トランスジェンダーという単語の意味がよく分からない。
よくわからないままよからぬ意味と雰囲気を勘が感じ取った。
この法律の国会の通過の仕方も尋常ではない。アメリカ大使のご機嫌伺い?
そこで話題になった本が「トランスジェンダーになりたい少女たち」で妨害に遭って一度は出版を取り消した本。
それが産経出版から発刊された。YouTubeではかなりの話題の本。地上波では無視。最近はそういう話題が多い。
で、興味本位で購入してみた。
パラパラとめくって最後まで読めるか不安になった。なにしろカタカナと英単語まみれなのだ。
しかしやはり日本語が圧倒的に多い。だから不明な箇所は飛ばして読むことにした。
思春期を迎えた少女たちは女の子に生まれたことを悲劇と受け取り男性になりたいと切望している。
胸をぺしゃんこにする下着?や男性化する薬の飲用、さらには肉体改造までつきすすむ。
「わたしは男だったんです」と訴えれば学校も教育機関も弾性化するために援助してくれる。
親が引き戻そうとしても人権無視だという権威にあがらうことができない。
これまでの倍ほどの続きを書いてまだ途中だったので保存したつもりだったけど、見事に消失していた。
初めての経験ではないけどその度に落ち込む。めげる深さが昔と較べて深い。立ち直るのに時間がかかる。
長い間休んでいると写真のアップさえ面倒。体だけじゃなくて頭も心も弱ってきてる寂しい実感を浴びている。
思い直して続きを書こう。おなじ事は書けないだろうけど、書きたいことは同じの筈。
「トランスジェンダーになりたい少女たち」はあめりかの少女たちの実例が書かれている。
子どもの自主性を重んじるあまり少女が男の子になりたいと主張すれば教育機関も、保健機関も後押ししてくれる。
胸を平板に締め付ける下着、男性化するための薬、あげく姓移行手術までも手助けしてくれる。
手術するともう子どもを産む性に戻ることは出来ない。
性に目覚める頃の少女たちはなぜ男になりたいのか、生まれながらの性を厭うのか。
昔少女だった頃、私も自分が女の子であることがとてもいやだった。
そんな頃に読んだ本で「前世で極道非道な悪いことをした奴が今生では女に生まれる」という文章に出会った。
覚えていなかったし覚えていなかったしそれはひどく衝撃だったけれど諦念に導いてくれた。
女は罪滅ぼしのために女に生まれたのかと。
女にとって生理とか出産とかは拷問に男たちが作ってきた歴史と社会の中で女は意志もなく自由もなく子どもを産まされて生きてきた。
最近の女性はパート収入もあり発言権も多少あっていきいきと生きているように見える。
自立した女性になろう。これは労働力不足を補うための政府の企画。自分の収入を得た女性は今までと同じの暮らしの中で数時間を職場で縛られるようになった。今、各地で子ども食堂が賑わって話題になっている。
話が横道にそれてしまった。
男尊女卑の中で成長しながらも男になりたいとはおもわなかった。男になる事は加害者になることで加害者にはなりたくなかったから。
夫は穏やかで優しい人。みんないい人ねと言ってくれる。しかし「差別ではなくて区別だよ」と言い繕う本音は「女如きが生意気な」というところだろう。なにしろ明治生まれに育てられた昭和男子なのだ。
この「トランスジェンダーになりたい少女たち」の終わりの方にやっと生まれ持った女という性をなぜそこまで嫌がるのかの答えがさらりとでていた。さらりとしか書けない事情でもありそうな。
女の子として生まれた少女は家庭や学校や社会を見なながら育ち、そこは男尊女卑に覆われている。
胸が膨らみ始めると「女を止めるのは今しかない!」と行動を起こす。
YouTubeやX(旧ツイッター)Facebookなど悩める少女を温かく迎え入れるサイトが溢れこぼれるほどに少女を待ち受けている。
流行とは言えそれがなぜなのかが理解できない。男性化するためのグッズや器具や薬品が次々と生み出されている。
追跡調査の結果は当然ながら悲しいものばかりなのだ。幸せになった実例は保殆ど当たらない。
人の心の中から男尊女卑思想が消えない以上良性が幸せに思いやりをもって暮らして行くにはどうしたらいいんだろう。
体の大きさが違う上に体力もずいぶんと違うし…わたしはここでべそをかくしかない。情けないことこの上ない。
男性に勝とうとはせずに女性の感性で受け入れるしか仕方ないのかもしれない。
でも、少女たちがひげを生やして男性になりたいなどとはおもわないようにしてほしい。
よくわからないままよからぬ意味と雰囲気を勘が感じ取った。
この法律の国会の通過の仕方も尋常ではない。アメリカ大使のご機嫌伺い?
