♪もうい~くつ寝ると~お正月~~~~♪
楽しみが多く豊かなきょう日、ときめきが少なくなってるって思いません?
感動が生活の中からなくなっていくようで。行事もそれに伴う様々な喜びが
年々薄れて、「それが?」って覚めた自分を見ます。これは恐ろしい事です。
慣れるが狎れるに変わる、そこには感動はありません。どうも、そのような
変化が心の中で、音もなく忍び寄る無表情がハバをきかせてくるようです。
「あ~~面倒臭い」って思って、仕方なくあい努めていた節々の行事であった
のも事実ですが、心のどこかでそれを楽しむ自分がいました。
いにしえの人々が考え出した地域(国)の、家庭のけじめ。気持ちを新たにし
て迎える新生個人への、希望へとつながる禊であり、けじめだったと思うの
です。その希望への各扉を開ける鍵が様々な行事となって幸福な未来への招聘
だったような気がします。
自然の前で(脅威も含めて)、人々は畏れ、それは敬いになり、感謝となり
願いに変わっていきました。そして、そこへ科学という人間の叡智が果敢に
自然に挑戦、征服できると。キリスト教を根底に置く世界観の住人は、生き物
の頂点に立つそれは人間と。全てはその頂点に立つ者の思うが侭にという傲慢
さで今日の世界を作った事は否定できないでしょう。
そして貧富の差が歴然としている21世紀の世界で、豊かさを手にした人々の
欲望は納まらず、「欲望という名の電車」に乗り続け、虚ろな生気の無い顔で、
人口の町をさまよいます。
疲れました。何に?人ごみに。
週1回通る横浜駅構内は、端から端の、でも距離にしたらなんてこともない長さ
なのかも知れないのですが、大勢の見知らぬ無表情の人達が行き交う、雑踏は私を
十二分に疲れさせました。
「だから言わないこっちゃない!」って言われそう。私を良く知る知人友人達は
乗り換えてまで出掛ける私をいぶかったものです。ご明察通り、私には不向きな
場所での勉強でした、何かを学ぶ場所としては。横浜駅まではいいのです。
すぐ外へ出られますから。空がそこにはあります。
3月までの授業料は前払い。けれども時間あたりにしたら安い安いそれです。
ですから、それは少しも惜しくはありません。ただ、老師(先生)は優秀ですから、
援護会が来てくれたらねぇ、なんてバカな事を思うほど続けられたらって正直思い
ます。でも、もうダメ!あの気色悪い無表情な人々が行き交う、天井の低い構内を
その中の一人となって往復する気は失せてしまったのです。あ~あ
本当に人工的なものが苦手です。どんなに美しくあっても、大して魅了されない
私です。息苦しくなるのです。
「本気ですか?」って、キョウシン老師は言います。ええ、本気よって。
よく考えて、お互いの立場を考えた末の結論です。本当に横浜駅までの間にあった
ら辞めたりなどしないんだけどねぇ、なんて、モノグサ女の考える事よ。それは
不可能ですから、意を決して身を引くことに。でも、3月までは席のある生徒です。
ああ、私が車で行けたら又事態は変わるかも。でも、あの場所へ乗り入れるなんて
自信はありません。とても交通量の多い所に位置しているのですから。
しかし、私の中国語熱がこれで冷えたわけではありません。リーチャオクンとの
個人レッスンが始まり出したのですから。今までの外国語履歴は、替わるたびに
ステップアップ出来そうな先生と出会っているのです。先生のいない英会話レッ
スンは別として。
ですから、私は前を見て歩きます。過ぎ去ったものに心を動かされないように、
捕らわれないように。小椋桂の歌にもあった♪僕は~呼びかけはしな~い・・・♪
ってあれみたいに。過ぎ去るものに、です。
理屈抜きのフレーズ丸覚え。これは私たちが日本語(言葉)を覚え始めた時の
ように。学校でも、試験対策?範囲を全部丸暗記!だったものよね。ウン百年も
前の事だけど(笑)。
クリスマスは、FEN放送で、アメリカ人の歌うクリスマスソングに耳を傾けて。
次から次へ、なかなかいいものです。音楽はやっぱり人の心へ働きかけます。
昔のように、ツリーを飾る事もなく、騙されてくれた子どもたちへプレゼントを
渡す事もないクリスマスです。感動が薄れていく豊かな社会で生きている中で、
小さな感動を、探したいと思います。私の心の中の宝石箱へしまえるような、
時々取り出して、微笑むような、誰にも関係の無い私だけの小さな感動を見つけて
いこうと思います。大事にそおっと手のひらに載せて慈しめるような出来事等を。
やっぱり ありがとう!全ての事へ感謝です。
楽しみが多く豊かなきょう日、ときめきが少なくなってるって思いません?
