ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

思考じゃなく感じることが大事

2009-03-03 07:24:02 | Weblog
さあて、向こう半年の契約も済ませました。
又新しい出会いの中国語講座が4月から始まります。定員になるまで1本の電話
に殺到していた申し込み順の4月から各講座(レベル別英語・中国語・ハングル
・スペイン語)。
保土ヶ谷区国際交流主催次期講習(4~9月)申し込みに、朝からなかなか繋が
らなかった電話。盛況なそこの活動のようです。
講習料金の支払いも、今や主流となっている銀行振込ではなく現金持参。
個人レッスンの場所から近い所に位置するそこでしたから、こういうことも考えれ
ばありがたいことね。

1、リーチュアン君との出会い(不思議としか言えないそれ)。
2、中国語のレッスンを迷うことなく引き受けてくれた彼、しかも無料。
3、マックで出来るレッスン。駅から1分。
4、そこの区の国際交流事業の一つに出会えた。
5、見学が許された。
6、先生が言語学専門家だった。
7、格安料金。

総てが私に都合よく運んだ事に、改めて驚き感謝しているのです。そんなのこじ
つけとか、偶然、大した事ではないって、心の目を三白眼にして物事を眺める人
もいます。けれども私は、いつも感動します。計測できない、五感では感じとれ
ない何かで感じる世界です。いつでも私だけが感じる心引かれる世界を大切にし
たいと思うのです。
嬉しくなったり、楽しくなったりって思える受信機は心、そう、理屈は要らない。
瞬間だったり、あとで思い起こしたりだったりでも、すっご~い!素晴らしい!
等などから、その感動の全てをありがたいって思える自分をいとおしいって思う
のです。この世にたった一人です私という人間は(全ての人が)。
ですから、ささやかな、けれども、もしかしたらとてつもなく大きな愛に包まれ
ているのかもしれないって感じるのです。

全てはうまくいってるって思います、言います。
1日何回も言います、ありがとうって。
家事、その他諸々をする手、動く事に「ありがとう」。
外出時、前に進む足に「ありがとう」。
好きな本が読めます「ありがとう」。
何よりも息ができます「ありがとう」。

言われることより、言える自分でありたいと思っています。だって、バカものに
なりたくないのですもの。
「御身大切」ですからありがとうなのです。誰よりも誰よりも自分が大事ですから
ありがとう、なのです。

勘違いしている人がいます。ありがとうって言えない人は、そこに負けている
(何だかわからないけれど)みじめな自分を想像しているのです。相手のほうが
偉いようで、そんな相手にありがとうだなんて!・・・冗談じゃあない!・・・
だ・か・ら 言えない人はバカなのです。自分が大っ嫌いなのよね、可哀想に。
可哀想だけど、そこで折り合いをつけるのも自身でしかないのです。人のアラ
探しに必死になって、言い訳を見つける暇があったら、相手は要らないのです、
深呼吸して、空を仰いで、天に手をかざして、聞いてみればいいのです、
「私が何か関与したかしら?」って。そうしたら、感動する筈です。
何一つ作ってないのに、息が出来て空を見る目を持っている、手が、指がある。
立っているその足元の砂粒一つ作れないのに、・・・・・涙がツツ-ッと頬を・・
思わず、そう、考えてじゃなく感じるのです。理屈じゃなく。
思わず「ありがとうございます」って口をついて出てくるわ。するとどうなる?
きっと、それが言えた自分がいとおしくなって大好きになっていくって、私は
断言します。神様も仏様も何もしてくれません。何もかも自分が作り出すのです。
って、私は自分の体験から断言出来るのです。私は不思議な体験を若い頃よりして
います。その中の一つに、それを神の声としてもいいかなって、しかも同じ声を2回。
17才の時と、55才の時に。全く同じ声でした。シチュエーションはもちろん
違いますが。どちらも鮮明に記憶しています。
けれども、神様も仏様も、一般に思われているような存在としてはいないと思っ
ています。何かを拝む、頼むこともしません(これが嫌いです)。
ただ、この言葉は真理かしら?って思う言葉があります。

      「因果応報」  「天は自ら助くものを助く」

人に影響されないように、ええ、生きる事って、無数の人々の有形無形のプレゼント
を受けて、借りて、戴いて進む事です。全くのオリジナルって・・・私はない・・
ぜ~んぶ、ありがとうございますしかありません。
けれど、けれど、その膨大な中から自分の糸を拠り合わせ、染色して、織っていく
ことが何よりも大事なことではないでしょうか?いつまでも、いくつになっても
他者へ依存していることは、自分を生きていないことだと思うのです。そんな
自分に対して失礼な事をしててはいけないのです。人が、世界がどうなろうと、
どうであろうと、息が出来て、飢えないだけの食べ物があって、温かい格好ができ
るなら、それを当たり前の事と思わずに(だって、何もそれに関与してないのです
から)、思いっきりありがとうって思って(言って)生きていたら、きっと当たり
前の法則が働き、柔和な顔で過ごせるはずです。私も努めてそうなるようにしてい
ます。だってバカ者なんかなりたくありませんから。 いつも感謝です。