小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

七月八日、九日

2017-11-28 | 嘉永四年 辛亥日記
七月八日 

晴天。
主人は2時頃から山本督学やかけひなどへ行く。土産持参なり。
藤四郎も同道で帰りに一杯飲む。その後岡野へ行く。
安田市兵から手紙が来る。
実家の兄が病死したので半減の服を受けさせられたゆえに稽古を休むとのこと。
下条伊兵殿(家老)死去なり。


七月九日 

8時過ぎにパラパラと降る。ひどく蒸す。
昨日、笹屋が日本外史を二冊持参。
一昨日は室内膳とやらへ海防の写本1を貸す。出張の折に持参した。
松九へ向かい七山への遺包物を頼む。
主人は米与と永井勇左衛門へも行く。
野上の家の者が本代を取りに来る。
安兵衞に渡すようにいいつけると千代を連れてきた。
五十目渡し、梅本の分も立て替え、一両二歩二朱渡す。
一束足らないので一匁引き五匁ほど余るはず。未だに受け取っていない。
六十四匁の勘定になり梅本に告げる。

米与へ二百目借用に岩一郎を行かせる。が、今年は何方さまにもお断りしているのでお貸しできないとのこと。それ故、主人が行くなり。
浅之助がきて酒を出す。
遠藤から返事が来た。


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七月六日、七日

2017-11-16 | 嘉永四年 辛亥日記
七月六日 

大いに暑い。
喜多村から頼母子の申し出の手紙が来た。
主人は未だに不愉快なので返事は後でと使いを帰す。
伊藤から祝儀に金と肴3を送られた。
安兵衞と熊がきて井戸かえ(さらい?)表と裏で3匁なり。
夕方に浅之助が来て酒を出す。
遠藤へ申し込みくれ候にと頼み置かれたことに返事した。



七月七日 

8時頃出勤する。昨夜、吉田真善方へ太市郎等会で行く。
市川へも出がけに寄った。
盥の桶輪入る。
4時過ぎから昨日申し込まれたことの返事に喜多村へ行く。
栗山から祝儀に百疋くる。
今日は至って静かである。
下条殿は昨日、いつもより機嫌良く木の本あたりの別荘へ行かれたが、途中で道が塞がれてそれから未だに通れないということで主人はお城から帰る途中に見回りに寄ったそうだ。
この頃の暑さはまことに強く、みな暑気あたり。

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七月五日

2017-11-09 | 嘉永四年 辛亥日記
七月五日 

魚九で大きなスズキを1本12匁で買う。
これを山中殿へ土用見回りに贈る。
同じく4匁5分で塩ハマチ2本を求めて岡本次郎左衛門にこのほど結構なことがあったので祝いに送った。
滝本源三郎が来て酒を出す。
主人は学校当番なのでお城へ行く。ついでに岩橋藤助宅により滝本も同道した。
4時頃帰宅し少々暑いという。
酒井省安が土用見回りにきた。にゅうめんを出す。
酒井は白砂糖と麦の粉を持参した。
滝本へは肴切手二枚、岩橋へは酒券一枚持参。
おおいにご馳走されたらしい。
大義の相談事を話し合ったという。
和田与三左衛門から見回りに小鯛2尾を寄越された。

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