梅の花も満開で、道路脇にその木があると、思わずすりより、低い鼻を
くっつけちゃうわね。
「馥郁(ふくいく)とした香」なんて、誰が言ったのかしら?
「馥郁」・・・よい香のただようさま。(広辞苑)って、書いてあるけれど。
「梅一輪 一輪ほどのあたたかさ」。馥郁という言葉の中には、春の予感が
詰まってるのかもね。梅花以外で、この表現は聞かないもの。
「寒いねえ、けれど、もうそこまで春は近づいてるよ」ってね。
「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」って。これは、観賞のため?それとも木の
ため?多分、観賞のために言われ続けている言葉だと、私は解釈してるけれど。
桜は、それこそ「花の宴」にふさわしい、どちらかと言えば「華やか」が似合う
お花よね。だけど、潔い身の引き方。だから、短い観賞期間、自然の中でお花を
楽しみましょう。じゃない?
梅? これは、小ぶりの枝を切って、飾りの少ない花瓶に入れて、まあるい五弁
の花びらが幾つか固まって、枝でひそやかなオシャベリをしている様と、それこ
そ香を楽しむ。そんな感じの梅の花でしょう。なので、「偕楽園」も「熱海」も、
およそ「何々梅園」と名がつく所へは行った事もないし、行く気も起きないのよ。
ま、基本的に、大勢の人が行く所、関心を持つことに、背を向ける性質(たち)
の人間だから私は。
四季の入れ替わりの頃って、しみじみとした嬉しさがこみあげてくるわね。
「よくぞ日本人に生まれけり」よ。そして、そこには必ず、香りのすれ違いがあ
るのよ。でも、それはひそやかに行われるから、注意深くしていなきゃ、知らぬ
間に済んでて、気がついたら、すっかり次の季節になっていた、なんて、もった
いないことになっちゃうわねぇ。
今が、それ! 冬から春へ移行する時の、香りが漂い始めてるわ。
そうそう、光も重要よ。3~4才の小さな光の子供達が、何がおかしいのか、嬉し
いのか、もつれあって笑い転げて走り回ってるわ。
不名誉な「イヌノオオフグリ」なんて、名前を付けられた、空が着色したとしか思
えない小さな小さな道路っばたのお花。それなんかまさに、
「ネ、ネ、もう春なのよね」って、仲間同士でおしゃべりしてるわ。
三寒四温を繰り返し、季節は春へ。
いいものねえ。日々食べられる、寒暑をしのげる家屋に住めて、家族は健康で、
今日も季節の移ろいを楽しめる自分を、この上ない幸せ者と感じる最近です。
だって、あなた。
人類の歴史って、「飢餓」「自然の猛威」「細菌・ウィルス」との闘いだったで
しょう?
もちろん全て、それらから解放された訳ではないけど、この国で生きられるって、
とても幸せなことだと思うのよ。ここまで色んなことが高水準の国なんて、ないわ。
それでね、日々「ああ、幸せだなあ」って、心から思えるのよ。
罰当たりな話よね。ダイエットで、食料を削ってるなんてね。なんだか本末転倒な
事をしてるのかも知れないと、ハタと思ったわ、だからって、それを理由に、ダイ
エット中止にはしない。女も「エ~ッ女だったっけ?」なんて、チラッとでも思わ
れたり、揶揄されたりしだしたら、食い気に走るからねえ。男をゲットするための
何もかもだったりして。情けない話よね。死ぬまで付き合わなきゃならない自分と
の折り合いが全てなのにねえ。
でも、時々、甘いものが食べた~い!なんてチラッと思ったりして。
「いけない、いけない、ここでそれをやったら」
って、食い気を封印よ。
飢餓で今尚死んでゆく人々が世界には大勢いるのよね。シェラレオネという国では、
5才まで子どもが生きられるのが大変な事だって。
そんな事を知って、
「フン、私には関係ない話よ」
なんては、思わない。けれども具体的な援助までは、行動が伴わない人間としての
ありようは、飢え、病気、自然の脅威に脅かされない幸せな日々を噛みしめる他に
はない。そう、思わない?
