【常楽37】
“次は栃木の歌だ!”
山本伸一の激闘は間断なく続いていたが、時間をつくり出しては作詞にあたった。
十一月三日には、11・6「栃木の日」記念総会が足利市民体育館で開催されることになっていた。「11・6」は、一九七三年(昭和四十八年)のこの日、伸一が出席して栃木県体育館で行われた県幹部総会を記念し、創価学会として県の日に定めたものである。
三日の記念総会には、伸一も出席を要請されていた。しかし、創価大学での幾つもの重要行事が入っていたために、どうしても参加することができなかった。そこで、それまでに「栃木の歌」を作って贈り、共に新しい出発をしたかったのである。
また、彼は、年内には、栃木の足利に行って、皆を励ましたいと考えていた。
栃木というと、伸一の脳裏に浮かぶのは、恩師・戸田城聖が、戦後初の地方指導に那須方面へ足を運び、広布開拓の鍬を振るった地だということであった。
その栃木こそ、地域広布の先駆となってもらいたいというのが、彼の願いであり、心の底からの祈りであった。
日光の美しき自然や那須の山々、そして山間の道を征く恩師の姿を偲びながら、伸一は作詞を進めていった。
“戸田先生は、あの日、栃木の山河に、いつの日か、陸続と地涌の菩薩が出現することを祈り、願いながら、一歩一歩と、道を踏みしめていったにちがいない。栃木の同志は、その思いと誇りを、いつまでも受け継ぎ、多くの人材を育んでいってもらいたい。出でよ! 出でよ! 後継の師子たちよ!”
自分以上の人材を育てることができてこそ、真の指導者である。それには、後輩のために自ら命を削る覚悟と実践が求められる。自分のために後輩を利用しようとする人のもとからは、本当の人材は育たない。
「人材養成の教育が一切の社会的機構の根柢である」(注)とは、創価の先師・牧口常三郎初代会長の卓見である。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 「創価教育学体系(下)」(『牧口常三郎全集6』所収)第三文明社
【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月13日(土)より転載】
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“次は栃木の歌だ!”
山本伸一の激闘は間断なく続いていたが、時間をつくり出しては作詞にあたった。
十一月三日には、11・6「栃木の日」記念総会が足利市民体育館で開催されることになっていた。「11・6」は、一九七三年(昭和四十八年)のこの日、伸一が出席して栃木県体育館で行われた県幹部総会を記念し、創価学会として県の日に定めたものである。
三日の記念総会には、伸一も出席を要請されていた。しかし、創価大学での幾つもの重要行事が入っていたために、どうしても参加することができなかった。そこで、それまでに「栃木の歌」を作って贈り、共に新しい出発をしたかったのである。
また、彼は、年内には、栃木の足利に行って、皆を励ましたいと考えていた。
栃木というと、伸一の脳裏に浮かぶのは、恩師・戸田城聖が、戦後初の地方指導に那須方面へ足を運び、広布開拓の鍬を振るった地だということであった。
その栃木こそ、地域広布の先駆となってもらいたいというのが、彼の願いであり、心の底からの祈りであった。
日光の美しき自然や那須の山々、そして山間の道を征く恩師の姿を偲びながら、伸一は作詞を進めていった。
“戸田先生は、あの日、栃木の山河に、いつの日か、陸続と地涌の菩薩が出現することを祈り、願いながら、一歩一歩と、道を踏みしめていったにちがいない。栃木の同志は、その思いと誇りを、いつまでも受け継ぎ、多くの人材を育んでいってもらいたい。出でよ! 出でよ! 後継の師子たちよ!”
自分以上の人材を育てることができてこそ、真の指導者である。それには、後輩のために自ら命を削る覚悟と実践が求められる。自分のために後輩を利用しようとする人のもとからは、本当の人材は育たない。
「人材養成の教育が一切の社会的機構の根柢である」(注)とは、創価の先師・牧口常三郎初代会長の卓見である。
小説『新・人間革命』の引用文献
注 「創価教育学体系(下)」(『牧口常三郎全集6』所収)第三文明社
【「聖教新聞」2016年(平成28年)2月13日(土)より転載】
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