ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

16 ミマキイリヒコ(崇神天皇)はアマテラスの子孫?

2009-01-17 00:48:27 | Weblog
行燈山古墳(崇神天皇陵とされているが、景行天皇陵説などもある)







●長老 20:32
面白いテーマだけど、ちょっと横道に外れすぎじゃない?

●ヒメ 20:33
珍しく横に座って黙って飲んでいただけの人から注意を受けたけど、カントク、面白ければいいじゃない?
だいたい、小説なんて、逸れまくりの展開が面白いのよ。というか、それは私の人生というべきかな。

●カントク 20:35
いつもの、ヒメの「からみモード」が始まりましたよね。ヒメは酔うと性格が変わるからなあ。長老、ちょこっと付き合いましょうよ。

●ボク 20:36
ハイハイ、私の出番ですね。
なぜ、大物主と一緒にアマテラスの鏡(八咫鏡:やたのかがみ)やスサノオの剣(ヤマタノオロチがら奪った天叢雲剣)が宮中から出されたかというと、大物主とアマテラスを一緒に祀ったところ、両神が争って、疫病が蔓延したので、喧嘩両成敗かどうか知りませんが、両神とも宮中から出した、というように説明されています。

●からまりモードのヒメ 20:41
それって、変じゃない。祭祀権を天皇に奪われた大物主が「祟り神」となって崇神天皇に祟るのはわかるけど、「守り神」であるはずのアマテラスの霊(鏡)をなぜ伊勢に移したのかしら?「守り神」まで宮中から出してしまうと、天皇家は無防備になるじゃない。

●ボク 20:43
あの、こちらに絡まってこないで下さいね。私は、通説を紹介しただけですから。私は、記紀のこのあたりの話は、もともと信用していないんですから。

●カントク 20:46
日向勤氏の説では、祖先霊はその子孫に祀られないと祟るというんだ。ミマキイリヒコはアマテラスの子孫ではないのに、祖先の祀りを行ったから、大物主だけでなく、アマテラスにも祟られた、としている。

●まる 20:50
それは思い切った説よね。何か、裏付けはあるの?

●カントク 20:52
歴代天皇は明治まで伊勢神宮に参拝していない。アマテラスを守り神の祖先霊として、祀っていないのは、確かに、すこぶる怪しい。

●まる 20:58
確かに、おかしいわよね。子どもの頃、私の祖父母の家に行くと、毎朝、神棚と仏壇にごはんを供えにいくのが、私の役目だったし、その時、ご先祖さまにお供えをすると教わったもの。ご先祖さまの霊は、家の中にいて、子孫を守っているもんだよね。

●カントク(代筆 ボク) 21:02
日向氏は、もう1つの根拠として、天皇家の祖先とされるオシホミミ命が、アマテラスから生まれていないことをあげている。記紀神話によれば、オシホミミ命はアマテラスとスサノオの誓い(うけひ=受け霊)により、アマテラスが身に付けていた玉から生まれた、とされている有名な話は知っているよね。
天皇家の祖先は「ものから生まれたものたろう」であって、アマテラスの霊(ひ)を受け継いでいない、と言うんだ。

●まる 21:08
それって、よくわからない。

●ひめ 21:09
なるほど。天皇家は、アマテラスの血(霊=ひ)を受け継いでいないから、アマテラスを祀らなくても祟られないのね。天皇家がアマテラスの祖先の祭を行わなくても祟られないようにする工夫がされているのね。
アマテラスとスサノオが「誓い」で八王子を生んだ、という記紀神話の謎がやっと解けたわ。

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15 祖先神の祟り、怨霊の祟り

2009-01-03 13:54:02 | Weblog




古代の鏡の例
(黒塚古墳の三角縁神獣鏡)


●カントク 19:31
崇神天皇という名前について、最近の日向勤氏の本によれば、「神に祟られた天皇」という意味ではないか、という説を唱えているよ。

●マル 19:36
「崇神天皇」というのは、神を崇拝した信仰心の厚い天皇、あるいは、神として崇拝された天皇かとかと思っていたんだけど、神に祟られた天皇、人々に祟る天皇という意味も考えられるのね。

●ヒメ 19:42
「崇」という字の付く天皇は他にもいるの?

●ボク 19:44
今、確認しましたが、「崇」の字は、どういうわけか、非業の死をとげた天皇の名前に付いています。
例えば、32代の崇峻天皇は蘇我馬子に殺されています。早良親王は後白河法皇によって讃岐に流される途中、絶食して憤死し、怨霊(おんりょう)として恐れられ、後に崇道天皇と追称され、御霊神社などに祀られています。また第75代崇徳天皇(崇徳上皇)は保元の乱で破れて讃岐で死に(暗殺説もあります)、怨霊になったとされています。

●カントク 19:59
ボクのスマートフォンは便利だね。まるで、超小型パソコンだね。
井沢元彦氏は聖徳太子や崇徳天皇など、死後、「徳」の字の付けられた太子や天皇は怨霊である、としているよね。他にも「徳」の字の付く天皇がいたよね。

●ボク 20:06
孝徳、称徳、文徳、安徳、順徳天皇がいます。これらの天皇は、いずれも憤死に近いと思います。

●ヒメ 20:08
非業の死を遂げた天皇、怨みを呑んで死んだ天皇に、死後、「徳」や「祟」の字が付けられ、怨霊として崇拝され、鎮魂されているのはわかる。
しかし、崇神天皇は、そのような死に方はしていないわよ。大物主の祟りで疫病が蔓延したのであって、自らが怨霊になったわけではないよね。

●カントク 20:16
時間がかかるので、ボクちゃんのスマートフォンに入力を代わってもらうよ。
「祟りじゃあ」というのは、映画、八墓村で有名になったのう・・・、えい、なぜか、日本昔話の口調になってしまうぞ。
「祟り」には、2種類あるんじゃ。1つは、梅原猛氏や井沢元彦氏の、怨みを残して死んだ人の霊が迫害者に復讐して祟る、怨霊の祟りじゃ。
もう1つは、井沢元彦氏や日向勤氏の言う、祖先霊がその子孫に祀られないと祟るという、祖先霊の祟りじゃ。

●マル 20:23
なるほど。死者の怨霊の祟りと、子孫に祀られない祖先霊の祟りかア。
大物主の権力を奪った崇神天皇は、大物主の子孫でもないのに、大物主を祀ったために、祟りを受けたのね。

●ヒメ 20:28
確かに、祖先霊の祟りなら、大物主神を宮中から出したのは説明できるよね。
しかし、ミマキイリヒコ(後の崇神天皇)は、なぜ、アマテラスの鏡を宮中から出したのかしら? 子孫の崇神天皇にとって、アマテラスは大事な守り神である祖先神じゃない。
歴史学者はどう解釈しているの?


