小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十二月八日

2013-07-30 | 嘉永二年

  
雪が一寸ばかり積もった。
主人は昨夜の遠藤宅で呑んだ酒の二日酔いか少々具合が悪そう。
岩一郎、仁達、文斎らと紀の川の土手迄行って雪を見、詩などを作る。
今日は栄恭院様が出かけられるので学校やその他の諸々業務が十日まで休みとなる。
栄恭院様は永正寺にお泊りで明日は浜中(海南市下津)の長保寺にお参りなされる由。


栄恭院=十代藩主徳川治宝の側室
長保寺=紀州藩主紀州徳川家歴代の墓所(国の史跡)がある
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十二月七日

2013-07-28 | 嘉永二年
  
主人は三浦公へ講義に行く。
今日で年内の稽古は休みなるのでお酒が出る筈だったが、
諸事倹約のため帰宅後に召し上がれと酒券を五枚くだされたとのこと。
庄助が来たので百疋渡した。
沢庵を漬けた。染物が出来てきた。
頼母子講の締切の知らせのチラシを権助に配らせる。
主人は夜の八時頃から方々へ出かけた。
遠藤一郎へ春川先生の詩を一枚持参する。酒を出された。
雪が降りだした。
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極月(十二月)六日

2013-07-26 | 嘉永二年

岩橋から先日の重箱を返しに金蔵がきた。饅頭が二十五ばかり入っていた。
遠藤一郎から祝儀百疋、小豆・砂糖二斤贈られ、長坂からはミカンが三十ほど届いた。
夕方、野際葵真が手紙と梅画詩の懸け物一幅を送ってきた。
「是は親存生に相楽候品ゆえ、貴家に納める」とのこと。
主人が留守だったので代わりに返事をした。
吉田庄大夫へ饅頭を持って行った。


   註
   一疋=十文(当時の通貨)
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