小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月二十一日

2018-03-29 | 嘉永六年 癸丑日記

一月二十一日 雨

十時日過ぎから降る。
喪中につきご機嫌伺い(通夜?)に登城する。
昼頃に相済みお目見えは以上。
市川で傘を借りる。
昨日四時過ぎに塩路嘉一郎がきて身分のことを話した。茶のみをだした。
長坂から鍾馗(五月人形にあるしょうき)を板に描いてくれよと言ってくる。
玉置縫が水ばかりを飲んで死去したという。
伊達は十七万両引き下げらたそうだ。
宮崎伴右衛門は頭取ゆえにこの節なのでお調べの最中なのに出勤に及ばずと引きこもっている。
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一月二十日

2018-03-24 | 嘉永六年 癸丑日記

一月二十日 

のどかなる天気なり。
今日は一位様のご容体がかなりお悪いご様子なのでご機嫌伺いの謁見有りとの廻状がきたので出かける用意をしていたら、岸恪助が廻状を持って来た。
仰せられることあり登城すべしとのこと。廻状を岩橋に回し主人は直ちに出かけた。
浅橘がきて出がけなれど酒一つだす。肴は残り物。
眼鏡屋がきて古いのを下取りに出し一歩二百文で買い換えた。
千太郎に襖の切りはめを頼む。

一位様、お加減が悪かったところご養生が叶わず、今晩の寅の刻にご逝去遊ばされた。ご法号は舜恭院様と申し立て奉る。

田中九右衛門は百か日のこと。

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一月十九日

2018-03-23 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十九日 

大いに寒し。
安兵衞が襖を買ってくると来る。二朱渡す。
しかし、それはもう売れてしまっていて一反か選って出直す。
真菜を抜いてひと包みを出口へ持参。
日高やえも行って鞍掛(この場合は踏み台?)を持ち帰る。
酒二升取る。
学校当番に出る。いかのたたきを岩橋に持参して酒を吞み箸箱を買って帰る。
千代が久野を迎えに来る。
寿司や赤飯の二重と取口など送られた。
小梅は出かけようと湯浴びをしたがやめにして行く筈だった雄輔もやめて安兵衞に送らせた。
鞍掛一つ持ち帰った安兵衞が襖三本を七匁五分で求めてきた。





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一月十八日

2018-03-21 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十八日 

ご機嫌伺いに出る。四時揃い。
今日は塾の日だがご機嫌伺いのために御殿に行く。
夏目が来る。沼野が用事有りと断ってくる。
十五日ひ鈴木久三郎から使いが来た。
年玉として裏つき一足、菓子一箱持たせ寄越す。
返事は後からと使いを帰した。
秋月重三郎が来る。
主人は留守だったが帰り道で会ったと連れだって帰り一盃だす。
塩路嘉一郎の身上のことを頼まれる。
夜、鷺の森へ皆で参るが小梅だけは留守番した。
安兵衞が土掘りにきた。

※ 鷺の森本願寺
和歌山市の中央部に位置する浄土真宗西本願寺派である鷺森別院(今も参拝客が多い)の周囲に所在します。
この鷺ノ森遺跡は、現地表面から約60cm下の江戸時代末期の生活面から約2.5m下の古墳時代の生活面まで6~7面の生活面が存在します。
これまでの調査では、古墳時代の溝、飛鳥時代の竪穴建物や掘立柱建物、鎌倉時代の井戸、戦国時代の堀、江戸時代の建物礎石や井戸、鍛冶関連遺構など各時代の生活跡が発見され、これらに伴う膨大な量の遺物が出土しています。
戦国時代の堀は約17m、深さ3mに及ぶ大規模なもので、当時の本願寺の方向と合致します。





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一月十七日

2018-03-18 | 嘉永六年 癸丑日記

一月十七日 

天気よし。
今日は学校の初稽古なので揃って八時頃に出て行った。
四時頃出口のご新造が、後から千代がきた。
湯川ノブが娘を連れてくる。
あり合わせで酒を出す10時前に帰る。雄輔が送って行く。
また酒を出されたそうだ。
二時頃に廻状が届く。
一位様(十代藩主・徳川治宝。隠居ながら藩のトップ)のお加減が悪いのでご機嫌伺いの件。
明日四時揃いのこと。


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