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14 天叢雲剣の祟り

2008-12-17 10:38:25 | Weblog
大神神社の鳥居

●ひめ 080911 18:25
今、琵琶湖畔のホテルにいます。間もなく、いささかトウの立ったガクセイさんが現れると思います。
 今日は、天智天皇がなぜ大津に都を置いたのか、考え続けた1日でした。しかし、今までのようなマンネリで書くのはもう嫌になっています。
新進の作家・高階樹さんにはそろそろ死んでもらって、別人に生まれ変わろうか、な~んて、滋賀の海を眺めながら夢想しています。
 皆さんは、どうしてますか?

●まる 18:34
 私は仕事で佐賀市にいます。大好きな有明のアゲマキでいっぱいやっています。
 私の仕事もヒメと同じかも。同じことを数年やったら、変えなくちゃ、変わらなくちゃ、の連続よ。そろそろ私も転機かな。男もね?

●カントク 18:34
 元気な二人が、今日はおかしいねえ。そんな心にスキのある美女に、旅先で出会えたらいいなあ。
 しかし、前作で、主人公を殺してしまったと思ったら、今度は作家が殺される番ですか。せめて、行方不明くらいにしておいてよ。
 ヒメはせっかくうまく行きだしたのに、ブチ壊すんだね。面白ややこしい性格だなあ。

●ひめ 18:36
 流れができてくると、もう落ち着かないのよ。性格は昔から変わらないなあ。

●カントク 18:37
 こちらは、いささか頭の固いボクちゃんと才気あふれるいひなちゃんを誘って、新宿で一杯やっています。マンネリ打破には、若い人のエネルギーをもらうのが一番ですよ。
 そろそろ、憂き世を離れて、2000年前にワープ。スサノオがいたか、いなかったか、の大激論の前に、もう少し、データを積み上げたいね。

●ほびっと 080911 06:45(コロンビア時間)
 ご無沙汰です。まだ、エルドラド(黄金郷)にいます。
 ヒメ、生まれ変わる時には、是非、一度、このジャングルに野生を取り戻しに来て下さい。
 民族派ゲリラ、麻薬組織、怪しい政府軍と政治家、CIA?など、野獣に取り囲まれている以上に緊張感がありますよ。

●ひめ18:52
 ほびっとさん、ありがとう。行方不明になる時には、コロンビア、是非、考えてみます。

●ほびっと 080911 06:54
 僕のせいで、「どこ」に議論が狭まったのではないか、と責任を感じていましたが、皆さん、さすがですね。「どこ」を、書証からだけでなく、物証(剣)と宗教の視点から追求しているんですからね。私の心配は空振りでした。
 古代人にとっては、「もの」は単なる物質ではありません。世界中のどこでも、古代には「もの」には魂=霊が宿ると考えられていました。特に、石や玉、剣などは、人が物に変わったり、その逆の物語がたくさんあります。

●ひめ 19:03
 ガクセイさんが現れたので、みんな揃ったようですね。
 まずは乾杯。ちょっと一息入れましょう。暗い琵琶湖を、キラキラしたクルーズ船が出ていきました。

●ひめ 19:12
 ボクちゃんに質問だけど、歴代の天皇で神に祟られたのは、ミマキイリヒコ(崇神天皇)だけなの?

●ぼく19:14
 ハイハイ、頭の固い~「硬ボク」です。
 手元に資料がないのであやふやですけど、天武天皇が病気になった時に、この天叢雲剣の祟りというお告げがでて、宮中にあった天叢雲剣は熱田神宮に戻されてご神体になっています。
 この剣は、ヤマトタケル命よって伊勢神宮から持ちだされ、尾張で結ばれたミヤズ媛のもとに置かれていたのですが、天智天皇の時に、新羅の僧によって盗まれた後、宮中に置かれていたとされるものです。
 補足しておきますと、ヤマトタケル命を実在の皇子と考える学者は少数ですよ。

●ひな 19:19
 補足します。
 有名なのは、仲哀天皇です。記紀によれば、熊襲討伐に筑紫に行った時、神功皇后に乗り移った神が、新羅を侵攻するようにと神託したのに従わなかったため、神の怒りにふれて殺された、とされています。その神は、古事記によれば住吉大社の神ともとれますし、日本書紀では伊勢神宮の地の元々の神であった、とはっきりと書かれています。
 ただ、仲哀天皇や神功皇后については、架空説も有力ではないでしょうか。

●ひめ 19:25
 戦前には、天皇は神であるとされてきたけど、記紀では、3人の天皇が神に祟られた、とはっきりと記していたのよね。

●ひな 19:27
 それと、中大兄皇子が百済救援に向けて筑紫の甘木に陣を置いた時に、母親の斉明天皇が亡くなりました。その時に、葬式の模様を天から鬼が見ていた、それは蘇我入鹿である、という記載が日本書紀にあります。入鹿が中大兄皇子に殺されたとき、見殺しにした斉明天皇を祟ったかのような書き方です。
 また、長屋王を謀殺した祟りで藤原4兄弟が死んだあと、聖武天皇も怨霊を恐れ、都と転々と変え、大仏殿や各地の国分寺を建てた、とされています。

●ひめ 19:27
 ありがとう。天皇も神に祟られる、と考えられていたことがよく分かったわ。天叢雲剣が天武天皇に祟ったということは、崇神天皇にも祟った、と考えられるわよね。  (日南虎男記)

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13 スサノオが大歳に与えた天叢雲剣

2008-12-12 23:40:03 | Weblog


●カントク 080911 9:01
 ヒメの勘は相変わらず鋭いね。ついでだから、ある説を紹介しておくよ。念のために言っとくけど、これは私の説ではないからね。全方位外交の私としては、にらまれて仕事がこなくなると困るからね。私は、トンデモ説を紹介するのが好きなだけなんだよ。
 最近、「神奈備山研究会」で聞いた説だけど、H氏によれば、磯城の三輪山に祀られた大物主は、スサノオの子の大歳であり、スサノオと大歳がヤマタノオロチの剣をこの地に持ってきて、代々、大物主=大歳の子孫に伝えられた、というんだ。そして、入り婿のミマキイリヒコ(後の崇神天皇)が磯城国の権力を奪った時に、宮中に移した、と言っていた。

●ヒメ 080911 12:24
 カントク、ありがとう。
 ボクちゃんの作ってくれたこのシステムって、ブログに投稿された記事が、同時に、メールで配信されてくるもんだから、ついつい、見てしまうのよね。大事な仕事中なのにね。
 大神(おおみわ)神社の祭神の大物主って、大国主じゃあなかったの。

●カントク 080911 12:28
 日本書紀には、確かにそう書いてある。しかし、古事記には、大物主神のことを述べたあとに、続けて「彼、大歳神の子・・・」と、大歳神の子ども達のことが出てくるんだ。
 重要なのは、三輪山を御神体とする大神神社には、スサノオ、大国主、大物主が祀られているんだ。大国主と大物主は明らかに別人だよね。
 大物主は大歳神である、というのは、面白いよ。

●ひめ 080911 12:41
 大物主が、スサノオの子の大歳だとすると、ヤマタノオロチの剣が磯城にあっても不思議はないわね。
 吉備に残した妻と子には、自分の守り刀、ヤマタノオロチを斬って王位を奪った剣を与え、スサノオに同行して大和盆地に支配を広げた大歳には、ヤマタノオロチから奪った剣を与える、というのは、確かに、筋が通っているわね。逆はないわよね。
 けど、ミマキイリヒコとの関係はどうなの?

