱を拵えさせる。
田宮に返事を書いて弟御に言付けた。

10時前に主人が帰宅。富永で酒を吞んできたそうだ。
仁井田、岡本へも行ったらしい。



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五月十一日 

2017-06-18 | 嘉永四年 辛亥日記

雨のち曇
昨日、小出に絵を置いてきたが少々気に入らない所があるので江戸へ出すのは具合が悪いので、そのことをとよに申しやる。
今日は少々陽も見えたので糊をしかけはじめたが、またおかしな天気となった。
最近の天気の具合は非常に悪くて麦にも菜種にもひどく悪く、茄子などもひどいものだ。米は150目也。
天候が不順なので袷に襦袢を重ねて丁度よい。
昨夜は田中善一殿が来られて主人は外出中だったけれど一盃出した。
とよの妹がきて一晩泊まった。
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