小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

六月十七日

2020-07-15 | 嘉永六年 癸丑日記
六月十七日 

大暑。
異国船がおいおい騒動となって対処のために人々が出立する。
異国の人ののぞみは伊豆の大島を借りたく不承知ならば手向かってくるとのことで、九十軒に三千人ほどづつ乗組んだので船が山のように見えるそうだ。
一戦のつもりで小谷某が相務めたとのこと。
江戸からの状の写しをしるす。
こちらにてもそれぞれ仰出され、一番手二番手まで出す。
金沢弥右衛門の組下三十人ばかりを呼び出し、この度の義につき具足七十出したがこの内の二領は自分の着用分也。
そお余は皆々へ貸し遣わし金十両ずつ貸し候。大いに受けた。
渡辺一角、千本某、は今晩出立する。久野殿も仰せられる。
菊の間づめになった処、また元のようになって支度ができ次第江戸へ参るべし。
これは異国船の外のことだとのこと。
かててまぜて又一昨夜、宮崎、野口、橋本、西岡、これらは二里の外へ追放で清水へやられた。
長沢清右衛門は親へお預けのうえ扶持も召し上げられる。浅倉三之丞、山中は千石取り上げられ、十六日の夜、落合ら九人ほどをお目付三人に聞く。また十七日の晩には山中篤之助と渥美がいかが仰せつけられるかわからない。

お城当番と三浦へ行く。
彦坂へも行き夜分に安兵衛を出口に麦と茶を取りにやる。
機返し四匁受け取るが五分の損。


(お取り調べの件、調べてみたがわからず。三日にペリー来航によって城内慌ただしい。治宝公の死去によって政権も不安定)


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六月十六日 

2020-07-15 | 嘉永六年 癸丑日記
六月十六日  

曇る。蒸し暑い。
夜、出口の老母が帰られる。
皆で片原まで送った。

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