和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

常楽42〈小説「新・人間革命」〉

2016年02月20日 05時52分59秒 | 今日の俳句
【常楽42】

 学会は、日達法主の了承のもと、御本尊の謹刻を進めた。しかし、宗内で謹刻を誹謗する声が起こったのだ。山本伸一は、宗門の意向を尊重しようと、直接、日達法主に、謹刻した板御本尊は、どうすることがいちばんよいのかを尋ねた。一九七八年(昭和五十三年)九月二日のことだ。
 すべて学会本部に宝物としてお納めくだされば結構です、とのことであった。それは「聖教新聞」にも報道された。
 ところが、その後、宗内の話として、学会に連絡が入った。
 ――若手の僧たちが騒いでいる。板御本尊は本山に納めてほしい。そうしてくれれば問題はすべて収まる、というのである。
 学会は、これを聞き入れ、創価学会常住の御本尊を除く、七体の板御本尊を総本山に納めた。直後の十月三日、宗務院は院達を出し、板御本尊が総本山に奉納されたことを伝えるとともに、こう徹底した。
 「今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。 
 我が宗は、日蓮大聖人の正義を広宣流布するものであることは、既に御承知の通りでありますので、これの妨げとなるような僧侶間の摩擦を排し、僧俗一致して御奉公の誠を尽されるようお願い致します」
 にもかかわらず、僧たちは、十一月七日に行われる創立記念の代表幹部会の原稿に、御本尊謹刻についての謝罪を入れよと言いだしたのだ。
 学会の首脳たちは、院達が出ているのに、とんでもないことだと思った。しかし、学会員を守るための総本山での代表幹部会である。そうすることで宗内が正常化し、宗門僧の非道な攻撃が終わり、皆が安心して信心に励めるものならと、学会側は最大限の譲歩をしたのである。
 広宣流布の航路は、荒れ狂う激浪のなか、忍耐強く、新大陸をめざす戦いといえよう。



【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月20日(土)より転載】


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山笑ふ/今日の俳句 ≪第2052号≫

2016年02月20日 05時51分06秒 | 今日の俳句

≪2016年(平成28年)2月20日(土)≫(旧暦1/13)


 山笑ふまことや山の笑ひゐる
      能村登四郎

 名刹はべからずづくめ山笑ふ
      江国滋酔郎

 余生とは歩くことらし山笑ふ
       清水甚吉

 笑ふ峰大落石の七こだま
      加藤知世子

 山笑ふ胎動ときにへその裏
       仙田洋子



※ 山笑ふ・笑ふ山・山眠る
 枯色を脱ぎ捨てた春の山は、いかにも笑うという感じがぴったりである。「春山淡治にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」という臥遊録の一説からとった季題。
 《山滴る》《山粧ふ》とはいわず、俳句では《山笑ふ》と《山眠る》のみを季題としている。


【新訂「現代俳句歳時記/石田波郷・志摩芳次郎編」主婦と生活社より抜粋】


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       ※☆*わが友に贈る*※

 今、何をなすべきか。

 限られた時間を

 最大に活用することが

 日々の充実を生む。

 賢明な「時間革命」を!

        2016年2月20日







       ※☆*寸 鉄*☆※


 「人間革命」の理念を掲げるSGIは成長し続ける宗教―博士。希望の大道

      ◇

 東京・荒川の日。時代を動かすのは勇気の庶民!剛の団結で勝利劇綴れ

      ◇

 「仏をば能忍と名けたてまつる」。一番苦労した人が最も幸福に!これ仏法

      ◇

 この世には必ず使命があって生まれてくる―恩師尊き同志を励まし讃えよ

      ◇

 国連「世界社会正義の日」社会に人道の砦断じて!草の根の対話で更に邁進



【聖教新聞:2016年(平成28年)2月20日(土)付】



      ※☆*名字の言*※


つらかったことは消え去り、甘美な思い出だけが残る――記憶とはそういうものだろう。ところが、物心ついたころから現在までの人生を、映像を巻き戻すように、全て思い出せる人が、世界にはまれにいる



その記憶力を人はうらやむかもしれないが、当人にとっては、何十年も前の思い出したくない出来事まで突然、克明に再現され、苦しみにさいなまれるという。「忘れる」ことは、人間の自己防衛の本能なのだ



NHKのシリーズ番組「新・映像の世紀」を見た。その「第3集」で、ナチスの強制収容所を解放した連合軍が、惨劇の現場を、ドイツ市民に見学させる場面があった。なかった、知らなかったとは言わせないという強烈な執念。それでも戦後、時がたつと“ナチスのガス室はなかった”などと言い始める人間も現れた



負の歴史を記憶することは難しい。だれしも、わざわざ嫌なこと、つらいことを思い出したくはないからだ。それでも、いな、だからこそ「語り継ぐ」「心に刻む」営為を怠ってはならない。人間の「忘れたい」本能を利用して、歴史は繰り返す



先月、原爆投下の地・広島で大きな反響を呼んだ「勇気の証言――ホロコースト展」も、その努力の一つである。まさに「忘れない勇気」こそ平和への一歩だ。(飛)


【聖教新聞:2016年(平成28年)2月20日(土)付】


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