くっつけちゃうわね。
「馥郁(ふくいく)とした香」なんて、誰が言ったのかしら?
「馥郁」・・・よい香のただようさま。(広辞苑)って、書いてあるけれど。
「梅一輪 一輪ほどのあたたかさ」。馥郁という言葉の中には、春の予感が
詰まってるのかもね。梅花以外で、この表現は聞かないもの。
「寒いねえ、けれど、もうそこまで春は近づいてるよ」ってね。
「桜伐(き)る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」って。これは、観賞のため?それとも木の
ため?多分、観賞のために言われ続けている言葉だと、私は解釈してるけれど。
桜は、それこそ「花の宴」にふさわしい、どちらかと言えば「華やか」が似合う
お花よね。だけど、潔い身の引き方。だから、短い観賞期間、自然の中でお花を
楽しみましょう。じゃない?
梅? これは、小ぶりの枝を切って、飾りの少ない花瓶に入れて、まあるい五弁
の花びらが幾つか固まって、枝でひそやかなオシャベリをしている様と、それこ
そ香を楽しむ。そんな感じの梅の花でしょう。なので、「偕楽園」も「熱海」も、
およそ「何々梅園」と名がつく所へは行った事もないし、行く気も起きないのよ。
ま、基本的に、大勢の人が行く所、関心を持つことに、背を向ける性質(たち)
の人間だから私は。
四季の入れ替わりの頃って、しみじみとした嬉しさがこみあげてくるわね。
「よくぞ日本人に生まれけり」よ。そして、そこには必ず、香りのすれ違いがあ
るのよ。でも、それはひそやかに行われるから、注意深くしていなきゃ、知らぬ
間に済んでて、気がついたら、すっかり次の季節になっていた、なんて、もった
いないことになっちゃうわねぇ。
今が、それ! 冬から春へ移行する時の、香りが漂い始めてるわ。
そうそう、光も重要よ。3~4才の小さな光の子供達が、何がおかしいのか、嬉し
いのか、もつれあって笑い転げて走り回ってるわ。
不名誉な「イヌノオオフグリ」なんて、名前を付けられた、空が着色したとしか思
えない小さな小さな道路っばたのお花。それなんかまさに、
「ネ、ネ、もう春なのよね」って、仲間同士でおしゃべりしてるわ。
三寒四温を繰り返し、季節は春へ。
いいものねえ。日々食べられる、寒暑をしのげる家屋に住めて、家族は健康で、
今日も季節の移ろいを楽しめる自分を、この上ない幸せ者と感じる最近です。
だって、あなた。
人類の歴史って、「飢餓」「自然の猛威」「細菌・ウィルス」との闘いだったで
しょう?
もちろん全て、それらから解放された訳ではないけど、この国で生きられるって、
とても幸せなことだと思うのよ。ここまで色んなことが高水準の国なんて、ないわ。
それでね、日々「ああ、幸せだなあ」って、心から思えるのよ。
罰当たりな話よね。ダイエットで、食料を削ってるなんてね。なんだか本末転倒な
事をしてるのかも知れないと、ハタと思ったわ、だからって、それを理由に、ダイ
エット中止にはしない。女も「エ~ッ女だったっけ?」なんて、チラッとでも思わ
れたり、揶揄されたりしだしたら、食い気に走るからねえ。男をゲットするための
何もかもだったりして。情けない話よね。死ぬまで付き合わなきゃならない自分と
の折り合いが全てなのにねえ。
でも、時々、甘いものが食べた~い!なんてチラッと思ったりして。
「いけない、いけない、ここでそれをやったら」
って、食い気を封印よ。
飢餓で今尚死んでゆく人々が世界には大勢いるのよね。シェラレオネという国では、
5才まで子どもが生きられるのが大変な事だって。
そんな事を知って、
「フン、私には関係ない話よ」
なんては、思わない。けれども具体的な援助までは、行動が伴わない人間としての
ありようは、飢え、病気、自然の脅威に脅かされない幸せな日々を噛みしめる他に
はない。そう、思わない?