小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

11月25日  結願高野山

2016-12-22 | 四国遍路
11月25日  結願高野山

晴天、風冷たし。
名残の紅葉を見に行こうと夫が高野山へ連れて行ってくれた。ありがたや。
これで結願報告を年内にできる!
高野山には何度も行っているがこんな風にお詣り主眼では初めてだ。
8時に家を出て9時半に大門到着。近くの駐車場に入れた。ここは無料駐車場が多い。ありがたや。





真言宗総本山 高野山
ご詠歌 ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる
(金剛流ご詠歌がたくさんある)
本尊 大日如来 弘法大師
高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。.wikipediaより)
金剛峯寺は高野山真言宗の総本山。












壇上伽藍
一般寺院での本堂の区画にあたる。国の史跡であり世界遺産でもある。弘法大師が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、奥の院と共に高野山の二大聖地の一つ。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並んている。紅葉が少し残っていたし、十月桜も咲いていた。
奥の院
国の史跡・世界遺産。空海の御廟と灯籠堂がある。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所があり、シロアリの墓標まである。実家のお墓も有るはずで幼い頃に連れてこられたように思うけれど古老がみんな鬼籍に入ってしまったので場所を聞く人がいない。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の橋からは撮影禁止となる。御廟までは約2km。






御廟は地下にあって順路がもうけられていた。ここは『弘法大師は今も生きている。高野山奥の院の御廟に座して1日2回の食事をとっているという場所。
さすがに凜とした空気が流れている。
奥の院の納経所の傍には水向地蔵が並んでいてお水をかけた。線香の煙が『時』のように流れている。
納経所で最後の御朱印をいただいた。「結願ですね。おめでとうございます」と言われた時にはふいに涙がこぼれそうになった。言葉の重みを思う。








高野山には無数の寺院があって納経できるのは117もあるとか。ゆえに高野山専用の納経帳も売っていた。わたしの納経帳は金剛峯寺と奥の院だけで白い頁はなくなった。冒頭頁に御朱印をいただくと忘れ物がもどってきたような感じだ。
奥の院からの帰途、違う道筋を行くと無縁仏の山?があった。樹木葬とか共同墓地のはしりのように感じた。




それにしても高野山は広い。宿坊で二泊ほどしなければちゃんとは回れないだろう。大門から奥の院まで次々とバスがでている。勿論、乗らなかった。大門から往復とも歩いた。参拝後、昼食で精進料理を食べた。
また、高野山大学の学僧たちが巡拝に回っている姿も見られた。
お遍路は歩かないと出会わないこと、見られないことがたくさんあると改めて思う。
ちょっと寄り道して製造販売をしている胡麻豆腐を買った。ちゃんと保冷袋を持参していた。
15時半の帰宅だった。







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四日目4 67番大興寺

2016-11-08 | 四国遍路

67番 小松尾山 大興寺
 ご詠歌 植えおきし小松尾寺を眺むれば 法の教えの風ぞ吹きぬる
大興寺は、同じ境内に真言宗と天台宗の異なる宗派の大師堂が並ぶ非常に珍しい札所だ。東大寺に末寺として742年ごろに建立され、最澄の影響で天台宗になったとされている。境内からは奈良時代の遺物が発見されている。





後に、火災で焼失後に弘法大師が嵯峨天皇の勅願で再建した。 その為、異なる宗派の大師堂が存在する珍しい札所となっている。 天正の兵火で焼失し、江戸時代に再建されたものが現在の姿となった。 境内の見所 ・仁王門の金剛力士像は、高さ3mで四国最大で運慶の作と言われている。 ・石階段横に、弘法大師が植えたとされる樹齢1200年の楠の木がある。
一帯は小松尾という集落で地元では「小松尾寺」と呼ばれて親しまれていた。
最盛期には七堂伽藍をもち真言宗24坊天台宗12坊が軒を連ねた大寺であった。
山門の近くに大師が種を蒔いた樹齢1200年になるカヤの木と楠が立っている。





