小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

西国番外 法起院(ほうきいん)

2018-06-28 | 西国三十三所

西国番外 法起院(ほうきいん)
西国巡拝開祖 徳道上人御廟所  法起院

ご詠歌 極楽はよそにはあらじわがこころ おなじ蓮のへだてはありや
ご本尊 上人尊像(徳道上人自作)

徳道上人が晩年を過ごされ墓所でもあります。
徳道上人とは仏の道を究めることが人間としての最高の生き方であると修行に励んだ名僧。
大和と鎌倉の長谷寺をはじめ諸国49箇所の寺院の建立を果たした。
また、西国33箇所の観音霊場を始めた人でもある。これは瀕死の夢枕に立った閻魔大王からの委嘱であったという。











長谷寺への参道に門があってツアーで亡ければ見落としそうな場所。
昔ながらの門前町のたたづまいで草餅や三輪そうめんなど名物、土産物屋さんが健在。
こじんまりとしたお寺で手入れが行き届いてほっこりでた。


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ツアー

2018-06-25 | 西国三十三所

四国八十八札所詣りを終えて次は西国三十三札所と張り切ったものの引越等々+加齢で著しく体力気力の低下のおかげでなかなかとりかかれずにいた。
一番の難所は四番施福寺。とにかく遠く山道が半端ではない。しかも車を手放したので公共の交通機関を使わなければならない。コミュニティバスの本数の少なさ。バスツアーもあるが二番三番はお詣りしているし、和歌山にいた頃は何度も行っているので抵抗があって宙ぶらりんになっていた。
ある日、なにも順番通りでなくてもいいにではないかと閃いた。
そこで京都などは気が向いたときにお詣りすることにしてツアーで行ってみようと思い立った。



阪急トラピストのコースに丁度良いのがあった。こんなバスで44名定員で満席!
ガイドさんは男性二名で先達さんは女性。納経帳と線香とローソクを確認して朝の8時に集合場所へ。
繁華街では駐車時間の制限もあるのだろう。慌ただしい出発だった。

今回は五番葛井寺、六番南法華寺(壺阪寺)七番岡寺、八番長谷寺。これに番外法起院を回った。
葛井寺以外はお詣りしたことがあるのだが観光に過ぎなかった。
西国は観音巡礼。とりあえず回った順番に記録していきます。
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二月十九日

2018-06-16 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十九日 

風が強い。
今日は二の午だが太鼓は打たれない。
10時過ぎに雄輔は板原に行く。
牡蠣(ぼれい)が薬なので和歌へ調達に行く。最近は牡蠣売りがこないのだ。
京都の直七から手紙が届く。
中将様のご母堂が病死されたのでお迎えのために佐野殿が明後日に江戸へ出立されるとのこと。三月二日に江戸表に到着の予定らしい。
夜、善之助が直吉を迎えに来る。しかし、また泊まる。
酒一盃を出し10時過ぎにお帰り。


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二月十七日、十八日

2018-06-11 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十七日 

雨が降り風も立つ。しかし庭が湿る程度。
二時頃から三浦へ教えに行く。
吞んでいるところに弥一郎がきた。一盃出す。
黒江とよから貝が送られた。



二月十八日 

寒い。
昼前に庄司才二郎が祭とかで餅を持ってきた。
凍み豆腐を十ばかり遣る。
布安がくる。1匁で絹糸を整えた。


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二月十五日、二十六日

2018-06-07 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十五日 

極上の天気なり。
主人は休日なので雄輔と吉田の法連寺へ参る。
酒や干菓子でもてなされ土産に持ち帰る。
こちらからも二朱と玉井味噌を持参した。
帰宅後、書き初めとかで楠本屋久右衛門へ行き夜に帰る。
安兵衞がきて六匁渡した。



二月十六日 

快晴する。
馬つぎつねの(?)くる。鰹節2本持参した。直ぐに帰った。
主人は岩橋へ行って本を貰ってきた。
淡路紫や左蔵がきて茶漬けを出した。


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