そこで話題になった本が「トランスジェンダーになりたい少女たち」で妨害に遭って一度は出版を取り消した本。
それが産経出版から発刊された。YouTubeではかなりの話題の本。地上波では無視。最近はそういう話題が多い。
で、興味本位で購入してみた。
パラパラとめくって最後まで読めるか不安になった。なにしろカタカナと英単語まみれなのだ。
しかしやはり日本語が圧倒的に多い。だから不明な箇所は飛ばして読むことにした。
思春期を迎えた少女たちは女の子に生まれたことを悲劇と受け取り男性になりたいと切望している。
胸をぺしゃんこにする下着?や男性化する薬の飲用、さらには肉体改造までつきすすむ。
「わたしは男だったんです」と訴えれば学校も教育機関も弾性化するために援助してくれる。
親が引き戻そうとしても人権無視だという権威にあがらうことができない。
これまでの倍ほどの続きを書いてまだ途中だったので保存したつもりだったけど、見事に消失していた。
初めての経験ではないけどその度に落ち込む。めげる深さが昔と較べて深い。立ち直るのに時間がかかる。
長い間休んでいると写真のアップさえ面倒。体だけじゃなくて頭も心も弱ってきてる寂しい実感を浴びている。
思い直して続きを書こう。おなじ事は書けないだろうけど、書きたいことは同じの筈。
「トランスジェンダーになりたい少女たち」はあめりかの少女たちの実例が書かれている。
子どもの自主性を重んじるあまり少女が男の子になりたいと主張すれば教育機関も、保健機関も後押ししてくれる。
胸を平板に締め付ける下着、男性化するための薬、あげく姓移行手術までも手助けしてくれる。
手術するともう子どもを産む性に戻ることは出来ない。
性に目覚める頃の少女たちはなぜ男になりたいのか、生まれながらの性を厭うのか。
昔少女だった頃、私も自分が女の子であることがとてもいやだった。
そんな頃に読んだ本で「前世で極道非道な悪いことをした奴が今生では女に生まれる」という文章に出会った。
覚えていなかったし覚えていなかったしそれはひどく衝撃だったけれど諦念に導いてくれた。
女は罪滅ぼしのために女に生まれたのかと。
女にとって生理とか出産とかは拷問に男たちが作ってきた歴史と社会の中で女は意志もなく自由もなく子どもを産まされて生きてきた。
最近の女性はパート収入もあり発言権も多少あっていきいきと生きているように見える。
自立した女性になろう。これは労働力不足を補うための政府の企画。自分の収入を得た女性は今までと同じの暮らしの中で数時間を職場で縛られるようになった。今、各地で子ども食堂が賑わって話題になっている。
話が横道にそれてしまった。
男尊女卑の中で成長しながらも男になりたいとはおもわなかった。男になる事は加害者になることで加害者にはなりたくなかったから。
夫は穏やかで優しい人。みんないい人ねと言ってくれる。しかし「差別ではなくて区別だよ」と言い繕う本音は「女如きが生意気な」というところだろう。なにしろ明治生まれに育てられた昭和男子なのだ。
この「トランスジェンダーになりたい少女たち」の終わりの方にやっと生まれ持った女という性をなぜそこまで嫌がるのかの答えがさらりとでていた。さらりとしか書けない事情でもありそうな。
女の子として生まれた少女は家庭や学校や社会を見なながら育ち、そこは男尊女卑に覆われている。
胸が膨らみ始めると「女を止めるのは今しかない!」と行動を起こす。
YouTubeやX(旧ツイッター)Facebookなど悩める少女を温かく迎え入れるサイトが溢れこぼれるほどに少女を待ち受けている。
流行とは言えそれがなぜなのかが理解できない。男性化するためのグッズや器具や薬品が次々と生み出されている。
追跡調査の結果は当然ながら悲しいものばかりなのだ。幸せになった実例は保殆ど当たらない。
人の心の中から男尊女卑思想が消えない以上良性が幸せに思いやりをもって暮らして行くにはどうしたらいいんだろう。
体の大きさが違う上に体力もずいぶんと違うし…わたしはここでべそをかくしかない。情けないことこの上ない。
男性に勝とうとはせずに女性の感性で受け入れるしか仕方ないのかもしれない。
でも、少女たちがひげを生やして男性になりたいなどとはおもわないようにしてほしい。