もう投宿手続きを済ませているのでゆっくりと参拝できた。先を急ぐ遍路さんたちでかなり賑わっていた。気持ちの余裕というものも大事だと思った。裏の方に小さなお社が二つ。誰もいない。静かだ。山中の小道のようなものが続いていたので進んでいくとなんと民宿のプールに出た。こんなに近かったんだとびっくりした。
夕飯は二階のホール。上がってその昭和レトロなダンス会場の趣きに驚いた。なんでも、ご主人のお兄さんが始めた民宿で界隈の社交場のような役目をしていたらしい。そのお兄さんが脳梗塞で急逝してしまい、以来夫婦でいつ止めようかと言いながら7年も8年も経ってしまっているという。部屋は広々としていたが間に襖を入れて二間に使えるようになっている。当時はさぞ賑わっていたのだろう。
同宿者は3名の男性。もうすぐ結願の横浜からの歩き遍路さん、茨城からのバイクで順打ちの人、歩き順打ちの人(無口)。遍路宿の良い点はこうした束の間のふれあいにもある。
それにしても、ここの奥さんは一人でよく切り回している者だと感心するばかりだ。夜にはご主人の車でバス停まで行ってバスの時間まで調べに行ってくれたらしい。感謝です。近くの民宿はすでに廃業されていてこの宿がなかったら遍路はほんとに困るのだ。どうぞお元気で宿を続けて下さい。



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四日目3 民宿「おおひら」まで

2016-11-06 | 四国遍路

なんとか観音寺駅に着いた。次の札所の大興寺までは歩きで7.5キロ。歩くかタクシーか…バスターミナルのベンチに座って二人で地図を眺める。Sさんが通りかかった人に尋ねる。と、大興寺近くまでのコミュニティバスがこの前から出てるとのこと。これはどのガイドブックにもサイトにも載っていないこと。現地に行ってみないとわからないものだ。
尤も我々がひどく変則的なまわり方をしているからではあるけれど。観音寺から大興寺までの歩きのルートは書かれているのに、はなから歩くことを考えていなかった。駅からも観音寺からも同じくらいの距離なのに。これでは遍路とは言えない。そう思いながらそのバスの発車を待つことにした。かなりの時間があったのでコンビニでおむすびとお茶を買いそのベンチで食べた。コミュニティバスの路線は蜘蛛の巣のように各地に張り巡らされていた。ただ本数が誠に少ない。どこまで乗っても100円なのだ。地域の足としてお年寄りの病院通いなどに使われているのだろう。乗客は老婦人ばかりで好きな場所を運転手さんに告げて降りていく。



大興寺の傍で降ろしてくれるように運転手さんに言うと親切に教えてくれた。乗客のおばあさんも丁寧に説明してくれる。「向井新田」でお礼を言って100円入れて降りた。そこからでも3キロくらいはありそうだ。
大きな交差点を渡ったところまではよかった。直進したが教えて貰った丁石がないのだ。周囲はのどかな田園地帯が広がっていた。しかし、畑に出ている人は一人も居ない。ついにSさんがおかしいと言い出した。わたしは少しでも距離を稼ごうと歩き続ける。遠くなったSさんが戻っておいでと大声を発した。
郵便配達のお兄さんが来たので聞いてみるとこの道で正解だった。Sさんにその旨電話した。が、彼女は交差点まで戻っていた。そしてそこの丁石をみつけていて戻ってこいと言う。これだけ歩いたのだからそれは酷というものだ。彼女は決してこちらに追いついてこようとはしないだろう。


Googlemapを開いてみると目的地までのラインが色変わりで示されていた。歩いてみるとラインが伸びる。確信を持った。で、彼女に電話する。と、彼女は今夜の宿の奥さんが迎えに来てくれるのを待っているという。ふむ。そうきたか。このまま行くと告げて歩き始める。黄金色の麦畑が美しい道だ。ところどころに池もあり、トンボが飛んでくる。Mapに従って左折する。そこへバイクに乗ったおばさんが来て止まった。宿の奥さんだった。心配して見に来てくれたのだ。Sさんのザックが荷台に載っている。奥さんは向こうの青い屋根を差してあそこだと言った。なんだ、もうすぐじゃん!断ったけれど奥さんはわたしのザックを前篭に載せて走り去った。全く、迷惑をかけてしまったことだ。



間もなくおおひらに到着。Sさんはまだだった。奥さんが玄関の鍵を開けて部屋に案内してくれた。
「主人がいれば車で迎えに行けたのだけど、わたし一人なのですみませんねえ」
おお。一人でここを切り盛りしてるのですか。偉いなあと感心するばかり。外に出てSさんを待つがまだ姿が見えない。裏に回ると大きなプールがあった。もう何年も使っていないような水のないプール。かっての賑わう様子が目に浮かぶようだった。
20分ほど待って電話しようとしたときにようやくSさんの姿が見えてほっとした。当然ながら機嫌が悪い。運転手さんが教えてくれた道は遠回りだったそうだ。言いたいことがあったがぐっとこらえる。
次の札所はこの宿から近い。まだ4時半だったので身軽になってその大興寺にお参りすることにした。