●カントク080911 12:53
 H氏は、若御毛沼(後の神武天皇)は、大国主の御子の迦毛大御神(阿治志貴高日子根(あじすきたかひこね)神)の子孫の支配する葛城国に傭兵として入り、9代かけて力を蓄え、10代目のミマキイリヒコの時に、磯城国の兄弟の王位争いに介入し、入り婿として権力を奪った、というんだ。
 そうすると、ミマキイリヒコは、スサノオや大歳=大物主の一族ではないため、大物主に祟られる可能性は十分にある。祖先の霊(ひ)は、直系の子孫が祀らないと、祟るんだ。
 大物主の子孫の太田多根子を探しだして祀らせると、疫病が収まったとされたのは、祖先霊信仰を前提にして、初めて理解できる。

●ひめ
 カントク、悪いけど、昼休みは終わり。今夜は、ガクセイさんと会うので、皆さんも、是非、今宵、ネットパーティに参加してよね。

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12 天叢雲剣の行方

2008-12-05 22:19:09 | Weblog
●ヒメ 080911 8:03
 今、新幹線で西へ向かっています。昨日の続きで、剣の動きを追ってみたいなあ。ボクちゃん、もし電車の中なら、気分転換にちょっと、説明してよ。

●ボク 080911 8:06
 カントクお得意のトンデモ説が登場してきましたね。そのうちに、論争しましょう。
 天叢雲剣は、崇神天皇の時に磯城の宮中からアマテラスの鏡と一緒に出されて、29か所も諸国を転々として、伊勢神宮に祀られます。
 その後、ヤマトタケルによって、熱田神宮に祀られるようになった経過などは、昨日、書きましたよね。

●ヒメ 080911 8:09
 おさらいはいいからさ、どこからこの剣が磯城の「ミマキイリヒコ」のところにきたのか、まず教えてよ。

●ボク 080911 8:06
 いつもヒメ様は結論、一直線ですね。
この剣は、記紀によれば、スサノオからアマテラスに贈られています。その後、ニニギが天下った時に授けられたとされています。アマテラスの5代目の若御毛沼(ワカミケヌ、後世の神武天皇)が、薩摩半島から16年かけて大和に入って建国したことになっていますから、スサノオの剣も一緒に薩摩半島から運ばれたことになると思います。
 しかし、多くの学者はこの神武東征は架空の神話と考えています(私もですが)。
 すみません。駅に着きそうです。ひなちゃん、引き継いでくれませんか?

●ヒメ 080911 8:09
 ひなちゃん、時間ある?畿内説だと、この剣はどうなるの?

●ひな 080911 8:11
 おはようございます。化粧時間をカットする位の時間はあります。
 畿内説の多数派だと、この剣は、後世の偽物ということになるでしょうね。箸墓に葬られた卑弥呼=天照大御神から天皇家に伝えられた、と考える人もいます。

●ヒメ 080911 8:13
 お化粧時間を奪ってしまって、悪かったよね。すっぴんでもとびっきりの美人なんだからさ、許してね。
 もう1つ。このヤマタノオロチの剣は、「三種の神器」として皇位継承の大事な御印の1つとされながら、なぜ、天皇の元に置かれていないのかしら。宮中にはコピーが置かれて皇位継承の儀式に使われ、本物はなぜ伊勢にまで移されたのか、知りたいなあ。

●ひな 080911 8:16
 天叢雲剣が伊勢に移されたのは、恐らく、アマテラスの鏡が移された時に、一緒に移されたのだと思います。
 記紀によれば、ミマキイリヒコイニエ大王(後に崇神天皇と命名)の時に、人民の半数以上が亡くなるという疫病が大流行し、それが三輪山に祀られている大物主の祟りとされます。この時、宮中に祀られていた大物主が宮中から出されて、大物主の子孫に祀らせたことになっています。その時に、一緒にアマテラスの鏡とヤマタノオロチの剣も宮中を出されたと考えられます。
 あと、どなたか、バトンを受けて下さい・・・

●ヒメ 080911 8:25
 大物主の祟りなら、大物主だけを宮中から出せばいいのに、なぜ、アマテラスの鏡や勾玉、スサノオからもらった大事な剣を一緒に宮中から出したのかしら?祟り神だけを出すのは分かるけど、祖先の霊のこもった大事な守り神の鏡や剣を宮中から出す、というのは理解できないわね?
 特に、スサノオは、現代まで疫病封じの神とされて信仰されてきたじゃない。皇族も半数以上が死んだに違いないから、スサノオゆかりの剣を使って、宮中で大々的に疫病封じの儀式を行うはずじゃない。

●カントク 080911 8:38
 二人の美人の頼みを絶対に断わらない、朝から浮き世離れして、2000年近くも前のことにうつつを抜かしている自由人は誰でしょう。ピンポン、わたくしです。
 確かに、ヒメの言うとおりだよね。皇位継承の大事な証である「三種の神器」は祖先から代々、伝わった、皇室を守る大事な家宝だよね。それ宮中から出す、というのはわけがわからないよね。
 
●ヒメ 080911 8:45
 もし、これが記紀のフィクションというなら、私みたいなかけ出しの小説家だって、もっとうまい嘘をいくらでも書けるわよ。
疫病封じのために、大事な家宝のアマテラスの鏡と玉、スサノオの剣を、人民のために伊勢に奉納して祀った、と書けばかっこいいじゃない。

●カントク 080911 8:38
 どうも、天皇家はスサノオの2本の剣、天叢雲剣と十拳剣のどちらも粗末に扱っているよね。そればかりか、アマテラスの鏡も玉も、身近に置いていないし、代々の天皇は明治まで、伊勢神宮に参拝していないんだよ。

●ヒメ 080911 8:45
 100人を越える天皇、全員なの?

●カントク 080911 8:46
 そうなんだ。大海人皇子(後の、天武天皇)は、伊勢を通りながら、遠くから遙拝しただけだし、その妻の持統天皇も伊勢行幸を行いながら、伊勢神宮に参拝した記録がない。。
 これは、実に不思議なことなんだ。弘文天皇(大友皇子)の位を奪おうという天下分け目の戦い、壬申の乱を前にして、祖先のアマテラスに戦勝祈願をし、自分の方が正当な後継者である、と大義名分を掲げる、というのが普通だと思うんだ。

●ヒメ 080911 8:58
 私の書きかけの作品、『壬申の乱殺人事件』に重なってくるわよね。
 カントク、どうやら何か知っていそうね。しかし、取材に備えて眠ります。続きは今晩ね。 (日南虎男記)


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10 スサノオの2本の剣

2008-12-03 23:35:11 | Weblog
●カントク 080910 22:49
 皆さん、せっかくだから、ちょっとだけ、寄り道しませんか?美味しいものは先に食べる、というのがわたくしの流儀なもんでね。
 ヒメの「男は道具、女はゴシップ」という目のつけどころは、さすがだなあ。現代まで、変わらない原理だよなあ。
 男としては、「剣」は物証だけに、「どこ」にもからむので先にやっちゃいましょう。
 「早寝早起き朝ごはん」のボクちゃん、寝ていなかったら解説してよ?

