小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

五月朔日

2019-04-22 | 嘉永六年 癸丑日記

五月朔日 晴のち曇

八幡へ雄輔が為之助を連れて参る。
夜、千太郎と畑屋敷へ見回りに行く。ぶしゅかん酒を少々持たせた。
帰りに大雨となり裸足で帰った。
留主の中林一平太がきた。宿へ帰って持って来たとソラマメを二升くれた。
庭から帰った。
有馬へ酒二升おくった。


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四月晦日

2019-04-18 | 嘉永六年 癸丑日記


四月晦日 

暑い。
昼頃に善之助がきた。
あり合わせで酒販をだした。
喜多村がサバを二本くれた。
お金を伊勢屋にやる。
六尺松江行きの割合を寄越す。
酒はあり合わせの切手で二升取り寄せた。
ぶしゅかんとシソ酒を作る。
2時頃、丸栖から酒二升届く。一升が一匁五分だとのこと。
吉田庄太夫の子ら三人連れで柏餅を持ってきた。
絵を二枚あげる。
夕方に岩吉が魚三尾と内田からの寿司一重を持参。
これは後ほど内田の隠居と奥方や久野らが来ると言うことで掃除して待っていたら夕方に来たので寿司や魚で酒を出した。
味醂を取り寄せる。
主人はそこいらへ行きあわびを買うだけで12時頃帰ってきた。
雄輔は昼頃に善之助主と一緒に栗山へ行くはずで出かけたが一平太方に寄ったら善之助主が来ていたので連れ立って富永会に行ったそうだ。栗山ではおおいに接待されたようだ。


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四月二十九日

2019-04-08 | 嘉永六年 癸丑日記

四月二十九日 

大いに晴れる。暑い。
守谷から内祝いの柏餅を送ってきた。
松下八百輔も持参した。
さて、昨日の八時頃、安藤殿が江戸を出立したそうだ。
とても立派だという。
昨夕、榎本半助、野沢次郎右衛門らは中村九郎兵衛宅で仰せつけられる。
「其方、不心得の義有りにつきお役召しはなし。刑は両人共に小普請を仰せられる。
渥美は同じくにて隠居を仰せられた。家督は(名は忘れたり)1300石を500石と仰せられる。
ほかにもあったが詳細は不明。
宮崎もなんとかなる様子。

主人は2時過ぎから岡野へ行く。行きがけに市川へ向かい二朱と羊羹一箱を持参した。これは、先年に御天守で活字判摺立ての時に、日勤しおる時に毎日使用したケヤキの枠をいただいたのだが、置きっ放しにしていたので底をつけて梅の絵と彫り物を梅庵へくれてやれよと言い渡したそうだ。
八匁二分八厘を古手屋から受け取る。
遠藤、守谷、増田、松下らから柏餅が送られて、合計90近くなった。






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四月二十八日

2019-04-05 | 嘉永六年 癸丑日記

四月二十八日 

快晴する。
二時頃、親子(主人と雄輔)連れだって学校へ行く。
母君は朝、鷺の森へお参りし、お金の家に行く。
お金はすぐに来て夕方に帰る。
風呂を焚く。


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