和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

力走/六十二〈小説「新・人間革命」〉

2016年06月06日 05時54分14秒 | 今日の俳句
力走/六十二  法悟空 内田健一郎 画 (5819)

 山本伸一は、任用試験の会場を提供してくれた、保育園の園長である高原嘉美の自宅も訪問した。試験会場を提供してもらったことに心から感謝を述べ、用意していた色紙に、「光福」などと揮毫して贈った。
 高原は、自分の四十余年の人生を振り返りながら、その歩みを語っていった。
 彼女は、結婚後、貧乏と家庭不和に悩みながら幼子を育て、半身不随の舅の面倒をみた。釣瓶で水を汲み、薪でご飯を炊き、家族の朝食の世話をする。自分は残り物を口に入れると、農作業に飛び出す毎日であった。
 身も心も、へとへとに疲れ果て、なんの希望も感じられなかった。その時、実家の母の勧めで入会した。義父母からは「嫁が先祖代々の宗旨を変えるとはもってのほかだ」と叱られた。近所からは「あそこの嫁がナンミョーに入った」と嘲笑され、村八分にもあった。
 “信心をやめよう”と思い悩む日が続いた。しかし、学会の先輩が足繁く訪ねて来ては、「この信心は正しく、力があるから、魔が競ってくる。あなたが変われば、必ず環境も変わる」と確信をもって指導してくれた。
 励ましによって、人は師子となる。
 “よし! どんなに苦しくとも頑張ろう。この信心で、宿命を転換していくんだ!”

 高原は、信心で、逆境を一つ一つ乗り越えていった。そのたびに確信が増した。
 ある時、持っていた土地が高く売れた。それを資金にして、家の周りの土地を購入し、保育園をつくろうと思った。地域の人たちの要請であった。保育園の開園は、順調に進んだ。献身的な職員にも恵まれた。地域の人びとも、さまざまに尽力し、守ってくれた。
 高原は、喜びを噛み締めながら語った。
 「山本先生! 入会前には、思ってもいなかった幸せな境涯になれました」
 「断固として信心を貫いてきたからです。だから、周囲の方たちも協力してくれるんです。信心こそ、一切に勝利する力なんです」
 妙楽大師は「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」(御書一一八六ページ)と。




【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月6日より転載】


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡

五月富士/今日の俳句 ≪第2159号≫

2016年06月06日 05時42分43秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)6月6日(月)≫(旧暦5/2)



 目にかゝる時やことさら五月富士
         松尾芭蕉

 鳶の輪の上に鳶の輪五月富士
        大木あきら

 苗代の規矩の正しき五月富士
         遠藤梧逸

 羽衣の天女舞ひ来よ五月富士
         小倉英男

 みづうみの底の胎動雪解富士
         保住敬子


※ 五月富士・皐月富士・雪解(ゆきげ)富士・夏富士
 陰暦五月頃の、雪解けもかなり進み、裾野の新緑も濃くなって、夏らしくなった富士山である。(雪解富士」は、明らかに雪解けの始まったことが判るころの富士山であり、「富士の農男」・富士の農鳥」などの雪形が現れる。「夏富士」は、雪もすっかり消え、登山客で賑わうころの富士山である。現在では、残雪と岩肌のコントラストが鮮やかな陽暦五月の富士山を「五月富士」と使ったりしている。


【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】




彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




       ※☆*今週のことば*☆※



  わが地区・ブロックこそ

  広宣勝利の電源地なり。

  皆が正義の開拓者だ。

  先師の如く勇敢に

  いざ仏縁の拡大を!


       2016年6月6日




       ※☆*寸 鉄*☆※



 牧口先生の生誕145周年。正義を貫いた死身弘法の大生涯。魂は後継に燦然
      ◇
 埼玉に堂々、師子の陣列。鉄桶の団結で勝ち進め!栄光の最高峰へ加速せよ
      ◇
 兵庫の播磨・姫路総県が猛進。弾ける生命で圧倒的拡大を!皆が凱旋待つ
      ◇
 「ついには・たのしかるべし」御書。最後に勝つ信心だ。潔く大確信で挑戦
      ◇
 食べられるのに捨てる食品ロスが6百万トン超と。公明主導で本格対策急げ



【聖教新聞:2016年(平成28年)6月6日(月)付】





      ※☆*名字の言*※


日本で最初に「乳児死亡率」をゼロにした岩手の沢内村(合併して現在は西和賀町)を以前に小欄で紹介した

同村は、最新設備のある大病院を誘致したわけではない。長く医師すらおらず、「死亡率ゼロ」達成の数年前まで、10人に1人近くの乳児が、1歳に満たずに亡くなった。1年の半分近くを雪に閉ざされ、「雪・病・貧の三重苦」の村といわれた

1957年、深沢晟雄氏が村長となって行った試みが、成果をもたらした。保健師の採用である。後に村にできた病院で副院長、院長を務めた増田進医師は「保健師活動の始まりとともに、死亡率が急激に下がった」と証言する

保健師が何を行ったか。それは、徹底した家庭訪問だった。一人一人の健康だけでなく、生活、家族の人間関係も詳細に把握。だから、信用もあり、現場に即した発想も出た。「住民と対話している強みです。医師は技術者として保健師さんの意見に従い、いい結果が出た」と増田医師。「死亡率ゼロ」は、保健師採用のわずか5年後のことだった