●ボク 080910 22:55
 10時がボクの就寝時間ですからね。学生までは8時だったので、これでもずいぶん夜更かしになったんですよ。皆さんに付き合ってますけど、この課題をこなしてから寝ます。
 どうも、うまく乗せられて、スサノオ実在説に加担させられているようなんですけど、旗は降ろしていませんからね。

 スサノオには、2本の剣があります。1本は十拳剣(とつかのつるぎ:別名、韓鋤剣など)、もう1本は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ:別名、草薙の剣など)です。
 十拳剣はスサノオがヤマタノオロチを切った剣、もう1本はヤマタノオロチから奪った剣です。前者は、韓鋤剣(からさびのつるぎ)とも呼ばれていることから韓で造られた鉄剣、後者は熱田神宮関係者の証言から、銅剣と思われます。
 十拳剣は、石上布都御魂神社に祀られていましたが、崇神天皇の時に奈良の石上神宮に移されて祀られていたものの、後に埋められて、明治になってから発掘されています。
 天叢雲剣は、スサノオからの戦利品としてアマテラスに贈られ、宮中に置かれた後、アマテラスの鏡とともに伊勢神宮に移され、その後ヤマトタケルによって持ち出され、名古屋の熱田神宮に祀られています。その後、天智天皇の時に、新羅の僧によって盗まれますが、海を渡る前に取り戻され、宮中に置かれます。その後、天武天皇に祟ったということで、再び、熱田神宮に戻されます。
 以上が記紀などに書かれたスサノオの2本の剣の由来です。

●ヒメ 080910 22:23
 さすがボクちゃん、記憶力抜群ね。ありがとう。そしておやすみ。お姉さんから、チュッ。

 しかし、スサノオの剣が埋められて粗末に扱われているのに、ヤマタノオロチの剣が天皇家の王位継承の印の「三種の神器」として扱われているってなぜなの?天皇家にとってみれば、ヤマタノオロチの剣って、1地方の王が持っていた銅剣にすぎないじゃない。
 それに、なぜ、スサノオはヤマタノオロチを切った大事な鉄剣を備前に残し、アマテラスにヤマタノオロチの銅剣を贈ったのかしら。
 彼女にはスーパーカーを贈り、姉には時代遅れのポンコツカーを贈ったようなものじゃない。

●カントク 080910 22:31
 ヒメが横にいるのに、慣れない携帯で、おっさんが苦労してメール会話してるって、笑えるよね。喜劇に使えそう。
 しかし、ヒメの発想はいいねえ。いつも「女が男を動かす。事件の陰に女あり」だからなあ。

●ガクセイ 080910 22:36
 さしずめ、僕なんかも、ヒメのストーリーの中で動かされている登場人物の一人ですかね。
 長老は「スサノオとアマテラスの時代は違う」という説のようですけど、それはさて置いて、記紀のストーリーに沿って意見を述べると、スサノオは、二人の女に剣を贈ったというよりも、むしろ、その子に剣を託したのではではないでしょうか?
 剣というのは、王の御霊(みたま=ひ)が宿る、王位継承の印ですからね。

●まる 080910 22:36
 スサノオは、愛しい女へ贈り物をしたのではなく、その子へ吉備国の王の印を渡したのか。
 しかし、スサノオの十拳剣ではなくて、ヤマトノオロチの剣が、天皇家の王位継承のシンボルとなっているのは何故なの?
 スサノオやアマテラスよりも、ヤマタノオロチの方が位が高い、輝かしい王であった、ということになるわよね。
 ヤマタノオロチという偉大な王の権力のシンボルである剣を、天皇家は皇位継承のシンボルとしたことになるじゃあない。

●カントク 080910 22:45
 こういうややこしい時は、いよいよ僕の出番だね。異説・珍大好きだからね。

 もともと、葦原の中国を支配していた出雲族の王は「ヤマトノオロチ」ではないか、という説があるんだよ。
 記紀が出雲神話を大きく取り上げているのは、「ヤマトノオロチ」→「スサノオ」→「アマテラス」へと権力が渡されてきた、という歴史を伝えている、というんだな。
 「ヤマト」という国が、出雲・岩見・安芸・伯耆・吉備にかけてあり、その王がオロチだった、とは考えられないかな。可能性はあると思うよ。

●ヒメ 080910 23:03
 面白くなってきたわよね。しかし、そろそろ私もシンデレラタイム。退場しなければ。
 明日は「壬申の乱殺人事件」のための取材旅行で関西なのよ。ガクセイさん。1日くらい、付き合って案内してくれない?是非、アドバイスが欲しいんだけど。
 それと、ひなちゃん、帰ってからだけどさあ、資料整理、手伝ってくれない。アルバイト代は、ボクちゃんのところよりいいから。ボクちゃんのお手伝いを裏切らない範囲でね。

●ガクセイ 080910 23:15
 いつも、うまく人をころがすよね。「あいにく」と言いたいところですが、ちょうど、奈良に行ってますよ。明日の夜と、翌日は12時までは空いているんだなあ。奈良ならOKですよ。

●ひな 080910 23:17
 ヒメ様。楽しそうなお話し、ありがたくお受けします。今なら、手が開いています。ご連絡をお待ちしています。

●カントク 080910 23:19
 初秋の奈良、若い二人、絵になるなあ。と言いたいところだけど、いつかのように、二人で死体なんぞを見つけて首を突っ込み、さんざ疑われて、みんなを巻き込まないようにしてよね。 (虎男記)


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10 安芸へ天下ったスサノオ

2008-12-01 21:32:51 | Weblog
石上布津御霊神社(赤磐市)

●まる 080910 22:15
 新幹線の中からメールしたけど、「備後国風土記」逸文では、スサノオが南海の王女を訪ねた帰りに、今の福山市のところで、蘇民将来に茅の輪を授けたというのよね。言い忘れたけど、この南海の王女は、しまなみ海道の大三島の大山祇神の娘の神大市比売じゃあないかしら。
 吉備の国には、剣が残された赤磐市とこの福山市の2か所にスサノオの痕跡が残されているわよね。

●ボク 080910 22:18
 先程から日本書紀を読み直していますが、一書第2には、スサノオが安芸国の可愛(え)の川上に天下った、という話もありますね。
 この可愛川(えのかわ)は、比婆山から流れる西城川と三次盆地で合流し、江川(ごうのかわ)と漢字が変わります。しかし、同じ「えの川」なので、スサノオが天下ったのは、江川を遡った上流の地ということになりませんか。

●まる 080910 22:24
 私の現地感覚だと、比婆山や船通山のあたりは、斐伊川、江川、日野川、高梁川の4つの川の源流域なのよね。だから、斐伊川上流でもあり、江川上流でもあって、同じことを言っていると思うのよ。
 現在は4県に分かれているけど、スサノオの時代だと同じ出雲の国であり、風土記や日本書紀が書かれた頃には、出雲、岩見、安芸、伯耆、吉備の国に分かれ、それぞれ自分の国のこととして、別の言い伝えになっていったのじゃあないかしら。

