小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

九月十七日

2011-05-28 | 嘉永二年

今日は御祭礼なので休み。天気はよかった。
岩一郎、千太郎、万二郎、芳太郎らは直川の鳴滝神社に参る。
良蔵は岩はしへ米を搗きに行き、昼過ぎに帰るとすぐに鳴滝に向かった。
山の上で岩一郎たちをみつけて一緒にお弁当も食べたという。
みなは夕方に帰って来た。
夜になってなにやかやとするが興が乗らなかったので仏手柑酒を飲んで十時頃に寝た。


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九月十六日

2011-05-26 | 嘉永二年

寒い一日。安兵と熊が来て土を掘る。
清吉が来たので酒を出す。
「楠みや」で一升取るのに権七が留守なので良蔵が行った。
庄助もきた。

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仏手柑酒

2011-05-25 | 雑記
時々、この日記に出てくる「仏手柑酒」ですが、これは仏手柑を焼酎に漬けた飲み物です。
「仏手柑」というのは蜜柑の一種。
果実はナツミカンぐらいの大きさの長楕円体で、見ての通り先が十数個指のように分かれています。この姿から仏の指が連想されてこういう名前になったのかもしれません。香りがよくて濃い黄色に熟します。しかし、実が少ないので果実としては食べません。一般的に砂糖漬けなどで菓子にしたり、乾燥させて漢方薬にしたりして利用されました。そして、焼酎につけたのが仏手柑酒で爽やかな味が女性にも好まれたのです。時々この実を見かけたのですがつい最近まではかわった果実があるんだなあと思っていました。この秋には一つでもいただいて焼酎に漬けてみたいです。小梅さんの家にはこの仏手柑の木があったのでしょう。季節になるとつけ込む仕事になっていたみたいです。

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九月十五日

2011-05-23 | 嘉永二年

寒かったけれど段々と天気は良くなった。
善正寺からさつまいもを三斤ほど送ってきた。
今日は会日(私塾の授業日?)なので、札川、山本が来たが他の人はこない。
札川は先に帰り、省太郎(山本)どのに酒を出す。
その前に九右衛門どのも来たので一緒に酒や食事を出した。
今日は取り立てて何もなし。
省太郎どのは夜まで遊んでいき、面を着て剣をたたき合う。(岩一郎と?)

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九月十四日

2011-05-22 | 嘉永二年

夜中に激しい雨が降り遠雷が轟いた。
でも、私は熟睡していたので知らず終い。
十時頃良蔵は岩橋に行く。
田屋へ押し寿司を三つばかり持たせて権七をやる。
今日、田屋は子息の幾之丞の袴着のことで取り込んでいる故に代筆の礼状だった。
「同五」で酒三升を取る。万二郎が煙草二匁持参した。


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