風はあるけれど雨は朝少し降っただけで止んだ。
今日は吉日で御天守閣の棟上げの祝儀が行われる。
一の橋あたりで餅や銭を撒くという。
餅が三石六斗、銭は金銀の彩りしたもので八貫文かかるということで大勢の人々が見物に行った。
母君と岩一郎と一緒に昼過ぎに見に出かけた。 上棟の文は仰せを受けて山本彦十郎殿が書いた。
大工の頭領は水島卯之助なり。
梅本藤四郎らもそれぞれの役があり朝の四時頃から出て行った。
上棟の文の裏には神々の名がしたためられてあったとのこと。これは大工が捧げて納めた。
夕方には富永章蔵から祝いの餅二が送られてきた。先日誕生した子供の祝儀で種之丞と命名とのこと。
また、千太郎が大福を持って帰ってきた。
さらにそのあと、お上より頂戴したお裾分けが贈られてきた。赤飯、寿司、取り口などいずれも少しだった。
主人が詩を書いて良蔵に札川へ持って行かせた。
その節、棟上げの祝い酒を飲み過ぎたのか路上に酔って倒れている者があり、朝比奈の処にも一人酔い倒れていたそうな。
[メモ]
紀州城の天守閣は弘化三年(1846)の落雷によって焼失していた。江戸幕府は城郭の再建を禁止していたが、紀州は御三家紀伊徳川家の居城であったため特別に天守閣の再建を許されて四年後に建築が始まった。
紀州城付近の古地図
当時の一の橋付近