●長老 080910 22:29
 僕も同意見だなあ。出雲、吉備、安芸の3つの記録が、同じことを違った表現で述べているということは、スサノオのヤマタノオロチ退治が、歴史的な事実であったことを示している可能性が高いと思うよ。

●ヒメ 080910 22:31
 気持ちよく酔ってながらからむけど、長老の意見って、「可能性が高い」などとまどろっこしいわよね。
 小説家は何でもお見通しの神なのよ。どんどん、言い切っちゃうわよ。作家は、全ての登場人物を神のように自在に動かし、天の上から見渡し、時には登場人物になって書いて行くんだから。もっと、はっきり言ってよ。
 だいたい、皆さん、ボビットさんに影響されて、「どこ」ばかりに目を向けてるけど、もっと他の視点はないの? なぜ記紀がスサノオの「剣」をこれだけ取り上げているのか、スサノオの愛した女性は誰と誰なのか、なんて面白いテーマはいっぱいあるじゃない?

●カントク 080910 22:42
 ヒメは相変わらずだなあ。ヒメの興味はわかるけど、もう少し「どこ」をやってみようよ。

●ガクセイ 080910 22:44
 「ガクセイ」で登場しないと、ヒメ様には満足してもらえないようですね。
 長老としては、「どこ」や「なぜ」「どうして」よりも、「いつ」に一番興味があるようなんだけど、もう少し、続けてみませんか。

●ヒメ 080910 22:46
ごめんごめん。私って、いつも、人の話や授業、講義なんかがまどろっこしくって、先に進みたいのよね。了解しました。どこどこまでも続けましょう。 
                              (日南虎男記)


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9 吉備のスサノオ

2008-11-29 17:05:33 | Weblog
石上の地名と石上布津御霊神社(備前之国一の宮)

●長老 080910 21:01
 カントク達が酒場でわいわいやっているようなので、私たちはパソコンの前に集まって、酒でも飲みながらネットパーティといきましょうか。
 ところで「長老」がコナンのように「ガクセイ」に変身してしまったと思ってはいまいな。「長老」から「ガクセイ」は分身したのであって、「長老」は健在なのじゃ。念のために申しておくぞ。
 日本史ミステリーの口調がカントクから移ってしまったぞ。リセットじゃあ。

 父の田舎が岡山なので、ついつい吉備びいきになってしまいますが、日本書紀の一書第3は、ヤマタノオロチ退治でスサノオが使った剣は、吉備の神部のところにあり、出雲の簸(ひ)の川の川上の山としています。
 古事記や日本書紀に出てくるヤマタノオロチ退治が出雲国風土記に出てこないことから見て、その場所は出雲国の範囲にはなく、吉備の地にあった可能性があります。
 出雲国風土記は、播磨国風土記に出てくる大国主神の活躍などは一切載せていないことからみても、出雲国の範囲での地誌しか載せていません。出雲国風土記にスサノオのヤマタノオロチ退治がでてこないのは、スサノオが存在しなかったのではなく、この出来事が出雲国の範囲の外であった事件だからと考えられます。
 もちろん、それは出雲国風土記が書かれた頃のことであって、スサノオの時代には、このヤマタノオロチの拠点は出雲国に含まれていたと思われます。

●まる 080910 21:16
 愛機、ウィルコムのアドエスを使って、リアル飲み会から参加しますよ。酔っているので、地名とか間違えるかも。
 私は出雲から倉敷へ車で移動したことがあり、多少、土地勘があるのよね。肥の河、現在の斐伊川を上流に上ると、島根・広島・鳥取・岡山4県の県境になり、イザナミが葬られた比婆山やヤマタノオロチのいたという船通山があります。
 ここは4県の主要河川の源流部なんです。西へ三次盆地を経て江川、東へ日野川、南へは広島県から岡山県に入り、成羽川から高梁川にそって下ると、古代、吉備国の中心部、造山古墳のある総社市へ抜けられますよね。
 ヤマタノオロチの拠点は、この地域のどこかにあったのは間違いないのじゃないかしら。

●長老 080910 21:26
 記紀の記載からみて、ヤマタノオロチの拠点は船通山の西の鳥取県側か、その南の広島県側(備後)、あるいは岡山県側の3つの可能性があります。
 さらに、日本書紀の1書第3が、スサノオがヤマタノオロチを切った十拳剣(とつかつるぎ。別名を韓鋤剣=からさびのつるぎ)を「備前の神部」に置いたとしていることからみて、この十拳剣が置かれたところが、ヤマタノオロチの拠点で会った可能性があります。
 この十拳剣は、崇神天皇の時に備前の石上布津御霊神社(備前之国一の宮)から、大和の石上神宮に移されたと神宮の記録に残されています。なお、この「布津御霊」というのは、スサノオの十拳剣のことです。
 この「石上布津御霊神社」は、旭川上流の津山市よりは少し下ったところにあり、赤磐市(旧吉井町)の、旧建部町、旧御津町に接するあたりで、岡山県のほぼ中央部になります。この地は、戦後まで鳥取上村、鳥上などと呼ばれており、ヤマタノオロチのいたという「鳥上」地名が一致します。
 一方、船通山の周辺には「鳥上」地名は残っていません。

●まる 080910 21:56
 しかし、斐伊川の上流というには、船通山周辺なら分かりますが、岡山県中央部を流れる旭川の中流域では、ずいぶんと離れていますね。

●長老 080910 21:58
 確かに。この旭川中流の「鳥上」は、斐伊川の上流とは、言えませんね。
 スサノオはヤマタノオロチを殺したあと、出雲の須賀にもどって宮を造り、有名な「八雲立つ、出雲八重垣・・・」の歌を詠み、櫛名田比売と子をもうけたとされています。
 従って、備前の「鳥上」の石上に十拳剣を残したのは、その後のこととも考えられますね。
 斐伊川上流の船通山の東側は、鳥取県の日野川の源流部であることから、「鳥取上」の地名がこのあたりにもあった可能性がありますが、地名は見つけられていません。(日南虎男)


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8 スサノオとイソタケルの日本植林発祥の地

2008-11-26 16:50:27 | Weblog
「日本植林発祥の地碑」近くの案内板(基山)

●カントク 080910 21:15
こっちは今、ヒメとまるちゃんと、盛り上がっているよ。
ところで、ボクちゃん、九州で大事なことを忘れてない? わが故郷の博多から大宰府をさらに南に下ったところ、ちょうど筑紫平野への入口のところには、基山という山があるのを、ご存知かな?
この基山は、スサノオが高天原から追放され、子の五十猛神(イソタケル)と新羅に行き、持ち帰った木の種を最初に植えたという言い伝えがある。頂上の草スキー場のところに植林発祥の地の石碑が建てられており、麓には五十猛神を祀る荒穂神社もある。
日本書紀では、五十猛神は、天降りする時に多くの樹種を韓国に持っていったが、韓国には殖えずに持ち帰り、筑紫から始めて各地に植えた、そして紀伊国に住んだ、と言っている。