次元は違うが、広布の活動にも通じよう。誠実、丁寧な日々の励ましが、同志にどれほどの安心をもたらすことか。そして、地域の未来を開くアイデアも、そうした膝詰めの語らいから、生まれるに違いない。(哉)



【聖教新聞:2016年(平成28年)6月6日(月)≫付】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡

夏野/今日の俳句 ≪第2157号≫

2016年06月05日 05時35分11秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)6月5日(日)≫(旧暦5/1)



 馬運車を見送る夏野風生るる
     相沢有理子

 青野ゆく流れも吾れも無帽にて
      鈴木鷹夫

 枕木は鳥の木琴大夏野
     石井紀美子

 坑の跡海へ開けし夏野かな
      猿渡青雨

 黒き貨車夏野を分かちはるけしや
      福田和子



※ 夏野→夏野腹・青野
 一面に夏草が茂った、例えばひろびろとした牧草地や緑肥、刈り敷きなどにする草刈場や萱原がそれである。強い日差しに青々とした夏草が輝き、むんむんとするばかりの草いきれである。最近では、かつて開拓された山畑などが放置されたり、休耕を強いられた山田などが夏草に満ちて、小さな青野をなしている。「青き野に降りて機翼をなほすすむ」、「青野ゆき覆面の馬瞬ける」などの句集を『炎昼』に発表して、「青野」を季語として定着させたのは山口誓子である。誓子はまた、「夏野」を「青牧」、「青草原」、「青高原」とも詠んでいる。応用して使ってよい。


【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




       ※☆*わが友に贈る*☆※



  「日蓮が一門は

  師子の吼るなり」

  勇気の言論に

  勝る力はない。

  大胆に打って出よ!
       

       2016年6月5日



       ※☆*寸 鉄*☆※



 広宣流布へ勇猛に戦い続ける人が菩薩であり仏ー恩師。立正安国の旗高く
          ◇
 京都、滋賀、福井が電光石火の奮闘!満々たる攻撃精神で常勝の新時代を
          ◇
 世界環境デー。空調の温度設定、衣服の軽装化(クールビス)等賢く。地球守る一歩、皆で
          ◇
 後部座席(シートベルト)の着用率、一般道は35%と。「すぐそこだから」が命取り。全席徹底
          ◇
 公明は前議員が連携して声なき声をすくい上げるー識者。一人の為に全力



【聖教新聞:2016年(平成28年)6月5日(日)付】





      ※☆*名字の言*※



各地で梅雨入り。アジサイが美しい季節となった。土の酸性の度合いによって、藍色からピンク色まで、さまざまな色を咲かせる。その麗しい姿は、古くは万葉集にも歌われた。6月を象徴する花といえよう

アジサイを市町村の花とする自治体も多い。長崎市と並んで、同じ港町の神戸市が有名である。1970年に市民アンケートを行い、最も人気が高かったことから選ばれたという。六甲山系の山野には、自生するアジサイも見られる

だが歴史をひもとくと、アジサイの咲くころ、神戸は何度も水害に見舞われてきた。河川の改修などの治水対策が進んだが、38年(昭和13年)の阪神大水害、61年、67年をはじめ、水害は約1400年の間に70度ともいわれる

泥水につかるたびに、神戸の庶民は、軒下まで来た砂をかき出し、土砂に埋まった市電の車両を必死に掘り出した。助け合い、苦境から何度もよみがえった神戸――その「不死鳥」の心は、95年の阪神・淡路大震災でも発揮された

アジサイのがく片は一片一片は小さいが、それが一つに固まって、手まりのような、かれんな形になる。さらにその“手まり”が、色とりどりに集まって、美の供宴を届けてくれる。アジサイの心とは「団結の尊さ」だと思える。(由)

【聖教新聞:2016年(平成28年)6月5日(日)≫付】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡



【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年6月4日(土)付

長崎県対馬の旧藩主、宗家の菩提寺で「諫鼓」という石の彫刻を見たことがある。領主に諫言する時に打ち鳴らす鼓とあった。領民の声に耳を傾けようとする藩主の姿勢に感心したものだ

自民党単独政権の時代、政府に鼓を鳴らし続けた人がいる。同県雲仙・普賢岳噴火災害の当時、島原市長だった鐘ケ江管一さん(85)だ。被災から約1年間、防災服で毎朝6時前に登庁。自力救済を原則とする災害対策基本法が個人補償を認めない中で、“ひげと防災服と涙”の市長は、復興へ向けて個人補償の実現を叫び続けた

引退後、自宅を訪ねた筆者に「国会前で切腹し、国を動かそうと思った」と明かした。怒気迫る訴えが国を動かし、使途の自由な災害対策基金が誕生した。きのう、43人の犠牲者を出した大火砕流から25年を迎えた。「こげん復興した」。追悼式に参列した鐘ケ江さんは、犠牲になった消防団員らに語りかけた

その島原から有明海を隔てた熊本地方では、今日も、公明議員が被災者支援と復興に走り続けている。地震発生から50日。先の国会では、補正予算が早期成立し、義援金の差し押さえ禁止法の制定も実現した