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四日目2 69番観音寺、68番神恵院

2016-11-06 | 四国遍路

やっと来たバスに乗って観音寺に近いというバス停で降車。次の札所までは徒歩で30分弱くらい。途中に喫茶店はなかったがソフトクリームを売ってたので買う。美味だ。財田川の土手を歩く。ポピーが揺れていて川風も心地よかった。これなどは歩くからこその風景と空気だろう。遠くに小高い山が見えた。その中腹に目指す札所がある。しかも、同じ敷地に二つある。
橋を渡ると信号の先に札所の駐車場案内があった。仁王門には観音寺と神恵院の二つの看板が掛けられていた。





左に折れまた右を見るとお堂の向こうにコンクリート打ちっぱなしの建造物があり、その中の石段を登ると本堂がある。大師堂は戻って降りた右手にあり、納経所は本堂と反対側の門をくぐり右に進むとある。庭園は観音寺の方であるが、神恵院の本堂に上がった左側から眺めることができる。

69番 七宝山 観音寺
 ご詠歌 観音の大悲の力強ければ おもき罪をも引き上げてたべ

法相宗の高僧だった日証上人が開いた。伝承によれば、日証が琴弾山で修行をしてると琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人は八幡大明神だと知った上人がその琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付け神宮寺として建立さし、神宮寺宝光院と称した。その後、行基が訪れ弘法大師が第七世住職となった。大師が住職時代に奈良の興福寺を模して、中金堂に聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、西金堂、東金堂など七堂伽藍を整備し七つの宝を埋め、名称も観音寺と改め札所のひとつにしたという。七宝山の山号はこれに由来する。







観音寺市の人々から「おかんのんさん」と呼ばれ親しまれているお寺。

68番 七宝山 神恵院
 ご詠歌 笛の音も松吹く風も琴弾くも 歌うも舞うも法の声々

江戸時代は琴弾八幡宮が札所で神恵院はその別当寺だった。別当寺とは神社を管理するために置かれた寺のこと。以来明治初期までは神宮寺として琴弾八幡宮が第68番札所だった。しかし明治政府による神仏分離令により琴弾八幡宮は琴弾神社と神恵院とに分離されることになり、琴弾八幡宮に安置されていた阿弥陀如来像が西金堂に移された。以来、西金堂を本堂としてきたが平成12年に本堂が建てられ本尊も移った。

観音寺と神恵寺は同じ敷地にあって納経所もひとつなので遍路にはお得感がある。山門を上がって正面に観音寺があり、左の方に行くとコンクリートのトンネルをくぐるような階段を上ると神恵院がある。
山の傾斜を利用して造られた室町時代の回遊式庭園はツツジで有名。
ツアーの遍路さんたちが次々とやってきて賑わっていた。先達さんのリードで読経の合唱が木々を振るわせる。便乗して自分も読経した。




次の札所に行くにはまず観音寺駅まで戻らなければならない。
タクシーでも拾えたらと幅の広い道に出た。空腹だったけれど食堂もタクシーもない。その内にSさんが駅はこっちでいいのかと心配し始めた。Googlemapで確認していたので大丈夫さと言うのだけど不安なSさんはたまに見かける人に聞きまくっていた。

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4日目1 71番弥谷寺、70番本山寺、

2016-11-03 | 四国遍路

4時半起床。5時半から朝の勤行に参加。
大勢のの僧侶が並ぶ中で説話?をされた。これは当番制なのだろうか。最大200名収容施設なので満杯の時はぎっしりになるのだろう。お話の趣旨はストレスとスポーツの関連とトイレの変遷についてだった。写真を撮ったら叱られた。
それから朝食を戴き、タクシーを呼んでもらった。
7時半に出発して15分ほどで弥谷山入口に到着。JRで廻れば数時間かかるところが15分で着くとは!
しかし、そこからが大変だった。
この札所は本堂まで540段ある難所で中腹(378段・大師堂)までの送迎バスが運行されていた。マイクロバスの折り返し運行だ。往復750円。拡幅工事が行われていたが峻険な細い道で乗っていても恐ろしかった。運転手さんってすごい。
山の中のバス乗り場はおしゃれな建物で売店もあって休憩所にもなっていた。
ここにザックを置かせて貰ったので嬉しかった。