感動が生活の中からなくなっていくようで。行事もそれに伴う様々な喜びが
年々薄れて、「それが?」って覚めた自分を見ます。これは恐ろしい事です。
慣れるが狎れるに変わる、そこには感動はありません。どうも、そのような
変化が心の中で、音もなく忍び寄る無表情がハバをきかせてくるようです。
「あ~~面倒臭い」って思って、仕方なくあい努めていた節々の行事であった
のも事実ですが、心のどこかでそれを楽しむ自分がいました。
いにしえの人々が考え出した地域(国)の、家庭のけじめ。気持ちを新たにし
て迎える新生個人への、希望へとつながる禊であり、けじめだったと思うの
です。その希望への各扉を開ける鍵が様々な行事となって幸福な未来への招聘
だったような気がします。
自然の前で(脅威も含めて)、人々は畏れ、それは敬いになり、感謝となり
願いに変わっていきました。そして、そこへ科学という人間の叡智が果敢に
自然に挑戦、征服できると。キリスト教を根底に置く世界観の住人は、生き物
の頂点に立つそれは人間と。全てはその頂点に立つ者の思うが侭にという傲慢
さで今日の世界を作った事は否定できないでしょう。
そして貧富の差が歴然としている21世紀の世界で、豊かさを手にした人々の
欲望は納まらず、「欲望という名の電車」に乗り続け、虚ろな生気の無い顔で、
人口の町をさまよいます。
疲れました。何に?人ごみに。
週1回通る横浜駅構内は、端から端の、でも距離にしたらなんてこともない長さ
なのかも知れないのですが、大勢の見知らぬ無表情の人達が行き交う、雑踏は私を
十二分に疲れさせました。
「だから言わないこっちゃない!」って言われそう。私を良く知る知人友人達は
乗り換えてまで出掛ける私をいぶかったものです。ご明察通り、私には不向きな
場所での勉強でした、何かを学ぶ場所としては。横浜駅まではいいのです。
すぐ外へ出られますから。空がそこにはあります。
3月までの授業料は前払い。けれども時間あたりにしたら安い安いそれです。
ですから、それは少しも惜しくはありません。ただ、老師(先生)は優秀ですから、
援護会が来てくれたらねぇ、なんてバカな事を思うほど続けられたらって正直思い
ます。でも、もうダメ!あの気色悪い無表情な人々が行き交う、天井の低い構内を
その中の一人となって往復する気は失せてしまったのです。あ~あ
本当に人工的なものが苦手です。どんなに美しくあっても、大して魅了されない
私です。息苦しくなるのです。
「本気ですか?」って、キョウシン老師は言います。ええ、本気よって。
よく考えて、お互いの立場を考えた末の結論です。本当に横浜駅までの間にあった
ら辞めたりなどしないんだけどねぇ、なんて、モノグサ女の考える事よ。それは
不可能ですから、意を決して身を引くことに。でも、3月までは席のある生徒です。
ああ、私が車で行けたら又事態は変わるかも。でも、あの場所へ乗り入れるなんて
自信はありません。とても交通量の多い所に位置しているのですから。
しかし、私の中国語熱がこれで冷えたわけではありません。リーチャオクンとの
個人レッスンが始まり出したのですから。今までの外国語履歴は、替わるたびに
ステップアップ出来そうな先生と出会っているのです。先生のいない英会話レッ
スンは別として。
ですから、私は前を見て歩きます。過ぎ去ったものに心を動かされないように、
捕らわれないように。小椋桂の歌にもあった♪僕は~呼びかけはしな~い・・・♪
ってあれみたいに。過ぎ去るものに、です。
理屈抜きのフレーズ丸覚え。これは私たちが日本語(言葉)を覚え始めた時の
ように。学校でも、試験対策?範囲を全部丸暗記!だったものよね。ウン百年も
前の事だけど(笑)。
クリスマスは、FEN放送で、アメリカ人の歌うクリスマスソングに耳を傾けて。
次から次へ、なかなかいいものです。音楽はやっぱり人の心へ働きかけます。
昔のように、ツリーを飾る事もなく、騙されてくれた子どもたちへプレゼントを
渡す事もないクリスマスです。感動が薄れていく豊かな社会で生きている中で、
小さな感動を、探したいと思います。私の心の中の宝石箱へしまえるような、
時々取り出して、微笑むような、誰にも関係の無い私だけの小さな感動を見つけて
いこうと思います。大事にそおっと手のひらに載せて慈しめるような出来事等を。
やっぱり ありがとう!全ての事へ感謝です。