「諫鼓苔蒸す」とは、諫鼓を用いぬことの久しい意で、善政を意味するという。声が届く復興へ、公明党の存在がますます重要になってくる。(也)

袷/今日の俳句 ≪第2157号≫

2016年06月04日 05時30分41秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)6月4日(土)≫(旧暦4/29)



 腸は野に捨たれど袷かな
       内藤嵐雪

 思ひ切つて五分に刈りたる袷かな
       夏目漱石

 袷着てほのかに恋し古人の句
       原 石鼎

 真向に比叡明るき袷かな
      五十嵐播水

 旅をきて袷に汗し榕樹見る
       亀井糸游



※ 袷・素袷・初袷・綿抜・古袷
 合わせ衣の意で、裏をつけて仕立てた着物のこと。綿を入れたものを綿入れといい、冬に用い、そこから綿を抜いたものであることから綿抜ともいう。更衣でその年初めて着る袷を初袷といい、涼感を求めて肌着を着用せず直接素肌に着ることを素袷といい、何となくだらしない。


【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




       ※☆*わが友に贈る*☆※



  会合に参加できない

  メンバーを大切に!

  全員が「使命の人」だ。

  深き祈りを根本に

  粘り強い励ましを!
       

       2016年6月4日




       ※☆*寸 鉄*☆※


「世界池田華陽会の日」。女子部の幸福が創価の勝利。勇気凜々と対話拡大
      ◇
 三重・岐阜が力闘!師子の祈りは無敵なり。列島の中心に正義の勝鬨必ず
      ◇
 広布へ個々人が力を発揮すれば団結も深く―恩師副役職の活躍で勢い加速
      ◇
 聡明で善良な人ほど他人の良さを認める―文豪。友の持ち味生かす幹部に
      ◇ 
 中年男性の7割「生活つまらない」調査。大目的に生きる壮年部は社会の柱



【聖教新聞:2016年(平成28年)6月4日(土)付】





      ※☆*名字の言*※



オバマ米大統領の広島滞在はわずか92分だったが、長く語り継がれていくだろう。原爆資料館で、大統領が贈った自作の折り鶴には、早くも「見たい」との要望が相次ぎ、公開を検討しているという

被爆による白血病で、12歳で亡くなった佐々木禎子さんが、“生きたい”との祈りを込めて作った折り鶴は、「平和のシンボル」として世界的に知られる。彼女をモデルにした、広島・平和記念公園の「原爆の子の像」には、各地から寄せられた千羽鶴がささげられている

歴史的な日となった5月27日。その中に、広島の未来部が作った千羽鶴もあった。赤・黄・青の鮮やかな3色。「平和を考えるきっかけに」と青年部が企画し、毎年、折り鶴を教えてきた。小さい手に添えられた大人の手のぬくもりを通じて、不戦の心を伝えている

人類の手は、武器を持つことも、友情の握手を交わすこともできる。どちらを選択するのか。大統領は“広島と長崎が、私たちの道義的な目覚めの始まりとして知られる未来を選択しよう”と、広島でのスピーチを結んだ

核兵器は自然に生まれたのではなく、人間の手で造り出されたもの。ならば、人間の手で葬ることもできる。千羽鶴を折るように、諦めず、粘り強く、核廃絶への歩みを!(志)



【聖教新聞:2016年(平成28年)6月4日(土)≫付】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡


【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年6月3日(金)付

日本中が泰平の眠りから目を覚ます日となった。米国のペリー提督率いる黒船4隻が、浦賀沖に現れたのは、1853年の旧暦6月3日である。幕末の舞台で乱舞する志士たちは、まだ十代か二十代だったが、やがて藩政改革で登用され、回天の事業の原動力となっていく

ただ、日本の将来ビジョンまで描いていた人物は皆無に近く、坂本龍馬が唯一の例外だった。実際、彼が発案した有名な「船中八策」は、五箇条の御誓文という形で、明治政府に引き継がれる。「目からウロコの幕末維新」(山村達也 PHP研究所)で知った

参院選の投票日が7月10日に決まった。民進党や共産党など野党4党は、改選定数1の選挙区全てで、「統一候補」の擁立を決めたと報道されている。比例選でも「統一名簿方式」を模索中という。しかし、政権構想や基本政策の合意がないため、選挙協力した先に、どういう国をめざすのか全く分からない

「選挙目当ての野合」と批判されるのは当然だろう。今回の参院選から選挙権年齢が18歳に引き下げられ、若い有権者が増えるのに、国の未来像を示せないのは情けない

ここ数年の国政選挙では、にわか仕立ての新党が生まれては消えていった。選挙狙いの動きは、有権者に必ず見透かされる。そろそろ野党は目を覚ますときだ。(明)

力走/六十一〈小説「新・人間革命」〉

2016年06月04日 05時14分34秒 | 今日の俳句
力走/六十一  法悟空 内田健一郎 画 (5818)