●ボク 080910 21:55
カントクの悪いクセです。またまた若者を試して楽しんでいますよね。
日本書紀の一書第4には、スサノオは筑紫に帰ってきたとは出てきません。知っていて、フェイントをかますんですから。
高天原から追放されたスサノオは、新羅のソシモリに行ったものの、この地には住めないと言い、息子のイソタケルと土で作った船で東に渡り、出雲国簸川(氷川=斐伊川)の上流の鳥上の峰へ到ったとされています。出雲直行であり、筑紫には立ち寄っていません。出雲が新羅(もちろん、当時にはまだ新羅の国はありませんが)の東にあることを正確に伝えていることです。新羅から南に下って筑紫を経て出雲に行くのではなく、東に直行する海路があった、ということです。
 ただし、この日本書紀の記載が、事実を伝えているかというと疑わしいし、仮に、筑紫から始めたとしても、基山という証拠は乏しいのではないでしょうか?
 また、もともと、高天原にあった樹種を持って新羅に行ったというのですから、この国が禿げ山であったとは考えられないし、植林というのも理解に苦しみますね?
 ましてや、石碑となると、林野団体が補助金の一部を使って建てたか、それとも観光協会が建てたのか、我田引水の観光対策ミエミエで、恥ずかしいですよ。

●カントク 080910 22:15
 お主、さすが史学を学んだだけのことはある、といいたいところじゃが、果たしてどうかな?そんな紙面の表面づらをなでただけのことを言っておると、ついつい、テレビ東京の「新説!?日本史ミステリー」の口調になってしまうぞ。

 日本書紀の一書第4を、お主、ちゃんと読んでおるか?
 重要なのは、スサノオが海原を自由に行き来する交易王として描かれていることじゃ。スサノオとイソタケルの行動範囲は、新羅と出雲、筑紫や紀伊に広がっていることがわかろう。その交易においては、樹の種や苗木、木材を運んだのであろう。
 高天原の物語を除いて見ると、スサノオ一族は、魏志倭人伝で対馬国の人々が「南北に市てきする(交易する)」と書かれているのと同じように、何度もこれらの地を航海していたことが、この一書からわかる。
 確かに、一書第4では、スサノオは東に渡って出雲に直行、イソタケルは筑紫から樹を植えた、と2つの行動が同時に書いてあるが、別の時期の出来事が1つに書かれているだけではないかな?
 スサノオとイソタケルは行動を共にしていた、そして、筑紫もその範囲に含まれることが分かろう。
 
 スサノオがいたか、いなかったかは、まず、データを全部出し合ってから、最後に決着をつけようではないか?   (日南虎男)


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7 文献に現れたスサノオ

2008-11-24 07:27:20 | Weblog
●ボク 080910 21:55
 ハイハイ。仕事でクライアントを「使いっ走り」させてきた皆さんですから、市民生活においても同じですよね。

 スサノオが登場する基本的な文献は、古事記と日本書紀、それから出雲国風土記です。
 『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)『日本書紀』では素盞嗚尊、『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)などと表記されています。
 ホビットさんの意見に従い、場所にこだわって、その足跡をたどると、まず生まれた場所は、イザナギ命が死んだイザナミ命を黄泉の国に訪ねて、宍道湖湖畔の黄泉比良坂(よもつひらさか:出雲國の伊賦夜坂:いふやさか)で地上に出て、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊を行った際に産まれたとされています。いずれも、出雲、筑紫の具体的な地名です。
 「古事記」では、イザナギ命が鼻をすすいだ時に生まれたとされており、「日本書紀」ではイザナギ命とイザナミ命の間に産まれたされています。
 成長したスサノオは、高天原にいる姉のアマテラスの後継者を巡って乱暴狼藉を働き、アマテラスが天の岩戸に隠れる事態になり、神々によって高天原を追放されます。戦前までは、この高天原は天上の神の国とされてきましたが、話の流れからすると、「筑紫の日向」の地上のどこかかの可能性もあります。
 その後、スサノオは出雲の斐伊川の上流の鳥髪(とりかみ:船通山)に来て、櫛名田比売(くしなだひめ:奇稲田姫)を助け、越のヤマタノオロチを切り、須賀の地に宮を建てたとされており、全て、出雲にある地名です。
 「出雲国風土記」では、大国主と較べるとスサノオは影が薄く、意宇郡安来郷や飯石郡須佐郷の地名を定めたとか、その御子人(みこと)たちの話が書かれているだけです。有名なヤマタノオロチ退治の話はでてきません。
 死んだ場所は、大国主が「木の国」へ行って根の国へスサノオの訪ねたとされていることや、子のイソタケルが祀られていることから紀伊国(熊野)と考えられますが、墓所の記録や伝承はありません

 以上、出雲、筑紫、紀伊の3か所が、記紀と出雲国風土記に現れたスサノオの足跡です。
 「5w1H」の他のテーマは、その時々に、取り上げていただきたいと思います。(日南虎男)


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6 ウソから出た誠

2008-11-22 10:27:54 | Weblog
●ひめ 080910 16:30
けだるい目覚めです。今宵は酔いつぶれて、明日からは昼型の生活に切り替えたいと思っています。書き上げた『大国の里殺人事件』、ちょっとは期待していて下さい。

一眠りしている間に、いろんな論点がでてきましたね。
カントクの問いかけの「なぜ、夫婦神とせずに、兄弟神として、誓いで子どもを生ませたか」には大いに興味がありますよ。
おっしゃる通り、嘘をホントらしく書く小説家からみると、記紀神話の明らかな「ウソ話」が一番面白い。
歴史家は、ウソかホントか、が問題でしょうけれど、小説家の端くれのひめとしては、嘘をホントのように書いたところより、嘘をわざと嘘らしく書いたり、ホントの話を嘘らしく書いていたりしているところにそそられますね。
「ウソからでた誠」「身からでた錆」が一番面白いんじゃない。カントク?
小説で登場人物を動かす時に、一番苦労するのは動機なんです。ホビットさんの「5W1H」でいえば、私の興味は「何のために」です。推理小説を書いていて、この動機の部分を考えるのが一番難しいけど、楽しい。「好き、いとおしい、嫌い、憎い、殺してやりたい・・・」
 例えば、アマテラスとスサノオの「誓い(ウケイ)」で、アマテラスの玉から5王子、スサノオの剣から3女神が生まれたとされているけど、なぜ、こんな、誰にでも解る嘘を書いたのか、ここから推理小説の謎解きを書きたいよね。

●カントク 080910 17:35
 「祝い人」の岩井の名にかけて、是非、ひめの原稿アップを祝いたいね。場所のメール送ってよ。
 なんか、「ウソからでた誠」だの、「身からでた錆」だの私に当てつけてない?年寄りはちょっとした事でひがむのよ。

