小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

寒い年末

2019-12-30 | 雑記

今年もあと一日となりました。
のろのろ、とろとろですが来年もこんな調子で続けていくつもりです。
お読みくださったみなさま、ありがとうございました。
良い年をお迎えくださいませ。

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五月二十九日

2019-12-29 | 嘉永六年 癸丑日記

五月二十九日  

まことに暑い。土用よりも耐えがたい暑さ。
会で武田源右衛門が何か申し先へ帰った。
後から皆が来た。
夕方から主人は浅之助を伴い絵絹二幅を持って岡本綠邨へ絵を頼みに行った。
くじら尺八尺二寸有るのを三つに割って二つを持参したらしい。
米屋へ六匁払った。
〆。



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五月二十八日

2019-12-28 | 嘉永六年 癸丑日記

五月二十八日  

九時頃に半袴を着用して登城する。
佐野伊左衛門殿が仰せられた。
そのあらましはこれまで三歩五厘以上だったが、春恭院様(前藩主・徳川治宝)の思し召しによって度々さしゆるし度思し召しになるのでお勝手がむつかしく、そのまま続けていたが、このたびは中将様(現藩主・徳川慶福)も春恭院様のなさりよう(浪費?)をご披露になってそれゆえ今後はみなも贅沢を慎むようにとのお達しがあったとのこと。
昼過ぎに帰った。が、学校で講義があるので休まずに行った。
江戸の菊池から書状が来た。
岩橋、山本へも一所にきた。
高野山登りの詩が一首有った。
遠藤蔵主昨年に六十谷から養子をもらった祝いにと餅を送って寄越した。
岡野へ行く約束だったが彦十郞殿かsら断りが入った。
夜、一丁目へ目薬を買いに行く。



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五月二十七日

2019-12-05 | 嘉永六年 癸丑日記

五月二十七日 


二時頃から三浦へ嫁入り。
雄介、弥一郎、為之助らが見に行った。
花嫁は備中の国、備中の守の娘御だ。一昨日に船が着いた。
美しく本式で非常に盛大だったという。
荻野惣五郎は小笠原流諸礼家に召されているが一人では覚束ないので、和田与三左衛門の母が小笠原流の諸礼をよく知っているのでお屋敷に上がって指図することになったらしい。
通り筋は水手桶などだし、四丁町店は片付けて美しく飾っていた。あられに似ているとか。
丸の内では土手に人を上がらせない。役人が出て警護するなどまことに厳重だ。
今日は日前宮国安様御祭礼でもあり、花嫁見物との両方で人の出がおびただしいのだ。

夜に久野が来た。虎之丞や千代らがついてくる。
岸から回状がきた。明日二八日半袴着用で午前九時に登城すること。
岩橋へ回し奥向の小野田へ回す。
万次郎、虎之丞、為之助らみんな岩橋へ行ってもらふ。





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五月二十六日

2019-12-01 | 嘉永六年 癸丑日記

五月二十六日 
 晴

三浦公から手紙が来る。
嫁入りの縁女の船が着いたので明日は引っ越してくるゆえに稽古をお断りとのこと。
会には真善はじめ皆々がきた。
松江で鉄砲の弾が肩に入ってうめいている人がいるという。
朝寝していたらしい。

和田安太郎が鯖を持参した。梅本にわけてあげた。




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