 山本伸一たちが幡多会館に到着したのは、午後六時過ぎであり、辺りは、すっかり暗くなっていた。出迎えてくれた管理者をねぎらい、伸一の到着を待っていた幡多地域のメンバーと、時間の許す限り懇談した。時を最大に生かしてこそ、命は輝く。
 彼は、四、五十分後には幡多会館を出発し、高知市へ戻るため、中村駅から列車に乗った。帰りの車中でも、途中から乗車してきた学会員の一家と語らいを続けた。高知文化会館に着いたのは、午後十時近かった。
 翌十二月十日、「教学の年」の掉尾を飾る教学部任用試験が、午後一時から全国の会場で一斉に行われた。
 伸一は、午前中、高知文化会館周辺の商店などを訪問して、あいさつをするとともに、居合わせた学会員を激励した。
 午後には、会館で任用試験の受験者を励ましたあと、同じく試験会場になっている学会員が営む保育園を訪れ、ここでも受験者に語りかけた。
 「信心の基本は信行学にあります。教学を研鑽し、こうして試験に取り組んでいること自体が、人間としても、仏法者としても、尊い求道の姿です。また、それは、福運と功徳を積む源泉となっていくことを確信してください。皆さんは、一人も漏れなく信心の勝利者となるよう、お願いします」
 受験会場から廊下に出て運動場を見ると、二百人ほどの人たちが待機していた。受験者の付き添いで来た人たちである。
 “この方々は、受験者の家を訪れ、任用試験に挑戦するように説得し、日々、励ましながら、教学を教えてきたにちがいない。誠実さ、真剣さ、粘り強さが求められる労作業であったであろう。そこにこそ、人材育成の王道があり、歓喜と充実がある。そして、創価の広宣流布運動の本流があるのだ!”
 伸一は、感動と感謝の思いを込めて言った。
 「皆さん、本当にありがとう!」
 そして、記念撮影を提案し、三回に分かれてカメラに納まり、出会いをとどめた。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月4日より転載】


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡

滝/今日の俳句 ≪第2156号≫

2016年06月03日 05時54分52秒 | 今日の俳句
滝/今日の俳句 ≪第2156号≫

≪2016年(平成28年)6月3日(金)≫(旧暦4/28)



 生ま身なる吾に集へり滝の冷え
        津田清子

 白鞘の一刀まつる滝まつり
        桑原視草

 それぞれに黙の語彙溜む滝の前
        能村研三

 どちらかと聞かれ山好き瀧音も
        丸山佳子

 野生派の滝にスカートちょっと濡れ
        蔵前幸子



※ 滝→瀑・瀑布・飛瀑・瀧壷・滝しぶき・滝風・滝道・男滝・女滝・滝見・滝見茶屋


 『万葉集』に詠まれている滝は、斜面を激しい勢いで走り落ちている激(たぎ)つ瀬である。平安時代以降は主として、山中を絶壁まで流れてきた水が、そこから垂直に激しく流れ落ちる現象やその水を呼ぶようになった。華厳の滝、養老の滝、那智の滝などが名高いが、古くから自然崇拝の対象として崇められた無名の滝も多い。滝の神は女神であり、水の神でもあった。雨乞いをしたり、暴風雨による洪水が起こらないように滝の神に祈願する地方が今もある。滝の落下する姿や水しぶきに涼感を覚えるので、夏の季語として定着した。→滝浴び。

 【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】


【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




       ※☆*わが友に贈る*☆※



  関八州を制する者は

  天下を制する!

  大関東の同志よ!

  不撓不屈の敢闘精神で

  広布の旗を打ち立てよ!
       

       2016年6月3日

       ※☆*寸 鉄*☆※



 人間革命を掲げる学会はどこまでも成長する宗教―博士。自他共の向上道
      ◇
 兵庫の尼崎・西宮・東兵庫総県よ、歴史的闘争だ。民衆パワーで勝ち上がれ
      ◇
 「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」御聖訓。一日一日、勝利の日記を
      ◇
 「友を持つ人はあらゆる力が倍加される」教育者。友好広げる人生の賢者に
      ◇ 
 「大災害が発生する可能性、高いと思う」6割と。最悪想定し備えしっかり


【聖教新聞:2016年(平成28年)6月3日(金)付】





      ※☆*名字の言*※



出張で訪れた東北の宿舎でコーヒーを入れた。ふと、コーヒー豆のパッケージを見ると、生豆生産国はブラジルとコロンビアで、その販売者として、東京の企業名が記されている

ビジネスと言ってしまえば、それまでだが、出会ったことのない多くの人々の手を介し、“おいしさを届けたい”と、地球の反対側から海を越えてやって来たコーヒー豆……そう思うと、味わいも違ってくる気がした

コーヒーを飲みながら、数時間前に婦人部員から見せてもらった、特殊な縦笛を思い出した。小学校の音楽の授業で、両手に障がいのある息子も吹けるようにと、特注したものだという

「多くの人が、あなたのために努力して、やっとできあがったのよ。宝物だね」と婦人に言われた息子は、皆の真心に応えようと練習を積んだ。ある日、クラスで演奏を披露することに。見事な熱演に、拍手が教室に響きわたった。息子は言った。「きょうの出来事は、僕の宝物になった」

真心が次々とつながって、一人の少年の心に感謝が生まれ、生涯、消えないであろう希望の灯がともった。目下の自分の使命を果たすことが、どこかで誰かの生きる糧になることがある。「心こそ大切」(御書1192ページ)。善の拡大は、わが心から始まる。(白)

【聖教新聞:2016年(平成28年)6月3日(金)≫付】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡


