小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

七月二十日、二十一日

2017-12-31 | 嘉永四年 辛亥日記

七月二十日 

おおいい暑し。
安兵衞がきて木を切る。檜の根も切る。
朝、こいくに朝飯を食べさせる。房吉も食べずに来たので食べさす。
4時過ぎに浅之助がきて一盃出した。
今日は耐えがたいほどの暑さ。



七月二十一日 

酷暑だ。
昨日は少し風があった。
今日も安兵衞がくる。
美濃から手紙がきた。野上からの返書で松九が持参。
主人は遠藤へ行くと菓子を用意して出かけるが行かなかったようだ。
安兵衞は今日も木を切るが四枚残した。
酒を一升取る。

 
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七月十九日

2017-12-30 | 嘉永四年 辛亥日記
 

大いに暑い。
遠藤が手紙を寄越す。
房吉が今日もきて米を搗く。
13日の風雨(あらし)に栄谷あたりの山が崩れたそうで、池が二つつかえて上方の損害余程のことらしい。
橋本の下屋敷も貴志のあたりにあって数寄屋建ての棟上げも済んだところで、大工の道具も置いたままで流してしまったという。
この下屋敷を守っていた物は泳ぎがうまいので助かったらしい。
夜半に水が出るという声がして外に出たが、もはや水は山のように高くなっていて二人の子供の姿が見えなかった。訊ね回ったら井戸の傍で見つけ、二人を抱えて二階に上ると女房も二階に上る途中で首まで水に浸っていた。家も倒れかかっていたが運良く大木に支えられて持ちこたえた。
今少し水がきたら全く危なかったが、水に追われるように懸命に逃げて命が助かったのだ。
今も次々と人が来て心配でならない。
橋本から気付けを遣り薬なども煎じ続けてようようと快方に向かっているとのこと。
誠に急な来事で諸々の出費、被害額は相当な物だ。
梶取潮五郎方でも損害は千両の上でお上にもかなりの物入りであることよ。
池が二つ崩れたために畑はみな役に立たなくなった。

とよがこいくを連れて帰って来たがとよは泊まらなかった。


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七月十八日

2017-12-30 | 嘉永四年 辛亥日記
 

天気良し。
岩一郎が遠藤へ返事を持参する。
おかねが房吉を連れてきた。米一臼、麦一臼を搗かせる。
主人、岩一郎、田中善一らと舟遊び。村井も来られて同行。
にぎり寿司を拵え、肴三つ整えてお弁当。
酒一升を田中店にて取る。
本当に暑い。風はない。雲が多く今年中で一番の暑さだ。
六時頃、主人と岩一郎が帰宅。ハゼ13匹釣ってきた。

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七月十七日

2017-12-20 | 嘉永四年 辛亥日記
 

天気よし。
主人はお城当番。帰宅後は三浦殿へ行く。
岡野、戸田、田中へも行き夜に帰る。
留守中に遠藤から手紙が来た。
丁人押しのこと、盆前借用の差し入れのことなど。
明朝の朝に返事をとのこと。
岩一郎は梅本両人と夕方に直川に参った。
母君、一丁目まで行く。
おかねがきて野郎(下僕)を置かないかという。
まずは会わないと何とも言えないとというと、連れてきた。
なかなか良さそうだがその場では決められなかった。
三宅作右衛門の娘のおひさが来た。権七もきた。




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七月十五日、十六日

2017-12-17 | 嘉永四年 辛亥日記

七月十五日 

おおいに快晴する。
岩一郎は寺参り。
とよは里帰り。
小梅は扇2本と畳紙(たとうし)へ絵を描いた。
三つを田中了吉宅へことづける。とよへも二つやった。
夜、一丁目まで主人と岩一郎が行く。
うなぎを買って精進揚げにした。
月の色が誠にいい。静かだ。


七月十六日 

早朝に村井定二郎から西瓜が一つ届いた。
手紙が添えられていて返事を書いた。未だ取りに来ない。
今日もおおいに快晴で涼しく心地良い。
しかし、海鳴りが大きくしばらくして止んだ。
何事もなく静かなり。



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