小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

霜月朔日(十一月一日)

2012-08-29 | 嘉永二年
  
風はあるけれど雨は朝少し降っただけで止んだ。
今日は吉日で御天守閣の棟上げの祝儀が行われる。
一の橋あたりで餅や銭を撒くという。
餅が三石六斗、銭は金銀の彩りしたもので八貫文かかるということで大勢の人々が見物に行った。
母君と岩一郎と一緒に昼過ぎに見に出かけた。 上棟の文は仰せを受けて山本彦十郎殿が書いた。
大工の頭領は水島卯之助なり。
梅本藤四郎らもそれぞれの役があり朝の四時頃から出て行った。
上棟の文の裏には神々の名がしたためられてあったとのこと。これは大工が捧げて納めた。
夕方には富永章蔵から祝いの餅二が送られてきた。先日誕生した子供の祝儀で種之丞と命名とのこと。
また、千太郎が大福を持って帰ってきた。
さらにそのあと、お上より頂戴したお裾分けが贈られてきた。赤飯、寿司、取り口などいずれも少しだった。
主人が詩を書いて良蔵に札川へ持って行かせた。
その節、棟上げの祝い酒を飲み過ぎたのか路上に酔って倒れている者があり、朝比奈の処にも一人酔い倒れていたそうな。

[メモ]
紀州城の天守閣は弘化三年(1846)の落雷によって焼失していた。江戸幕府は城郭の再建を禁止していたが、紀州は御三家紀伊徳川家の居城であったため特別に天守閣の再建を許されて四年後に建築が始まった。



紀州城付近の古地図




当時の一の橋付近

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十月晦日(三十日)

2012-08-15 | 嘉永二年
  曇のち雨

かなり不安定な天気だけれど、主人は昼前から諸所へ行く。
雨が降り出し夕方には大雨となって雷鳴が轟いた。
主人は六時頃帰ったがさっきの雨をしのぐような大雨となった。
良蔵は橋の修繕に出かけた。
諸所から掛けを取る。三十にてまかなう。
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十月二十九日

2012-08-15 | 嘉永二年


野際から小さなお重へ饅頭二十五個入れて送られてきた。
ひどく寒い一日だった。
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十月二十八日

2012-08-15 | 嘉永二年
  
昼過ぎに諸所に祝いに行く。
野際へは悔やみに行き羊羹を一本供えた。
大橋鉄之助へは羊羹一本と福禄寿の絵を一枚、富永へは酒券二枚を渡す。
鈴木に通い(通帳みたいなもの?)を借りてその場で羊羹を二包み買う。お代は三匁と二匁だった。
安兵衛が表具師から大雅堂の掛け物を二幅持参した。代は四拾匁だとか。

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十月二十七日

2012-08-13 | 嘉永二年

朝は風もなくてよさそうな天気だったけれど昨日と同じくらいに寒く、あられやみぞれが降る。
安兵衛が来て仏手柑の木に霜よけの覆いをかけてくれた。夕食時に酒を飲ませた。
あられの音がカチカチと賑やか。
昼前に彦十郎殿が先日送った肴のお礼に来られて直ぐに帰られた。
その前には庄助が袴を見せに来た。
竹を二本鈴木から貰ってきて良蔵に岩橋へ持って行かせた。
老人の病が重いので竹で薬を作り用いるのだ。

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