小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十二月十一日

2013-10-31 | 嘉永二年
 
極上の天気なり。
昼前に田中がうばを見舞いに寄越した。
昼飯を食べさしささじん(麹と糠に塩を混ぜて発行させた食品)を少しばからり渡す。
昼食後には林敬二郎と野呂清吉が連れ立ってくる。酒と食事をだす。
風呂をたいて清吉を風呂に入れてから帰した。
二時過ぎ頃から主人は岩一郎と権七を連れて出かけた。有信講三の会日であった。
この度は入札なので大橋鉄助があたった。七匁九分九厘へ当落とのこと。夜更けて帰る。

岩橋楠松どのもついに二時頃に死去のことで滝本源三郎は来るなり帰った。
山形屋源右衛門も早々に帰る。
主人は中の丁の山本にそのことで話があるので立ち寄り、岩一郎と権七は先に帰ってきた。
寿司と饅頭が少しある。
ぶらり内、田中了吉、梅本にもあたる。
さてさて今日は大いに忙しくて頭痛がした。

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十二月十日

2013-10-30 | 嘉永二年
  
天気よし。夜になる前に市川、米与などへ行く。
御切米拾七石の内、うけ置きその他差し置きを引いて正味八石。
米与に借りていた払いを差し引きすると残りは三百七十四匁三厘。
それを受け取っていろいろと用事を済ませた。
市川斎が書付を持ってきた。
昼食後、主人は方々へ出向いく。
深津弥一郎が祝儀として銀四口持参したので絵を五枚贈った。
古い掛物を二つ買う。代金は二匁三分だ。一つは月光の絵。もうひとつは百花…という書だ。
美濃へ礼状を出した。
金毘羅へ母君が参るので良蔵が共をして油(提灯用?)を購入した。

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ふっかつ?

2013-10-30 | 環境
 八月以来のごぶさたでした。
 来春公演の芝居の脚本に手こずっていました。
 高齢者ばかりの船旅ツアーの物語です。
 役者の数や場面転換など芝居には制約が多いので苦労です。
 オリジナルなのに(先回はもう一つの林芙美子で資料あさりが大変でしたが)オリジナルだからこその悲壮さも相まって「書けません~!」と断ろうかと思った程でした。
 同居人に訴えても「毎度のことじゃないか」と相手にもしてくれず、夜中に起きだしてはシコシコ紡いでおりました。

 おまけに白内障の手術も決まって検査とかいろいろ。
 コレが終わればもっとキーボードもうちやすくなるのでしょうか。
 眼球にメス!!もう、怖くて怖くて…先輩方はたいしたことないと皆さん言われますがこわがりなんです。

 さらにふと見たサイトで衝動的にiphone5のゴールドを申し込んでいましたら、忘れた頃に入荷のお知らせがあり。
こちらも奮闘努力中。なにしろ、auのお姉さんの不手際でアドレス帳の移行ができなかったのです(号泣)

 それでもなんとか脚本は脱稿しまして、先方も気に入って下さり二度の打ち合わせでやっと晴れて手が離れました。
この爽やかな気分は苦労しないと手に入らないものです。

 そこで、ようやく『小梅日記』をひらけました。
 相変わらず遅々とした歩みですが、気が向かれましたら覗いてやってください。
 ただいま、小梅さんは師走に突入していますので同じ頃に新年を迎えられればいいのですが。




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