 「誓い(うけひ)、誓約」の出てきた背景として、ボクちゃんのアマテラス・スサノオの近親相姦説は、1つの動機になりますね。それを記紀は隠したことは考えられる。
 僕は、アマテラスとスサノオは実際には夫婦で、スサノオの方が偉大な王であったため、天皇家は祖先のアマテラスを上位に持ってくるために、「誓い(うけひ)、誓約」神話が作られたと考えている。

●まる 080910 17:50
 「ほら~小説家」のヒメの発言は、いつもみんなと発想が逆で面白いねよね。
 実は、ちょうど今、石の宝殿のある「大国の里」を新幹線で通り過ぎたところなの。偶然とは面白いよね。9時には東京駅に着くので、お店を教えてよ。『大国の里殺人事件』の話を是非、聞きたいよね。

 スサノオ英雄説とスサノオお坊ちゃん説の争いで楽しいなあ、と思っていたら、スサノオ架空説、スサノオ・アマテラス非兄弟・夫婦説、スサノオ・アマテラス別時代説がでてきましたよね。さらに、方法論として、「神話遺跡を探そう論」と「神話の嘘の動機論」、論点は出尽くしたかな?
 論点整理のために、スサノオに関して、どんなデータがあるのか、ボクちゃん、紹介してくれない? (日南虎男)

5 スサノオはどこにいたの?

2008-11-20 10:03:23 | Weblog
●ホビット 080910 10:50(こちらは、080909 22:40)

 今、アンデスのエルドラド(黄金郷)からメールしています。深夜、一人で調査結果をまとめている最中です。
 急な呼び出しがかかり、出雲の打ち上げに行けなくて失礼しました。

 私は、論より証拠、論より現地派です。
 5W1H(いつ、どこで、誰が、どうした、何のために、どのようにして)のうち、一番大事なのは、どこで、と考えています。最終的には、遺跡の裏付けが必要であり、そのためには、「どこで」が一番重要となります。
 スサノオを論じるなら、スサノオが生まれ、結婚し、即位し、死んだ場所こそが決め手と考えます。その記録や伝承が残っている土地で痕跡を捜すことが、課題と思います。
 考古学というと、たまたま工事現場からでてきた遺跡を発掘するという仕事に追われていますが、本来は、一定の歴史仮説を立て、そこから遺跡の所在を推定し、発掘して仮説を裏付ける、というのが歴史科学のあり方ではないか、というのが私の持論です。
 邪馬台国論争が、いつまでシュリーマン以前のように、机上の論争に終始しているのは理解に苦しみますね。
 
 私は、スサノオについても、「どこ」にこだわりたいなあ。

●マル 080910 12:50

 どうやらアンカーは私のようですね。
 今、仕事で倉敷市にきています。柳並木を見ながら、喫茶店、エル・グレコで食後のコーヒーを味わっています。

 しかし、まだアイデア出しの段階なので、今回は、私も提案者になります。
 前に福山市の仕事をした時に、素盞嗚神社に行ったことがありましたが、ここには「備後国風土記」逸文に載せられている有名なスサノオの茅の輪(ちのわ)伝説、蘇民将来伝説があります。
 スサノオが南海の王女を訪ねた帰り道、ここで宿を求めたところ、金持ちの弟は断り、貧しい兄の蘇民将来はスサノオを泊めてもてなしたところ、帰る際に茅の輪をさずけて、疫病が流行った時に、腰に付けて家を出ないよう、言い残したといいます。そして、その後、疫病が流行った時、蘇民将来の一家は助かり、弟の一家は亡くなったと伝わっています。
 今も、各地の神社で茅の輪をくぐったり、蘇民将来のお札を求めて貼るのは、この言い伝えにもとづいているといわれています。
 京都の祇園の八坂神社が姫路の広峰神社から分祠されるなど、疫病が流行ると素戔嗚大神が頼りにされたようです。

 私など、全国各地で仕事をしていると、いろんな伝承に出会います。古事記・日本書紀や風土記などの文献からだけでなく、各地にスサノオを祀る神社があり、伝説が残っていることからのアプローチが必要と思います。これらの伝承には後世の創作も多く混じっているでしょうが、全てが創作である、と決めつける証拠はないように思います。
 貧しい、親切な民衆を助けるというスサノオの言い伝えが各地に残っているということは、古代の英雄・スサノオの実在性を示しているのではないでしょうか? (日南虎男)

4 スサノオはいなかった

2008-11-18 12:02:14 | Weblog
●ひな 080910 0830
はじめまして。高木さんから紹介されて参加した朝比奈曖です。みんなからは、「ひな」と呼ばれています。学生も、けっこう、朝メール自由人なんですよ。
生意気な新参者がいきなり盛り上がりに水をさすようで申し訳ありませんが、そもそも、スサノオは実在したのでしょうか?
戦前、津田左右吉氏は『古事記』・『日本書紀』の神話時代は後世の創作であると批判し、早稲田大学を辞職させられ、有罪判決を受けていますが、今や、定説なのではないでしょうか?
また、アマテラスは、卑弥呼(ヤマトトトヒモモソヒメ)をモデルにして創作された架空の人物、という説も有力なように思います。
そうすると、スサノオもまた、8世紀に創作された神の可能性が高くなります。夫婦神とせずに、「誓(うけ)い」で子をもうけるなどというという荒唐無稽な記紀の記載は、スサノオの架空性を示しているのではないでしょうか?
スサノオはいなかった、という仮説の検討も必要と思います。

●カントク 080910 0900
いいところをついてくるねえ、ひなちゃん。ボクちゃんが言っていたとおり、明晰かつ論理的だね。
初めまして。カントクこと、「毎日がお祝い」の岩井さんです。すぐに相手の土俵に乗ってしまうおっちょこちょいのどこかの「メール内弁慶」とは大違いだねえ。

付け加えると、アマテラスとスサノオの両方、あるいは片方が実在しなかった、という論点とともに、「なぜ、夫婦神とせずに、兄弟神としたか」、という論点がでてくるよね。ボクの「兄弟神の近親相姦論」を含めてね。

このあたりで、ひめの意見を聞きたいなあ。ひめのお目覚めを待つとしましょうか?

