小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

七月四日

2017-10-31 | 嘉永四年 辛亥日記
七月四日  

早朝に八幡さまへ参詣した。
昼前に了吉がそうめんを持って見回りに来た。
飯を出す。その内に富永章蔵もきて酒を出した。
覚円寺もきた。菓子持参。
同じく酒を出す。
野上よりのアユ10串を山半が持って来た。
守谷庄七から魚、土用の見回り(お中元のこと)。これを田宮に送った。
手紙などを書くのに大忙し。
岩橋両人からスズキ1本を添えてしゅうぎがくる。
そのスズキを料理する。
岩一郎が米を搗く。
田中へ上下(重箱?)を返し、肩衣と袴を取ってくる。


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七月二日、三日

2017-10-28 | 嘉永四年 辛亥日記
七月二日 

山半が蚊帳持参で来る。42匁。
こちのを12匁というのでとりあえず見合わせる。
主人は2時過ぎに三浦公へ行く。
夕方、村井貞二郞から干物を六つ届けられた。


七月三日 

昼前にほろほろ降りかけたが晴れた。
田宮儀右衛門が礼に来た。ぶしゅかんとお茶を出す。
塩を買った。
小鯛7つ鈴木芳右衛門方のこの間の祝いに送る。
榊原忠二郎葬送に行く前に田中善一殿の見回りに行く。
いったん帰宅すると遅くなるので、田中家で上下を借りてそのまま行ったという。しそう酒持参。
そこへ野呂が来たので連れ立っていく。
忍冬酒をちょっと出しただけ。
浅之助が来たがすぐに帰った。
 

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七月朔日

2017-10-21 | 嘉永四年 辛亥日記
七月朔日

快晴。
なんでもこの頃は天気が良くて作物のできがいいらしい。
昼前から主人は諸木や丸山へ行くとのこと。
早朝に遠藤一郎が来た。同五へ酒2升とりにやる。
山半へも蚊帳のことを申しやる。
夜には岩橋藤助殿がこられて酒やかつおの造りを取り寄せた。
2時過ぎまで話された。
岩一郎は具合が悪く寝ていた。


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六月二十八日、二十九日

2017-10-16 | 嘉永四年 辛亥日記
六月二十八日 

風があって涼しい。
4時前から主人は土用の見回りに行く。
とよは提灯を返しに秋田へ行く。嶋本伝右衛門から赤飯が届く。
早朝におかねが昨日の小重を返しに来た。
昨日、信江が帰った。
主人は夜の8時頃に帰った。
岡本次郎左衛門がまた筧からの知らせの手紙がくる。



六月二十九日 

早朝、鈴木正五郎がアユ10、イナ9匹を持参した。
主人は4時頃から出かけた。
岡本次郎左衛門が朝比奈舎人跡大御番組頭を仰せつけられたので筧中奥御番の両方へ行くとのこと。
大宵して夜半すぎに帰る。
岩一郎は頭痛で寝ている。
隣の岡崎の息子がお餅を10持って庭から来た。


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六月二十五日、二十六日、二十七日

2017-10-13 | 嘉永四年 辛亥日記

六月二十五日 

小梅は朝から寝ていた。とよも腹下しで起き出したものの直ぐ寝た。
母君は大困り。薬屋へ行きご飯も炊き、忙しいこと。
塚山が来る。
主人は夕方から秋田和太郎宅へ行く。
在宅で逢えたという。
越後縞一反送る。これは三つ山の筈。



六月二十六日 

小梅の具合はかなり良くなり今日は起きた。とよも同様。
主人は学校当番でお城へ行き2時前に帰宅。
今晩は腹が立っておおいに怒った。


六月二十七日 

朝の6時から岡野の別荘で読書会の約束だったが遅れて8時半頃から行った。
留守中に善一どのや彦右衛門どのが来た。一緒に煮麺を作って出す。
彦右衛門は先に帰り、善一は昼過ぎまで話していた。
武田善右ヱ門から魚が送られてきた。
その内三つを岩橋角助に祝いにおくり、あとキス30を干物にした。
2時頃主人が帰宅。
夕方、岡野が白蓮の花を3本寄越す。
主人はまた方々へ行き夜分遅くに帰った。
小梅は今日も具合が悪く早く寝た。
おかねに庄兵への志を持たせる。

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