【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年6月2日(木)付

自然災害やテロと並び、われわれの生活に、時として大きな脅威をもたらすのが感染症だ。航空網の発達により、1日もあればウイルスが地球の反対側にまで届いてしまう現代は、常に感染の危機にさらされている状態とも言える

2013年末、西アフリカで発生したエボラ出血熱は、感染地域の医療体制が不十分だったことや世界保健機関(WHO)の対応の遅れなどから大流行を引き起こし、死者は1万1000人を超えた。致死率が高く、確立した治療薬もない感染症は、世界中を不安に陥れた

この教訓を基に、先月開かれた伊勢志摩サミットでは、感染症の世界的流行への対応策をめぐり議論が交わされ、WHOなどの国際機関の活動強化を支援することを首脳宣言の付属文書で確認。世界銀行が5億ドル(約550億円)規模の基金を創設し、現地の国や国際機関の迅速な活動を支えることも打ち出された

戦争や飢餓はもとより、感染症も含めた脅威から人々を守る「人間の安全保障」に向けて、先進7カ国が新たな取り組みを始めることは大きな意義がある

同じように、日本の政治の現場で、人間主義の旗を掲げ、どこまでも一人の人間に光を当て、寄り添い活動してきたのが公明党だ。参院選に向け、公明党の数々の実績を胸を張り、力強く訴えていきたい。(千)

力走/六十〈小説「新・人間革命」〉

2016年06月03日 05時34分25秒 | 今日の俳句
力走/六十 法悟空 内田健一郎 画 (5817)

 島寺義憲が中浜万次郎像の顔を指さしながら、山本伸一に説明した。
 「先生。この像は、ホイットフィールド船長が住んでいたアメリカのフェアヘイブンの方角を向いているということです」
 伸一は、「そうか」と頷き、言葉をついだ。
 「万次郎は、普仏戦争が起こると、視察団としてヨーロッパに派遣される。その途次、アメリカのフェアへイブンを二十年ぶりに訪れている。親代わりであり、師でもあったホイットフィールド船長に会うためだよ。大恩人に、なんとしても、感謝の思いを伝えたかったんだろうね。
 報恩は人道の礎だ。私も、片時たりとも、戸田先生への報恩感謝を忘れたことはない」

 古代ローマの政治家キケロは、「いかなる義務も恩を返すより重大なものはない」(注)との箴言を残している。報恩は、古今東西を問わず、普遍的な人間の規範といえよう。
 万次郎像から二百メートルほど歩いて、白い灯台の下に立った。眼下には白波が躍り、彼方には青々とした大海原が広がっていた。
 同行していた地元のメンバーが言った。
 「ここでは、自殺者も出ております」
 「可哀想だな……」
 追い詰められて、人生の断崖に立ち、自ら命を絶った人たちを思うと、伸一の胸は痛んだ。皆で冥福を祈り、題目を三唱した。
 それから、学会員が経営しているという土産物店に激励に立ち寄ったあと、中村市(後の四万十市の一部)にある幡多会館へと向かった。車が土佐清水市の中心街に入ると、道路脇に三人、五人と立って、路上を行く車を見ている人たちがいた。
 「見送ろうとしてくれている学会員だね」
 伸一は、そうした人たちに出会うたびに、車を止めてもらい、窓を開けて声をかけた。

 一度の激励が、人生の転機となることもある。一回の出会いを生涯の思い出として、広宣流布に生き抜く人もいる――そう考えると、励まさずにはいられなかったのである。
 彼は、自らを鼓舞し、使命の力走を続けた。

 ◎普仏戦争/一八七〇~七一年、プロイセンとフランスの戦争。プロイセンが勝利し、ドイツ帝国が成立した。

 引用文献
 注 キケロー著『義務について』泉井久之助訳、岩波書店



【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月3日より転載】


☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡

六月/今日の俳句 ≪第2155号≫

2016年06月02日 06時13分41秒 | 今日の俳句
六月/今日の俳句 ≪第2155号≫

≪2016年(平成28年)6月2日(木)≫(旧暦4/27)



 六月の女すわれる荒筵
        石田波郷

 六月の花のさざめく水の上
        飯田龍太

 六月を倦む目的のないロープ
        松井国央

 山毛欅の樹の水を吸ふ音六月来
        平野無石

 六月の水の近江に来たりけり
        小孫和子



※ 六月・六月尽
陽暦では六月は梅雨の時期にあたり、黒南風といわれる湿気を含んだ風が吹き込み、日本列島の南から梅雨入りの知らせがしだいに届いてくる。一方、六月二十一日ごろには夏至を迎え、昼間が最も長い季節となる。六月が終わることを六月尽という。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




         ※☆*わが友に贈る*☆※

  偉大なる勝利は

  団結から生まれる。

  皆が伸び伸びと

  力を発揮できるよう

  リーダーは心を尽くせ!

