小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月十一日

2016-01-30 | 嘉永四年 辛亥日記
 

早朝から権七がきて伊勢屋への買い物のことにかれこれと世話を焼く。
夜前にお金がきたけれど客だったので帰り、また今日は庄兵へとお金がきた。
染嶋着物を持参也。(お金は戸田家の女中)
富永へ酒二升を旧冬結構の祝いに送る。同五で三升を権七に取りに行かせた。
肥取りの武八が干し大根を持ってきた。肥が欲しいとのこと。
田中へも風呂敷の間違いで権七をやる。
何かかれこれ煩雑なことよ。
主人は楠本屋へ行きビードロの徳利を持ち帰った。
黒江が来たので塩鯛一つ遣わした。
田中久右衛門殿から使いがお年玉のシャケの切り身と浅草海苔十枚を持ってきた。
そして下女が出候間、こちらへ置いて使ってみてはいかがとのこと。
主人が留守なので返事はあとからしますと言って帰らせた。



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一月十日 

2016-01-28 | 嘉永四年 辛亥日記


和歌へ初詣。
夜、九右衛門殿が来られた。
老母が持ちなれた物だがと桐箱に入った鉢二つに饅頭を入れて持ってこられた。
大盥、これは内田から送られたとのこと。
主人はなかなか帰ってこないのでどうも手持ちぶさたで困ったけれど、まず酒を出していると八時過ぎに帰って来た。
十時過ぎに善一殿が迎えに来た。
十二時頃に野呂清吉へ金壱歩を送った。
これはこの前四日の夜に来て「どうか五十目貸して欲しい」と言ったが手元にない由伝えるとどこからでも借りてくれというので、藤四郎に頼んでみるので明後日においでなさいと言っておいたのに来なかったので持参したのだ。
前からおいでくださいと言われていた和合院へ寄った。
山本彦十郎殿、伊藤泰蔵殿、浅之助も一緒に行った。
清吉ももてなしを和合院から頼まれていたと同座するとのこと。


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一月七日、八日、九日

2016-01-25 | 嘉永四年 辛亥日記
 
一月七日  

主人は年始回りの残りを廻って終日留守。
佐治右衛門がこへ代(?)を持参した。
壱歩十枚。これでは不足なのでその訳を言う。あの方は十人の勘定の筈。
西光寺が礼に来る。

一月八日 

美濃から寒見舞いの手紙が着いた。

一月九日 

嶋本伝右衛門が元旦に死去していた。主人は昼から嶋本へ平服で悔やみに行く。
夕方には岩一郎も見舞いに行く。今晩、葬式なり。
熊五郎を供にして小梅も行く。
美濃へ書状を書く。干しカレイと箱に入れて送る。二匁八分。飛脚賃は二匁と五十六文だった。
中の丁の山本から使いが来て「明日、和歌へ初参りをするかどうか」と尋ねられた。凍み豆腐を六十ほどもらった。
永井勇左衛門挨拶に来る。
安兵衛は薪割り。
小出の老母が昨日死去したとか。知らせもこず。
シカが裏へ来て垣を越えて鈴木へ行く。
朝から近所中を飛び歩いているらしい。牧野に捕らえられたらしい。



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一月4日、五日、六日

2016-01-21 | 嘉永四年 辛亥日記
一月四日 

大いに晴れた。
岩一郎の誕生日なので赤飯を炊いて梅本(夫の実家)へも酒飯を持って行かせた。
彦十郎殿も来たが直ぐに帰り、昼頃に富永と筧といっしょにきたので酒飯を出す。
8時過ぎに清吉が来て酔っているので酒は頂けませんとのこと。餅を焼いて出した。



一月五日 

今日も良い天気。
主人は昼前から年始回りに出かける。
安兵衛が小肴を二つ持って挨拶に来た。一盃出す。
留守中に桃井より使いが来た。よしの紙一束。
夜の10時過ぎに主人は帰ってきた。



一月六日 

天気は良いが寒い一日。
主人は終日寝ていた。
八百輔が挨拶に来る。
安兵衛が日高やの酒を二升取って来た。
4時頃に権七が来たので、楠本やへ重箱を返しにやる。
梅本へ浅草海苔を5枚持たせた。



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一月三日

2016-01-19 | 嘉永四年 辛亥日記
 
寒い。しかし、陽はよく当たる。
早朝より主人は熊五郎を連れて出かける。
万二郎が案内をしたので昼飯を出す。岩一郎も周り昼前に帰った。
今日は節分。吉五郎親が八十になったと来た。酒を飲ます。
八時前に主人は帰り、熊五郎に五百文を遣わした。
母君と岩一郎はさぎの森へ参った。

(さぎの森は鷺の森別院のこと。浄土真宗本願寺派の寺院。雜賀御坊(さいかごぼう)、鷺森本願寺ともいう。京都の西本願寺の別院で現在も現存し活動をしている。川合家のあった西釘貫町から徒歩十分くらい)



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