●ガクセイ(長老) 080910 1020
どうも、昼間からメールのやりとりができるという、自由人がやけに多いグループだなあ。
しかし、カントクによれば、自由な発想で仮説を出し合う段階では、堅物の学者などは、端から相手にされていないようですね。
朝からの講義を終えて、皆さんのメールを「学生街の喫茶店」で見ています。ここは、昔のままで時間が止まっていますので、私も別世界にワープして、学生・大野に戻って参加したいと思います。「長老」はしばらく封印して、「ガクセイ」にして下さい。
スサノオとアマテラスがいたか、いなかったか、なぜ兄弟神にしたのか、という論点とは別に、いたとしてもいなかったとしても、スサノオとアマテラスの物語は同時代の人物かどうか、という論点を提案したいなあ。


3 スサノオを捜そう

2008-11-08 19:19:34 | Weblog
ヒメ 080910 0640 スサノオを捜そう

おはよう。昨日は徹夜です。アシスタントは帰して、ぬるいお湯にゆっくり浸かって、夜明けのビールをいただいています。襲いにこないでくださいね(笑)。
皆さん、神話探偵団の提案、受け止めていただき、ありがとう。掲示板の体制を組んでくれたボちゃんに感謝の投げキッス。
ところで、出雲での話の盛り上がりからいうと、最初のテーマはやはり、スサノオでしょう。
美女を差し出すように命じるヤマタノオロチに戦いを挑み、櫛稲田媛を助けた勇敢な若きスサノオ、なんと素晴らしい英雄でしょう。
古事記に最初に出てくる歌は、スサノオの「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(つまご)みに 八重垣作るその八重垣」の恋歌ですよね。実際にスサノオがこの歌を詠んだかどうかは大いに?だけど、このような伝承がいつの頃からか言い伝えられていたことは否定できませんよね。このような英雄神話は誇っていいと思う。
次に古事記に出てくる歌は、大国主神と越国の沼河媛(ぬなかわひめ)の相聞歌で、4・5番目の歌は、大国主神と須勢理媛(すせりひめ)の相聞歌ですよね。
恋歌に彩られた古代神話、興味は尽きないですね。
しばらく、別世界にワープします。

カントク 080910 0700 ヒメに賛成

ヒメの朝風呂は、絵になるなあ。朝酒・朝風呂・朝メールは自由人の特権ですよね。
スサノオを探偵することは大賛成。恋歌からのスサノオ神話、面白いね~。女性ならではの提案です。
わたくし的には、酒づくり名人の少彦名命あたりから入って行ってもいいと思うけど、ヒメを支持します。

ボク 080910 0735 スサノオはマザコンのオボチャマンでは?

おっと、朝メールは、通勤人の特権でもあることをお忘れなく。今や、痛勤電車は携帯電車ですよ。ヒメ様の投げキッスで、車内はバラ色です。
しかし、スサノオって、そんなにいい男ですかね。
古事記によれば、髭が胸まで届くようになっても、父・イザナギに命じられた「海原」を治めることもせずに、母を恋い慕って泣いていたんですよね。
また、姉のアマテラスと「誓約(ウケヒ)」を行い、スサノオの剣からアマテラスが3女神、アマテラスの玉からスサノオが5王子を生んだとされていますよね。これって、近親相姦じゃないですか?
それはさておくとしても、スサノオは、自分の剣から生まれたのが王女なので後継者争いに勝った、と宣言したのに、アマテラスは自分の玉から生まれた王子が後継者である、と告げています。女王の次は女王であるはずなのに、男王にするというのは約束が違う、とスサノオが怒るのは、当然ですよね。
スサノオは怒りにかられて、アマテラスの田んぼの水を抜いて稲を枯らしたり、神聖な神殿でウンコをしたり、機織りの部屋に馬の皮を剥いで放り込んで機織りの巫女を殺すなど、乱暴狼藉の限りを行ったとされています。
そして、天照大神が岩屋に隠れる事件を起こしたあと、高天原の神々によって手足の爪を剥がされ、高天原を追放されたというのでしょう。
これじゃあ、思慮分別や政治力のない、ただの甘ったれのお坊ちゃんじゃあないですか。英雄とはほど遠いですよ。

2 おもしろ怪しい7人

2008-11-02 14:47:29 | Weblog
ここで、出雲市の鮨屋で盛り上がったメンバーを紹介しておこう。

まず、端役のボク。主役にも名脇役にもなれないのは、小学校の学芸会からずっと。
奈良県葛城市生まれ。高木功。28歳。
国の財団の職員(学芸員)で、ちょうど仕事が面白くなってきてバリバリこなしている。
ボクと言ってしまう癖をカントクに付け込まれ、高木=こうぼく=公僕=ボクのあだなにされてしまった。おっとりした性格のため、いつも、カントクの餌食にされている。
AかBか、の争いなると、歴史学、それも考古学をまともに専攻してきたため、どうしても通説の受け売りになってしまう。
今回のプロジェクトでは、発注者であるにもかかわらず、「トンデモ素人衆」にさんざん振り回されてしまった。

ヒメ
姫路生まれ。やはり、主人公でしょう。
高階樹(いつき)。推理小説家。年齢は30代前半だが、20代に見えたり、40代に思えたりする。歴史ミステリーとトラベルミステリーが得意分野。
デビュー作の「法隆寺炎上」でミステリーファン大賞、「卑弥呼殺人事件―14人目の探偵」でユーモアミステリー大賞を受賞。
テレビのコメンテータとしても知られている。アヤヤ似の美人だが、おっとりしている人が多い播州人とは程遠い。カントクの一番のお気に入り。
AかBの争いになると、Cと言ってしまうタイプで、どこに話が飛んでいくかわからない。ボクの一番苦手なタイプ。

カントク
岩井定男 博多生まれ。61歳。
映画監督で、歴史ものの映画やテレビドラマ、テレビ番組を撮っている。歴史の異説・珍説にやたら詳しい。「祝い人」と称して、飲み会が大好き。
AかBか、という争いになると、面白そうな方についているようでもあり、単に、女性意見に同調しているに過ぎないフシも見られる。

長老
東京・府中生まれ。大野靖。45歳。八雲大学教授。
落ち着いた物腰と、丸メガネ、長髪のスタイルで、歳より10歳は老けてみえる。飲み会で誰か(カントクと思う)が「長老」と言いだし、そのまま続いている。
指導教官と対立し、京西大学の学閥からは閉め出され、もっぱら執筆で活躍している。
唯一まともな理性派で、ボクには感覚的に一番近く、信頼している。しかし、学会の異端児であり、通説派のボクを裏切ることがある。
AかBか、というと、論理的に決着を付けないと気がすまないタイプ。

マルちゃん 津嶋千帆。大宮生まれのまちづくりコンサルタント。46歳
グラマラスで丸顔。それでてっきり「マルちゃん」と思っていたら、大外れ。
AかBかの争いを足して2で割るのが得意なので、カントクが「丸め屋のマルちゃん」と言い出したらしい。カントクとは一番の古い付き合い。カントクは「2ワリ打者」と言って冷やかすこともあり、評価している。足して2で割ると、確率2割くらいのヒットがあるらしい。

ホビット 海部穂人。トレジャーハンター。35歳。
ロード・オブ・ザ・リングの小人のホビットとは違い、力持ちの優しい大男。「穂人」の名前から、「ホビット」で通っている。
世界を放浪していて、フリークライマーとしても有名であるが、何故か、怪しいコロンビア奥地のエルドラド(黄金郷)の調査に参加。新しい遺跡発見で大活躍して、日本に帰ってからは、奥州藤原氏の黄金遺跡を発見するなど、日本初の本格的なトレジャーハンターの道を歩んでいる。

ひな 朝比奈優。西北大学の大学院生。23歳。
時々、財団の調査や原稿書きのアルバイトを頼んでいる。皆さんがあまりにも逸脱するので、正統派を増やしたかったのと、対抗上、若いメンバーを増やしたくて推薦した。仕事から離れたところで、ボクの大活躍を見せたい、二人で調査に行きたい、という気持ちが無い、といえば嘘になる。