          2016年6月2日









         ※☆*寸 鉄*☆※



〈寸鉄〉 2016年6月2日

 「言ごとに・せめかえす」御書。立正安国へ、青年よ正義の言論で勝ちまくれ
      ◇
 沖縄が怒濤の反転攻勢。勝負はここから!執念の拡大劇で歓喜の勝利舞を
      ◇
 生活を伴わない信仰は偽物だ―哲人。今いる使命の場で確固たる実証築け
      ◇
 受動喫煙が原因の死者、年1万5千人と。家族・周囲への配慮忘れぬ社会に
      ◇
 「歩きスマホ」は危険!小さな油断が大事故に直結。多忙な時ほど心して


【聖教新聞:2016年(平成28年)6月2日(木)付】





     ※☆*名字の言*※


ガリレイが「近代科学の父」と尊称されるように、その道の先駆者を“○○の父”と呼ぶ。また「必要は発明の母」というように、物事を生み出すもとを“○○の母”と形容する

6月には、「父の日」がある。学会にとっては「創価の父」牧口常三郎初代会長の生誕の月であり、「広布の母」婦人部の結成記念日を迎える。厳父、慈母の存在に感謝する月である▼
無軌道な生活を送っていたが、最近、猛然と信心に励み始めた青年部員がいる。訳を聞くと、先日、久しぶりに実家に泊まった時のことを話してくれた

たまたま入った仏間の壁に、1枚の絵が掛けられていた。彼が少年のころ、新聞広告のチラシの裏面に描いたもので、幼い自分が導師を務め、両親と勤行をしている絵だった。それを両親は額に入れ、大切にしてきたらしい。絵のように、再び一家そろって信心に励む日を願ってきたかと思うと、涙があふれ、再起を誓ったのだという

御書は、人間だけが恩を知り、恩に報いることができると説き、「四恩」を挙げる。その第一は「父母の恩」である。「父の恩の高き事・須弥山猶ひき(低)し・母の恩の深き事大海還って浅し」(1527ページ)と。この報恩の誓いを胸に、6月から「青年の月」7月へ前進しよう。(代)

【聖教新聞:2016年(平成28年)6月2日(木)≫付】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡



【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年6月1日(水)付

全国的な梅雨入りも目前に迫り、毎日の天気予報がとりわけ気になるシーズンとなった。降水確率はもちろん、熱中症にならないよう最高気温にも注意したい

さて、きょう6月1日は「気象記念日」。1875(明治8)年のこの日、気象庁の前身である東京気象台が設立され、気象観測が開始されたのにちなむ。それから9年後の6月1日には、初めて天気予報が発表された

記念すべき最初の予報文は「全国一般、風ノ向キハ定マリ無シ。天気ハ変ワリ易シ。但シ雨天勝チ」。あまり役に立ちそうにない内容だが、観測点も少ない中での予報は、さぞかし大変だったろう。当時の気象観測の労苦は、富士山頂で最初の越冬観測を試みた気象学者の野中到と妻・千代子を描いた新田次郎著『芙蓉の人』にも詳しい

明治の昔に比べ、コンピューターや気象衛星といった科学の発展で天気予報は現在、驚くほど進歩した。ちなみに昨年の「明日の降水の有無」(17時発表予報)の適中率は、全国平均で86%。信頼に足る精度といえよう

今や天気予報は日常生活に欠かせない。気象庁では、大雨、洪水、強風、大雪、高潮、雷など災害の恐れのレベルによって、気象に関する16種類の注意報、7種類の警報、6種類の特別警報を発表している。くれぐれも留意し身を守りたい。(翼)

力走/五十九〈小説「新・人間革命」〉

2016年06月02日 05時19分51秒 | 今日の俳句
力走  五十九/法悟空 内田健一郎 画 (5816)

 時代の激流は、万次郎を歴史の表舞台に押し上げていった。時代が彼の力を必要としていたのだ。
 土佐で万次郎は士分を与えられ、藩校「教授館」で教えることになった。岩崎弥太郎や後藤象二郎も、彼に影響を受けている。さらに、江戸に呼ばれ、軍艦教授所の教授を務める一方、翻訳なども行っている。
 だが、そんな万次郎に、嫉妬する者も後を絶たなかった。彼が、自分たちにはない優れた能力、技量をもっていることは、皆、わかっていた。それでも、武士ではない、半農半漁の貧しい家の子が重用されていったことへの、感情的な反発があったのであろう。
 自分に力もなく、立身出世や保身に執着する者ほど、胸中で妬みの炎を燃やす。大業を成そうとする英傑は、嫉妬の礫を覚悟しなければならない。
 人間は、ひとたび嫉妬に心が冒されると、憎悪が燃え上がり、全体の目的や理想を成就することを忘れ、その人物を攻撃、排斥することが目的となってしまう。そして、さまざまな理由を探し、奸策を用いて、追い落としに躍起となる。
 国に限らず、いかなる組織、団体にあっても、前進、発展を阻むものは、人間の心に巣くう、この嫉妬の心である。
 万次郎は、スパイ疑惑をかけられたりもしたが、日米和親条約の締結にも尽力した。日米修好通商条約の批准書交換に際しては、遣米使節団の一員となり、咸臨丸で渡米し、通訳などとして活躍する。明治に入ると、政府から開成学校(東京大学の前身)の英語教授に任命されている。
 山本伸一は、万次郎の生涯に思いを馳せながら、同行の幹部に語った。
 「万次郎は周囲の嫉妬に苦心したが、信心の世界にあっても同様だよ。魔は、広宣流布を阻むために、外からだけでなく、学会の中でも、互いの嫉妬心を駆り立て、団結させまいとする。大事なことは、その心を超克する、人間革命の戦いだ」

