小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

六月七日

2017-08-28 | 嘉永四年 辛亥日記
六月七日 

昼頃、栗山が大きな鯖を2本持ってきた。
野呂がきて酒を取り寄せ一杯だす。呉服やの安兵衞もきたので一緒に酒を出した。
なら上布の帷子古手を27匁で求め、こちらの帷子を一つ渡す。これは18匁で引き取られた。小麦餅を一つ遣う。
三浦から手紙が来る。伯父御の仲之助殿が霍乱(激しい下痢腹痛)で養生していたが至極悪化したとの知らせで即4時頃行く。
さて、今日は学校当番のところをとんと忘れていたら御用人等が待っていると陸尺が迎えに来た。2時前で直ちに出かけた。
夕方にこいくが桃持参できて泊まらせてくれと言う。
岩一郎は市川へ行く。
田宮の隠居が文を寄越す。
安兵衞に帷子の残り9匁渡す筈。


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六月五日、六日

2017-08-17 | 嘉永四年 辛亥日記
六月五日 

大いに快晴する。何事もなし。
久下馬輔来る。竹輪くずし1本持参で直ぐに帰った。
しげの殿が梅本へ来られたと寄る。
夜は小魚を求め了吉へ一杯出す。


六月六日 

天気良し。
2時頃、了吉宅から小麦餅を二個持って人が来た。酒と寿司を出す。
扇子2本へ画をかいて欲しいというので小梅は早速に菊の墨画と彩色した海棠を書いた。
岩一郎は岡野へ行く。4時過ぎから主人も岡野へ行った。
その時、千代が芭蕉の根を貰いにきた。熱があるそうだ。梅も少しあげる。
12時頃に主人は帰宅した。



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六月四日 

2017-08-08 | 嘉永四年 辛亥日記
六月四日 

少々雲動く
昨日したの洗濯の糊貼りがせわしい。
2時頃九右衛門殿が近くまで来たので寄られたがすぐに帰られた。
主人は岩一郎と山本先生の逮夜(命日の前日の法要)に参った。
帰りにそば屋へ寄った。岩一郎にと岸恪助からそば五膳を寄越される。
岩一郎は市川へ行き、10時過ぎに大雨に濡れて帰った。傘や下駄は借りた物の役に立たないほどの雨だった。主人は雨が降る前に帰った。
岩橋の会で了吉らが行ったが真善の気分が悪いらしく会はなかったらしい。
栄谷佐治右衛門が祭の餅を15ばかり持って来た。

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六月朔日、二日、三日

2017-08-01 | 嘉永四年 辛亥日記
六月朔日  

鈴木忠太夫殿が読みにこられる。


六月二日  

お城当番で9時半頃家を出るなり。
当番が済んでから方々へ行く。
田中にて昼をよばれ、岩橋、山本へも行く。
伊勢やへの帷子入れ替えを利八に頼む。
梅本まで品物一つと40匁を渡す。6色。


六月三日 

おおいに快晴。洗濯に大忙し。
主人は4時過ぎから伊東竹之丞宅へこの間の跡目相続のお祝いに行く。
北野へ寄って夕方帰宅。
その前に楽亭という画人がきた。
10日に会を催すので是非にお越し下さいとのこと。湊の斉鑑寺で行うという。
展覧するのは同人の画を100枚。
そのうちの50枚を籤引きで、大賞三枚の画には川上縞反物地一反づつを景品として進呈いたします。
会札料(入場料)は一枚が銀2匁。
当たらない人50名には楽亭の画の扇子を1本ずつ呈上するとのこと。
晴雨に関わらず昼頃から始めるそうだ。


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