71番 剣五山 弥谷寺
 ご詠歌 悪人と行き連れなんも弥谷寺 ただかりそめも良き友ぞよき

標高382メートルの弥谷山の中腹にある。恐山、臼杵磨崖仏とともに日本三大霊場の一つだ。
 はじまりは1300年前、蔓延した天然痘降伏の為に行基が堂宇を建立し、聖武天皇の勅願により、皇后光明子書写の大方広仏華厳経を奉納し蓮華院八国寺を創建したもの。その後、唐から帰国した大師が獅子窟にて護摩を修し、蔵王権現のお告げにより、五柄の剣と唐で師の恵果和尚より授かった金銅の五鈷鈴を納め、山号を剣五山、寺名を弥谷寺(「仏教では仏の住む山を弥山(みせん)と呼び、弥谷は仏の谷という意味とされる」)に改めた。

   
      

 
古来より人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山と呼び信仰の対象としたとされ、この信仰は、お遍路の元となったともいわれ、弥谷山では、『水場の洞窟が仏の住む世界への入口とされ特別強く信仰された』とされ霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏が今も多く点在している。
 首から上の病にご利益があるといわれている。獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内から参拝でき、座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができない石仏のお地蔵様。かっては洞ノ薬師と洞ノ地蔵もあったが、現在は洞地蔵のみ参拝する事ができる。

バスを降りると道なりに石段や坂道が続いていて本堂へは分かりやすいが、少々きつかった。途中におおきな宿があったがここも廃業していて勿体ない。なにしろ深い木々に囲まれてどこからか水音が聞こえてくるような所である。
紅葉の頃はさぞかしと思われた。









珍しく靴を脱いで本堂にあがる。洞窟の中に入る感じ。
大師は7歳から12歳の頃にもここで修行に励んだということで、そこは大師堂奥の洞窟で獅子が咆哮しているように見えるので「獅子之岩屋」と呼ばれている。淡い照明に浮かび上がったそれは永遠の時の流れを感じさせられる美しさ。
また、本堂の下の水場の横の洞窟の大師が彫ったという「阿弥陀三尊」の磨崖仏は疲れを癒やしてくれる素晴らしさだった。
お線香を買ったらミサンガがついてきた。また行きたい札所。
マイクロバスで降りて、さて。結局タクシーに来て貰ってJRの「みの駅」まで行った。目指す本山寺は三つ
目の駅から歩ける距離にある。

予讃線「みの駅」は無人駅だった。9:28発で三つ目の本山寺駅着が9:48。単線の上特急通過待ちのためこんなに時間がかかるのだ。おまけに本数も少ない。車が普及したからか電車が不便だからか公共の乗り物は廃れるばかりだ。寂しく哀しい。この駅のトイレは最低で我慢して歩き出すしかなかった。
数軒の閉まった店から住宅街の一本道を行く。突き当たって右折し更に行く。平坦でまっすぐな道もしんどいものだ。
地図では徒歩15分とあり実際は17分ほどで到着したのに実感は30分ほど。目印の五重塔が見えないまま山門に着いた。観光バスが止まっていた。

70番 七宝山 本山寺
 ご詠歌 本山に誰か植えける花なれや 春こそ手折れたむけにぞなる
本山は標高390メートルの山でこの周辺の地名になっている。この札所も創建時には長福寺だったが後に改名された。四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。
平城天皇の勅願によって弘法大師が創建した。四国札所では唯一の馬頭観世音が本尊で境内には二頭の馬の銅像がある。馬が盛んに草を食べるように人間の喜怒哀楽をなくしてくれるという。阿弥陀如来と薬師如来が脇侍。
長宗我部軍が押し入ってきた折、住職が斬られた時に本堂の阿弥陀如来の右手から血がしたたり落ちたのを見て驚いた兵達が撤退したので本山は兵火に見舞われなかったという。この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれている。
目印の五重塔は修復工事中で覆いがかかっていた。塔の九輪や金具などが境内に展示されている。工事が終わるときに使用されるのだろうがさすがに歴史を感じさせられた。馬の像も躍動感があって素晴らしかった。

    


さて、ここからが問題。本山駅まで戻ってJRで次を目指す予定だったのだが同行のSさんが誰かに聞いて次の札所までのコミュニティバスで行こうと言い出した。バス停までがかなりあった。一休みしたくてもそれらしき店もなく大きなスーパーはあったけどかなり遠い。やっとその豊中庁舎前(市役所の支所)というバス停に着いたが50分も待たなければならなかった。屋根もなく暑い。
お隣が福祉関係の建物らしくなにかイベントがあったのだろう。大きな風呂敷包み(豪華弁当)とペットボトルのお茶を持ったお年寄りが次々と出てきて迎えに来てくれた家族の車に乗って去って行った。ちょっと恨めしかった。

      


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