 小説『新・人間革命』語句の解説
 ◎岩崎弥太郎など/岩崎弥太郎(一八三五~八五年)は、土佐出身の実業家で三菱財閥の創始者。後藤象二郎(一八三八~九七年)は、土佐藩士、政治家。大政奉還運動を推進し、後に、逓信・農商務大臣を務める。


【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月2日より転載】




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡

更衣/今日の俳句 ≪第2154号≫

2016年06月01日 05時30分58秒 | 今日の俳句
≪2016年(平成28年)6月1日(水)≫(旧暦4/26)



 吹く風をあらためて聴く更衣
       村越化石

 更衣昨日と今日と違ふ風
      桧林ひろ子

 更衣ポケットにある皺のメモ
      武藤あい子

 身ひとつを大阪に置く更衣
       長谷川櫂

 過去遠くなるばかりなる更衣
       岡安仁義




※ 更衣・衣更ふ
 季節の推移に合わせて衣服を着替えること。俳句では夏の衣服に替えることをいう。更衣は宮中で陰暦四月朔日に行なわれていたものが、一般に広まったもの。現在でも制服を着用する学校や官公庁などでは五~六月に夏服への更衣を行なう。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡




       ※☆*わが友に贈る*☆※


  使命の舞台を駆ける

  男子・女子部の部長よ!

  今日も挑戦の一歩を!

  君たちの成長こそ

  未来を照らす光明だ。


       2016年6月1日


       ※☆*寸 鉄*☆※



〈寸鉄〉 2016年6月1日

 創価の女性の月が開始!世界一の平和の大連帯。地域に友情の花園を拡大

      ◇

 大阪の同志よ、歴史に残る共戦の金字塔を今こそ強盛な祈りで壁を破れ!

      ◇

 静岡に正義と人材の大城は厳然!破邪顕正の闘魂燃やし、栄光の勝利劇を

      ◇

 途中で止まるな。信心で最後まで戦い進め―恩師不屈の心で、勇んで前へ

      ◇

 「環境月間」。節電や節水など身近な行動が地球を守る。まず自ら実践者に



【聖教新聞:2016年(平成28年)6月1日(水)付】





      ※☆*名字の言*※



きょう1日は「写真の日」である。「フォトグラフ(写真)」とは元来、「光で描く」という意味。その語源の通り、時に写真は、言葉をしのぐ力で“励ましの光”を送る

座談会で、新入会の婦人部員が体験を語っていた。離婚、大病、子どもの非行……。宿命に翻弄され、絶望のふちにあった時、学会員の紹介で本紙を読み始めた。毎日、信仰体験の欄の写真を見て、胸を熱くしたという。特に、大きな試練を乗り越えた人ほど、表情が輝いて見えた。「私も、こんな笑顔の人生を歩みたい」と、彼女は入会を決めた

広布に生きる友を写す。それは「レンズを向けた相手から、生命のメッセージを託されること」だと、かつて本紙のカメラマンに聞いた。「だから絶対に妥協できない」と。写される人の歩みの尊さに、写す人が強い使命感で応えてこそ、写真に“励ましの光”が宿るのだろう

自らもカメラを構える池田SGI会長は「写真は一瞬一瞬が真剣勝負」「私にとって写真は戦い」と。人生もまた、勝負は「今この時」と、勝ち抜いていきたい

「きょう」という日は一度きり。だから縁する人に、精いっぱいの真心で勇気、希望、歓喜を送ろう。わが“生命の印画紙”に刻んだ広布の一こま一こまは、どれも永遠の輝きを放つ。(誠)


【聖教新聞:2016年(平成28年)6月1日(水)≫付】



彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡



【コラム「北斗七星」】

公明新聞:2016年5月31日(火)付

自治会やサークルなど地域の集いに顔を出すようになって、いろいろな知識が頭に入ってきた。先日も、耳にしたのは、例えば、眼内レンズの手術や定年後の再就職についての実に実践的な情報だった。聞けば丁寧に教えてくれる。ありがたい

世界保健機関(WHO)によれば、2015年の男女合わせた日本の平均寿命は83.7歳。世界トップを20年以上連続でキープ。また、昨年8月には、米ワシントン大学などの研究チームが、13年の「健康寿命」を比較したところ日本の健康寿命は男性が71.11歳、女性が75.56歳で共に1位と発表している

ところで政府が20日に決定した「高齢社会白書」で気になる比較が一つ。アメリカ、ドイツ、スウェーデンと日本の60歳以上の高齢者の意識調査だ。近所との付き合いについて、「病気の時に助け合う」「相談したりされたりする」という回答は日本が最も少ない。いずれも10~30ポイントもの差がある

それを反映したように、家族以外で相談したり世話をし合うような親しい友人は「いない」との答えも日本が一番多かった。日本以外では同性・異性両方の友人がいる人が多いことも特徴的だ

文化の違いもあろう。しかし、ちょっと寂しい調査結果だ。一歩を踏み出して、身近にある人の輪に入ってみることをお勧めしたい。(繁)

力走/五十八〈小説「新・人間革命」〉

2016年06月01日 05時12分23秒 | 今日の俳句
力走 五十八/法悟空 内田健一郎 画 (5815)

