小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十月十五日

2012-03-13 | 嘉永二年


登城の日。藤四郎の着物を借りた。
会には富永、栗山、善一殿がくる。
会はいつもと違い召状の結果がきになるのか緊張した雰囲気。
酒を少し出した。
立蔵は肩衣御免となり銀二枚頂戴し、孫三郎は十人扶持になる。
田中藤太郎銀二枚ずつ頂戴。遠藤は二五石高に明成り、大番頭挌である。元は十五石也。
十合、有馬、市川、小笠原、これは元のお目付になる。
(召状とは現代の人事異動発令のようなものか?塾生たちの試験結果もあって心配している小梅さん?)

夕方から岩一郎は忠左衛門と一緒に奥村に行く。
四時前頃に良蔵も同家に手伝いに行った。
また、六時頃から主人は札川に行き奥村にもちょっと寄ったようだ。
いずれも九時過ぎに帰宅。
野上七山が布を織らせたと使いに持ってこさせた。
夕方、奥村から大きなボラを二尾送ってくる。それを岸孫三郎に送った。
酒券二枚を奥村に持参する。


肩衣とは裃の上の部分。「肩衣御免」とはある種の役目の通称では?調べなくては…





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十月十四日

2012-03-12 | 嘉永二年

少々曇っている。
野呂清吉を連れて帰ってきた。榎本と何か諍いがあったらしい。
朝食を食べてから清吉は帰っていった。
主人は学校の当番だ。
夕方、奥村立蔵自身が来て明日の召状が来たことを告げた。
その前に有川が明日は何かを申し渡されるかもしれないと知らしてきた。
又、岸孫三郎も召状到来のことを知らせてきた。
良蔵が行くが留守なのですぐに帰ってきた。
塚山又三郎、遠藤修平からも同じ知らせの手紙がくる。
そのほか有馬、下村などかなりあった。
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