 万次郎は、皆から「ジョン・マン」と呼ばれた。それは、捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船名にちなんだ愛称であった。
 彼はよく働き、捕鯨船の乗組員たちから愛されていた。なかでも、船長ホイットフィールドは、向学心旺盛で聡明な彼を、息子のようにいとおしく思い、アメリカで教育を受けさせたいと考える。
 万次郎は、ホイットフィールド船長と共にアメリカ本土へ渡り、マサチューセッツ州のフェアヘイブンで学校に入る。英語、数学、測量、航海術等を学んだ。農業などを手伝いながら、猛勉強に励んだ。船長の恩に報いようと必死だった。成績は首席であった。
 卒業後は捕鯨船で働き、航海士となるが、やがて帰国を決意する。日本にいる母のことも、心配で仕方なかったにちがいない。また、次第に険悪化していく日米関係を危惧し、開港を訴えなければならないとの強い思いがあったとする見方もある。
 万次郎は、帰国資金を作るため、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへと向かう。遭難から九年、既に二十三歳になっていた。金鉱で採掘に取り組み、資金を得た彼は、サンフランシスコから商船でハワイに渡り、ホノルルにとどまった仲間と再会し、日本へ戻る計画を練った。
 いまだ鎖国は続いている。結果的にその禁を破ったのだから、死罪も覚悟しなくてはならない。彼は、琉球をめざすことにした。琉球は薩摩藩の支配下にあるが、独立した王国であったからだ。上陸用のボートを購入し、上海に行く船に乗せてもらった。琉球の沖合で、ボートに乗り換えた。
 彼が、琉球、鹿児島、長崎、土佐で取り調べを受け、故郷に帰ったのは、嘉永五年(一八五二年)、二十五歳のことであった。
 万次郎は、常に希望を捨てなかった。行く先々で、その時に自分ができることにベストを尽くした。だから活路が開かれたのだ。
 「希望は、嵐の夜の中に暁の光を差し入れるのだ!」(注)とは、詩人ゲーテの叫びだ。

 小説『新・人間革命』の引用 文献
 注 「プロゼルピーナ」(『ゲーテ全集4』所収)高橋英夫訳、潮出版社

 主な参考文献
 中浜明著『中浜万次郎の生涯』冨山房
 中浜博著『私のジョン万次郎』小学館
 中濱武彦著『ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎』講談社
 「ジョン萬次郎漂流記」(『井伏鱒二全集第二巻』所収)筑摩書房



【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月1日より転載】




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡

力走/五十八〈小説「新・人間革命」〉

2016年06月01日 05時11分59秒 | 今日の俳句
力走 五十八/法悟空 内田健一郎 画 (5815)

 万次郎は、皆から「ジョン・マン」と呼ばれた。それは、捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船名にちなんだ愛称であった。
 彼はよく働き、捕鯨船の乗組員たちから愛されていた。なかでも、船長ホイットフィールドは、向学心旺盛で聡明な彼を、息子のようにいとおしく思い、アメリカで教育を受けさせたいと考える。
 万次郎は、ホイットフィールド船長と共にアメリカ本土へ渡り、マサチューセッツ州のフェアヘイブンで学校に入る。英語、数学、測量、航海術等を学んだ。農業などを手伝いながら、猛勉強に励んだ。船長の恩に報いようと必死だった。成績は首席であった。
 卒業後は捕鯨船で働き、航海士となるが、やがて帰国を決意する。日本にいる母のことも、心配で仕方なかったにちがいない。また、次第に険悪化していく日米関係を危惧し、開港を訴えなければならないとの強い思いがあったとする見方もある。
 万次郎は、帰国資金を作るため、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへと向かう。遭難から九年、既に二十三歳になっていた。金鉱で採掘に取り組み、資金を得た彼は、サンフランシスコから商船でハワイに渡り、ホノルルにとどまった仲間と再会し、日本へ戻る計画を練った。
 いまだ鎖国は続いている。結果的にその禁を破ったのだから、死罪も覚悟しなくてはならない。彼は、琉球をめざすことにした。琉球は薩摩藩の支配下にあるが、独立した王国であったからだ。上陸用のボートを購入し、上海に行く船に乗せてもらった。琉球の沖合で、ボートに乗り換えた。
 彼が、琉球、鹿児島、長崎、土佐で取り調べを受け、故郷に帰ったのは、嘉永五年(一八五二年)、二十五歳のことであった。
 万次郎は、常に希望を捨てなかった。行く先々で、その時に自分ができることにベストを尽くした。だから活路が開かれたのだ。
 「希望は、嵐の夜の中に暁の光を差し入れるのだ!」(注)とは、詩人ゲーテの叫びだ。

 小説『新・人間革命』の引用 文献
 注 「プロゼルピーナ」(『ゲーテ全集4』所収)高橋英夫訳、潮出版社

 主な参考文献
 中浜明著『中浜万次郎の生涯』冨山房
 中浜博著『私のジョン万次郎』小学館
 中濱武彦著『ファースト・ジャパニーズ ジョン万次郎』講談社
 「ジョン萬次郎漂流記」(『井伏鱒二全集第二巻』所収)筑摩書房



【「聖教新聞」2016年(平成28年)6月1日より転載】




☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